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世界が終わるその前に  作者: 深井陽介
第二章 秋編
31/32

#30 自転車のある日常(前編)

気づいたら一年半くらいご無沙汰でした。大丈夫です、存在は忘れていません。むしろ読者の皆さんに忘れられていないかどうk……オホン、すみません。

今回は自転車のお話。秋編に入ってしばらくたちますが、あんまり季節感はありません。田舎に高校生だけで住んでいると、生活の足に困ることは山ほどあるよ、というお話です。

27話の内容に触れている所がありますが、読んでなくてもたぶん大丈夫なはずです。


 ああ、こうやって平穏な日常は壊れるのだな、とつくづく思う。

 日常とは決して、同じ一日の繰り返しではない。大筋の流れだけが変わらなくて、枝葉末節が少しずつ変化するものだ。でも、その大筋の流れまでもが変えられると、途方に暮れてしまうものだ。

 今わたしはまさに、一日の大筋を支えるものが失われ、いつも通りの日常を送れない現状を目の当たりにして、絶望の底にあったのだ。

「ど、どうしよう……」

「いや文香、自転車がパンクした程度で大げさすぎ」

 背後にいる夕貴が冷静に突っ込んでくれた。ううん、冷静でいられないのよ、わたしにとってはね!

「あのねぇ! 買い物袋を抱えて隣町と行き来するのに、自転車がないとどんだけ苦労するか分かる? あのクッソ長い道のりを徒歩で往復するとなったら気が遠くなるわ!」

「あの文香がここまで荒れるとは……まあ気持ちは分かるけど」

 夕貴は今ひとつの反応だけど、わたしの苦労を理解してくれるならよろしい。

 さて、何があったかというと、お昼前に買い物にでも行こうかと外に出て、いつも使っている自転車に跨ったら、なんだか違和感を覚えて、タイヤを見たらぺっちゃんこになっていることに気づいた、という感じだ。改めて説明してみると、別に複雑な話でも何でもなかったな……。

 正直、今日が休日でよかった。平日の学校がある日だったら、朝のうちにやるべき家事を済ませたあと、他の三人から遅れて家を出るから、自転車がないと大幅に遅刻してしまうのだ。まあ、学校側もわたしの事情は知っているので、多少の遅刻は見逃されているけど、あまり遅れすぎるとお叱りを受けてしまうんだよね。

 とはいえ、休日でも困った事態に変わりはない。うちには、欲求のブレーキが未発達な義妹と、食べ盛りで大飯食いの義弟がいるから、買い物袋はいつもパンパンになる。体力はある方だけど、この辺りで一番近いスーパーがある隣町から、それを抱えて歩くのはかなり億劫だ。

