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世界が終わるその前に  作者: 深井陽介
第一章 春・夏編
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#8 雨ごもり


 雨が降ってきた。朝はまだ日が差していたが、昼頃から灰色の雲が増えていき、そろそろ降り出すだろうとは思っていた。まさかこんなに早く降り出すとは思わなかったけど。

 おかげでわたし、宮原文香は、変なところで立ち往生してしまう羽目に。

「どうしよう……」

 わたしは、バケツをひっくり返したように雨を降らす鉛色の空を、呆然と見上げていた。

 どこにいるのかというと、学校から家への帰り道の途中にある、無人の家の軒下である。表札の文字が消えかかっていて、元々誰が住んでいたのか分からない。二階建ての木造家屋……この村ではごく普通。たぶん家人がいなくなって長い年月が経っているのだろう、どこもかしこもボロボロで、今にも崩れそうだ。

 ……なんでこんな所でずっと立ち尽くしたままなのか、と思った人もいるだろう。雨が降る可能性を考えていれば傘も持っているだろうし、携帯で家の人に助けを求めることだってできるのに、と。

 しかし、傘はさっき慌てて開こうとしたとき、何かに引っかかって骨が折れてしまい、どういう因果かビニールの真ん中部分に穴が開いてしまった。つまりどんな向きで差しても雨を防げないのである。変な向きに骨が折れたせいで畳むこともできない。だから開いたまま足元に放置している。

 そして携帯は、こんな時に限って電池切れを起こしていた。充電器は自宅の自分の部屋。義弟妹の三人は先に帰宅してしまって、しかも他にこっち方面に帰る生徒はいない。よって誰かに助けを求めるという方法は、とても現実的じゃなかった。

「あー……こうなるなら、先生の頼み引き受けなきゃよかった」

 いつもなら義弟妹の三人より先に帰るのだが、今日は日直で、日誌を書いて職員室に持っていく必要があったのだ。それでも三人とほぼ同時に帰ることはできる。だが、日誌を届けに行った職員室で、先生に授業用資料の整理を手伝わされてしまったのだ。先生もわたしの家の事情は知っているけど、すでに教室には生徒がほとんどいなかったので、何となく断れなかった。

 作業が半分ほど終わったところで解放してくれたが、やはり遅かった。長い上り坂に差しかかったところでぽつぽつと降ってきて、瞬く間に本降りへと発展した。目についた家の玄関の軒下に、自転車と一緒に避難したが、傘が壊れ、携帯の電池切れに気づいたため、こうして降雨が弱まるのをじっと待っている。

 何なのだろう。今日は厄日か何かですか。

「誰か通りかかってくれないかなぁ……」

 すでに現実的じゃないと諦めたはずの手段に、未だにしがみついているわたし。さっきからずっと空を眺めているけど、雨が弱まる気配は露ほどもない。

 まあ、帰りが遅ければ夕貴たちが探しに来てくれるだろうし、帰り道のすぐそばにあるここで待ち続けていれば、確実に見つけてくれるだろう。今はそれが唯一の望みだ。

 ガタッ。

「…………!」

 突然にどこからか物音がして、わたしはびくりとした。震えながら振り向く。

「な、何だろう……風かな」

 少し視線を家屋から逸らして、すぐそばの樹木を見る。……わずかも揺れていない。

「か、風じゃなさそう……?」

 ガタタッ。

「ひいっ……!」

 唐突な音に驚いただけなのか、それとも得体の知れない何かに怯えたのか……どっちでもいいが、わたしは息を吸いながら声を上げた。わたしでも悲鳴を上げることがあるのか。

「えっと、たぶん、野生動物か何かだよね……」

 よく考えればそれが自然だ。この家の雰囲気からして幽霊でも出そうな感じだけど、そもそも幽霊が物音を出せるわけがない。すぐ裏手に深い森があるから、野生動物が潜り込んでも不思議はない。

 しかし……野生動物以外の何かとは、考えられないだろうか。

 ごくり。わたしは固唾を吞む。

 落ち着いて考えて。ここで待っていた方が、後から探しに来る夕貴たちが見つけやすいし、この家の状態からして雨漏りとかも激しいし、至る所が崩れていると考えるべきだ。一時の好奇心に駆られて踏み込んでしまえば、いらない怪我をしてしまうことだってありうる。

