30 空気の読めない風の精霊
「お口に合うかどうかわかりませんが、どうぞ召し上がってください。いなり寿司っていって私の国の・・・郷土料理です」
私の国の郷土料理なんて言ったら変に思われるかなと思ったけど、アレスさんはそこはスルーして、大皿に乗ったいなり寿司を凝視していた。
そして何故か少し震えたような声でいただきますと言った。
「そんなに心配しなくても毒なんか入ってませんよ。味の保証はしませんけど・・・って。え?今、いただきますって言いました?」
この世界の人みんながそうなのかわからないけど、少なくともこの国で知り合った人たちは食事の前に手を合わせていただきますと言うことはなかった。
神に祈りを捧げてから食べるのが一般的らしい。
それなのにアレスさんは・・・。
ハッとしたような顔でアレスさんは、
「あっ、いや、その・・・」
しどろもどろのアレスさんの代わりに答えたのは意外にもイヴァンだった。
『我が教えた。サキの手料理を食うなら当然であろう?』
「そうなんだ・・・。びっくりしちゃったよ。何で知ってるのかなって」
アイテムバッグから汁椀を出し、お鍋からお吸い物を入れていく。
「リオラ草と花麩のお吸い物です。一緒にどうぞ」
「リオラ草?」
「はい。菜の花・・・というか葉物野菜を切らしていて代用できそうだったのがリオラ草だったんです。案外いけますよ」
「薬草を料理に使うなんて初めて聞いた」
「そうなんですか?昨日は天ぷらにしてみましたけど、美味しかったですよ。あっ、天ぷらっていうのは小麦粉を水でといた衣につけて油で揚げた料理なんですけど・・・」
「薬草の天ぷら・・・」
「はい。リオラ草以外にもフォルモ草とカウラリア草も天ぷらにしてみましたけど、それなりに美味でした」
「・・・薬草は売った方が金になるからな。料理に使うなんて発想がねぇんだろうな」
「それは暗に私が変わり者だって言ってます?」
「えっ?いやっ、そうじゃないっ。そうじゃなくてただ単に食材として認識してねえってだけでっ。だから別にサキがどうのってことじゃなくて・・・」
あたふたしながら必死に弁明するアレスさんを見ていたら、何だか笑いが込み上げてきた。
我慢できずについ声を出して笑ってしまった。
「えっ?」
あっけに取られているアレスさんを見たら尚更おかしくなって笑い転げてしまう。
「ご、ごめんなさいっ。冗談なのにあたふたするアレスさんを見たら何だか笑えて。そしたら笑いが止まらなくなっちゃって・・・」
「あ、いや、そうか・・・。サキが楽しいのならそれでいいが・・・」
尚もくすくす笑う私についにイヴァンがキレた。
『いつまで我を待たせるのだっ。早く食わせろっ』
「ごめん、ごめん。はい、イヴァンもどうぞ」
イヴァンの前にリオラ草のお吸い物が入った椀を置く。
同じようにシロの前にも。
小皿にいなり寿司をいくつか取り、お吸い物の椀と一緒にユラのところにも置いた。
一瞬にして消えたそれらを初めて目撃したアレスさんは言葉を失っている。
たぶん、あの時の私と一緒で、何が起きたのかわからないんだと思う。
「これがユラの食事スタイルなんです。大地の精霊がみんなこんな食べ方をするわけじゃなくて、ユラが変わってるだけだそうですよ。びっくりしますよね」
「そうなのか。俺の目がどうかしたのかと思ったよ」
「私も同じことを思いました」
そう言って私たちは顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、そろそろいただきましょうか」
もう一度手を合わせていただきますをしてから食べ始める。
するといなり寿司を口に入れたアレスさんの動きが止まった。
そんなにマズかったのかしら。
イヴァンもシロも美味しそうに食べてくれている。
「アレスさん、お口に合いませんでしたか?」
心配になった私はアレスさんに声をかけた。
ハッとしたアレスさんはぶんぶん頭と手を振りながら、
「そうじゃない。そうじゃなくて・・・その・・・何というか・・・すごく懐かしい味がしたんだ」
「懐かしい・・・?この国にもいなり寿司ってあるんですか?」
「いや。俺も今初めて食べた」
初めて食べたのに懐かしい?
よくわからないなとさらにアレスさんを見つめるけど、アレスさんは視線をさまよわせながら上手く説明できる言葉を探しているようだ。
でもその言葉を見つける前に、イヴァンの声が響き渡った。
『サキ、おかわり』
はあ。
イヴァンは相変わらずだなあ。
空気を読むってできないのかしら。
風の精霊なのに・・・。
空気を扱うのはお手の物じゃないの?
