清剣士ダランの死
剣の閃きが見えた______。
おおよそ六年にわたる魔王討伐の旅を終えた勇者パーティ。そのうちの一人、王国の英雄とも称される清剣士ダランは語る。
剣の閃きとはいわゆる慣用句であり、剣聖がかつて魔族の住んだ星を断ち切った際の秘剣が閃きと呼ばれたことを語源とされていた。それに例えられる誉れは古今東西の剣士において最大の賛辞である。
節ばった手で刀の束をぽんぽんと叩いているのは遠目から見ても鍛え抜かれた体の男。記憶が確かなら、都の清流道場の師範代と名乗っていたように思う。
また、力試しか。
荒事に馴れきったダランはつい辟易としてしまう。救いがたいことに男の力量を見誤ったのだ。
或いは慢心していたのかもしれない。街中に魔王と互する化け物がいる可能性を除外するのを慢心と言えるならの話だが。
比喩でもなんでもなく、閃きが走ったのだ。刀身が存在しないかの如く鞘に納まった刃が空を切る。斬撃が煌めき空気中の魔力を断った。
異変に気が付けたのはダランと隣の勇者のみ。その勇者にしたってどれだけの脅威か認識できているかは甚だ疑わしい。
経験に従って身構える姿は頼りになるものの、肝心の動作を見逃している。生身で魔力を断つ手練はそれこそまさに魔性の技。一切の防御を無力と化す必殺の斬撃だ。
男はダランが生涯を費やしたとしても辿り着けない境地にいる。一剣士として慄くばかりだった。
ダランは王国清流剣術の皆伝を赦された清剣士筆頭だ。非力な人間の力で、魔族の膨大な魔力を清水に流すように霧散させる名人と自他共に認める当代一流の剣士だ。
勇者の剣の師匠であり、魔族四天王をすべて屠ったという輝かしい功績もある。
史上最強とまでは言わずとも、最強格だと誰もが信じていた。そう、ダラン自身すらも。
そしてそれは間違っていなかった。ダランは貴族という枷で護られた魔の血統を持つ生え抜きである。
ひそかに攫った魔族を内に取り入れ続けた王国貴族は皆、魔族に匹敵する魔力を手に入れている。大した話ではない。必要に現実が応じただけだ。
故に、ダランは平民の男よりも遥かに魔力が強い。勇者が魔力でダランに優越するように技を力で叩き潰せるだろう。
「四方陣!」
ダランは男を開けた場所に誘導し、初手から死地に赴く覚悟で立ち向かった。こういう要所で、歴戦の戦士たる彼の嗅覚は過たない。
四方に分霊を召喚する『正統剣』の奥義を放つ。王族御用達の流派はその高い魔力を存分に生かす選択だ。
柔を良く知る者が剛を為す。それは時としてひどく苛烈な暴虐となる。片手でクレイモアを扱えるダランの腕が十本になって、更には各々連携し徹底した足場の破壊をした。
勇者などは咎める視線を送る程だ。だが、ダランは身を持って知っている。清流剣術の剣士は死体になるまで微塵も油断が出来ないと。
見てみろ、勇者よ。奴はすべてをいなしている。地面がえぐれるどころか、消失するこの俺の剣を、生身で丸々力ごと返しているのだ!!
「素晴らしい」
男が笑った。ああ、そうだろうとも。ダランだって笑っている。
なんということか!全力で剣を振るっても誰も死なないとは!!
勇者とダランが本気で手合わせをすれば、どちらかが確実に死ぬ。試合形式か実戦かによって有利不利が揺れるにしても、結末は変わらない。
「我が名はダラン=ルーガス。魔王の側近を悉く討ちし剣、とくと見よ」
勇者が危惧するように、当たれば男は死ぬ。これは決定事項と言ってよい。ならば、ダランの剣が男に当たるか?