 最悪、お昼は少しくらい遅れても、三人は適当に家にあるもので済ませられる。つまり買い物は決して急務ではない。ならば、やることはひとつだ。

「夕貴! あんた自転車のパンクの修理できる?」

「そう来ると思ったよ……まあ、ひと通りできると思うけど」

 呆れながらもそう言ってくれた。さすが我が義弟、地味に手先が器用なだけある。

「よしっ、この事態の収拾はあんたに任せた!」

「慣れないことに直面するとすぐ僕に丸投げするよな……文香の頼みじゃなかったら、こうもあっさり引き受けないよ」

 そう言って肩をすくめながら、夕貴はわたしの自転車を調べ始めた。

 ……こいつ、いい加減に義姉(わたし)だけを特別扱いするの、やめてくれないかな。そういうことをさらっと言われると、背中がこそばゆくなるのよ。

「自転車のタイヤの空気がなくなるのって、たいていは虫ゴムの劣化が原因なんだよ。だからまずは、それをチェックしてからだな」

「虫ゴムって、空気の逆流を防ぐやつだっけ」

「そうそう。工具箱の中に、虫ゴムの予備があるかもしれない」

「じゃあ、ちょっと取ってくるね」

 そう言ってわたしは家の中へ取って返そうとして……玄関から出てきた誰かと、ぶつかりそうになった。

「「うおぉっ」」

 お互いにおっさんみたいな声で驚いてしまったけど、どっちも華の女子高生。なんてことだ、と自己嫌悪になりそう。

「びっくりした……菜月、出かけるの?」

「ううん? 文香に買ってきてほしいものがあったの、今思い出して……てっきりもう出たかと思ってたのに」

「出かけたと思ったのに追いかけようとしたの? メールくれてもよかったのに」

「ああ、言われてみればそうだね。あはは、つい」

 おちゃらけて笑う菜月。直情径行は毎度のこととはいえ、これからまた夕方にかけて暑くなりそうだというのに、よく自転車で出かけるわたしに追いつこうと思ったな。まあ、実際にはパンクのせいでまだ出られてないけど。

「え? なに、文香パンクしちゃったの?」

 菜月が目を見開いてバカなことを言った。この数分でわたしの身に何があったというのか。

「語弊がありすぎるわ。わたしの自転車のタイヤがパンクしたのよ」

「そっかぁ……でもそれじゃ、買い物に行けないね。あっ、わたしの自転車使ってもいいよ。夕貴や丈太郎の自転車を借りパクってもいいし」

「よくねぇよ」

 後ろから菜月の頭に手刀が振り下ろされた。こう、ゴンッ、と。

「借りるだけならともかくパクられてたまるか。というか、俺や夕貴の自転車を借りるの、なんでお前が許可するんだよ」

「丈太郎」菜月が頭を押さえて振り返る。「あんたもどこかに出かけるの?」

「玄関が騒がしいから何事かと思って出てきたんだよ。文香、俺らの自転車を借りるのはいいけど、荷物を置くのは間に合うのか? いつも買い物袋二つ分だし、前カゴだけじゃなく後ろに荷台も必要だろ」

 そうなのだ。主にこの二人のせいで、そしてお得に買い物のできる日が限られているせいで、毎回、買い物袋は一枚だと間に合わない。だからいつも、前カゴだけでなく、サドルの後ろに荷台(リアキャリア)を設置して使っている。厳密には、荷台の上に浅めのカゴを取り付けて、その上に買い物袋を置いているのだけど。

 ちなみに荷台は、わたしの自転車だけでなく、丈太郎の自転車にもついていて、よく菜月を乗せて二人乗りしているらしい(というか菜月が勝手に乗るらしい)。だが、そのせいか知らないが、そっちの荷台はやや左に傾いていて、わたしの自転車のようにカゴを取り付けても安定しないのだ。だからといって、わたしの自転車の荷台を他の自転車に付け替えるのは、相当に時間がかかる。虫ゴムを交換することと比べると、格段に。

