59 あなたには二度と会いたくないっ
鳥の鳴き声一つ聞こえない不気味な森をしばらく進んで行くと、突然前方から「いたぞーっ」というただならぬ声が聞こえてきた。
討伐隊に緊張が走る。
次の瞬間、後方から黒い影が襲ってきた。
えっ?
後ろ?
振り向いたときにはすでにイヴァンがモーザ・ドゥーグの首に噛みついていた。
そこへ間髪入れず、エドさんが剣を振り下ろす。
一匹目のモーザ・ドゥーグを倒し終えたときには前方でも戦闘が始まっていた。
騎士団や冒険者の怒鳴り声に混じり、動物の唸り声のようなものも聞こえる。
モーザ・ドゥーグの声なのだろう。
ふと倒したモーザ・ドゥーグを見る。
口元から鋭い牙が見え、真っ黒い体に口から出ている長い舌だけが赤くて、その赤が怖い。
鋭いのは牙だけじゃなく足の爪も鋭く尖っていた。
あんなので引っ掻かれたらひとたまりもないわね。
昨日リジェネレイトで治した怪我人を思い出しながら、浄化魔法で倒したモーザ・ドゥーグを消した。
モーザ・ドゥーグが群れて行動するというのは本当のようで、茂みの向こうや木の陰からモーザ・ドゥーグが飛び出してくる。
討伐隊の皆さんが必死でモーザ・ドゥーグの群れと戦っている間、私は邪魔にならないようにしながらモーザ・ドゥーグの死骸を浄化したり、ヒールやリジェネレイトをかけて負傷した人たちを治したりと後方支援に徹した。
モーザ・ドゥーグの連携プレーはなかなか見事で討伐隊の皆さんもかなり手こずっていたけど、数に物を言わせてなんとか一匹ずつ倒していく。
倒しても倒しても出てくるんだけど、こういうものなの?
モーザ・ドゥーグの討伐って。
そんな疑問を感じていた頃、突然イヴァンが何かに反応して戦いを止めた。
モーザ・ドゥーグはイヴァンの爪に押さえ込まれて動けない。
すかさず名前を知らない警備隊の誰かがとどめを刺した。
『来た』
イヴァンのつぶやきを耳にした私はレインボーバードが来たのかと身構えた。
どうしよう。
何だか緊張してきた。
今まで緊張してなかったわけじゃないけど、所詮後方支援だと少し安心していた。
うん?
ちょっと待って。
どうやって戦えばいいのか全くわからないんだけどっっ!!
そう思ったら急に焦り始めた。
飴玉一つ分くらいはあった余裕もなくなり、少し足が震えた。
『サキ。心配せずとも我の結界があるゆえサキに害が及ぶことはない。それに来たのはレインボーバードではない。・・・イビルブラッドサッカーだ』
何が来たって?と聞き返す間もなく、木々をバリバリとなぎ倒しながら現れたのは巨大な黒い塊だった。
・・・なまこ?
巨大ななまこのように見えたそれが口を開けた。
たぶん口。
だってギザギザの鋭く尖った牙がいっぱい見えたものっっ。
理解不能な魔物の出現に私は固まってしまう。
何なの、この気持ち悪い魔物はっっ。
『イビルブラッドサッカー。サンドワーム系の、人の生き血を好む魔物だ。だがあやつはオラン帝国の荒れ地にしか生息していなかったはずだが・・・』
何故ここに?
そんな顔をしながらイヴァンは目の前の巨大なまこを睨みつけている。
すると目の前の巨大なまこが体を震わせ、大量に何かを投げてきた。
たくさんの黒い小さな塊。
よく見るとその一つ一つがうねうねと動いている。
「イ、イヴァン。あのうねうねしてる小さな塊は何なの?」
あまりの気持ち悪さに心底震えながら、イヴァンに尋ねた。
『イビルブラッドサッカーの・・・分身みたいなものか。人について血を吸う。ほら、見てみろ。あやつは今血を吸われておる』
イヴァンの視線の先に目をやると、冒険者の一人が腕に小さななまこもどきをぶら下げていた。
それがどんどん大きくなっていく。
血を吸ってるから!?
「た、助けてくれーっっ」
仲間の一人が剣で切り落とすも、切られた半分は地面に落ちてもなおうねうねと動き回っているし、吸い付いたままの半分も腕のところでうねうねしたままだ。
誰かが火魔法で焼くと、炭のようになったそれは動かなくなった。
腕に付いたままだったなまこもどきを剥がしてもダラダラと血は止まらず、さらにふらついてその冒険者は地面に膝をついた。
『あの小さな塊は血を吸うと同時に神経毒を相手の体に送り込む。動けないようにして最後の一滴まで血を吸い尽くす』
「つまりあの人はその毒のせいで動けないのね」
私はすぐに膝をつく冒険者に駆け寄り、さっき教えてもらったばかりの状態異常回復魔法「清浄」をかけた。
状態異常が治ったことを確認した私は、ほっとしたのも束の間、あちこちから聞こえる叫び声にギョッとした。
あの小さな黒い塊が増えていた。
何でっっ!?
『いくらでも投げつけてくるぞ。油断するな』
そんなことを言われても・・・と反論しようとした矢先、目の前にその黒い塊が降ってきた。
間近で見るなまこもどきは・・・やっぱり気持ち悪かった。
ダメだっっ!!
私、こういうヌメヌメしたの、苦手なのにっっ!
すると巨大なまこは何故か私めがけて小さななまこもどきを集中して投げてきた。
!!
