43 高級黒毛和牛より美味しいなんて
しばらく呆然と鏡に映る自分を見ていたら、コンコンと部屋の扉がノックされた。
メイドさんが扉を開けると、そこにいたのはグリセス様だった。
チノパンのようなスラックスにブルーのシャツ、その上に黒っぽい上着を羽織っている。
家でリラックスするときの服装のようだ。
かっちりした騎士服もかっこよかったけど、こういうラフな服もよく似合っている。
「食事の用意ができたので迎えに来ました。サキ、素敵です。よくお似合いですよ」
リップサービスだとわかっていてもイケメンに言われると照れてしまう。
グリセス様にエスコートされ食堂に案内される。
食堂というより大広間といった方が正しいような部屋で、そこにはすでに領主様をはじめ討伐に参加していた人たちが皆、思い思いの場所に座っていた。
「サキ、待っていたよ。そのドレス、サキによく似合っているな」
私たちに気づいた領主様が手招きしながら褒めてくれる。
今の私はメイドさんたちの素晴らしい手腕のおかげでかわいくなっているとは思うけど、でもこっちの人は美人が多いと思う。
ミレーヌ夫人も上品な美人さんだし、さっき私の着替えを手伝ってくれたり化粧をしてくれたメイドさんたちも美人だった。
彫りの深い人が多いから美人さんも多いということなんだろう。
グリセス様にエスコートされ着いた先は領主様の隣だった。
何故だ?
私は目立たない所でひっそり食事がしたかったのに。
みんなの用意が整うと領主様がグラスを持って立ち上がる。
みんなも同じようにグラスを持って立ち上がったので、私も目の前の赤いワインらしき液体の入ったグラスを手に取り立ち上がった。
「皆の者、ご苦労だった。皆の働きによって違法取引に関係した者どもの取り締まりはともかく、あの大量の魔物は全て退治できた。感謝する。いろいろまだ謎は残るがそれはこれから解明していくことになるだろう。場合によってはまた皆の力を借りることになるかもしれんが、とにかく今夜は無礼講だ。好きなだけ飲んで食べてくれ。以上だ。乾杯っ!」
乾杯の掛け声とともにみんなは手にしているグラスの中身を飲み干し、祝宴が始まった。
私も少しだけワインらしきものを口に入れる。
あんまりアルコール度数の高くないワインって感じね。
それよりも私は、目の前のたくさんの料理に釘付けだ。
どれも美味しそう。
何の肉かわからないけど、ソースのかかったローストビーフのようなものとか、鶏よりも一回り大きな鳥を丸ごと煮込んだものとか、野菜たっぷりのスープとか。
「イヴァン、どれが食べたい?」
イヴァンに聞くと、イヴァンは伸び上がって器用にテーブルの端に前足をつき、料理の匂いを嗅いでいる。
少しの間そうしていたが結局いらぬと言って元の位置に戻ってしまった。
食べたいものがなかったのかしら。
イヴァンを気にしつつも私は野菜がたっぷり入ったスープをいただく。
じゃがいもや玉ねぎ、人参、芽キャベツなど知っている野菜に似たものの他に紫色の丸い野菜や黄色い葉物野菜のような一見なんだかわからないものも入っている。
スプーンで掬って口に入れるとコンソメっぽい味のスープで野菜も程よく煮込まれており美味しかった。
「ねえ、イヴァン。本当に食べないの?美味しいよ?」
『いらぬ』
「お腹すいてないの?」
『サキの作った料理が食べたい』
もうっ、嬉しいこと言ってくれるわね。
「わかった。じゃあ明日、腕によりをかけて何か作るわね」
『ああ、楽しみにしておく』
そう言うとイヴァンは前足に頭を乗せて寝る体勢に入ってしまった。
まあいいか。
今日の一番の功労者だもんね。
なので、私も意識を目の前の料理に集中させる。
この世界の料理を知るいい機会だもの。
ただこのコルセットのせいでどれだけ食べられるかわからないのが悲しいけど。
まず、ステーキのような肉の塊を食べてみる。
ナイフとフォークで一口大に切って口に入れると肉の甘みがじゅわっと広がり、あっという間に溶けてなくなる。
