20 ドムス市長
そこは敷地の端にあるのか、全く人目につかない場所だった。
手入れのされていない裏庭なのか雑木も雑草も伸び放題で、使用人も滅多に来ないのがわかる。
耳の良いイヴァンが風に乗って聞こえてきた話し声に気づいた。
『向こうから人の声がする』
私たちは気配を殺し、声のする方へ近づいて行った。
鬱蒼と生い茂る木々の向こうに二つの人影を見つけた。
一人はドムス市長だ。
そしてもう一人は…顔に模様のある男だった。
以前、オールドムッカの森で会った男だ。
魔物を操り、何かを企んでいる怪しい男。
ドムス市長と手を組んで何をする気なの?
会話の内容を聞き取ろうと耳を澄ますと、不穏な言葉が聞こえてきた。
「…とにかくシルバーウルフがほしい」
「そう言われても無理なものは無理だ。シルバーウルフはもうずっと目撃すらされていない魔物だ」
「この街にいるだろう。シルバーウルフを連れている子供が。そいつから奪い取ればいい」
「無茶を言わんでくれ。あのシルバーウルフはすでにあの子の従魔だ。奪えるわけがないだろう」
「そんなことはどうでもいい。とにかくシルバーウルフだ。シルバーウルフが用意できないというなら、街の人間の命は保証できないが、それでもいいのか?」
冗談でも何でもないと殺気と共にドムス市長に詰め寄る。
「やめてくれっ。わかったっ。わかったからっ。だが、現実的にシルバーウルフを連れてくるのは無理だ。ただの人間のわしにできるはずがないだろう。連れて来る前にわしが殺られる」
「なら、あの娘ごと連れて来ればいい」
「誘拐しろと言っているのか?」
「言葉巧みに連れて来るくらいお前にもできるだろう。しばらくあの娘を探ってみたが、単純な娘だ。人が良いと言えば聞こえはいいが、つまりは人を疑うことを知らない馬鹿な娘だということだ。そんな娘を連れて来るぐらい簡単なことだろう?」
「い、いや、しかし…」
「そんなにごちゃごちゃ言うなら、暴風竜でもかまわん。なんなら伝説の風の精霊でもいいぞ。連れて来れるのならな」
男は人を見下したような目で口をパクパクさせるドムス市長を見ながら、口の端を上げた。
「とにかく俺が欲しいのは強力な結界を張れる魔物だ。これでもお前が一番手に入れやすいのがシルバーウルフだと思って譲歩してやっているんだがな。では一週間後にまた来る」
そう言うと男は何かつぶやくと姿を消した。
転移魔法陣を使ったのだろう。
肩を落として男が消えた場所を見つめていたドムス市長は、やがて長い溜息を吐くと踵を返して隠し扉から建物の中へ入って行った。
息を詰めていた私たちもふぅと息を吐く。
『しかし、あの男許せぬ。我を魔物と同列に扱うとは…』
「気にするところはそこなの!?私の目の前で私を誘拐する話をしてたのよっ。私の心配をするところでしょ、ここはっ」
「わしらがおるのに何の心配があるんや」
「うむ。サキに危害を加えられる者などおらぬゆえ、心配もなかろう」
「ユラも頑張ります?」
「え?あっ、まあ、その、ありがとう」
「確かに…」
とアレスさんが話に入ってくる。
「強力な結界と精霊たちがいれば、サキの身の安全は問題ないだろうが…」
アレスさんはここで話すのを止めて、チラッと私を見た。
「サキの性格からして自分から誘拐されに行く可能性はあるがな」
はい!?
『あり得るな』
イヴァンをはじめ、みんなが首を縦に振っている。
「誘拐されるってわかっててついて行くわけないでしょっ」
私が反論すると、
「そりゃ、誘拐されるってわかっててついて行くことはないだろうが…。誘拐されることを知らなけりゃ、サキはほいほいついて行ってたと思うが?」
ニヤニヤ笑うアレスさんに、追随するかのようにシロが言う。
「いや、サキなら知っていてもついて行っているかもしれぬ。なんといっても天然じゃからのう」
えっ、私ってそんな認識なの?