「まあ、そういうわけだから、ここは夕貴に修理してもらう方がいいと思ったわけ。虫ゴムの予備があるかもしれないから、工具箱を取りに行くところだったんだけど」

「そっか。邪魔してごめんね」

 やけに素直に謝る菜月。

「いや、別にいいんだけど」

「ところで、虫ゴムって何? ゴム製の昆虫?」

「そうそう、よく菜月が夕貴へのいたずらに使って空振りに終わってる、ってやつじゃないに決まってるでしょバカ」

 結局流れるようにボケる菜月の頭に、わたしも手刀をお見舞いした。こう、こつんと。

「よくそんな長いノリツッコミをさらっと言えるよな」

 夕貴が戻ってきた。まあ、我が家にはボケ役が二人もいるから、ツッコミの腕も日々磨かれて……なんて言っている場合じゃなかった。

「あっ、ごめん、夕貴。いま工具箱取ってくるから」

「いやいいよ。さっき調べたけど、虫ゴムはそんなに劣化してなかった。たぶん、中のチューブのどこかに穴が開いているんだと思う」

「げっ、マジか」

 わたしは思わず顔をしかめる。困ったことになった……虫ゴムくらいなら何とかなるけど、チューブに穴が開いているとなると、家での修理が途端に難しくなる。

「チューブの穴を塞ぐには、専用のシートと接着剤が必要だけど、こういうこと今までなかったから、たぶんここにストックはないよな」

「じゃあ、どうしよう……」

「だったら今日の買い物のついでに買ってくればいいんじゃない?」

 おお、妙案だ……とはならない。その買い物がパンクのせいでできないのに、どうしろというのだ。もちろんこんなおバカな提案をするのは菜月である。

 菜月の妙案(笑)はひとまず無視するとして。

「チューブ用のシートって、どこで売ってるの?」

「ホームセンターには売ってると思う。もちろん自転車屋さんにもある。ただ、どっちも隣町にしかない」

「つまり、そのどっちかの店に、使える自転車を使って出向いて、リペアの材料を調達して戻ってきて、また隣町に行って買い物をすると?」

「…………」

「……いや、さすがになくない?」

 二度手間になるし、恐ろしく時間もかかる。シートを手に入れるついでに食料を調達しようにも、さっきも言ったように前カゴだけでは足りない。一度に買う量を半分にして二回に分ける、という手もあるが、それでも結局二度手間に変わりはない。

 二度手間を避けるには、予定の量の半分を今日買って、後日また出向いて残りの半分を買った方が、まだいいかもしれない。

「そうなると、夕飯の量も半分に減らすしかないかなぁ……」

「えぇ、そんな! 飢えて死んじゃうよ!」

「……無人島サバイバル生活じゃあるまいし、冷蔵庫の残り物で事足りるでしょ。というか、菜月がいつもせがんでくる余計なものを省けば、一度に一枚の買い物袋で間に合うと思うんだけど」

「失礼な! 余計なものをせがんだ覚えはありません!」

「ほお……? 菜月の部屋の押し入れに突っ込まれている玩具(オモチャ)や文具やアクセサリーは、余計なものではないというのね? 押し入れに突っ込まれているけどね。押し入れに」

「押し入れを連呼するのはおやめください、姐様(あねさま)!」

 慌てて腰を直角に曲げて頭を下げる菜月。だから任侠を持ち込むなと何度言ったら。

「というか、なぜに押し入れの中身をご存じで……?」

「あんたが普段からやらない分、部屋の掃除はわたしがしているのよ」

「お疲れさまです、姐様!」

 ……こいつはわたしの舎弟にでもなりたいのだろうか。

 任侠ごっこはさておいて、夕飯の量を減らすのは大丈夫だろうか。わたしと夕貴はたぶん平気だけど、大飯食いの丈太郎はどうだろう?

「俺は別に構わないぜ。どうせ普段からたらふく食ってるからな。少しくらい減らされたって平気だろ」

 と、余裕綽々で言った直後に、お昼ご飯のデッドラインを知らせる、大きなお腹の音が鳴り響いた。誰の腹に潜んでいる虫なのかは、わたしと夕貴と菜月の視線が物語っている。

 沈黙が流れ、風に飛ばされる葉っぱが翻る音だけ聞こえる。

「……説得力、瞬時に殺す、腹の虫」

「詠むな、菜月」

「で、結局どうするんだ?」

 腹の虫……ではなく苦虫を噛み潰したような顔の丈太郎を放置して、夕貴はわたしに問いかける。

 まあ、時間はかかるけど、こうなったら荷台とカゴを別の自転車に付け直すしかないだろうなぁ。ただ、今日はそれで乗り切れても、この自転車は通学にも使うから、いずれパンクは直さないといけない。別の自転車を使って買い物に行くついでに、チューブ用のシートを手に入れる、ということになるだろう。

 さすがに、菜月と丈太郎のこんなありさまを見せられて、夕飯を減らすのは忍びないし、少し手間をかけてどうにかなるなら、そっちの方がいい。面倒ではあるけどね……もちろんこれも、夕貴に任せっきりにさせてしまうが。

