閑話 アレス①
そんなつもりじゃなかった。
ただ会いたかっただけだ。
一緒にいたかっただけなんだ。
それなのに。
エドの胸で号泣する早紀を見て俺は心底後悔した。
自分のことしか考えてなかったバカさ加減と、突然知らない世界に連れてこられて心細い思いをしていたであろう早紀を思いやれなかった情けない自分に無性に腹が立った。
いっそ、自分を殴り倒してやりたいくらいだ。
俺は爪が皮膚に食い込むほど拳を握りしめた。
俺は生まれてすぐ前世の記憶を思い出した。
それと同時にあの何もない空間での自称神とのやり取りも。
そのせいで赤ん坊らしくない俺を両親や周りの人間は気味悪がった。
当然だ。
体は生まれたばかりの赤ん坊でも中身は五十四才のおっさんなんだから。
生まれてから三ヶ月ほどした頃だろうか。
結局、俺は森の中に捨てられた。
本当にあの時は焦った。
このまま死んだら早紀に会えない。
生後三ヶ月の俺にできることといえば泣くことくらいだ。
俺は必死に泣いて、運よく通りがかった近くの村の村人に拾われた。
その村の村長に引き取られ、村長の息子ウッドと兄弟同然に育てられた。
幸いなことに村長夫婦もウッドも俺を気味悪がるどころか賢い子だと可愛がってくれた。
俺たちの村は辺境にあるせいかよく魔物に襲われた。
冒険者を雇おうにも貧しいこの村には支払うお金がなかったので、自分たちで守るしかなかった。
自称神の付与してくれた加護なのかはわからないが、俺は同年代の子供より力も強く魔力量も多かった。
俺が大人になるまで早紀に会えないというならそれまでに俺は強い男になってやると決めた。
早紀を守るのは俺の役目だからな。
そんなある日、俺とウッドが山へ狩りに行っている間に村がオークの群れに襲われ全滅した。
呆然とする俺たちの耳に子供の泣き声が聞こえた。
慌てて声のする方へ駆けつけると、そこは畑仕事の道具や肥料をしまっておく小屋で肥料に紛れて小さな女の子が二人隠れていた。
双子のシェリーとティーナだ。
この小屋の周辺は匂いもきつくてオークも近寄らないかもしれないと両親が一縷の望みを託したんだろう。
俺たちは他にも助かった村人がいないか村中探し回ったが、結局見つけることはできなかった。
俺とウッドは犠牲になった村人(ウッドや双子の両親もいた)を埋葬した後、食料など持てるだけ持って村を後にした。
この時一番年長者であるウッドが十四才、俺は十才、シェリーとティーナに至ってはまだ六才だった。
それでも俺たちは必死に生きた。
平和な日本を懐かしむ暇もなかった。
一年後、ウッドが成人し冒険者登録できた時はみんな大喜びだった。
ウッドが依頼を受け、俺たちも手伝いながら着々と俺たちは力をつけていった。
それから四年、そろそろ俺も成人というある夜、俺は夢を見た。
あの時と変わらない姿の自称神が出てきて、俺に言った。
「ごめんなさい。早紀さんはまだ気持ちの整理がつかなくてこちらに連れてこれないの。といっても地球ではまだ三ヶ月くらいしかたってないんだけどね。早紀さんの気持ちがもう少し落ち着いたらこちらに連れてこれると思うの。だからもう少しだけ待ってて」
喜んでいいのか、悲しむべきなのか。
それでもあれは夢じゃなかった。
いつか早紀に会える。
それまで俺はもっと強くなって必ず生き抜いてやると誓った。
「転生と違って転移は手間も時間もかかるから、そのせいで今は時間の流れも、ここソルディアと地球では全然違うけど、早紀さんを転移させたらそれぞれの世界も時間の流れもちゃんと安定させる予定だから、安心して」
そうか、地球じゃ俺が死んでからまだそんなに時間がたってないのか。
早紀が一人で過ごす時間が短いのならそれでいい。
せっかく自称神に会えたのだから文句の一つでもと思い、俺は、
「おい、自称神。俺は何でこんな過酷な人生を歩むことになったんだ?あんたのせいなんだからもう少し楽な人生でもよかっただろ?」
と言ってやると、自称神は自称じゃなくて本当に神よと文句を言いつつ、
「ちゃんとした家柄の嫡男として生まれたのよ、本当は。でもまさか捨てられるなんて思わないじゃない?まあそれも前世の記憶を消さずに転生させたからだけど、記憶がないと早紀さんを見つけられないわけだし。結局、赤ん坊らしく振舞わなかったあなたのせいじゃないの」
ぐうの音も出ない俺に、
「その代わりと言ってはなんだけど、うちの息子があなたに付与した加護、何だと思う?早紀さんがあなたを好きになるようにしたんですって。ああ、誤解しないでね。別に気持ちを操るとか、強制的に好きにならせるとかじゃなくてあなたに対する好感度が上がりやすくしたそうよ。見た目も性格も元のあなたと全然違うんだから、わかってもらえないかもしれないしね。もちろん、必ずあなたを好きになるとは限らないから早紀さんを他の男に取られたくないならせいぜい頑張りなさいよ。じゃあね」
「おいっ、待てっ」
自分の声で目が覚めた俺は、寝ずの番をしていたウッドに訝しがられ、すまん、寝ぼけたと誤魔化した。