答えは否。
振り下ろした切っ先に対象がいなければ、どんな名剣だろうと切りようがない。
確かにダランの方が力は強い。速度も速い。事実そうだが、ダランにしてみればそれがどうしたというのか。
こんなもの、盲撃だ。男が立ち回りで牽制するのを魔力でごまかしているに過ぎない。
俺も清剣士なのだぞ。ダランは悔しいという感情が新鮮だった。
「アルカニア=ライニーだ」
ダランには礼儀に乗っ取り、返された名に覚えがあった。
ライニーは『書類上』で清流剣士筆頭を争った相手だ。ただし、そのライニーはアルカニアではない。何故ならば争ったライニーは、魔王の手で既に土の下だからだ。
歳を鑑みれば弟か。直系以外で家名が同じとは考えられず、まさか親子ではあるまい。アレの弟がここまでとは。まあ、もしかしたら、向こうも兄と並んでいた筈の『ダラン』の実力に驚いているかもしれない。
「勇者、貴様に足らないものを学べ。すべてはこの男が持っている」
ダランは魔力の嵐の中、不意打ちを男へ何度も繰り返している。四方の分霊を囮に気配を力わざで消し、死角よりの息をつかせぬ連撃。
しかし、恐るべき技量が冴え渡る。男はどのような鋭い攻撃でさえも、対応を必要としない。太陽が登り、やがては沈むように完成された動き。
不可侵の脚捌きとでも言うべきか。崩壊した足場を滑る男は芸術的とすら形容できる重心移動で舞い踊っている。
「剣閃」
抜き身を見せぬ斬撃が再度放たれた。いくら早かろうと、刀は存在する。ならば、ダランが取る選択は一つ。
ダランは男の最短を描く軌跡の隙間に剣を割り込ませる。これで防げるなどと思ってはいない。ひとえに、急所を避ける貴重な時間を捻出する為だ。
ダランの脇腹が裂かれた。直ぐさま再生する肉で刀を捕らえようとするも、無情にも刀は鞘に返って行った。
「鍔ぜり合いを狙った時点で斬られるものと思え、と門下生に教えていましたが。まさか斬られることを前提に戦える剣士に会えるとは」
刀の軌道を読み急所を回避、ピンポイントで強化した部位で斬撃を受け流す。ダランの防御は単純に見えて複合した技の集大成である。斬ったと安心していたら、頼みの綱を奪われた男はもの言わぬ骸になっていたことだろう。
ダランはふと違和感を覚えた。剣が軽い気がする。気持ち、それこそ握りの部分の摩耗による程度の軽さ。多分に感覚的なものだ。つまりは魔力か。
「あー、すまない。折角お互い乗ってきたところだがそろそろ刀が持たないだろう?こちらも剣が傷みかけてる。これは、一応使い捨てにするのはもったいない品らしい」
まったくもって誤算だった。長年の相棒の剛剣の魔力補装が剥がれていた。鍔ぜり合い一発でお釈迦寸前の有様。呆れる他ない。男の技はまこと、悪魔染みている。
補装無しの剣は鉄塊と大差ない。当然、刀も同様だろう。
ダランの身体よりも武器が脆い。魔力と気力が尽きるまで戦う機会が手の平から零れ落ちた。なのに、どうしてこんなに清々しいのか。
そうか、今日ダランは鍛えた技を初めて惜しみなく使えた。聖戦と名付けられたつまらない暗殺家業では有り得ない喜び。
魔王討伐は避けられないことだった。人類の発展を望むなら、いずれ倒さねばならぬ壁だった。
ダランも頭では必要なことだと納得していた。だが、だが、魔王という優秀な武人を野の獣扱いせねばならぬ。あの日、ままならなさはしこりとなって深く沈んでいった。
「そうか、そうだ。そうなのだ。何故思い至らなかったのか」
彼の武人を悼み、永久に語り継ぐ。他の誰でもない私が。ダラン=ルーガスが。
幸いにして、『ダラン』は魔の血が流れている。玉座を狙うのも全くの不可能ではない。いや、不可能だとしてもそうじゃなくしてやろう。
不撓不屈の唯一無二の大魔王となり、剣の輝きを永遠に。
そして願わくば、数多くの好敵手と相まみえんことを。
「私は私の使命を見つけた」
ダランがなまくらの剛剣を一振りすれば、鎌鼬が監視役を兼任していた『勇者パーティ』の術師二名の首を飛ばす。軽いものだ。
戯れに男にも鎌鼬を向ける。鎌鼬はあっという間に霧散した。
最後に慌てる勇者に練り上げた魔力弾を馳走してやる。あいつは鎌鼬なぞ効かない。実に厄介な身体能力だ。
「我、ダラン=ルーガスは只今より魔に属する。さらばだ王国よ!!!」
ダランが立ち去れば彼の存在した痕跡はどこにもない。彼は財産を持たない。友を持たない。旅立ちはいつも一人なのだ。
ダラン=ルーガス乱心。王国全土を揺るがす凶報は、戦後の新たな火種となって宮中を騒がせた。
術師達の家族がルーガス家に報復に兵を差し向ける準備をしているときには、既に王の首が狩られていた。
戦々恐々としながら首を縮める官吏を嘲笑うが如く、魔王ダランが表舞台に上がるのはそれから十年の後になる。
レンド=カーボン著。新カーボン王国戦記より。