#0 追憶
それがいつの事だったのか、わたしは全く覚えていない。どこで見たのか、その場にわたし以外に誰がいたのか、何ひとつ覚えていない。たぶんあれから十年近くが経っていて、似たような光景を見ることも、想起させるような話題が出たこともなく、あらゆる記憶が薄れているのだ。
強烈なほど脳裏に焼き付いて離れないのが、その場所から見た光景だ。実際、あれが何を見て感じたことなのか、それさえはっきりとは覚えていない。だがその記憶が、わたしの人格形成に多大な影響を与えたことは間違いない。子ども心にそれは、空恐ろしいものだったのだ。
まるで、世界の終わりを目の当たりにしたような……そんな感覚だった。
赤だ。赤、赤、赤!
わたしはどこかの高台の上。丘か崖かは忘れたが、見渡す限り、鮮やかなまでの赤が広がっていたのだ。
それ以外、覚えていることは何もない。
ただ、そう……あれ以上に、震え上がるほどの恐ろしさを感じたことは一度もない。
後からその話をしても、誰もが、綺麗な夕焼けを見たのだろうと言ってきた。普通に考えればそうなのかもしれない。だが、今でもわたしは、あれを世界の終末であったと思っている。
十年近く経っても、わたしはその記憶に囚われている。わたしのいるこの世界は、当然ながらまだ終わっていないのだから。大人になってものがわかるようになれば、やがて解放されるかもしれない。だから、わたしを束縛するその記憶から解き放たれた時、わたしはようやく大人になれるのだ。つまり、まだ大人にはなりきれていない。
だけど……その瞬間が訪れることを、心から待ち望んでいるとは言い難かった。
なぜだろう?
紆余曲折あって、わたしは予想外の形で新しい家族を持った。きょうだいが三人増えたのだ。不安なこともあるけれど、毎日が楽しいと思える日々を送っている。
わたしは、世界が終わる瞬間をすでに見ている。もし、またあのような光景を見るとしたら、それはいつになるのだろう? それが明日でない事を祈るばかりだ。
日日是好日。
だからわたしは、毎日を大切にしながら過ごしている。
この気持ちを失いたくない。赤で満たされた記憶から解放されたら、日々の貴さを感じられなくなるかもしれない。それこそ、わたしにとっての世界の終わりではないのか。
そんな発想に至ったのは、あの三人に出会ったからだ。だから今ならわかる。
世界が終わるその瞬間まで、毎日を大切にしながら生きていこう、それがわたしの生き方だ。
まあ……あの世界の終末のごとき光景が何だったのか、気にならないといえば嘘になるけど。
いつか、答えを教えてくれる人が、現れるといいなぁ。