美味しいっ。
見た目も味も牛なんだけど、なんの肉だろう。
レッドボアではないみたいだけど。
パクパク食べながら考えていると、
「サキ、美味しいかい?」
領主様に話しかけられた。
「はい、とっても。これは何のお肉ですか?」
「マッドブルだよ。白い体に黒い斑点のついた魔物だ。知らないかい?高級品として取引されているが、比較的狩りやすい魔物だから安価で手に入るため広く流通している」
まんま、牛じゃん。
なるほど、つまりA5ランクの和牛みたいな感じなのかな。
夫が亡くなる一ヶ月くらい前に、結婚二十年の記念として有名ホテルのレストランに食事に行って、そこで出されたメインディッシュがA5ランクの黒毛和牛だったんだけど、もしかしたらそれより美味しいかもしれない。
高級和牛より美味しい魔物って・・・。
魔物、別の意味で恐るべし。
丸ごと煮込んである鶏がコカトリス、ローストビーフみたいなのがブラックブルの肉らしい。
ちなみに野菜スープにも小さな肉が入っていたけど、これはホーンラビットの肉だそうだ。
領主様と当たり障りのない話をしながらご馳走に舌鼓を打っていると、リタさんがワインボトルのようなものを抱えて側までやってきた。
「サキ、飲んでる?」
実は私はアルコールは飲めなくもないが、弱いのでなるべく飲まないようにしている。
今も乾杯のときに少しワインらしきものを口にした後は、もっぱら水しか飲んでいない。
「あら?グラスの中身、減ってないわね。飲めないの?大丈夫よ、これ子供でも飲める軽いワインだから」
子供でも飲めるってこの世界じゃ子供もアルコール飲んでいいの?
「いえ、アルコールは飲めなくもないんですけど、あまり得意じゃなくて。夫にも外では飲むなって止められてるんです」
と言った途端、その場がシーンと静まった。
あれ?
言わない方がよかった?
「・・・夫?」
「え、えーと、」
「サキは結婚しているのかい?」
呆然とするリタさんとは反対側から領主様の驚いた声がした。
どうしよう。
何て答えるのが正解なの?
「え、えーとですね」
何か言わなくちゃと思ったとき、ショックから抜け出したリタさんが、
「子供みたいな見た目だから思いもしなかったけど、サキは十八才だっけ。それなら結婚しててもおかしくないもんね。で、サキの旦那様は今どこにいるの?」
「・・・五ヶ月前に亡くなりました」
私は正直に答えた。
またしても場がシーンとなる。
「そ、そうだったんだ。ごめんね。余計なこと聞いちゃって・・・」
申し訳なさそうに謝るリタさんとは対照的に領主様はさらに突っ込んで聞いてくる。
「サキが言いたくないなら言わなくてもいいが、どうして亡くなったか聞いてもいいかい?」
咄嗟に思い出したのは夫が死んだ時のことだった。
だから迷わずこう言った。
「オーク(暴走トラック)に襲われた私(飛び出してきた子供)を庇って死にました」
本当ではないが全てが嘘でもない。
何だかこの静寂がいたたまれないんですけど。
「あの、気にしないでください。もう終わったことなので」
慌てて私がそう言うと、突然リタさんがガバッと抱きついてきた。
今はアーマーを外しているので直にわかるリタさんの素晴らしいお胸の感触に幸せ・・・と思う前に窒息しそうだ。
く、苦しい。
息ができない・・・。
「おい、サキが死にかけてるぞ」
いつの間に来たのか、ガレルさんの声が聞こえたと思ったら、突然息ができるようになった。
すうはあ、すうはあ。
死ぬかと思った。
「ご、ごめんなさい、サキ。大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
肩で息をしながらリタさんを見ると、
「だってサキが健気で・・・」
健気って・・・。
「戻るぞ」というガレルさんの声にふと目をやると、「サキに話があるのよーっ」と叫ぶリタさんをずるずる引っ張っていくガレルさんの姿が見えた。