全くもう。
ブツブツ言いつつも大皿からいなり寿司を取り、イヴァンの前に。
ガツガツ平らげるイヴァンとは対照的にシロはのんびりマイペースで食べ進めている。
すでに食べ終えているユラはふるふる震えだしたかと思えば、ぽとっといつものように鉢植えを出現させた。
双葉の出ている何かの芽のようだ。
三者三様の食事風景に唖然としていたアレスさんだけど、三回目のイヴァンの『おかわり』の声に我に返り慌てて口に入れていく。
「アレスさん、そんなに慌てて食べたら喉に詰めますよ」
そう言った途端、アレスさんはウッと呻いて胸を叩いた。
「ほら、言ったでしょう。もっとゆっくり食べてください」
お吸い物を勧めながら、呆れたように私は言った。
お吸い物を飲んで一息ついたアレスさんは照れくさそうに笑いながら、
「すまん。久しぶりのサキの手料理なのに、急いで食べねぇと全部こいつに食べられちまうと思ったらつい・・・」
「確かにおいなりさんはこれで全部ですけど、違うものでよかったらまた作りますよ。それに久しぶりの手料理って・・・この間のクッキーも入ってるんですか?」
くすくす笑う私に、アレスさんは何故か焦った顔をしながら、
「あっ、いや、その・・・。あれはあれで美味かった。うん」
何だか変なアレスさんね。
そう思いながら、私はいなり寿司を一つ口へ運んだ。
それでも楽しく食事を終えた頃には少し変だったアレスさんも最初に会ったときのような優しい笑顔を見せてくれるようになり、微妙な空気もどこかへ消えていた。
なので、聞くのは今しかないと思った私は単刀直入にアレスさんに尋ねた。
「それでアレスさんが私にした酷いことって何ですか?」
いきなりの私の問いかけにアレスさんは動揺しまくり、手にしていたカップを落とした。
幸いなことに大きな音を立てただけで、カップが割れることも中身がこぼれることもなかった。
ちゃんと話してくれるまで帰さないぞというつもりでジッとアレスさんを見つめる。
「それは・・・」
悲壮感を漂わせながら言い淀むアレスさんを見ていると、何だか私が悪者になった気分だ。
本当に私、何をされたんだろう。
それでも決心がついたのか、しっかり私の目を見て話し始めた。
「俺はサキを悲しませるつもりじゃなくて、ただ・・・」
『サキ』
またしてもイヴァンがアレスさんの言葉を遮った。
「イヴァンっ。本当に今、大事な話をしているの。お願いだから少し黙ってて」
『サキ。お前は今不幸なのか?』
「だからちょっと待って・・・って。えっ?不幸?」
『そうだ。お前は自分を不幸だと思っているのか?』
「そんなことないわ。でも今はアレスさんの話の方が大事だから」
『こっちも大事な話だ。ちゃんと答えろ。お前は不幸なのか?』
いつもならまたイヴァンのわがままが始まったと聞き流すところだけど、いつにもまして真剣な言い方に私は驚きを隠せなかった。
『どうなのだ、サキ』
イヴァンは澄んだ綺麗な紫の瞳でジッと私を見ている。
そこには私とアレスさんの会話を邪魔しようだとか、自分を優先しろだとかのいつもの憎たらしい悪意は感じられない。
真剣そのものだ。
イヴァンの質問の意図はわからないけど、それでも私も真剣に答えないといけないことはわかったので、イヴァンの紫に瞳をしっかりと見ながら言った。
「不幸だなんて思ったこと、一度もないわよ」
この間、領主様の城でも言ったけど、私はずっと幸せだった。
「あの人が死んだときだって不幸だなんて思わなかった。あっ別に夫が嫌いだったとかそういうのじゃなくて、あの時はすごく悲しかったの。もう二度と会えないと思ったら悲しくて悲しくて。でも幸せな思い出もいっぱい貰ってたから不幸だとは思わなかった。ここに来た時もそう。確かにあまりにも環境の変化が大きすぎて不安ではあったけど、最初からイヴァンがいてくれたでしょ。もしあの時イヴァンに出会わず、ずっと一人で生きていかなくちゃならなかったら、もしかしたら私は自分の運命を恨んでたかもしれない。でもあの日イヴァンは私と出会ってくれた。それからずっと一緒にいてくれた。だから私は少しも不幸だとは思ってない。むしろ幸か不幸かハラハラドキドキの毎日でとても楽しいわ。そりゃ、領主様の城で恥ずかしいくらい泣いちゃったけど、見えない未来に不安だっただけ。だけど今はもう平気よ。ということでイヴァンの質問の答えはNOね。私はとっても幸せよ」
そう言って私はイヴァンの首に抱きついた。
太陽の香りのするイヴァンに。




