19 潜入捜査
あまりのんびりとはしていられないと私たちは眩惑魔法で姿を消した。
私の右手はしっかりとアレスさんの左手に繋がれている。
目には見えないけれど手を繋いでいる感触と温もりが伝わってきて何だか不思議だ。
私たちは姿を消したまま、屋敷の周囲を探ってみたけれど、すんなり入り込めそうな場所は見つからなかった。
仕方がないので堀を乗り越えようかと話をしていたら、馬車が近づく音が聞こえ門の前で止まった。
門番さんがすぐに門を開け、馬車は中へ入って行った。
急いで私たちも開けられた門の中へ入った。
後ろで門の閉まる音がした。
なんとか間に合ったようだ。
馬車はそのまま進み、大きな玄関の前で止まった。
馬車から黒いスーツに身を包んだ中年男性が降りてきた。
「あれがドムスだ」
小声でアレスさんが教えてくれる。
見た目だけで言うなら人の好さそうなおじさんだ。
とても悪事に手を染めているとは思えない。
タイミングよく開けられた玄関へとドムス市長が歩いて行く。
中から「お帰りなさいませ、旦那様」と使用人だろう男の声がした。
ドムス市長は「ああ」と鷹揚に返事をし、中へ進んで行く。
私たちも急いで中へ入り、そっと少し離れた場所へ移動する。
中には燕尾服を着た家令らしき中年男性と三人のメイド服を着た女性がいた。
三人のメイドさんは皆頭を下げている。
家令にかぶっていた帽子を渡しながら、ドムス市長は「これから大事な仕事があるからしばらく誰も部屋に近づけるな」と命令している。
ずんずんと屋敷の奥へ進むドムス市長の後を静かについて行く。
二階の一番奥の部屋の扉を開け、ドムス市長は入って行った。
ここがドムス市長の執務室らしい。
さすがに今までのように一緒に入り込むことができず、鼻先で扉を閉められてしまった。
中の様子がわからないのに扉を開けるのは危険だ。
どうしようかと思っていると、ユラが小さな声で、
「確かめるです?」
と囁いた。
そうだ。
ユラは木の扉なら通り抜けできるんだっけ。
早速ユラが中へ入って行った…ようだ。
見えないからわからないけど。
しばらくしてユラが戻って来た…ようだ。
見えないからわからないけど。
「誰もいないです?」
やっぱり戻ってきてた。
「誰もいない?そんなはずはないけど…」
「壁が動いたです?入って行ったです?」
壁が動く?
「隠し部屋か。誰もいないならとりあえず入ってみるか」
私たちはそっと扉を開けて中へ入り、そしてそっと扉を閉めた。
ユラの言った通り、中に人影はなかった。
部屋に誰もいないのを確認した私たちは眩惑魔法を解除した。
部屋は広々としており、正面奥には大きな机があった。
両端の壁際には大きな書類棚がたくさん並んでいる。
中央には応接セット、ガラステーブルとそれを挟んで座り心地の良さそうなソファが置かれていた。
重厚感のある白いカーテンやブラウンで統一された家具はセンスの良さを感じる。
ラスボスの部屋っぽくないわねえ、なんて考えていたら、ヴォルも同じように思ったらしく、
「なんや、センスのない寂しい部屋やのう」
いや、違った。
「そこのソファにわしの等身大ぬいぐるみでも置いてあればかわいげのある部屋になるっちゅうのに。お前もそう思うやろ」
全く思いませんけど。
「そうや。今度わしの等身大ぬいぐるみを作ってくれ。部屋に置いといたらめっちゃかわいいと思わんか?」
全く思いませんけど。
『お前一人でも暑苦しいのに、何故お前の等身大ぬいぐるみなど置かねばならんのだ。ふざけるのも大概にしろ』
さすがに無視できないと思ったイヴァンが口を挟んできた。
「ふざけてもないし、冗談でもない。よう考えてみ?こんなかわいいわしがぎょうさんおったらみんな幸せやろ」
無言で虚空を睨んでいる目つきの悪い等身大うさぎほど怖いものはないと思う。
それがたくさん部屋の中に置かれていたら、それはもうホラーハウスだ。
アレスさんもぎょっとした顔でヴォルを見ている。
本気なのか冗談なのか考えあぐねているようだ。
彼はね、本気なんですよ、アレスさん。
『お前など何人おろうが、幸せになどなれぬっ。いい加減にし…』
「しっ!」
イヴァンが言い終わる前に、アレスさんが口に指をあてて静かにしろと合図した。
「誰か来る」
私たちはあわてて姿を消した。
と同時にコンコンっと遠慮がちに扉をノックする音がした。
「旦那様?」
静かに開けられた扉から顔を出したのは先ほど玄関でドムス市長を出迎えていた家令の男性だった。
「やはりいらっしゃらないか。叱られるのを覚悟で部屋を訪ねてみたが…。この部屋に近づくなというときは大抵あの怪しい男が来るときだ。いったいあの男は何者なんだ?」
