閑話 ニコライ・ブレンナー
久しぶりの大きな作戦の後、討伐隊全員を引き連れて城に戻ると、妻のミレーヌをはじめとする城の人間が皆そろって出迎えてくれた。
早々に早馬を飛ばして連絡しておいたとは言え、こんなに大人数の来客の準備は大変だっただろうに、全て抜かりなく整っておりますと報告する執事のデルトラはさすがだ。
「ただいま、ミレーヌ」
「おかえりなさいませ。あなた」
そっとミレーヌを抱き寄せ頬にキスをした後、サキを呼びミレーヌを紹介する。
するとサキは多少ぎこちないが、きちんと貴婦人のする挨拶をしてみせた。
ほお。
サキとシルバーウルフに会いたがっていたミレーヌは嬉しそうにサキに話しかけ、シルバーウルフを目にした途端、悲鳴を上げて倒れた。
咄嗟にミレーヌを受け止め、シルバーウルフに目をやると、水の精霊だと名乗る白蛇がチロチロ舌を出しながらとぐろを巻いてこちらを見ていた。
しまった。
ミレーヌはこういう生き物が苦手だった。
護衛の騎士にミレーヌを預け、部屋に運ぶように指示を出すと、サキが深々と頭を下げ、申し訳ありませんと謝ってきたが、うっかりしていた私のせいだから気にするなと告げ、後をデルトラに頼んでミレーヌの元へ向かった。
ミレーヌの部屋へ入ろうとすると、そのような格好で奥様の部屋に入られるつもりですかと怒る侍女長の言葉に、自分の姿に目を向ければ確かにこれは酷い。
血塗れ、泥塗れだ。
急いで浴室で身綺麗にし、ミレーヌの元へ行くとミレーヌはちょうど目を覚ましたところで、私が声をかけると私を見て微笑んでくれた。
「大丈夫かい?ミレーヌ。すまなかった。私がうっかりしていたせいで」
枕元の椅子に腰かけながら謝る私にミレーヌは、
「いいえ。私の方こそごめんなさい。いきなりでびっくりしてしまって」
「あの白蛇はサキの・・・というよりシルバーウルフの知り合いだそうだ。びっくりさせるつもりはなかったんだが」
「まあ、あの白蛇も魔物ですの?」
驚くミレーヌにうむとかまあとか適当に誤魔化しておく。
よくわからないことになってるからね。
「サキさんという方は貴族ですの?完璧とまでは言えないまでもきっちりカーテシーをしてくださいましたわ」
「ああ、私も驚いた。本人はただの庶民だと言っていたがね」
皆を労うための夕食の準備ができるまで、私はミレーヌにサキやシルバーウルフ(ここへきてシルバーウルフでない可能性が出てきたが)について話して聞かせた。
宴の準備ができた大広間に足を踏み入れると、ほとんどの者がこざっぱりとした服装に着替えにこやかに談笑していた。
後はサキと、サキを迎えに行ったグリセスだけのようだ。
グリセスのやつ、サキを気に入ったようだが、さてどうなることやら。
サキは少しも貴族という地位にも名誉にも興味がなさそうだからな。
まあ、あいつはミレーヌに似て顔だけはいいからそれでなんとかなればいいが。
しかし顔がいいというのであれば冒険者のレインも負けてないからなあ。
いや、レインはドスディモラスがいる分、グリセスより有利かもしれん。
サキはやたらとドスディモラスを気に入っているからな。
などと考えているとグリセスにエスコートされたサキが大広間に入ってきた。
ほおお。
黒髪を綺麗に結い上げ、淡い黄色のシンプルなドレスを身にまとい、胸元を飾る真珠の首飾りとそろいの耳飾りが耳元で可憐に揺れている。
正装に慣れていないのかそれともこういう場に慣れていないのか、あちこちに視線を泳がせ、そわそわ落ち着かない様子だ。
「サキ、待っていたよ。そのドレス、サキによく似合っているな」
私が褒めるとサキは少し顔を赤らめ恥ずかしそうにしている。
それを見たグリセスまでが目元を赤くしている。
上手くいくといいがな。
サキが私の隣にエスコートされると、私はワインの入ったグラスを持って立ち上がる。
皆が同じようにグラスを持って立ち上がると、
「皆の者、ご苦労だった。皆の働きによって違法取引に関係した者どもの取り締まりはともかく、あの大量の魔物は全て退治できた。感謝する。いろいろまだ謎は残るがそれはこれから解明していくことになるだろう。場合によってはまた皆の力を借りることになるかもしれんが、とにかく今夜は無礼講だ。好きなだけ飲んで食べてくれ。以上だ。乾杯っ!」
私の掛け声とともに皆はグラスの中身を飲み干し、宴が始まった。
そっとサキを見ると少しだけワインを口にした後、目の前の料理に目を輝かせている。
サキは迷わずスープ用のスプーンを手に取り、完璧なマナーでスープを飲んでいる。
スープを飲み終えるとマッドブルの肉に手を付ける。
こちらも肉用のナイフとフォークを使って上手に切り分け口に運んでいる。
庶民だという割にテーブルマナーは身についているようだ。
一体どこで習ったんだ?
「サキ、美味しいかい?」
美味しそうに食べるサキに話しかけるとにっこり笑って、
「はい。とっても。これは何の肉ですか?」
え?
マッドブルを知らないのか?