中身は一応アラフィフよ。
さすがにそれはないと思うの。
ブツブツつぶやく私の頭をポンポンとなでるとアレスさんは言った。
「とりあえずここから出て作戦会議でも始めるか」
同意した私たちは屋敷の裏の方へ回った。
裏に着くとちょうど運良く門が開き、肉や野菜を運んで来た街の商店の従業員さんが入って来た。
私たちは開いた門からそっと出ると、急いでその場を立ち去った。
「どうぞ、モバ茶です」
私は淹れたてのモバ茶をアレスさんの前に置く。
あの後、私たちはユラの家に戻って来て、作戦会議をすべく椅子に座っていた。
さすがにもうルーナ・ルーチェを楽しむ気はなくなったからね。
少し残念な気もしたけれど、アレスさんが来年また行こうと言ってくれたので、楽しみにしておこうと思う。
モバ茶を一口飲んだアレスさんが首を傾げる。
「モバ茶?いつも飲んでるものと味が違う。色も濃い」
「ふふ。乾燥させたモバの葉をフライパンで炒って作った茶葉で淹れたお茶よ。普段とは違う茶葉にしたんだけど味はどう?」
「美味い。しっかり味がついていて同じモバ茶とは思えん」
そうでしょ、そうでしょと私は得意げに胸を張りニタニタ笑う。
フレッシュハーブティーのようなモバ茶もいいけど、少し味がぼんやりしすぎて私はあまり好きになれなかった。
なので、摘み取ったモバの葉を乾燥させてドライモバ茶を作ってみた。
生のモバ茶とはまた違った味わいがあって、これはこれでよかったのだけど、乾燥させたモバの葉を細かく砕きさらにフライパンで炒って作ったほうじモバ茶はすっきりと香ばしい味になり、普段飲んでいるほうじ茶のような味わいになった。
このドライモバ茶やほうじモバ茶はいずれたんぽぽコーヒーと一緒に売ろうと思っている。
お茶のお供にとアイテムバッグからクッキーを取り出した。
クッキーは紅茶やコーヒーだけでなく、案外香ばしくすっきとした玄米茶やほうじ茶にも合う。
つまりクッキーはほうじモバ茶と一緒に出しても十分お供になるのだ。
我先にとクッキーを頬張るイヴァンたちから私とアレスさんの分を確保するとほうじモバ茶を口にした。
「はあ。たった半日でいろいろなことがあったわね」
お茶を飲んで一息つくと、どっと今日のことが思い出される。
「ドムス市長は根っからの悪人…ではないのかも。街の人たちを人質に取られて仕方なく…って感じに思えたけど」
「ああ、そうだな。ところであの顔に模様のある男は、オールドムッカの森で会った男に間違いないか?」
「えぇ。間違いないわ」
あんな特徴のある男を見間違えるわけないもの。
「強力な結界が張れる魔物が欲しいと言っていたな。結界をどこに張って何をする気なんだ?」
手の中の湯飲みをじっと見つめながら考え込むアレスさん。
結界って結局は何かを守るためのものよね。
何を守りたいのかしら。
自分?
それとも大切な誰か?
『サキ。おかわりだ』
ふと見るとあんなにたくさんあったクッキーがすっかり無くなっている。
「今大事な話し合い―作戦会議をしているところよね?その作戦会議よりもクッキーの方が大事なの?私が誘拐されるかもしれないっていうのにっ」
『サキのことなら心配ない。ゆえに今一番大事なのはおやつだ』
ここに戻って来てから姿を見せているヴォルとユラ、人型に変化したシロが揃って首を縦に振る。
「…」
ここは薄情者と怒るところなのか、さすが頼りになるわと喜ぶところなのか、悩む私にアレスさんがそっと手を伸ばしてきた。
「眉間にシワが寄ってるぞ。せっかくの美人が台無しだ」
「な、何を言っているんですかっ。美人だなんて…。お世辞なんて言わなくていいですよ」
顔に熱が集まるのを感じながら、落ち着こうとお茶を飲む。
「本気で言ってるんだがな。それよりまた元の話し方に戻ってるぞ」
「え?あっ、そういえば…」
ずっとこんな話し方をしてきたせいか、焦ると元に戻ってしまうようだ。
「気を付けます。じゃなくて気を付けるわ」
「あぁ。早く慣れてくれ」
いい笑顔で返されドキッとしてしまう。
「なあ、もしかしてわしらってお邪魔虫ちゃうんか?」
ヴォルの言葉にあわてて首を振る。
「な、何を言って…」
『そんなわけがなかろう。我らはサキの従魔だ。一緒にいて何が悪いのだ?』
シロやユラが頷くのを見ると、ヴォルもそうやなとあっさり引っ込んだ。
最後まで口にすることができず、口をパクパクしていた私だけど、アレスさんの一言に目を剥いた。
「俺はサキと二人きりでも構わないが…」
『「「却下だっ」」』
三人の精霊たちの声が重なった。
ユラもくるくる回りながら、「却下です?」とつぶやいている。
「もう!アレスさんも冗談は止めて。早く作戦会議の続きをしましょう」
くつくつと笑うアレスさんを睨みながら私は言った。
うぅ。
もう少し私が恋愛経験豊富ならこんなことで動揺なんてしなかったのにっ。
私は夫以外の人と恋をしたことがない。
そう、私は夫が初恋の人なのだ。
そしてそのまま夫と結婚した。
初恋は実らないとよく言うけれど、私は実ってしまった。
おかげで恋愛については少し疎いかもしれない。