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純正芹沢学園第一学習棟。甲斐雪人が所属する一年二組はこの棟の一階にある。建物は何度か改装があったものの、いまだに建てられた当初の面影を残し格調の高い作りとなっている。廊下のところどころに飾られた絵画や彫刻は、見るものが見れば非常に高価なものであり、そのようなものが当然のように飾られていることに憤りを感じるであろう。残念なことに学生の大半は興味もなく通り過ぎるだけであるが。
授業が終わり多数の生徒が廊下へと出てくる中、甲斐も荷物をまとめていると夢宮さやかに呼び止められた。夢宮は同じクラスの女生徒で、甲斐が引っ越してきた当日に知り合いになった。前髪をピンで留めて、おでこを光らせている。顔にはそばかすがあり、笑うと目がなくなってしまうのが印象的だ。
「にへへへ」
不気味な声を発しながら夢宮は笑うと甲斐の腕を掴んだ。嫌な予感が走る。
「おいおい、甲斐が恐れてるぞ、その手を放してやれよ」
やれやれといった表情で神田隆志が夢宮の肩を叩いた。神田も夢宮と同じ日に知り合いになった。縦に長い顔に丸いめがねをかけている。身長は甲斐よりも一回り高い。
「雪くん、もう休みの予定を立てた?」
「まだ立ててないけど」
「にへへへ、そうだと思ったのよね、わたし」
再び不気味な笑い声を発すると、夢宮はどこに持っていたのか紙の束を甲斐に差し出した。左がホッチキスで閉じられ、表紙には旅のしおりと丸い文字で書かれている。
「……これは?」
「もう、読んで字のごとくなのよ。わたしってば徹夜に徹夜を繰り返して、ついに完成させたのさ」
ぺらぺらとめくると細かい字で予定表が書かれている。所々に描かれているイラストは夢宮本人の筆なのだろうか、やたらと可愛い動物が多い。
「みっちゃんやゆーちゃんも誘うでしょ。もう、みんなで行けば楽しいこと請け合いなんだから。雪くんも来てくれるでしょ?」
手を胸の前で組み、顔をかがめて甲斐を覗き込む。
「この予定表、やたらと食事処が多い気がするんだけど」
「そこがポイントよ」
「京都か。小学生の頃修学旅行で行って以来かも」
「にへへへ、決まりね」
夢宮は踵を返すとクラスのほかの生徒の元へと急ぐ。
「たく、あの行動力を他のところに使えないものか」
腕を組んで神田がため息をつく。
「才能だと思うよ、ああいうのって。僕には無理」
「ただね、問題が一つあるんだよ、この計画の根底から覆しかねない」
「何?」
「そのうち分かるよ。そして多分つぶれるね、この計画」
「よく分からないけど」
神田はくくくと笑うと荷物をまとめて教室を後にした。甲斐も思い出したようにまとめた荷物を持つと廊下へと出る。
そのまま外に出ると第一学習棟と第二学習棟との間の中庭を抜ける。正面に見えるオムレツのような体育館の前を左に曲がると、まっすぐ先を見る。時計塔が西日に照らされている。時刻は五時半を指している。
視線を落とすと、図書棟へと抜ける並木道に近い椅子に藤枝百合子が腰かけている。彼女はこの学園で古典を教えている先生であるが、甲斐が今年直接指導を受けることはない。彼女が図書棟の管理を任されていることもあり、転校初日に話をする機会があった。甲斐に気がついたのか、彼女は立ち上がると甲斐を手招きした。
「急いでる?」
「大丈夫ですけど」
甲斐は返事をすると彼女の隣に腰かけた。今日も白のブラウスを着ていて、首元には黄色のスカーフが揺れている。そこだけが彼女のおしゃれのポイントでもあるようだ。彼女は首を傾げて眉に皺を寄せている。何かを言いよどんでいるようだ。甲斐は前の事件の後で、篠塚桃花と話したことを思い出した。
「先生は時計塔の隠し部屋を知っていたのですか?」
「まさか。知らないわ」
「本当ですか?」
「もし知っていたら、私、絶対ボロを出してしまいますもの。そしたら、私が刺されてたかもしれないでしょ?」
「本当に?」
「詮索好きなのね、私が知っていたと思うの?」
甲斐は、考えてからいいえ、と答える。
「先生は知らなかった。だけど、知りたかった」
「あら、それってどういう意味?」
「芹沢さんが警察に狂言だったことを話したことで、前の事件は終わりました。いや、警察は、それ以上の捜査をしていない」
「それが何か問題?」
「だって、彼女はあの女神像のところに縛られていた。そこまでを香川先生がやったのだとしても、その状態で胸をどうやって自分で刺せる?」
「……ええ、その通りだわ」
「だとしたら共犯者がいる」
「さすがですね。でも、それに気がついているのは甲斐くんだけでしょ?」
「警察も気がついてますよ。でも、捜査していない。おそらく芹沢さんが止めたのでしょう」
「あら、そうなのね。だとしたら学園長に感謝しないとね」
「それで、どうしたんですか?」
「え? 何がですか?」
「いえ、呼び止められたから、何か用があったのかと?」
「ああそうだわ、そうよ。もう、いきなり厳しいこと言ってくるものだから、焦っちゃったじゃない」
藤枝先生は一度前を向いて俯くと、それからきっとした表情を作り甲斐を睨んだ。
「以前もお話ししたのだけど、図書棟に出る幽霊のお話です」
「白装束の?」
「そうです。確か甲斐くんはこの話を聞いて、いたずらではないかって答えてくれましたよね。私もそう思うのです。どう考えても誰かがいたずらをしているんだって」
「でも学校の怪談なんて、信憑性ありませんよ」
「私は見てるんですよ、幽霊の状況証拠を」
「ああ、時計塔の管理室に本が四冊置かれていたっていう話でしたっけ」
「そう。幽霊が本を運ぶなんて聞いたことない」
「もしも、あの螺旋階段の途中にある隠し部屋に人が隠れていたとしたら、モニターされないでしょうか」
「モニターされるわ」
「それに、それを目撃したときは、まだ隠し部屋の扉が塞がれていたから使えないはずです」
「そうなのよ。わたしは司書としてだからすごく恐れているわけ。もしも合鍵が作られているのだとしたら、とっても危険じゃない?」
「そうですね、かなり貴重な本も置かれているようですし」
「それに、芹沢お嬢様の事件の当日、私以外の誰かが図書棟の鍵を開けたのは確かなんだから」
甲斐の胃が縮む。
「それから私気をつけているんだけど、それらしい兆候がないの」
「もしも愉快犯なら、同じような事件が起きるだろうけど……」
誰もいなくなった図書棟を歩く白装束の少女の幽霊……甲斐はそれが幽霊ではなく篠塚桃花だと知っている。図書棟の南側の壁面に隠された秘密の部屋に過ごす少女。図書棟の本を密かに読み漁っているのだ。彼女は言語は手段だと言っていた。彼女であれば、さまざまな国の言葉で書かれていた本を読むことができるだろう。
「ほら、私の管轄だし、これ以上事件が起きると、私も困るのよ。だから、甲斐くんに手伝ってもらいたくて」
「手伝うと言われても、僕にできることなんて」
「甲斐くんならきっとこの事件の真相を暴いてくれると信じていますわ」
「その根拠のない自信はどこから来るのですか」
激しく鳴る心臓の音が伝わってしまうのではないか、というほど藤枝は甲斐の顔を覗き込んでくる。
「だって、甲斐くん、私が共犯者だって、見事に暴いてくれたじゃない」
「僕にできることがあれば」
甲斐はごまかすように立ち上がった。
「期待しているわ」




