30 生還
魔物を一掃し終えると、私はアレスさんとイヴァンの元に駆け寄った。
「大丈夫っ?怪我はないっ?」
「あぁ。たいした怪我はしていない。それよりサキ、お前は大丈夫だったか?あの野郎に変なこと、されてないだろうな?うん?首のところ、血がついてるぞっ。あの野郎だなっ。許さねえっ」
ものすごい形相で問い詰められて、体が引いてしまう。
ちょっと、いえものすごく怖いんですけど、アレスさん。
「大丈夫。たいした怪我じゃないから。それより助けてくれてありがとうございました」
アレスさんに、深々と頭を下げた。
頭を上げるよりも先にアレスさんに抱きしめられた。
思い切り、力いっぱい、ギュッと。
息ができないくらいの圧迫感に襲われるけれど何故だかそれが心地良く思えた。
「怖い思いをさせて悪かった。絶対守るって誓ったのに、それなのに俺は…」
「大丈夫。ちゃんと守ってもらったから。怪我もしてないし、ちゃんと生きてるわ」
私の言葉に安心したのか身を離すと、じっと私の顔を見つめる。
アレスさんのルビーのような瞳がゆっくりと近づいて来るのに気づくと、私も瞳を閉じた。
そして…。
『サキっ』
突然名前を呼ばれて我に返った。
あっ、イヴァンもいたんだっけ。
我に返ると急に恥ずかしくなった私は、あわててイヴァンに近づくと誤魔化すように思い切り抱きついた。
「イヴァンもありがとう。助けてくれて」
『…すまぬ、サキ。まさか我の結界が破られようとは…。我の慢心のせいだ』
しょんぼりとうなだれるイヴァンを驚きの目で見た。
でもだんだんと驚きよりも別の感情が湧き上がってくる。
もちろん、かわいいーっだ。
「イヴァンっ。かわいいっ。かわいすぎるっ。反則だわっ」
魔法できれいにしても微かに残る血の匂いなんて気にならないくらい、ぐりぐりとイヴァンの首に頭を押し付ける。
イヴァンのモフモフを堪能すると、「次はシロの番ね」と私の肩を見た。
さっきまでいたはずのシロがいない。
「シロ?」
イヴァンの毛の中に潜ったのかしら。
『あそこだ』
駆け出すイヴァンの後をついて行く。
小さな木の陰に小さなシロヘビがピクリとも動かず横たわっていた。
「シロっ。どうしたのっ」
あわてて両手で掬い上げた。
「心配するでない。少し魔力を使い過ぎただけじゃ」
かろうじて聞こえるような小さな声だ。
『こやつは我とあの男をお前の元に送るためにかなりの魔力を使ったのだ。転移魔法は一度でも行ったことのある場所ならそう魔力を使わずとも転移することができる。だが今回はどこに連れ去られたかもわからぬお前の元へ転移するため、お前の魔力の匂いを頼りに全魔力を使って探し出したのだ。魔力切れを起こすのも当然だ。もっともこやつが水の精霊であったからこそできたのだがな。他のやつらでは命をかけてもできぬことだ』
「そうだったの。ありがとう、シロ。シロのおかげで私はこうして生きているのね」
「気にするでない。我はサキの従魔ゆえ当然のことをしたまでじゃ。それよりすまぬ。あの男を逃がしてしもうた。魔力切れさえ起こさねば逃がすことなどなかったのじゃが…」
「そんなこと気にしなくていいから。また捕まえればいいだけよ。シロ、家に帰ったら、好きなものいっぱい作るから早く元気になってね」
「うむ。楽しみにしておる」
シロをイヴァンの頭の上に乗せ、回復魔法をかける。
「シロったら案外、イヴァンの頭の上を気に入っているからしばらく寝かせてあげてね」
「さて、そろそろみんなの所へ戻るか。さすがに火の精霊がいるから負けやしねえだろうが、心配だ」
「あそこはどこなの?やっぱりオラン帝国?」
何もない荒野を思い出す。
そして二度と見たくなかったなまこもどきも。
「たぶんな。サキも転移魔法が使えるんだからみんなのとこへ戻れるよな?」
「えぇ。大丈夫だと思う」
魔力は十分だ。
連れて行かれたあの場所を頭に思い浮かべる。
次の瞬間、私たちは荒野に立っていた。
すぐに焼け焦げた匂いが鼻腔に広がる。
辺り一面に黒く焦げたものが散らばっている。
なまこもどきだろう。
「サキっ!無事かっ」
名前を呼ばれて振り向くと、エドさんが駆け寄ってくる姿が見えた。