 だけど……。わたしは玄関の引き戸の取っ手に、手をかけた。

 後で誰か、意志薄弱なわたしを叱ってください。

「えいっ!」

 思い切ってわたしは引き戸を開けた。滑りが悪いためか途中で止まり、半分しか開かなかったけど。今度は少しずつ戸を滑らせて、なんとか全部開けることができたけど。

 元から日光が足りないせいでもあるだろうが、家の中はほぼ光の差さない暗闇だった。

「うわあ……ホントに得体の知れないモノが住んでいそう」

 暗いというだけじゃない。隙間や穴が開いているせいか湿気が強く、埃も多い。玄関から延びる廊下のあちこちに、壁や天井の木材の欠片が落ちている。

 携帯が使えたら明かりにできたのだが、電池切れのため使えない。暗闇に目を慣らすしかないだろう。とはいえ、どこに行けばいいのかも分からないのだが……。

 ガタッ。

 また音がした。どこからだろう。右手にある部屋から聞こえたような気がしたが……。

 元から床は汚れているし、靴は履いたままで上がった方がいいだろう。わたしは上がり(かまち)を跨いで廊下に足を踏み入れる。ゆっくりと歩を進めるたびに、床板が(きし)んで嫌な音が鳴る。

 右手にある(ふすま)の取っ手に手をかけて、ゆっくりと開ける。

 和室だった。木製の雨戸は閉めきられているが、隙間から外の光が少しだけ漏れている。地震や台風の影響だろうか、天井板の破片や壁材の欠片がたくさん落ちていて、足の踏み場もない。床には畳が敷かれているが、奥の方は木の板になっている。その木の板が一枚外れていた。

 あの板の下に何かいるのだろうか……わたしは、拍動が強くなる胸を抑えながら、畳の床に散らばっている破片を避けながら、ゆっくりと奥の方へ歩いていく。足音を立てないように……。

 外れた板の下は、暗い地下空間だった。床下だから全く深くない。板をどかせて中を覗くと……。

 段ボール箱と、その中で大量の(わら)に包まれて、にーにーと泣いている三匹の子猫。

「ええー……」大変な状況なのに、萌えます。「なんでこんなところに猫ちゃんが?」

 ああ、思わず顔が(ほころ)んでしまう。猫を飼ったことはないけど、ペットがいる生活には憧れる。

 うん、でも……経済的にこの子たちを拾う余裕はない。

 待てよ?

「もしかしてさっきの音は……」

 さっきどけた板を片手で少し持ち上げ、手を放す。別の木の板にぶつかって音が鳴る。さっきわたしが玄関前で聞いた音と同じだ。

「この音だったんだ……ということは、さっき誰かがこの板を動かしたってこと?」

 そう思いながら、視線を目の前の壁に向けると、柱との間に大きな亀裂があった。幅十センチほどの隙間が空いている。そして、猫の毛が何本か絡まっていた。どうやらここを猫が通っているらしい。

 親猫か……そうでなくても、この子猫たちを世話しているメス猫がいて、母乳あるいはエサをあげるために出入りしている。たぶんそういう事だろう。

「そっか……」わたしは床下の子猫たちに向き直る。「お前たちには、ちゃんと育ててくれる親がいるんだね。わたしは世話してやれないけど、立派に育つんだぞ」

 猫に人間の言葉が分かるとは思えないけど、何となく言いたくなった。

 ……今のわたしには、この世に授けてくれた産みの親も、手をかけて育ててくれる親もいない。もうとっくに慣れたと思っていたのに、つらい気持ちが残っていたなんて。心の支えになってくれる義弟妹、あの三人がいるだけで十分、そう思っていたのに……。

 もういいや。わたしは踵を返し、玄関前に戻ろうとその場を離れた。親猫も、わたしがいては戻るに戻れないだろう。

 …………あれ?

 わたしは、ふと妙な感触を覚えて、立ち止まる。

 なんで、床下に段ボール箱があったの? しかも藁まで入っていた。明らかに猫の仕業じゃない。

 何かの目的で人間が入れたのだ。親猫がいるなら捨て猫の可能性は低い。別の理由で入れていた段ボール箱と藁を、後から野生の猫の親子が住処(すみか)にした。そういう事じゃないかな……。

 わたしはまた戻って、段ボール箱に何か書かれていないか、確かめるべく覗き込んだ。携帯が電池切れで明かりを持っていないので、少しだけ箱を動かして、側面に外の光を当てるしかない。案の定、マジックペンで書かれた文字が見えた。カビや劣化のせいで薄れてはいたが、なんとか読める。

 “祝”

 一瞬、『呪』と書かれているのかと思ったけど、違った。何かの記念品でも入っていたのか? そんなものに藁を詰めて床下に置く意味が分からない。

「おーい、文香ぁー」

 家の外からわたしを呼ぶ声が。これは夕貴だ。

「……時間切れか」

 わたしはそう呟いて、今度こそこの場を後にした。家族がわたしを探している。

 雨の日の小さな冒険、それは消化不良に終わったけど、楽しみが一つ増えた。顔も知らない親猫と一緒に、あの子たちの成長を見守っていきたい。

 今度は足音を立てながら、未だ雨の降りやまぬ外の世界に飛び出した。

「ごめんごめん、ちょっとトラブルがあって―――――」

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