イヴァンは私を中心にドーム型の結界を張ってくれているけど、その結界の外側にびっしり小さな黒いなまこもどきが張り付いていた。
どこを見てもなまこもどきのそれに私の心が・・・折れた。
ポキっと折れた音が聞こえた瞬間、私は大声で叫んで走り出した。
闇雲に走り、誰かにぶつかった。
ぶつかった勢いのまま、本能的に目の前のものに抱きついた。
抱きついた目の前のものはローガンさんだったらしいけど、恐怖でいっぱいいっぱいだった私は気づいていなかった。
「おぉ、ローガンがフリーズしとる」
「ローガンずるいぞ」
ローガンさんの目の前でトーマスさんが手を振りながら「こいつ、心臓止まっとるんじゃないか?」なんて会話をしていたことなんて、私は知らない。
『サキ、落ち着け。大丈夫だ』
イヴァンの声が聞こえて、声のした方に顔を向けたら・・・小さななまこもどきが一斉に口を開けてどこにあるのかわからない目で私を見ている・・・ような気がした。
それによって、さらにパニックになった私は、抱きついていたものを突き飛ばし、また森の奥へと走り出した。
抱きついていたものが、突き飛ばされた勢いのまま地面に激突しても微動だにしなかったことも、それを見たトーマスさんが「やっぱり心臓止まっとるんじゃないか」と笑っていたことも、私は知らない。
「イヴァンっ。助けて、イヴァンっ」
『我はここにいる。落ち着くのだ、サキ』
半泣きになりながら言った私の目の前にイヴァンの姿が見えた。
「イヴァンっ。助けて。何とかしてっ」
小さな黒いなまこもどきを指差す私に、イヴァンは非情にも言った。
『我にはどうすることもできぬ』
なんですと!?
『あやつは火魔法で焼き尽くすしか倒す方法はない』
イヴァンの返事に、パニックになっていた私は落ち着きを取り戻すことに成功した。
「そんなあ」
見た目が気持ち悪すぎてもうこれ以上精神的に耐えられそうもない。
明らかにショックを受けた私に、イヴァンは言った。
『ヴォルカンに頼めばよかろう。あんなでも一応火の精霊だ』
「ヴォルカン?」
『あぁ』と苦々し気に頷くイヴァンに、ここにいないヴォルカンにどうやって頼むのよっと声を荒げそうになったとき、視界の隅にまた小さな黒いなまこもどきが映った。
もういやっと思った瞬間、私はここにいない名前を思い切り叫んでいた。
「ヴォルカンっ。助けてっ」
「なんや、わしのこと呼んだか?」
ひょっこり現れたのは、いないはずのヴォルカンだった。
え?
何で?
私が口を開くより先にヴォルカンは、
「こいつら、ホンマにキモいなあ。なんで風の国におるんや?」
そう言うなりポンポンと火の玉を投げ、あっという間に見える範囲のなまこもどきを炭にしてくれた。
「ありがとう、ヴォルカンっ」
いつもなら絶対しないのに、安堵のあまりヴォルカンに抱きついてしまった。
『サキっ。何をしておるっ。やめろっ。すぐに離れろっ』
「おっ、なんやわしモテモテやなあ」
イヴァンに服を引っ張られ、ヴォルカンに抱きついていたことに気づいた私はすぐに離れた。
「もう終いか。わしの胸ならいつでも貸したるさかいな」
と言って大口を開けて笑うヴォルカンに、
いえ、もう大丈夫です、パニックになって正常な判断ができなかっただけです、と心の中で弁解した。
どうか漏れてませんようにとついでに祈っておく。
「それよりどうしてここにいるの?」
「この森で探し物しとったからな」
「そうだったの。それで見つかった?」
「まだや」
「そうなの。早く見つかるといいわね」
周囲にいる討伐隊の面々は新たな魔物の出現かと肝を冷やしていたら、私が呑気に会話をし出したものだから呆気に取られていた。
そうだった。
ヴォルカンは魔物と認識されているんだった。
とにかく今はヴォルカンが魔物だと認識されていようとなかろうとどうでもいい。
せっかくここにヴォルカンがいるのだからヴォルカンを使わない手はない。
だって目の前にはまだ巨大なまこがいるんだものっっ。
「ヴォルカンっ。お願いだからあの巨大なまこを退治してちょうだいっ。細胞分裂のようにミニなまこを作っては飛ばしてくるのよっ。私、このままじゃ寝込んじゃってご飯もおやつも作れなくなるわっ」
「何やて!?それは一大事やっ。ちょっと待っとけ。すぐやっつけたるさかいっ。・・・ところで巨大なまこって何や?」
『イビルブラッドサッカーのことだ。サキは勝手に名前を付けて呼ぶ癖がある』
「わしと一緒でかわいいもんには名前を付けたくなるっちゅうことか」
あんなの一ミリたりともかわいいなんて思ったことないからっ。
ヴォルカンは巨大なまこの前まで来ると炎槍と叫んだ。
するとどこからともなく炎の槍が現れ、次々と巨大なまこに突き刺さる。
串刺しにされた巨大なまこはまた体を震わせ、ミニなまこを飛ばそうとするけど、そうはさせるかとヴォルカンは巨大な炎の玉を投げつけた。
大炎上する巨大なまこ、いやイビルブラッドサッカーは断末魔の叫び声をあげながら燃えつきた。
あちこちに残っていたミニなまこも綺麗に一掃すると、「よし、完了や」とヴォルカンはスキップしながら戻ってきた。
「これでええか?」
「えぇ、ありがとう」
ヴォルカンにも美味しいものを作ってあげなくちゃ。