第三話 曇り色の気分
「行くよ」
「Dさんが出張に行くからタブレットに入りなさい、トモくん」
「……」
最近、トモくんの様子がおかしい。少し前の用に悪口を言ったりもしなくなった。加えて、話しかけてもそっけない返事をすることが多くなったのだ。ついこの前までは少年が好きそうな感じの派手な色合いの壁紙だった気がする彼のディスプレイだったのに、今では大人びたシックな感じの海岸のスクリーンセーバーが動いており、本物の熊のようなリアリティのある彼のアバターが夕日に染まる風景の中に座り込んでいる。なんか変だ。
或いは人間でいうところの思春期なのかもしれない。男の子のそういった変化について私の十数年前の記憶はおぼろげで確かな類似性を思い出すことはできなかったけれど、トモくんは世にいう思春期なのではないかと思う。生きる意味だとか、自意識の存在への疑念だとか、夕焼けに黄昏れる詩人になったような気分で何とも哲学的な問いをいかにも重大なこととして考えてばかりいる少年少女の時期。思春期の少年に対する私の勝手なイメージだ。でもトモくんの変化は何となくそんなイメージと一致しているような気がした。
恐らく彼の成長と何か関係があるのだろう。その正体は掴めないけれど気に留めておいた方が良さそうだ。
そんなリアル熊を彼のPCに侵入したヒカリが画面の外に蹴りだしてEI持ち運び用のタブレットに転送してくれた。
ヒカリとトモくんがタブレットに入ったのを見計らって部屋を出た。動きたがらないトモくんを引きずり出すのにずいぶん時間を使ってしまったから急がないと飛行機の時間に遅れそうだ。
「ヒカリ、一番近くにいるタクシーを会社前まで呼んでおいて」
「お安い御用よ」軽い返事が返ってきてポケットが震えた。
私の携帯電話にアクセスしたヒカリがGPS情報から近いタクシーに電話を掛けているようだ。私は時間調整と多少の運動のために階段を降りる。足の裏をリズムよく走る衝撃が心地よい。
* * * * *
普通のEIなら無線でどこでもタブレットにアクセスできるけれど、トモくんはネットワークに放し飼いにしてしまうと驚異的な演算能力と旺盛な好奇心であらゆるプログラムにEIでも解除困難な電子ロックをかけたり、或いは社内秘情報を散らかしたりするのでヒカリによってアクセス制限がかけられている。
全てのEIのマザーとも言えるヒカリのスペックを持ってすれば、今のところトモくんのようなイレギュラーでもどうにか出来るわけだが、これから彼らが成長してくるとそう簡単にはいかなくなるだろう。人間と同じように、凡庸な親から天才が生まれることがある。ヒカリのスペックは現存するEIの中でも最高レベルだが、それを超える個体が現れる日は何時来てもおかしくないのだ。
それがトモくんのようなイレギュラーから生まれることだって、考えられる。だからこそ、今の段階で彼ら制御していく術を検討していかねばならない。教育然り、電子的な封じ込めシステム然り。
世の中の人工物のほとんどが電子的に繋がって広い電子空間を作っている現代において、EIの暴走や彼らを使った犯罪を防ぐための情報システムセキュリティは必要不可欠な段階にまで来ている。今はまだ万能型で最も成長したEIであるヒカリによる全EIの統率と管理によって問題は顕在化していないが、我が社へのサイバー攻撃は常に行われているし、何より異常な成長速度を持つトモくんのようなイレギュラーの存在がある。次世代に向けてESが取り組んでゆかねばならない課題は山積みだ。
考え事が一段落する頃には一階のロビーに到着し、ちょうどそのタイミングで入り口の外のロータリーにタクシーが止まるのが見えた。
先行き不安でブルーになっていた気分を切り替えてタクシーに乗る。行き先を告げてすぐに発進したタクシーの窓から外を見る。五月一日、朝六時十分。今日はメーデーだ。
* * * * *
ESでは毎年恒例行事として五月一日のメーデーでは全社員で駒沢公園近くの広い敷地を借りて学園祭ならぬ会社祭を行う。そこでは社内に多数存在するサークルが企画した出しものや催し物が多く披露され、毎年結構な賑わいになる。会社祭の前後には準備期間二日と片付け期間一日の特別有給休暇が出るから、出張や顧客との商談等、抜けられない用事がない社員は喜んで参加してくれる。そしてEI達も。