そしてふうとため息をこぼす。
「ラルパ様が亡くなられてからだ、旦那様がおかしくなられたのは。あの怪しい男とこっそり会ったり、屋敷の警備を厳重にしたり、セルジュ様を追い出したり…。旦那様に一体何が…。いや、私はただの家令だ。旦那様の命令に従うのが私の仕事だ」
誰もいない空間を見つめてもう一度ため息をこぼすと、家令はそっと扉を閉めて出て行った。
家令の気配が完全に消えると私たちも、はぁと詰めいていた息を吐いた。
目の前で家令の独り言を聞いているのだ。
見えていないとわかっていても緊張する。
「今の家令の話しが本当ならドムスの独断ってことになるな。いや、他に仲間がいるとしてもこの屋敷の人間は関わっていない可能性が高い。つまり直接ドムスを探るしかない」
アレスさんの言葉に皆が頷く。
「先ずはこの部屋から姿を消したドムスを見つけねばな」
ひょこっとイヴァンの毛の中から顔を出したシロが楽しそうに言う。
「おい、そこのちっこいの。どこの壁の中へ入って行ったんや?」
ヴォルに促されユラはゆらゆらと奥の壁の前へと移動した。
「ここです?」
見たところ普通の壁のようだけど。
壁の下を見ていたアレスさんが、
「ここの絨毯が少しこすれている。どこかに壁を動かすための仕掛けがあるはずなんだが…」
と言いながらあちこち探している。
「ユラ、ドムス市長は壁を動かしたときどこにいたの?」
「ここです?」
ユラは真横にある書類棚の前で踊りだす。
早速、アレスさんが書類棚を探し始めた。
しばらくして「これか」とアレスさんがつぶやくと、次に壁の前に立つ。
そっと壁を押してみるとゆっくり壁が動いていく。
『隠し通路か…。この先に悪の親玉がいるのだな。早く捕まえに行くぞ』
目をキラキラさせて壁の奥に隠されていた通路に入ろうとしたイヴァンをアレスさんが「待て」と制する。
「俺が先に行く。俺の後ろをあわてず静かについて来るんだ。行くぞ」
ドキドキと緊張する私の手を当然のように握ると、アレスさんは通路へと入って行く。
みんなも後ろに続いた。
真っ暗な通路にポッと明かりが灯る。
アレスさんが得意の火魔法で小さな炎を出したようだ。
通路は螺旋階段のようにくるくる回りながら下へと続いている。
しばらく進むと前方にうっすらと白い光が見えた。
部屋から光が漏れ出している。
中にドムス市長がいるのかもしれない。
アレスさんが明かりを消すと、私たちに姿を消すように促した。
中の様子をうかがってみたけれど、物音一つしない。
「ユラ。ちょっと中の様子を見て来てもらえない?」
私は小声でユラにお願いした。
「行ってくるです?」
しばらくするとユラが戻って来たようで、
「誰もいないです?」
「誰もいない?」
「他にも部屋があるのかしら?」
と周囲を見てみるものの、目の前の部屋以外入れそうな空間はなかった。
「姿は消したままで中へ入ってみるか」
アレスさんがそっと扉を開けた。
暗闇から明るい部屋へ入って、一瞬目が眩んだけれど、そんなに明るい光ではなかったのですぐに目も慣れる。
部屋の中央にあるテーブルの上にランプが置いてあるだけで、ユラの言った通り誰の姿も見えなかった。
魔石を使って明かりを灯すランプはかろうじて人の顔が認識できる程度の明るさに調節されていた。
「ドムスはどこだ?あの隠し通路からはここへしか来れないはずなのにどういうことだ?」
首を傾げるアレスさんに同調するかのようにユラも首を傾げる。
するとイヴァンの毛の中からもぞもぞと出てきたシロまで首を傾げて言った。
「この部屋にも隠し通路があるのではないか?」
首を傾げる必要ある?
シロの言葉に部屋の中を調べ始めたアレスさんだったけれど、やがて、
「あった。ここが扉になってる」
部屋の正面にはマントルピースがあり、その上部には大きな絵画が飾ってあったのだけど、マントルピースと絵画ごと壁が動くようになっていた。
「へぇー。まさかこの壁が動くようになっとるとはな。おもろいこと考えよるのう」
ケラケラ笑うヴォルと『さっさと開けろ』とうるさいイヴァンを横目にアレスさんのもとへ駆け寄る。
「本当にこの壁が扉なの?」
「ああ。ここに手を当ててみろ。風を感じるだろう?」
アレスさんに言われた通りに手を当てると、確かに微かな風を感じる。
「この向こうは屋敷の外に繋がっているのかもしれないな。あぁ、これだな。このボタンを踏むとこの壁が動くんだろう。おい、ユラ。この向こうに誰かいるかわかるか?」
部屋の中をくるくる回っていたユラはじっと壁の向こうを見つめ、「誰もいないです?」と言った。
私たちは、念のために姿を消して外へ出た。