「エドさんっ」
「怪我はしてないか?変なこともされてねえだろうな?」
「大丈夫です。エドさんこそ大丈夫ですか?怪我とかしてませんか?」
「お前はそうやってすぐに人の心配ばかりする。優しいのは美点かもしれんが、欠点にもなるからな。特にお前の場合はな」
「あはは。気をつけます。心配かけてごめんなさい」
エドさんだって人の心配ばかりしているんですよ。
気づいてないかもしれませんが。
「ああ。無事ならそれでいい」
頭をポンポンとなでながら笑うエドさんの笑顔に、今更ながら生きててよかったと嬉しさが込み上げてくる。
ちょっぴり恥ずかしくなった私はそれを誤魔化すために「怪我をしている人がいないか探してきますね」とエドさんのそばを離れた。
するとすぐに私を呼ぶ声がして、ヴォルが姿を現した。
「おう!生きとったか。まあ、お前が死んだら従魔であるわしらにはすぐわかるさかい、生きとるとは思っとったけどな」
腰に手を当てて高笑いするヴォルに引きつつも、
「ヴォルも頑張ってくれたんだね。ありがとう」
「気にせんでええ。わし、強いさかいこれくらいなんともあらへん」
さらに大きな声で高笑いするヴォルに、イヴァンが『調子に乗るな』と吐き捨てる。
シロはイヴァンの頭の上でぐったりしているものの魔力が回復してきたのか、「調子に乗るでない」と軽口をたたく。
そこへ今度はユラが姿を現し、私の周りを踊りまわる。
「無事です?ユラも頑張ったです?」
「うん、うん。ユラもありがとう」
いい子いい子とユラを撫でまくる。
あぁ、これこそ私の幸せ。
私の日常。
ありふれた幸せを堪能していると、マルクルさんが早足で近づいてきた。
「無事だったんだな。なら怪我の治療を頼めるか?」
しまった!
こんなことをしている場合じゃなかったわっ。
あわててマルクルさんの後をついて行く。
何人かの冒険者がうずくまっているのが見えた。
急いで駆け寄り、確認する。
この人たちは怪我じゃなくて毒状態みたい。
あのなまこもどきにやられたのね。
とにかく毒が全身に回る前に状態異常を治す魔法をかけなくちゃ。
急いでクリアをかけ毒状態を戻していく。
もちろん、怪我人の中には毒にやられた人だけでなく、腕や足が切られてなくなっていたり潰された人もいた。
その人たちには再生をかけ元に戻す。
そうやって怪我人全員の治療を終えた頃、辺りを調査していたマルクルさんとグリセス様が帰って来た。
二人にこれまでのことを簡単に説明する。
しばらくあごに手を当てて考えていたマルクルさんだけど、
「たぶんここはオラン帝国の不毛の大地―オルジブラの死の荒野だな。昔来たときもこんな風にイビルブラッドサッカーに襲われた。あの時と同じだ。しかし今回の件に帝国が関わっているのか、いないのか…。ここまで来たら上に報告をせざるを得ん」
「上?」
「王宮だ」
「マルクルさんっ!王宮にどこまで報告するつもりですかっ?」
「そこが問題なんだよなあ」
頭を抱えるマルクルさんに、ここはアレを出すしかないと、私は胸の前で手を合わせ、うるうる目でマルクルさんを見上げた。
「お願いですっ。私やイヴァンたちのことはどうか内緒にしてくださいっ」
どうだっ、必殺乙女の上目遣いっ。
「うーん。しかしなあ…」
「王宮に知らせなくても、我々でなんとかします。サキのためです」
グリセス様には効いたわ。
あとはマルクルさんよ。
「マルクル」
今一つはっきりしないマルクルさんに、エドさんが助け舟を出してくれたと思ったら、
「ちゃんと報告した方がいい」
なんということでしょう。
エドさんに裏切られてしまいました。
ショックです。
エドさんは私の味方だと思っていたのに。
思考回路停止状態の私に、エドさんがあわてて駆け寄って来ました。
いいんです、いいんですよ、エドさん。
問題ばかり起こす私なんて見捨てられても当然ですよ。
わかってます。
面倒くさい女だってことくらい。
よよよ、と泣き崩れようかと思ったとき、エドさんは、
「サキっ。お前絶対勘違いしてるだろっ。別に俺は問題ばかり起こすとか面倒くさい女だとか思ってないからなっ」
なんとっ!