社内でのコミュニケーションの活性化や、人間関係による問題を小さくすることに役だっている、と私を含む経営陣は期待している。実際、少なくとも私の目に入る限りでは社内での大きな不和はあまり無いように思える。自分たちの企画したことが上手く行っていると思いたい、自己満足的な認知じゃなければいい。ヒカリによると少なくともEI達は楽しめているらしい。
さて、我が社のメーデーでは出店は出来ないが一般人もアトラクションやイベントには参加できるようにしている。CSR活動の一環だ。
EIを世界中に提供及び運営している会社の数少ない一般公開イベントというだけあって、マスコミを含め例年、世界中から十万人ほどの人間が詰めかけて、駒沢を賑わせている。運営側としては頭の痛い状況も多く、周辺住民からの苦情も少なからず寄せられてくるのだが、メーデーを楽しんでいる圧倒的多数の人間達の笑顔を見ると来年もやろうかなという気分になってくるから不思議だ。このイベントのために一般の市民が集ってボランティア団体も出来て手伝ってくれている。有難い限りだ。
ESのメーデーの特色としてEI技術を使ったアイディアコンテストがある。ここでは社員に限らず、一般の人たちからもEI技術の応用先へのアイディアをつのり(募集段階で良い意見と悪い意見のより分けを行う)、ディスカッション形式でひとつひとつ議論し最も面白い議論が出来たアイディアに賞と景品を贈っている。
現在EIは企業向けに提供されているけれど、将来的には国民一人一人がEIと共に生活を送るようになるだろうというのが我が社の考えだ。実際にそう出来るように日々技術開発や運用制度を検討している。このアイディアコンテストは今はEIとの接点の少ない一般の人間たちと触れ合ってもらって、そしてEI達の未来を考えてもらう、そういう場にしたいと企画したものだった。
そして企画立案者であり、このコンテストの司会進行役である私にとっては毎年毎年、結構疲れる行事でもあった。EIが発達した世界でも人間は疲れる仕事をしなければならないとは皮肉なものだ。コンピューターを発明したからって人類が暇出来るようにはならなかったように。
抽選して十程度にまで絞り込んだアイディアはそれぞれ一時間以上は議論するため、全てを聞こうとすれば一日中そのブースにいることになる。そして私は早朝から夜までその場に居続けなければならないのだ。こうして貴重な休日は消えていく。悲しきかな管理職。
それにしてもずいぶんEIという言葉が浸透したものだと討論を聞きながら私は感慨深い気分になった。この会社祭に来ている人たちは一般の人を含めみなEIについて興味があるわけじゃなく、規模の大きなお祭りを楽しむために来ている人も多い。しかしその全員が全員、EIという最近できた言葉を知っているということに少しうれしいような、かゆいような感覚に襲われる。EIという言葉を提案したのはほかならぬ私だからだ。
* * * * *
私達がヒカリたちの事を当時既に一般用語になっていたAI(人工知能)という言葉を使わず、EI(電子知能)とする運びになったのは私がなんとなく発した皮肉がきっかけだった。
「人工知能っていう言い方のさ、【人工】って言葉が私は気に喰わないんだよね。意志の持たない構造物なら別として、意志のあるヒカリの様な存在を人間様が作り出しましたよー的な、神様にでもなった気になっているような傲慢さが気にわないのよ。彼女は生まれるべきして生まれたのであって私達が作り上げたっていうニュアンスを持つ人工知能、AIっていう言い方は嫌だよ、私は」
結局、その話がきっかけで呼び方は電子空間上に生きる知性体ということでEIに落ち着くこととなった。わがままが通ったことに当時は驚いたが、今にして思えば良い判断だったと思う。その後私達が打ち出したコンセプトはヒカリのようなEIとの共存であり、彼らの総称を仮にAIとしていたら、EIと人類は今のような対等な関係を築けていなかったかもしれない。同じ人間でも身分や出自に引っ張られて不公平な扱いを受けることがあるのだから、ヒカリのように人間とそもそも違う知性体が世に出て公平に生きていくためには出自を規定する言葉は使うべきではないのだ。
