5
芹沢雅を最初の部屋のソファーに寝かせてから、甲斐雪人は夢宮さやからと話し、お風呂場の準備をしていてのぼせて彼女は倒れたのだろう、ということにした。とりあえず、他のメンバーを心配させないようにするためだ。二階のひび割れた鏡には、近くにあったカーテンを借用してカバーをかけておいた。あとは芹沢が気がついてから、何があったのか話を聞くということにした。来栖都だけそこに残り、他のメンバーはダイニングに戻った。
「何があったの?」
ダイニングに入ると、五十嵐さつきが大きな体をゆすった。
「ミヤビさま、私たちのためにお風呂の用意をしてくれてたのよ。多分、それでのぼせてしまったようで」
「大丈夫なの」
「頭は打ってなさそうだったけど、今はソファーで休んでる」
「何か割れるような音が聞こえたけど」
「脱衣所にガラスが散乱してたから、多分花瓶なんじゃないかな、造花だと思うけど」
「甲斐くん、ちょっと」
藤枝百合子が、甲斐をキッチンに呼び出す。甲斐は小野寺兄弟に肩をすくませてから、キッチンに行った。
「責任を負うのは私なんだから、嫌なことが起こって欲しくないんだけど、今の、本当の話?」
「状況から判断しただけです。芹沢さん、今気を失ってますから、意識を取り戻してから、本当に何があったのか聞きます」
「本当に?」
「どうして嘘だと思うんですか?」
「いえ、そういうわけじゃないけど」
それからダイニングでしばらく待っていると、来栖がダイニングの入り口に現れた。
「先生と甲斐くん、お嬢様が呼んでます。お二人だけ」
甲斐と藤枝は立ち上がると、ダイニングを出た。部屋を移ると、芹沢がソファーに座っている後姿が見える。二人はソファーに近づいた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。驚いてしまっただけ」
「一応、まだみなには伝えていませんが」
「はい。先ほど来栖さんから伺いました。お風呂の準備をしていて、わたくし倒れてしまったようでして、恥ずかしいわ」
「責任者として、何があったのかきちんと知りたいところだわ」
「どうぞ、座って下さい、お話しますから」
芹沢に促されて、二人はソファーに座った。
「テストの採点はそれほど時間がかかりませんでしたから、わたくしすぐにお風呂の準備に移りましたの。それでお風呂の準備も終わりまして、そろそろお食事も終わった頃かしらと思いまして、キッチンに向かおうと思いましたわ。そうしましたら、この部屋の扉が開いていまして、閉め忘れたかしら、と思いましてね、部屋の様子を伺いました」
芹沢は指を顎に当てながら、時々首を傾げる。思い出しているようだ。
「ええ、そうしましたら、困ったことになってまして。皆さんの採点の終わったテストがなくなっていましたの。机の上にそれぞれ置いておきましたのに」
「夕食中、誰も部屋を出ませんでした」
「あら、そうですの? 誰のいたずらかしらと思いまして、それでふとホワイトボードを見ますと、二階に来い、と書かれていたんです。今は消されているようですけど。ええ、それでわたくし少し考えてから、とりあえず二階に行こうと思いまして。階段を上っている途中で、人の気配に気がつきましたの。ちょうど二階の角のところだと思います……いいえ、違いますわ。もっと遠くに感じました。ですから、わたくし不思議に思いまして。相手も動いているようでした。まだ二階には誰も案内していないはずでしたから。二階に上がりますと、二階にいるのは自分一人なのだとすぐに分かりましたわ。だって、ずっと先に見えたのは自分自身だったんですもの」
「鏡ですね」
「ええ、そうですわ。でも、あんな場所に鏡を飾った記憶がありませんから、わたくしすぐに角まで行きましたわ。そしたら突然左にもわたくしがおりまして、驚いてしまったんです。いいえ、左にいたのは私だけではありませんでした。次の瞬間、わたくし気を失っていまして。状況を考えると右にいたのかもしれません」
「誰かがいたのですか?」
「わたくしの気のせいかもしれません。左にも鏡がありまして、振り向いたのは一瞬でしたから」
「誰かに殴られたのですか?」
「分かりません」
「……お風呂場の話はどこへ行ったの?」
「あれは、明らかな嘘ですよ、先生」
「そうだと思っていたけど、ちょっとよくないんじゃないかしら」
「ええ、よくないのですわ、先生。テストがどこかへ行ってしまいまして、彼らになんと説明してよいのか」
「そこですか、問題は。でも、採点は終わっていたのでしょ」
芹沢ははい、と頷く。
「誰か合格者はいたのですか?」
「いません」
「その事実だけで充分だと思いますが」
「納得して下さるかしら」
「芹沢さんが言えば大丈夫だと思います」
「だと良いのですが。ええ、でも仕方がありませんわ」
芹沢はふふふと笑った。そのとき髪が揺れ、彼女の首が見える。そこが妙に赤い。
「あれ、芹沢さん、首?」
「え、何?」
左手を首筋に当てると、ぱらぱらと赤いものが落ちる。固まった血のようだ。手を表に持ってきてから芹沢は首を捻る。
「何かしら」
「血っぽいですけど、痛くないですか?」
「ええ。もう渇いているみたいですわ」
藤枝は立ち上がると、芹沢の首を近くで見た。
「二箇所、切れているようです。もう血は出ていませんが。いいえ、切れているというより、針のようなものを刺されたみたい」
「何なのかしら」
甲斐は他の誰にも見せていない紙切れを思い出す。ドラキュラ? ばかげている。まるで牙でも刺さったかのようではないか。
「もう、誰がこんないたずらするのかしら、そんなに合宿がいやなのなら、最初から必死に勉強をすればよいのですわ。わたくしはこんな脅しには屈しませんから」
こぶしを握って芹沢は立ち上がった。




