2 冗談なのに…
翌日、早速イヴァンに連れられ、ヴォルとともにコルドラ山山頂までやって来た。
シロとユラは家で留守番だ。
水の精霊であるシロは意外にも寒いのが苦手らしく、氷点下にもなる場所では体中の水分が凍りそうだと言ってついて来なかった。
ユラも知らない場所より、風の森の中にいるほうがいいらしい。
余談だけど、ユラは突然いなくなったあの時以来、時々ユラ限定どこでもハナマイムからアルクマールの深淵の森へ遊びに行っている。
やっぱり同じ精霊仲間がいるのは楽しいらしい。
そんなユラに一度、私は言ったことがある。
そんなにたくさんの友達がいるなら深淵の森で暮らしたほうがいいんじゃない?と。
そのほうがユラにとっては幸せだと思ったからだ。
二度と会えなくなるのは寂しいから、たまには風の森へ遊びに来てねと言ったら、ユラは即否定してくれた。
ここで私たちと一緒にいたいと言ってくれたのだ。
思わずムギュッとユラを抱きしめたのは言うまでもない。
イヴァンの首にしがみつき、目を閉じて念仏を唱えているうちに山頂付近に着いたようだ。
イヴァンの背から降り、ホッとした瞬間、頭の隅にこの世界には仏様はいらっしゃらないのでは…という考えがよぎったけど、まあいいか。
とりあえず無事に着いたのだから。
「うひょー。ごっつ寒そうやのう」
隣ではヴォルが両腕を抱きしめながら、ブルブルと震える真似をしている。
寒そうに見えるけど、実際は寒くない。
もちろん、イヴァンが結界を張ってくれているからだ。
本当にイヴァンの結界はすごい。
「そういえば、ヴォルはどうやってここまで来たの?」
いつの間にか隣にいるけど、渋々イヴァンに跨って空に駆け出してからは自分のことでいっぱいいっぱいで他の人を気に掛ける余裕はなかった。
「なんや、お前。わしが風の精霊のしっぽにぶら下がっとったん、気が付いてなかったんか」
「えっ。そうだったの?知らなかったわ」
まさかイヴァンのしっぽにぶら下がってたなんて…。
よくまあイヴァンが怒らなかったわね。
「せやけど、空飛ぶんもなかなか楽しいもんやのう」
ヴォルは楽しそうに言うけど、空中遊泳とは程遠かったよね!?
世界最速のジェットコースターと言っても過言じゃない乗り物だったよね!?
『うむ。お前も少しはわかってきたようだな。空を駆けることほど楽しいものはない』
すっかり仲良しになった二人だった。
目の前の天然氷を見ながら、どうやって持って帰ろうかと思案していると、突然イヴァンとヴォルの二人に緊張が走った。
何事かと周囲を見渡せば、右前方から白い大きな何かがゆっくり近づいてくるのが見えた。
雪男!?
一見雪男にも見える毛むくじゃらのそれは二本足で歩いてこっちに向かってくる。
「何あれ?雪男なの?それともイエティ?」
『何を言っている。あれはフリージオルグリズリー。マーダーグリズリーの上位種で、このような雪山に住む魔物だ」
まあそうだよね。
地球の未確認生物のわけないか。
「この辺りはあいつの縄張りなんかもしれんな」
『まあ、そうであろうな。ということは…』
イヴァンが最後まで言い終わらないうちに、目の前のフリージオルグリズリーが攻撃を仕掛けてきた。
今まで晴れ渡っていたのに突然辺り一面激しい風と雪で何も見えなくなり、あの巨体からは想像もつかないほどの素早さで私たちに近づいて殴りかかろうとしている。
フリージオルグリズリーの口から吹き出された吹雪で視界が遮られ、気がついた時には目の前に怒りの表情をしたフリージオルグリズリーが腕を振り上げた状態で立っていた。
私は声も出ず固まっていただけだったけど、フリージオルグリズリーと同じくらい素早く反応したのがイヴァンだった。
フリージオルグリズリーの腕が振り下ろされるよりも早く、「風の刃」が繰り出され、次の瞬間血しぶきとともにフリージオルグリズリーの腕がスパッと切れて落ち、真っ白い雪の大地に赤い花を咲かせていた。
怒りで目を血走らせたフリージオルグリズリーは残っている腕を私めがけて振り下ろした。
ガンッ!