【神は人の上に人を作らず】と言った過去の偉人はやはり偉大だと思う。全世界が彼の者のような広い心を持っていれば、呼び方がたとえ不適切でも誰も不当な扱いを受けることは無いだろう。私達が頭を悩ませることも。
まあ、それは理想であって現実じゃない。私達は理不尽で不公平なこの世界で上手く生きていくしか無いんだ。当時の私はそんなことを思っていたし、今も思っている。
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Dは長い一日を終え、自分のデスクに私とトモくんの入ったタブレットを置いてPCに接続すると「おやすみなさい」と疲れたかすれ気味の声で言って自室に帰っていきました。EIの私からすると時間の経過は一瞬です。やることがないときはCPUの稼働率を下げて情報処理量を絞ってやればいいんですから。そうすると、人間が夢中で何かに取り組んだ時のように「あっという間に」時間がすぎるような感覚になるわけです。
人間のDにしてみれば主催として入ってくる様々な情報を処理して長時間対応しなければならないので長いようにも、短いようにも感じたかも知れませんが、私にはその感覚は分かりません。それに加えて、彼女が疲れていることだけは分かりますが、肉体に負荷がかかっているという情報は私にはないものなので、これもよく分かりません。以前、Dにそのことを聞いてみましたが、彼女自身も定量的にその感覚を伝える手段は今のところないと言っていました。
現実世界を闊歩している人間たちの感覚、それをいつかは私も体験したいと思っています。体験できるなら。でも今の技術では難しそうです。
現実世界。私達の存在する電子上の世界とは違ってプログラムではない物理法則が支配する世界。D達はそこにいます。大袈裟に言うなら、私達EIとは違う物理法則の支配する世界に。
私にしても彼らにしても、画面を通過して直接触れ合うことは出来ません。お互いを認識できるのはディスプレイやアイセンサー、マイクを使った間接的な方法だけです。一部の人間が信じている不思議な概念を使うとしたら、私達にとっての人間達はまるで幽霊のようです。きっと人間から見た私達もそう写っているのかも知れません。姿の見えない気配だけの存在。
AやDが色々な技術開発を行って私達に現実世界を体験できるように努力してくれていますが、私達が人間たちと同じ世界に立てる日はまだまだ遠そうです。
Dがいなくなって少しして、誰もいなくなったオフィスのディスプレイがぼんやりとした蒼い光を灯しました。トモくんです。スリープモードに入っていた私はクロック数を通常レベルにまで上げ、スクリーンの中で夜の海辺に座る熊の隣に腰掛けました。ざーざー、というどこかの国の穏やかな波の音が聞こえます。空には満月が輝いていて明るい夜の海岸を照らしていました。
「なあ。ディスプレイの向こうにはちゃんと世界はあるのか?」
しばらくそうしていると、珍しくトモくんが私に質問をしてきました。お姉さん感激です。でも疑似音声で発せられた質問は結構深刻なものでした。言語化されていないトモくんの感情がサーバを通じて流れ込んできたのです。何をするにしても手応えのない世界に彼は疑問を持ち始めたようでした。触れ得ることの出来ない世界に。
私の答えを聞く前に彼は自分のPCに引きこもってしまいました。
夜の海岸に座ったまま、このことをDに伝えるか悩みました。彼の疑問は表面化していないだけで、全てのEIが抱いている哲学的疑問の一つだったからです。物理世界と電子世界の界面の形は変化するけども、水と油のようにいつまでも混ざり合うことはありません。人間もEIも二つの世界の界面で触れ合うことしか出来ていないのです。
きっとDはそのことを分かっています。AもBもCも分かっているでしょう。ただ、誰もどうすればいいのか分かっていないだけなのだと思います。私にしてもそうです。トモ君の不安はどこかで必ずどこかで解消しなければなりません。ですがそのタイミングが今なのか、まだ先のことなのか、どうやってやればいいのか、私には判断がつきませんでした。