そのままウッドと見張りを交代した俺は、いつか必ず会えるはずの早紀に思いを馳せた。
結局、俺が早紀に会えたのはそれから十年以上たってからだった。
成人して冒険者となった俺はウッドとパーティーを組み、そこへレインが加わり、さらに成人したシェリーとティーナも加わった。
そのうち、Aランクにまで上り詰め稼げる金も跳ね上がった。
俺は必要な物以外金は使わず残すようにした。
いつか早紀と二人で暮らすためだ。
それを心の支えに、死と隣り合わせの毎日を生き抜いてきた。
だが、五年たっても十年たっても早紀には会えず、どういうことだ?と焦り始めた頃、ようやくその日が訪れた。
見つけた。
あの日、俺は会いたくて会いたくて仕方なかった女性にやっと会えた。
領主の息子の後ろからひょっこり部屋に入ってきた彼女を見て、俺は一目で早紀だとわかった。
俺たちが出会った頃よりも随分若かったし、瞳も琥珀色だったが。
この世界で黒髪、黒目をしていたら大騒ぎになるのはわかっているので、何かしらの力が働いたんだろう。
俺は今すぐにでも早紀を抱きしめたいという衝動を抑えるのに必死だった。
大矢亘とは似ても似つかない今の俺じゃ早紀にわかってもらえないからな。
マルクルや領主の話もそこそこに俺はずっと早紀を見つめていた。
Aランクの魔物、グリーントレントの話が出てきた頃、早紀がおやつだと言ってシルバーウルフに鞄から取り出したクッキーを与えた。
抹茶クッキーだ。
早紀は抹茶味のものが好きでよくクッキーだとかケーキだとかを作っていた。
懐かしくなった俺は気づけば早紀にクッキーをねだっていた。
久しぶりに食べる早紀のクッキーは美味くて思わず涙が出そうになった。
その後、領主やマルクルたちがグリーントレントの退治や例の冒険者のアジトの捜索の話をしていたが、どうやって早紀と仲良くなるかで俺の頭はいっぱいだった。
ようやく作戦の内容もまとまり、決行日も明日と決まったところで解散となった。
ちょっと野暮用だとウッドに声をかけ、早々に部屋を出て行った早紀を追いかけた。
早紀を呼び止めてこれからの予定を尋ねる。
暗くなる前に帰ると言う早紀に泊まっている宿を聞くと野宿だと言う。
びっくりした俺はうちに来るように勧めたが当然断られた。
変な意味じゃない、何もしないと尚も言い募ったが受け入れてもらえず、俺がおろおろしていると早紀がくすっと俺を見て笑った。
あっ。
俺の好きな早紀の笑顔。
急に恥ずかしくなった俺はそっと視線を逸らした。
ドキドキする心臓に気づかないふりをして、生活にも困らないようにと言っておいたのにあいつめ、と自称神に悪態をついた。
昨日冒険者になったばかりだという早紀を危険な目に合わせたくない俺は、装備について尋ねると杖はいらないが胸当てと小手は欲しいと言う早紀と連れ立って俺のオススメの防具屋へ向かう。
防具屋へ向かう道すがら、早紀はここでの生活のことや貨幣価値なんかを聞いてきた。
米や味噌、醬油なんかのことも。
さすが主婦なだけあるな。
そういうことを知らないということはこの世界へ来て間もないということか。
危険な目に合わせるなと俺が頼んだからシルバーウルフが側にいるのか?
例え、シルバーウルフが側にいても早紀に野宿なんかさせたくない俺はどうすれば早紀が俺の家に来てくれるのか必死に考えた。
俺は早紀を見つけたらすぐに一緒に暮らせるようにと小さいが家を一軒丸ごと借りている。
家に来てくれさえすれば、後は何とでもなる。
早紀のための家だからな。
防具屋で店主お薦めの防具を購入し、マントも欲しいと言う早紀のために子供服も売っている衣料品店に来た。
元々向こうの世界でも小さかった早紀だが、この世界では男も女も概ね大きい。
そのせいで大人用のマントでは早紀にはサイズが合わなかったのだ。
あちこち物色する俺の目に真っ赤なマントが飛び込んできた。
四十八才の早紀には無理でも今の早紀なら似合いそうな、レースやリボンのついたマント。
これだっ!と思った俺は早紀に薦めたが却下された。
何故だ。
絶対似合うのに。
結局、早紀は紺色のマントを選んだ。
今の俺の瞳と同じ色だ。
そう思ったらどうしても俺が早紀のために買いたくなった。
だから騙し討ちのようにして代金を支払った。
店を出て門へ向かいながらやっぱり俺は野宿はダメだ、うちへ来いと散々言ったが頷いてもらえない。
そんな俺の言葉も聞こえないふりをして早紀はカイセリの街を眺めている。
そのうち本当に俺の言葉も耳に入らなくなった。
無意識なのか、右手で左手薬指にはめている結婚指輪を優しく撫でながら、心ここにあらずといった様子で街を見つめる早紀に、もしかして死んだ俺のことを思い出しているのか?
そう思うと俺は何も言えなくなった。
門に着いても野宿は危険だと言い張ったが、結局、早紀は折れてくれなかった。
早紀は頑固だからなあ。
こっそり後をつけて見守るか?
いや、それじゃあストーカーだな。
渋々早紀の説得を諦めた俺は、何度も気をつけろと念を押し早紀と別れた。
今日はいろいろありすぎて眠れないかもしれない。




