1 ここはどこ?私は誰?
その夜。
とても大切な夢を見たような気がする。
なんだかほっこりするような嬉しいような悲しいようなそんな夢。
起きると、とりあえず洗面所へ向かい、歯を磨き、顔を洗う。
タオルで顔をふき、ふと鏡の中の自分と目が合う。
「…これ、誰?」
思わず口にする。
「いや、私だよ、私。でも…なんだかすごく若返ってるんですけどーっっ!」
「落ち着け。うん、ちょっと落ち着いてみよう。私、大矢早紀四十八才。三ヶ月前に夫を亡くした未亡人。うん、間違いない」
でも、目の前の鏡に映っている私はどう見ても高校生の頃の私だ。
いや、その頃より数段美人かもしれない。
「どうして??どうして三十才も若返ってるの?何が起こったの?えっ?どういうこと?」
パニックである。
昨日の夜、寝支度した時は確かにアラフィフの私だった。
シミやシワが少し目立ち始め、黒髪の中によく見れば数本白髪も混じり始めた中年女の私。
なのに、寝て起きてみれば、推定十八才前後の私になってた。
これいかに…。
って落ち着いてる場合じゃないっ。
いや、落ち着かないと。
何が起こった?
しばらく唖然としていた私だが、そのうち止まっていた思考も動き出す。
じっくりと鏡を覗き込む。
艶やかな胸元まで伸びた黒髪。
白い肌に涼しげでくっきりと二重の黒い瞳、長い睫毛、通った鼻筋、ぷるんとした唇。
それらが小さな顔の中にバランス良く配置されている。
高校生の頃の私はこんなにかわいくなかったはずだけど…。
鏡の中の私は訳がわからないというような顔でこちらを見ている。
いや、本当に訳がわからない。
ぐぅぅ……。
体は正直だ。
「とりあえず、朝ごはん食べよう」
和室に置いてある仏壇の前で手を合わせた後、キッチンで昨日の残りのスープを温め、トースターで食パンを焼く。
テーブルの上にはバターとブルーベリージャム、それとヨーグルト。
それらをお腹に収め、食後のコーヒーを飲んでまったりする。
よし、ちゃんと目も覚めた。
もう一度見てみよう。
寝ぼけてただけかもしれないし。
キッチン近くに置いてあった手鏡をとり覗き込む。
さっき見た若い私が映っていた。
夢じゃなかった。
本当に何が起こったの?
パニックになりながらふと視線を窓の向こうへやるとあるはずのないものが見えた。
慌てて窓を開けると…またしても思考が止まる。
「…ここ、どこ?」
家は幹線道路から少し離れていて閑静な住宅地に建っているが、少なくとも隣の家が見えないようなド田舎ではなかったはずだ。
それなのに目の前に広がるのは緑まぶしい森だった。
「…森?いやいやおかしいよ。おかしいって。裏には山田さん家が建ってて、決してこんな森じゃなかったよ」
今度は玄関に行き、玄関横の窓から外を覗いてみる。
門扉の向こうはやはり森のようだった。
「えっ?えっ?どうなってるの?いつの間に森の中に引っ越しちゃったの?もしかして起きたつもりだったけど、やっぱりまだ寝てて夢でも見てるのかな」
頬をつねってみる。
地味に痛い。
まさか、小説や漫画でしかやらないようなことをやるハメになるとは…。
しかし夢ではないらしい。
しばらく考えたのち、外へ出てみることにした。
意を決して玄関扉を開け、一歩踏み出す。
少しひんやりとした空気がまとわりつくが、寒いという程ではない。
一瞬迷ったが、玄関扉は開けたままにしておく。
中に入れなくなったら困るからね。
アプローチを降り、ゆっくりと家の周りを一周してみる。
広くもなく狭くもない庭を抜け、家の裏手に回り、カーポートを通り、玄関アプローチへと戻ってくる。
うん、家だ。
家の周りはぐるっとフェンスで囲まれているので、どこからも森の中へ入って行くことはできない。
門の方へ目をやる。
門から出ても大丈夫かな。
少し考えて、家の中に戻ると玄関の鍵を手に取り、鍵をかけた。
そっと門扉を開けてみる。
うん、大丈夫。
門扉を閉め、フェンスに沿って裏手に回り、森の奥を眺める。
実はさっき裏手から森を眺めていた時、何故か森の奥が気になって仕方なかったのだ。
何かあるのかな。
名前も知らない木々の間に青空が見え、木漏れ日が降り注ぐのが見える。
空気もなんだか神聖な気がする。
聖域。
ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。