23 牛ではなく熊です
翌朝はとてもいい天気だった。
朝の身支度や家事を済ませると街へと転移する。
今日は治療師の仕事の日だ。
教会へ行くとすでに何人かの患者さんが並んでいた。
あわてて診察室へ入り、治療を開始する。
今日の患者さんのほとんどが昨日の夏祭りで羽目を外しすぎた人で、二日酔いだとか、酔っぱらって喧嘩をして青あざを作った人だとか、平和な治療を待つ人ばかりだった。
結局この日は夕方仕事を終えても何も起こらなかった。
アレスさんの姿も見なかった。
今日はイヴァンだけでなく、シロやヴォル、ユラまで姿を消したままで近くにいてくれたからだ。
その間、アレスさんはいろいろと情報を集めることになっている。
教会を出るとすぐに近くの路地に入る。
誰もいないことを確認すると、転移魔法を使ってユラの家まで帰った。
一番安全な方法だからね。
待つほどもなくアレスさんがやって来た。
何故かウッドさんたち、竜の夜の皆さんも一緒に。
「悪いな、サキ。大勢で押しかけて。ウッドたちにバレちまった」
頬をぽりぽり掻きながらアレスさんが言う。
「聞いたよ、サキ。これは街にとっては大変なことだ。それを二人だけでどうにかしようと思う方が間違ってるよ」
「本当に。街の一大事なんですから、皆で協力すべきですよ」
ウッドさんとレインさんの後ろからシェリーさんとティーナさんも顔を出す。
「そうよ。私たちにも手伝わせて」
「それともお邪魔だった?」
同じ顔で意味ありげに笑う二人に、とんでもないと私は首を振った。
「むしろ、巻き込んでしまって申し訳ないというか…」
「本当にサキは優しいね。でもこの件はみんなで解決すべきことだ。だからサキが謝ることじゃない」
眉を下げる私に、ウッドさんは優しく言った。
「…ありがとうございます」
家の中に招き、テーブルに座ってもらう。
昨日は広いと感じたこの場所もこれだけ人が集まると狭く感じる。
でもここしか座ってもらう場所がないんだもの。
仕方ないわよね。
「皆さんはもう夕食は召し上がられたんですか?」
「え?夕食…。ごめん、サキ。そういえばもう夕食の時間だね。俺たち、出直してこようか」
若いうちからこんな小さな気遣いができるウッドさんを尊敬するわ。
「まだなようでしたら一緒にどうですか?急いで何か作りますから」
「サキの手料理は食べたいけど、こんな大人数の食事を作るのは大変じゃない?」
「大丈夫ですよ。手の込んだ料理は作りませんから。それにシェリーさんとティーナさんが手伝ってくれるでしょう?」
私がそう言うなり、シェリーさんとティーナさんが、「無理!」と声を揃えて言った。
「だって、私たち料理なんかしたことないもの」
「え?そうなんですか?じゃあ食事はどうされているんですか?」
「街にいる間は外に食べに行ったり、何か買ってきて家で食べたり…」
「依頼で外へ出て野宿するときは、ウッドがスープを作ってくれるわ」
シェリーさんとティーナさんの返事に顔が引きつるのを感じつつ、
「じゃあなおさら一緒に作りましょう。練習です。いずれ結婚したら旦那様のために料理をするでしょう?」
「うーん、どうかなあ。私、料理のできる男と結婚するつもりだから」
「私もー」
「…ソウデスカ」
二人の答えに脱力する。
でもまあ、最近は仕事も家事も育児も夫婦二人でするようになってきてるって前にニュースか何かで見たし、夫婦で納得しているなら第三者があれこれ言う事じゃないものね。
と、納得しかけた私だけど、そこへ待ったをかけた人がいる。
ウッドさんだ。
「シェリー、ティーナ。確かに料理を誰がするかなんて二人の間で決めればいいことだけど、できないよりはできた方がいいだろう。つべこべ言わないでサキの手伝いをしなさい」
なおもブーブー言う二人に睨みを利かせながら、私に向き直ると、
「二人をこき使ってやって?」
といい笑顔で言った。
「…アリガトウゴザイマス?」
「心配しなくてもシェリーさんとティーナさんにはサラダを作ってもらうだけですから。まず、サラダに使う野菜と、パンを買ってきてもらえますか?」
