#6 からあげ(後編)
翌日からの朝食に使えるソーセージをたんまりと買い込み、気を取り直して唐揚げの材料を調達する。不足していた材料も含めると、メインの鶏肉、片栗粉、醤油、ハーブ類も欲しいかな。このスーパーより近いところに精肉店はないので、多少値が張っても鶏肉はここで買うしかない。
「セージにタイム……たかが唐揚げにここまで凝った材料を使うのか?」
夕貴は香辛料の小瓶を見つめながら言った。
「味付けが料理の満足度を決めるんですよ。それより夕貴、他に何か食べたいものはある?」
「完全に主婦……もといおかんのセリフだな。んじゃ、僕はこれを」
夕貴が手に取ったのはフルーチェの箱だった。チョイスの方向性がいちいち不可解だ。そういえば牛乳も切れかかっていたから、二本ほど買っておくか。
そうして必要な物やついでに買いたい物をまとめて、レジカウンターで購入。このスーパーのカードは、千円ごとの購入でポイントが増えていく。だからたまにまとめ買いした方が得なのである。
「買い物はね、店側と消費者側の、利潤追求と節約のせめぎ合いなのよ」
「要するに店側が金をむしり取るか、客側が金をかけずに物を買うか、その戦いってわけだな」
どちらにしても身も蓋もない言い方なので、レジの前でこんな会話は避けた方が賢明です。でも言ってしまうのがわたし達の悪い癖だ。
さて、毎回のことながらこのスーパーに来ると、予定外にいろんなものを大量に買ってしまうので、大荷物を抱えて帰宅することになる。だから正直に言うと、夕貴が付き合ってくれたのは大助かりだ。自転車の籠の容量もたかが知れているので、あまり多すぎるとバランスが悪くて自転車を漕ぎにくくなるのだ。
とはいえ、二人で分けて運んでも、それなりの重さはあるのだが。しかも夕貴は、籠にカバンしか入れていない状態でも息が切れるほどだ。まして買い物の帰りでは……言わずもがなである。
「ぜぃ、ぜぃ……お前、いつもこんな感じで買い物から帰っているのか?」
「当初の目的は果たせたでしょう?」慣れているわたしはまだ平気だ。「普段わたしがどんなふうに買い物をしているか、見ておきたかったって」
「もう、十分に、理解、できた……」
橋を渡って村に戻ってきて、広がる田園を貫く細い道路を走っていく。車さえ一台も通らない。ほとんどの田んぼで苗植えの作業が終わったので、人の姿も少ない。
自宅の前は軽い上り坂になる。わたしはここもペダルを漕ぎながら進めるが、体力の足らない夕貴はいつも、自転車を押しながら登っているという。今はそれだけの体力も残っていなかった。
「文香、ちょっと休憩していいか……?」
「えー? まあ、ちょっとくらいならいいけど」
買い物に付き合ってくれたお礼に、このくらいは許可してもいいだろう。
道端に自転車を停めて、二人で並んでガードレールに腰かける。目の前に、わたし達の家の建っている山がそびえている。後ろには、夕日に照らされて少し暗さを帯びた田んぼが広がる。
「……文香は、重い荷物を抱えながら、こんな道を通っているんだな」
「ちょっとはわたしの苦労が分かったかな」
「僕だったらこんな生活、三日も続かないかもしれない」
「いいよ、別に。たまにこうして手伝ってくれれば。わたしはもう慣れちゃったし」
「それはそれでよくないんじゃないのかな」
夕貴がぼそりと呟くように言った。えっと、何が不満なのでしょう。わたしは夕貴の横顔を見る。
「僕たちは、親が遠方に出張したままだから、家のことは僕ら四人で協力しながらやるのが理想だろ」
「そうなれば確かに理想だけど……でもわたしは、今のままでも特に気にならないし」
「僕が気にするんだよ」夕貴は真っすぐ見つめ返してきた。「僕だけじゃない。菜月も丈太郎も同じことを考えているよ。文香のおかげで僕らは支えられている。だからこそ、文香には無理をしてほしくない」
「……そりゃまあ、わたしが倒れたら生活が立ち行かなくなるしね」
「それもあるけど、文香が何でも一人で抱え込む奴だって知っているから、僕も菜月も丈太郎も、お前がつらそうにしていると見ていられなくなるんだよ」
……そんなことを思っていたの? 顔や態度に出さなすぎだろう。
最初は仕方なくやっていた家事も、最近は楽しくて充実感を覚えるようになった。つらくて、やめたいと思うこともあるけど、三人が喜んでくれるから頑張れた。今は後悔などないけど……それでもやっぱり、三人の目にはわたしがつらそうにしているように見えるのだろうか。
無理をしているつもりはない。だけど……甘え方を忘れてしまっているのも事実かもしれない。
「……ありがと。心配かけちゃってるなら、謝った方がいいかな。つらいところを見せているつもりはなかったけど……うん、そうだね。たまに何か手伝ってくれたら、わたしは嬉しい」
わたしは、心からの笑顔を夕貴に見せた。
その時、頭上を風が吹き抜けた。山の中にあった落ち葉や花びらが、風に乗って舞い踊っている。自転車を漕いで少し汗ばんだ首筋が、一瞬ひやりと冷たくなった気がした。
夕貴がこちらを見つめてくる。まだ何か言いたいことがあるのだろうか、と思っていると……夕貴の左手がこちらに差し出され、わたしの右耳の後ろにあてがわれた。
「…………え?」
夕貴の顔がこちらに寄ってくる。わたしは動きを止めたまま、迫る義弟の顔をじっと見つめる。
田園の真ん中で二人、夕焼け空の下で顔を最接近させて……。
わたしの髪に引っかかっていた落ち葉が取られた。
「落ち葉、髪についてた」
「あ、うん……ありがと」
「んじゃ、十分休んだし、そろそろ帰るとするか」
「うん……」
わたしは曖昧な返事しかしなかった。
どうもこいつは、こういうイケメン行動を平然とやってのける節がある。十年以上も一緒にいるわたしならともかく、普通の女子だったらどんな反応をするか……まさに無自覚のイケメンである。我が弟ながら、どこかでトラブルの火種を拾って来やしないかと心配になる。
「大丈夫? 押して歩くのも割ときついと思うけど」
「文香は毎日のように頑張っているんだから……僕も頑張る」
熱心に手伝ってくれるのはいいことだ。
唐揚げはもともと『空揚げ』と書いて、衣の少ない揚げ物を指す言葉だ。実際、唐揚げでは下味をつけた鶏肉に、小麦粉あるいは片栗粉をまぶして揚げるだけだ。そのために、鶏肉の味や食感がそのまま楽しめるという利点がある一方、肉汁たっぷりに揚げるのがなかなか難しかったりする。
外側は淡白なように見えても、中身はけっこう味のある性格……夕貴って唐揚げみたいだ。誰かに食べられてしまわないといいのだけど。
後書きで野暮なことを言いますが、この二人の間に恋愛感情は微塵もありません。
そんなものは入れませんよ。