振り下ろされたそれは、イヴァンの結界に阻まれて私まで届かなかった。
それがさらにフリージオルグリズリーの怒りを助長し、残っている一本の腕を闇雲に振り回し、口から吐き出す息はさっきの吹雪とは違い、触れるものを凍らせていった。
余裕でフリージオルグリズリーの攻撃をかわしていたイヴァンだったけど、「風の槍」を放った瞬間、なぜか滑ってこけた。
「イ、イヴァン!?大丈夫?」
『…。我の肉球は雪山仕様にはなっておらんのだっ』
ばつが悪そうに顔をそらすイヴァンに笑みがこぼれる。
そんな状況ではないことはわかっているけど、イヴァンがかわいいのだから仕方がない。
フリージオルグリズリーはというと「風の槍」で体中を貫かれたにもかかわらず、血塗れになりながら怒り全開で、滑ってこけて体勢を崩したイヴァンに飛びかかろうとしていた。
「危ないっっ!」
私の叫び声と同時にフリージオルグリズリーに向かって「炎の矢」が飛んで行く。
見事フリージオルグリズリーの足に命中し、足を止めることに成功した。
思ってもみなかった方向からの攻撃に、後ろを振り返ったフリージオルグリズリーは口から「氷の息吹」を炎の矢を放った相手、ヴォルに向かって吐き出す。
それを「炎の壁」で防いだヴォルは続けざまに「炎の渦」と唱えた。
「ダメっ!ヴォルっ、やめてっ!」
私はあわててヴォルを制止した。
「これ以上こんな雪山で、そんな大技を繰り出したら雪崩が起きちゃうっ」
すでにあちこちから地鳴りのような嫌な音が聞こえている。
「あぁ?せやかてこいつの弱点は炎や。わしの魔法やないと殺れへんで」
「わかってる。だからもっと火力の弱いのはないの?」
「しゃあないなあ。ほんならこれでどうや。「炎の鎖!」」
ヴォルがそう唱えると燃え盛る炎の鎖がまるで意思を持つ蛇のようにフリージオルグリズリーの体に
巻き付いた。
自身の怪力で鎖を引きちぎろうとするも炎でできたそれを外すことはできず、足に刺さった炎の矢のせいで動くこともできず、怒り心頭に発したフリージオルグリズリーは触れるものをすべて凍らせる冷凍ビームを形振り構わず口から吐き出した。
炎の鎖がさらにフリージオルグリズリーを締め上げる。
最後にヴォルが「炎による破裂」を唱えとどめを刺した。
炎に包まれたフリージオルグリズリーは断末魔の叫びをあげ、やがて跡形もなく消え去った。
ヴォルの炎で雪が解け辺り一面霧が立ち込めていたけど、霧が消え去ると後には大きな魔石が残されていた。
それを拾い上げた瞬間、私はあることに気がついた。
「ねぇ、イヴァン。もしかしてフリージオルグリズリーってものすごく珍しい魔物なんじゃ…」
『うむ。フリージオルグリズリーはこのような標高の高い雪山にしか生息しておらぬからな。その上縄張り意識が強く、自分の縄張りに侵入してきた者には容赦なく襲い掛かる。たとえ相手が同族でもだ。ここがフリージオルグリズリーの縄張りで、やつがいなくなったということはこの辺りは安全だということだ』
「しまったーっっ。これがマルクルさんやフラッジオさんにバレたら絶対怒られるわーっ。何で持って帰って来なかったんだって」
イヴァンの話も後半は聞き流し、しばらく頭を抱えるも、終わったことは仕方がないと気持ちを切り替えた。
そう。
あの二人にバレなきゃいいのよ。
「ありがとう、ヴォル。さすが火の精霊ね。本当に強いわ」
胸の前で両手を組んでにっこり微笑む。
「おぉ。そうやろ、そうやろ。わしはめっちゃ強いからな。なんぼでも頼りにしたらええ。わはは」
手を腰に当てて胸を反らして笑うヴォルに、つられて私も声をあげて笑った。
するとイヴァンがかなり機嫌が悪そうな声音で
『確かにとどめを刺したのはこやつだが、我とてサキの役に立ったであろう?それなのに何故こやつばかり褒めるのだ?おかしいではないか』
「もちろん、イヴァンにも感謝してるわ。でもイヴァンが滑ってこけちゃって、結局一番活躍したのはヴォルだったでしょ」
私がそう言うなりイヴァンは「ガーンっっ!」という効果音を頭にのせて顔を引きつらせて固まった。
あっ、ヤバっ。
冗談なのに本気にしちゃった?
これはマズいかもと、私が訂正するよりも早くイヴァンは、
『我はもう知らぬっ』
と一言捨ておき、どこかへ行ってしまった。
ご丁寧にも私たちの周りに張ってあった結界を解いて。
そして冒頭へ戻る。