二人はレインさんを連れて買い出しに行った。
何でもイケメンのレインさんを連れて行くと、店の奥様たちがこぞってまけてくれるらしい。
ナルホド。
「俺も何か手伝おうか?」
「じゃあウッドさんはじゃがいもの皮をむいていただけますか?」
今日はビーフシチューにしようと思う。
違うわね。
昨日串焼きに使ったマーダーグリズリーの肉がまだ半分残っているので、この肉を使うつもりだから、マーダーグリズリーシチューかしら。
必要な材料は風の森から取ってきた。
ウッドさんにじゃがいものの皮をむいてもらっている間に、私は玉ねぎと人参もどきのカロッテの皮をむいて一口大に切っていく。
きのこも食べやすい大きさにカット。
「俺にも手伝えることはあるか?」
昨日のことなど爪の先ほども気にしていない様子のアレスさんに複雑な気持ちになりながらも、申し訳なさそうに言うアレスさんに、かまどの火を入れてもらう。
火魔法が得意なアレスさんにピッタリな仕事だ。
「次は何をしたらいい?」
ウッドさんから皮をむいたじゃがいもを受け取ると、
「そこにある大きなお鍋を一度洗ってもらえますか?」
部屋の隅に置かれた大きな鍋は前の家主が置いていったものだ。
今まで使うことがなかったので隅に置いたままだったけれど、今日は大いに役に立ってもらおう。
じゃがいもと、アイテムバッグからマーダーグリズリーの肉を取り出し、これらも一口大に切っておく。
用意ができたら鍋に油を熱し、肉、玉ねぎ、カロッテを炒める。
水を加え、沸騰したら灰汁を取り肉が柔らかくなるまで煮込む。
じゃがいもを加え、さらに煮込む。
煮込んでいる間に、サラダのドレッシングを作る。
ボウルに酢、塩、こしょうを入れてよく混ぜ合わせる。
この混ぜ合わせる作業をウッドさんにお願いしようと探すもいつの間にかいなくなっている。
「ウッドなら酒を買いに行った。絶対に必要だって」
「そうなの?いなくなったのに気がつかなかったわ。じゃあ代わりにアレスさん、これ混ぜてもらえる?」
アレスさんにボウルと小さな泡立て器を渡すと、シチューの鍋の前に移動。
こっそりと鍋にビーフシチューのルウを投入する。
牛ではなく熊だけど、マーダーグリズリーシチューのルウがあるわけでもないから仕方がない。
でも美味しくできる気がするので良しとしよう。
手早く完成させたかったので市販のルウを使うことにしたのだけど、誰にも見られなくてよかった。
ふと視線を感じ、後ろを向くとアレスさんと目が合った。
み、見られてないわよね?
ドキドキする私に、アレスさんは笑顔で、
「これでいいか?」
ボウルに目をやると、ちゃんと混ぜられているようだ。
そこにオリーブオイルを少しずつ加えてさらに混ぜてもらう。
何も言われなかったから見られてないわよね。
ドレッシングも出来上がり、ビーフシチューならぬマーダーグリズリーシチューもギリギリまで煮込んでおく。
「野菜とパンを頼んだだけなのに遅くない?何かあったのかしら?」
「まあ何かあったとしてもあいつらなら自分たちで何とかするだろ。それより、サキ。悪かったな。何の相談もなしにウッドたちに話しちまって」
「気にしないで。さっきも言ったけど、巻き込んでしまって私の方が申し訳ないくらいよ。本当にいいの?手伝ってもらって」
「今日一日調べてみたが、もしかしたら思った以上にヤバいことが起きているかもしれん。だからマルクルたちにも知らせた方がいいんじゃないかと思う」
「そんなに大変なことになりそうなの?」
「あぁ、だから…」
「ただいま~」
話の途中で、シェリーさんたちが帰って来た。
ウッドさんも一緒だ。
話しの続きは後にして、シェリーさんとティーナさんに手伝ってもらいながら、サラダを完成させる。
各々の前にビーフシチュー、サラダ、食べやすい大きさに切ったパンを並べる。
ドレッシングはお好みなのでテーブルの中央に置く。
用意はできたけれど、ここで黙っていないのが彼らである。
『我らの分は?』
「わしらかて腹減っとるんやで」
突然聞こえてきた声に驚くウッドさんたちに、いつまでも隠しておけないかとヴォルたちを紹介することにした。