2 初めての異世界人は精霊でした
森の中を十五分くらい歩いた頃だろうか、突然開けた場所に出た。
ぽっかりと開いたそこには青く透明な水をたたえた湖があった。
木漏れ日が湖面に反射してキラキラと輝いている。
水の中を覗くと驚くほど透明度が高く、小さな魚が泳ぐのが見える。
そっと手を入れてみると冷たくて気持ちがいい。
夏の暑い時に水浴びしたら気持ち良さそう。
水をすくってみたり、水面をばしゃばしゃたたいてみたりしていたら、ふと視線を感じたので、そちらに目を向けた。
そこにいたのは一匹の銀色の狼だった。
そう、犬というには大きいし、何より姪の和奏の大好きなとあるアニメに出てくる銀狼イヴァンジェラルドにそっくりなのだ。
私は別にアニメオタクというわけではないが、和奏はどちらかと言えば二次元が趣味で、自分の気に入った小説や漫画、アニメをやたらと私に薦めてくるのだ。
元々、小説や漫画を読むことは好きなので、和奏に付き合って読んだり見たりすることは苦ではなかった。
ちなみに、彼女の母親-つまり私の妹恵里はそういうものに全く興味はないらしい。
私たちはしばらく見つめあっていたが、不思議と怖くなかった。
きれい。
銀色に光り輝く毛並み、何でも見透かしてしまいそうな紫の瞳、神々しいまでの立ち姿。
すると突然頭の中に声が響いてきた。
『我はフェンリル。お前は誰だ?』
えっ?
思わずキョロキョロ周りを見回す。
誰もいない、目の前の狼以外は。
もう一度狼の方を向いて思案する。
狼がしゃべった?
まさか、ね。
なんてことを考えていると、また声が聞こえた。
『我は狼ではない。風の精霊フェンリルだ』
間違いなくしゃべっているのは目の前の狼だった。
その上思考まで読まれている。
『我は狼ではないと言っておるだろう。わからんのか、娘』
「だって見た目、まんま狼だから…」
ため息らしきものをついた狼は諦めたようで、
『それでお前は?人か?それともルーナオレリアの生まれ変わりか?』
ルーナオレリア?
「よくわかりませんが、ただの一般庶民です。大矢早紀といいます」
『変わった名だな。オーヤサキか』
「あっ、早紀が名前で、大矢は苗字…家名です」
『ふむ。何故人であるお前がここにいる?ここは聖域で本来人間は足を踏み入れることが許されないはずだが…』
「えっそうなの?知らなかったとはいえ、勝手に入っちゃってごめんなさい。すぐに帰ります」
私はきびすを返して来た道を引き返した。
すると何故だかフェンリルさんが私の後をついてくる。
「見張っていなくてもちゃんと帰りますよ」
『気にするな』
そう言ってフェンリルさんはやっぱりついてきた。
家まで戻るとフェンリルさんが驚いたように
『何故、こんな所に家がある?お前はここに住んでいるのか?』
「はい、ここが私の家です。いつの間にかここに引っ越しちゃってて」
『森の中に家が建つなどありえん。さっきも言ったろう。ここは聖域だ。人間が住むなど考えられん』
「えっ?ここも聖域?湖のあった場所じゃなくて?」
『この森-風の森全体が聖域だ』
「えっそうなの?うわーどうしよう」
知らない間に来ちゃったからどうしたらいいのかわからない。
おろおろしているとフェンリルさんが言った。
『結界が張ってあるな』
「結界?」
『そうだ。この家を中心に結界が張ってある。お前に悪意を持っていたり、お前の許可のない者は入れないようになっている。元々この森には我が主の結界が張ってあるゆえ、誰も入れないようになっているが、この家はさらに結界の中に結界が張ってある、いわゆる二重結界になっている。…サキ、お前は何者だ?』
「何者って言われても…。ただの庶民だし、強いて言うなら未亡人?」
私は困ってそう答えた。
『…未亡人?まだ子供だろう?お前の国では子供でも結婚できるのか?』
「…」
いわゆるアレか。
欧米人から見れば、日本人は幼く見えるというお約束のアレ。
「若く見えますけど、中身は十分おばさんなんですよ。何故か若返っちゃって…」
あははと乾いた笑いを浮かべる。
『若返る?お前は若返りの術が使えるのか?確かに魔力の気配はするが…』
魔力?
何ですか、それ。
「私は普通の人間ですよ。フツーの」
たぶん…と心の中で付け加えておく。
普通の人間は若返ったりしないけど。
『…まあ良い。我も中へ入って良いか?』
フェンリルさんが問う。
あっ、私の許可がいるんだっけ?
少し考えてまあいいかと結論付ける。
私を害するつもりがあるならとっくに食べられてるだろうし、ないならそれで問題ない。
それに夫が死んでからずっと一人暮らしだったので、少し寂しくもあったのだ。
そして何よりもふもふだ。
私は元々動物が好きで、ペットが飼いたかったけど、死んだ夫が動物の毛アレルギーで近くに動物がいるとくしゃみが止まらなくなってしまい、ペットが飼えなかったのだ。
…モフりたい。
『モフるとは何だ?』
玄関の鍵を開け、フェンリルさんを中に入れながらそんなことを考えていると、フェンリルさんに聞かれた。
あっ、この子、私の思考が読めるんだっけ?
『この子とは何だ。これでも我は千年生きているんだが…』
「えっ、そんなにおじいちゃんだったの?」
『…お前は何気に失礼なやつだな。しかし、お前の家は変わった物ばかりだな』
キョロキョロしつつもフェンリルさんはリビングのもこもこラグマットの上に寝そべった。
『…この敷物は気持ちが良いな』
満足そうで何よりです。