マッドブルだけでなくコカトリスもブラックブルも知らなかった。
かろうじてホーンラビットは知っていたようだが。
確かにマルクルも今までずっと森の中で暮らしていて街に出るのは初めてのようだとは言っていたが、それなら何故貴族の挨拶やテーブルマナーを知っている?
世間話と見せかけていろいろサキに探りを入れてみるが、驚くほど何も知らない。
いや、私たちが知っていて当然だと思っていることを知らないのだ。
代わりに庶民ならば知らないようなことは知っている。
私も知らないような知識を持っていた。
これはどういうことだ?
するとそこへフェアリーウィングのリタがワインボトルを抱えてやってきた。
「サキ、飲んでる?」
そう言えばサキはアルコールにはあまり手をつけていないようだ。
リタが子供でも飲める軽いワインだからと言って勧めると、サキの口から衝撃発言が飛び出した。
「アルコールは飲めなくもないんですけど、あまり得意じゃなくて。夫にも外では飲むなって止められてるんです」
・・・夫?
今、夫と言ったのか?
私だけでなくリタにもそう聞こえたようで、夫?と聞き返している。
「サキは結婚しているのかい?」
私は驚いて声も出ないグリセスを横目にサキに尋ねるとサキが答えるより先にリタが
「子供みたいな見た目だから思いもしなかったけど、サキは十八才だっけ?それなら結婚しててもおかしくないもんね。で、サキの旦那様は今どこにいるの?」
サキは少し悲しげな顔をするとポツリと呟いた。
「・・・五ヶ月前に亡くなりました」
「そ、そうだったんだ。ごめんね。余計なこと聞いちゃって・・・」
慌てるリタを余所に私はさらにサキに質問を重ねる。
サキにとっては辛いことだとわかっていてもサキを知るためには仕方がない。
「サキが言いたくないなら言わなくてもいいが、どうして亡くなったか聞いてもいいかい?」
「オークに襲われた私を庇って死にました。あの気にしないでください。もう終わったことなので」
健気なサキの言葉にリタがサキに抱きつくがガレルが来て、サキからリタを引き剥がして引っ張っていった。
するとエドが親が死んだから森から出てきたって言ってたよな?とサキに確認すると、
「父が死ぬ前に私を一人にしておくのは心配だからと男の人を連れてきて、その人に私のことを頼んでくれたんです。父が死んだ後、その人と一緒に住むようになって・・・。しばらく二人で生活してたんですけど、さっきも言ったようにオークに襲われて、夫が死んで私ももうダメだと思ったときにイヴァンに助けられたんです」
「小さな子供を一人にするなら心配なのもわかるが、見た目は子供でもサキはもう大人だろう。そんなに心配する必要があったのかい?」
私の問いにサキは目を泳がせながら、
「いろいろ事情がありまして・・・」
事情?
いやそれよりも森から出たことがないのに結婚?
「ところで、サキ。結婚するときに結婚誓約書にサインはしたのかい?」
首を傾げたサキは、
「結婚誓約書にはしていません」
やはりな。
「それでは結婚したことにはならないね。誓約書を教会に提出して神父に承認を受けて初めて結婚したと認められる」
「じゃあ、つまり・・・」
「サキが夫と呼ぶ人物は本当の意味では夫ではないことになる」
「夫ではない・・・」
サキのつぶやきに反対隣に座るエドがサキの頭を撫でながら元気を出せと慰めている。
そんなエドにサキは人のいいところが死んだ夫によく似ていると言い、エドも少し照れながら俺みたいなおじさんと似ていると言われても嬉しくないだろうと返していた。
「サキの旦那はいい人だったか?」
エドの問いにサキは何の迷いも見せずに、
「はい。私をとても大切にしてくれました」
「幸せだったか?」
「はい。とても」
サキは悲しげではあるが、とびきりの笑顔で答えていた。
さて、グリセスはどうするのかね。
諦めるのか、それとも・・・。
死んだ人間相手じゃ、よっぽど根性入れないと勝てないぞ、グリセス。
誓約書の提出がない以上、正式な婚姻とは認められない。
サキの夫が誓約書を提出しなかった理由はなんだ?
本当に夫だったのか?
それでもサキの笑顔に嘘は見られない。
サキが幸せだと感じていたのは本当なんだろう。
サキに夫だと名乗った男の意図が何だったのかはわからない。
サキの事情とやらに関係するのか?
サキについていろいろ考えていると、サキがイヴァンがおやつが食べたいと言うので部屋に戻るという。
皆も疲れているだろうからここらでお開きにした方がいいだろう。
宴の終わりを告げると各々与えられた部屋へ戻っていく。
一部の人間を除いて。
エドや冒険者の面々はこのまま一緒にサキの部屋へ行くらしい。
私とマルクル、それに見るからに落ち込んでいるグリセスは大広間の隣の部屋に入ると、知れば知るほどわからなくなるサキについて少し話し合った。
本来、素性を探らないという暗黙のルールのある冒険者だが、サキに関してはそうも言っていられない。
すでに国をも揺るがす出来事が起こっているからだ。
精霊の存在が公になれば、世界の勢力図が変わる可能性もある。
サキは一体何者なんだ?
あれらは本当に精霊なのか?
サキを追い詰めるようなことだけはしたくないと言うグリセスに、もちろんだと答えつつもそう簡単にいくのだろうかと私の胸に不安がよぎった。