 そんな事を考えていると、表の方から一台の軽トラがやって来た。

「おーい、元気にしとるかい」

 運転席の窓から顔を出して、わたし達に声をかけてきたのは、知り合いのおばあさんだった。

「田代さん、どうしたんですか」

「お野菜のおすそ分けに来たんだよ。まだ家にいてくれてちょうどよかったよ」

「いえ、こちらこそちょうどよかったです!」

「ん?」

 田代さんは首をかしげた。

 なんということだ。まさに地獄で仏、渡りに船。一気に問題解決だ。

「よしっ、よしっ、よしっ!」

 しきりにガッツポーズを繰り返すわたしを、冷めた目で見る夕貴。

「……買い物に命かけすぎだなぁ、文香」



 というわけで、田代さんの軽トラの荷台に、わたしの自転車を載せて、隣町の自転車屋さんに持っていくことになった。もちろん、走行時の揺れでフレームが歪まないよう、ロープでしっかりと荷台に固定している。ちなみに持ってきた野菜は、すぐに家の中に放り込んでおいた。

 自転車屋さんに行くのは、わたしと田代さんだけだ。軽トラに座席は二人分しかないし、無理してもう一人乗せる理由もない。

「すみません、田代さん。軽トラ使わせてもらって」

「いいのよ、このくらい。坂道とか長距離になると、ああいうのは欠かせないものね」

「パンクを直してもらったら、そのままスーパーで買い物するので、終わったら田代さんだけ帰っても大丈夫ですよ」

「そうかい? まあ、それがいいかもね。それにしてもあの自転車、ずいぶん年季が入っとるけど、いつから使っとるんだい」

 確かに、わたしの自転車はだいぶ古い、というかボロい。フレームのあちこちが錆びているし、サドルもハンドルも色褪せている。車体の後ろには、うちの高校のステッカーが貼ってあるけど、その下には別のステッカーの跡が少し見えている。

 そう、あれは元々、わたしの自転車じゃないのだ。

「いつからかは、分かりません……あれは、お父さんが使っていた自転車なので」

「あら、そうなの。お父さんって今、遠くに出張しとるって……」

「いえ、そっちの父ではなくて、わたしの実の父……生みの親の方の、お父さんです」

 わたし達、宮原家の四人兄弟は、全員に血のつながりがない。それはそれぞれの両親が、離婚や死別や再婚を繰り返したためだ。具体的には、わたしの実の母親と、夕貴の実の父親が再婚して、一方で菜月の父親と丈太郎の母親が再婚し、それぞれが義理の兄弟となり、そして最近、夕貴の父親と丈太郎の母親が再婚したことで、二組の義理の兄弟が、四人兄弟となったのだ。

 つまりわたしにとって父親は、実の父親と、再婚相手である夕貴の父親の二人がいる。だけどわたしがお父さんと呼ぶ相手は、基本的に実の父親……穂積(ほづみ)英一(えいいち)だけだ。別に、義理の父親に心を許していないわけじゃないけど。

 つい最近、お父さんの同僚と偶然会って、お父さんが宮大工の見習いだったことを知った。それまでわたしはお父さんの仕事を知らなかったけど、あの自転車は、お父さんが職場に行くのに使っていたと、お母さんに聞いていた。そして、わたしが小学校に上がったタイミングで、自転車はわたしに譲られた。……今思うと、お父さんが失踪する前に、そうしてほしいとお母さんに頼んだのかもしれない。

「へえ、そうなのかい。お父さんの自転車ねぇ……」

「あれじゃあ、いつ壊れてもおかしくないですが、それまでは、もう少し大事に使っていこうと思ってます」

「それがいいね。物は大事に使うほど、自分の手に馴染んでいくものさ」

 うん、きっとそうなのだろう……そういうものを、愛着っていうのかな。

 行方不明になって長い年月が経ち、徐々にその記憶が薄れている実の父親……それでもわたしの手の中に、その存在がしっかりと刻まれていく。不思議と心地よさを覚えるほどに。

 古い軽トラに揺られながら、わたしはその心地よさに身を委ねて、自然と笑みを浮かべた。

 早く直して、また乗りたいと思いながら。


ちょっと長いので前後編に分けました。26話や27話はもっと長かった気もしますが。

文香は自転車を無事修理できるのか。後編に続きます。

というか後編はすぐ来ます。

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