エドさんも私の心が読めるのですか!?
それとも私の思考がダダ洩れなだけ…?
「だから違うって言ってるだろ。よく聞け、サキ。また今日みたいなことがあったらどうする?今回は運よく無事だったが、次も無事とは限らない。こいつらがいれば百パーセント安全だと思っていたがそうじゃなかった。オラン帝国が絡んでいるのかどうかわからんが、俺たちの手には負えなくなってくる。ここは国同士で話をつけてもらった方がいい。お前の安全のためにもな」
「私の安全?」
「そうだ。奴が欲しいのはお前じゃなくシルバーウルフなんだろう?お前の膨大な魔力も奴にとってはただの魔物たちの餌にすぎんというのなら次は全力でお前を殺しにかかってくるはずだ。まあ仮にシルバーウルフを手に入れても奴のものになるとは思えんがな。奴はシルバーウルフの正体をまだ知らないんだろ?ならお前の安全が確保できればその間に奴を捕まえる。オラン帝国が関係あろうがなかろうが、もう俺たちだけで動くのはヤバすぎる。王宮にはシルバーウルフの正体を伏せたまま知らせればいい。あとは領主がなんとかしてくれるだろう。とにかくこの件を片付けるのが最優先だ」
エドさんの言うことももっともだ。
私たちのせいで誰かが死んだり、傷ついたりするのは嫌だ。
風の森から二度と出ないという選択肢もあるかもしれない。
でも折角街のみんなとも仲良くなれたのにもう会えないなんて。
治療師の仕事だってやめたくない。
どうすればいいの?
悩む私にイヴァンが言った。
『我らのことなら心配するでない。こう見えても我らは精霊。いざとなれば王宮の人間を皆殺しにしてでもお前を守ってやる』
イヴァン、お願いだからそれはやめて。
「我らはこの数ヶ月、サキと一緒にいてただの魔物のフリをすることには慣れておる。心配せずともこの先も立派にただの魔物のフリをしてみせようぞ」
シロ、ありがとう。
でも頑張るところが少し違う気がするの。
「わしのことなら大丈夫や。こんなかわいいわしを魔物やなんて思わんやろ。まあ、精霊っちゅうのはバレてしまうかもしれんけどな。まあそこは愛嬌や」
ヴォル、あえて言うわ。
誰もあなたをかわいいなんて思ってくれないわ。
魔物だと思われる可能性大よ。
「ユラも一緒に行くです?サキの役に立つです?王宮でいっぱい食べるです?」
…ユラ、ごめんなさい。
私が風の森でいっぱい不燃ごみを食べさせたせいね。
いいの、ユラはいるだけで癒しだから。
きっと王宮では不燃ごみのことなんか考えなくてもいいと思うの。
いろいろ思うところはあるけれど、みんなの気持ちはとても嬉しい。
これ以上、街のみんなを巻き込まないためにも王宮の力を借りた方がいいのかもしれない。
イヴァンたちのことは私が守ればいい。
今の私ならきっと何かできるはず。
「わかりました。エドさんの言う通りにします」
ホッとしたエドさんの顔を見て、私はなんだか申し訳ない気持ちになる。
私ってみんなに迷惑をかけまくっているのね。
それでも見捨てないでいてくれるみんなの優しさに涙がこぼれそうになる。
優しく微笑んでくれるエドさんに「カイセリの街に帰りましょうか」と微笑み返した。
一度に全員を連れて転移すると言うとマルクルさんやグリセス様たちは驚きを隠せない顔で私を見た。
元の場所に転移するだけですよ?
そんなに驚かなくても…。
いつも通り、私の感情が顔に出ていたのかエドさんが、「本当にどれだけ魔力量が多いんだ?ありえねえ」とボソッと言うのが聞こえた。
どんどん人間離れしていく自分が怖いです。
私、人間ですよね?
いつの間にか、魔物の仲間入りしてたとかないですよね?
などと脳内漫才しているうちにカイセリの街の西門に着いた。
一人も欠けることなく無事に帰って来れたことが嬉しい。
よかったと安堵していると、「サキっ」と私を呼ぶ声が聞こえた。