4 未知との遭遇・・・それはおはぎ
一応、私のように異なる世界から来た人が他にもいるのか聞いてみたけど、フェンリルさんは聞いたことがないそうだ。
今すぐ元の世界に戻れるかどうかもわからないし、精霊王に会うこともあるというフェンリルさんが王には聞いてみてくれると言うので、それまではこの異世界生活を楽しむことにした。
異世界でのんびりまったりするのもおもしろそうじゃない?
ここでしかできない事をしたり、ここでしか食べられない物を食べたり、必ず元の世界に帰れる保証はないけど、絶対帰れないとも限らない。
なら、はっきりするまでここでの生活を楽しもう。
日本でやろうと思ってたことをここでやればいいんだもの。
さて、これからどうしようと考えていると、フェンリルさんが突然上体を起こし、くんくんと何かの匂いを嗅ぎだした。
『あれは何だ?』
フェンリルさんの視線の先にあったのは、ダイニングテーブルの上の布巾、正確には布巾の下に隠されたものだ。
私は立ち上がると、それを取ってフェンリルさんの元へ戻った。
「これですか?」
私が差し出したのは、今の季節にぴったりな桜あんの入ったお饅頭。
昨日、恵里が豆大福と一緒に持ってきてくれたものだ。
皮はうっすらピンクで上に桜の花びらの塩漬けがのっている。
今日の三時のお茶請けにしようと思っていたのだけれど。
「食べます?お饅頭」
『饅頭というのか?』
「はい。中に桜あんのあんこが入っていて、外側の皮は薄くてほんのり甘くて美味しいですよ」
私がそう言うと、フェンリルさんは何のためらいもなくパクリと一口で食べてしまった。
『美味いな』
このお饅頭は元々二つあったのだけど、フェンリルさんの視線が残りの一つに向いている。
「もう一つ食べますか?」
するとフェンリルさんは幾分目を輝かせながら嬉しそうに
『いいのか?』
と言った。
ついでにしっぽもパタパタと嬉しそうに揺れている。
「えぇ。よければお茶も入れましょうか?お饅頭によく合うお茶があるんですよ」
『お茶?ふむ、頼もう』
「では、少しお待ちくださいね」
私は和菓子を食べる時はいつも京都宇治産の緑茶を入れて飲んでいる。
個人的にこれが一番好きだ。
湯吞み茶碗に電気ポットからお湯を注ぎ、お湯を冷ましている間に急須に茶葉を入れ、お湯が冷めたら湯吞みについだお湯を急須に注ぎ、約1分ほど待ち、1分たってお茶の葉が開いたら湯吞みにお茶を注ぐ。
一つは普通の湯吞み、もう一つはフェンリルさん用に丼椀にしてみた。
「いい香り」
湯吞みをトレーにのせ、リビングに戻る。
フェンリルさんの側のラグの上にペタンと座るとフェンリルさんの前には丼椀を、普通の湯吞みはローテーブルの上に置く。
「熱いのでやけどしないように気をつけてくださいね」
しばらくくんくんと匂いを嗅いでいたフェンリルさんだが、やがてペロペロと長い舌で器用にお茶を舐めた・・・途端、
『苦い!何だこれは!』
やっぱりダメか。
この苦みが美味しいんだけどなあ。
「甘いお菓子には苦みのあるお茶がピッタリだと思うんですけどね。お茶はお口に合いませんでしたか?」
フェンリルさんは顔をしかめてお茶を凝視している。
狼なのに、感情が分かるところがおもしろい。
『ううむ。まあこれはこれで良いのだろう』
そう言いながらもなんだか納得していないみたいで、笑いが込み上げてくる。
『この饅頭とやらを食べても良いか?』
上目遣いで聞いてくるところが何気にかわいい。
私が頷くとフェンリルさんは嬉しそうに口に入れた。
おいしそうに食べるなあとほっこりしながらお茶を飲んでいると
『もうないのか?』
と聞いてきたので、もうないと告げると明らかにしょんぼりしてしまった。
なんだかかわいい。
「お饅頭はもうありませんが、おはぎならありますよ。素人の私が作ったものですから、あんまり美味しくないかもしれませんけど」
『食べても良いのか?』
「えぇ。では少しお待ちくださいね。今持ってきますから」
もうすぐお彼岸なのと、昨日恵里に持って帰ってもらうために作ったものがまだ少し残っていたのだ。
それを持ってリビングに戻ると、フェンリルさんはくんくんと匂いを嗅ぐ。
「さっきのお饅頭とは少し違いますが」
フェンリルさんは器用に一つだけ口に入れると
『美味い!』
と言って、結局全部食べてしまった。
それを見て糖分の摂りすぎではと少し心配したが、本人は幸せそうなので、まあいいか。
フェンリルさんはペロリと舌で口の周りを舐めた後、私を見て言った。
『うむ。さきほどの饅頭も美味かったが、このおはぎというものは美味であった。よって、お前と従魔の契約をしてやろう』
…はい?
従魔の…契約?
従魔って異世界ものの小説で読んだ覚えがあるけど、テイムってやつのことじゃなかったっけ?
どうしたらいいのかわからず黙ったままでいると、嫌がっていると思われたのか従魔契約をしたときのメリットを力説してきた。
風の精霊の加護を受けれること。
風魔法を使えるようになること。
魔物に襲われる心配がなくなること。
さらにこの世界の知識も教えてくれるという。
私にとってメリットしかないように思うけど、逆にそれが怖い。
対価として何を要求されるのだろう。
『まあ、お前が心配するのも無理はない。簡単なことだ。我はこの甘いものが食べたい。ただそれだけだ』
思わず、目を見張る。
「そんなに和菓子が気に入ったのですか?」
『うむ。今まで何かを食べたいと思ったことはなかったが、この和菓子とやらは別格だ。いくらでも食べられるぞ』
なんてこった!
和菓子でフェンリルが釣れた!!
イヤイヤイヤ、ちょっと待って。
「あのー、申し訳ありませんが、もうここには和菓子がありません。作ろうと思えば作れますが、所詮私は素人ですし、お口に合うものが作れるかどうかわかりません。材料だって、ここで手に入るかどうか…』
『かまわん。我はこの甘いものが食べたいのだ』
フェンリルさん、顔が怖いですよ。
「…わかりました。なるべくご希望に添えるように努力しますが、材料が手に入るかどうかわかりませんからあまり期待はしないでくださいね」
『うむ。では、手のひらを我の方へ』
言われた通り、右の手のひらをフェンリルさんの顔の方へ向ける。
フェンリルさんの額と手のひらが触れたと思ったら、一瞬ピカッと光が迸った。
『よし。これで契約は完了した。我に名前をつけるが良い』
「名前…ですか?名前…名前…じゃあイヴァンでどうですか?」
そう銀狼イヴァンジェラルドから取ったのだけど。
フェンリルさん改めイヴァンもまんざらでもないようで、心持ち嬉しそうだ。
「では、これからよろしくお願いしますね、イヴァン」
そう言うと、私はおもむろにイヴァンを抱きしめ両手で…わしゃわしゃした。
『な、何をするっ』
「わーい!もふもふだーっっ!」
ここぞとばかりに私はイヴァンの体を撫でまわし始めた。
銀色の毛はサラサラで気持ちがいいし、しっぽに至っては…。
「もふもふ天国だぁーっ」
『や、やめんか。離せっ』
「えー。もう少しだけモフらせて。はぁ、幸せーっ」
あまりやりすぎて怒らせても困るので、名残惜しいがイヴァンを解放した。
これが私にとっての一番のメリットかもしれない。