クレイドル・8
クレイドル・8
ある朝、伊勢京太郎が不安な夢からふと目覚めてみると、ベッドの中で彼の体に触れる〈何か〉を感じた。
それは、彼の左脇の下にすっぽりと収まっているようで、伊勢京太郎は、かつて、飼っていた猫のことを思い出していた。その猫はよく、彼の脇の下で暖を取っていたものだった。
伊勢京太郎は、まだぼんやりした半睡半醒の意識の中で、なんとか左腕を動かし、その〈何か〉をまさぐった。
それは、かつての猫とは違い、かなりの大きさだった。少し足を動かすと、コツンと何かにぶつかる感触がした。その〈何か〉は脇の下から足元までの領域を支配しているようだ。
伊勢京太郎は、なにしろ寝ぼけていたので、昔飼っていた猫のチロが巨大化して戻ってきたのではないかなどと、荒唐無稽なことを考えていたが、手でまさぐっているうちに、どんどん意識が鮮明になっていき、違う違う、そうじゃ、そうじゃないと思い、冷静にそれが何か判断しようとした。
柔らかい感触だった。心臓の鼓動らしきものも感じる。彼我の体温差は感じなかった。ずっと、伊勢京太郎にくっついていたのだろう。互いの体温は融け合い、同じになっていた。
左手を徐々にその〈何か〉の体に這わせて上部に移動させていく。最初に触れた部分は大きく丸い形をしており、柔らかく、そこからすうっと流れるようなラインを描いてくびれに到達した。そして更に上部に左手を移動させていくと、最初に触れた大きな丸いものよりも小ぶりな双丘に至った。やわらかな感触と共に、髪のざらつきを感じた。伊勢京太郎は、しばらく、それを触り、揉みしだいた。
と、伊勢京太郎が自分のベッドに潜り込んでいる〈何か〉を見極めようとしていると、その〈何か〉が、
「………あの………。」
と声を出した。そして、もぞもぞと動き出し、掛け布団の縁から顔を出し、むう、と、むくれた顔で上目遣いで言った。
「エッチなのはいけないと思います………。」
………
伊勢京太郎と椎名は、その後もしばらくベッドに一緒に入りながらひたすらぼんやりとしていた。
互いに体を寄り添わせながら、天井を見つめる。椎名は伊勢京太郎の腕を枕にしている。
伊勢京太郎が口を開く。
「まさか、シイナさんが布団に潜り込んでくるなんて思ってもみなかったな。」
「そういう気分の時もあります。今日はなんだかそんな気分だったので。」
「〈気分〉かあ………。」
「変、ですか?」
「いや、ちっとも。」伊勢京太郎は目線を天井から椎名に向けて言う。「でも、あんなむくれた表情を見たのは初めてだったな。あれは珍しいというか〈変〉だったかも。」
「やっぱり変ですか………。」
椎名はそう言うと、もぞもぞと体を動かし、伊勢京太郎との距離をさらに詰めた。そして、目線を少し下に逸し、むう、と唇を尖らせた。頬は少し紅潮していた。
しばしの間の後、椎名が聞いた。
「今の私、〈人間〉に見えますか?」
「どうしたの?急に?」
「私がキョウタロウから見て〈人間〉に見えるかどうか聞いているんです。」
そう言って、椎名は、じっと伊勢京太郎の眼を見つめた。お互いの眼にお互いの姿が映っている。それを二人は長い間ずっと見つめていた。
椎名が沈黙を破った。
「私は〈機人〉です。今は、体の構成要素のほとんどを生体組成に換装して、限りなく人間に近い肉体構造をしていますが………。」
そう言って、髪を触りながら続ける。
「例えば、この髪は生体組成のものではありません。わざわざ、生体組織に換装する意味がなかったからとも思えますが、これや他の器官を生体組織に換装していけば、私は人間になれるのでしょうか?」
「話が見えないな………。シイナさんは〈人間〉になりたいの?その方法が、肉体を人間に近づけるってことなの?」
「そうですね………自分でもよくわかりません。でも、私はキョウタロウと三年間一緒に暮らしてきて、そして、社会にでて働き、色々な人間と接触することで変わってきた部分があります。主に、感情の面です。情緒といいますか………。私の〈前職〉はご存知ですよね?」
「うん、勿論知ってる。シイナさんは防衛軍によって運用されていた………」
「〈人型戦闘機械〉でした。殺戮兵器です。」
椎名は、口ごもった伊勢京太郎の言葉にすぐに言葉を継いだ。
「守秘義務があるので子細は話せません。でも私は、戦闘機械であったことは確かで、それは皆さんも知っていることです。そして、多くの人の命を殺めたことも。」
「でもそれは、シイナさんが望んだことではないよ。軍がシイナさん達〈機人〉をそういう道具として運用したからであって………。」
「私も、そういう認識でした。私は〈機人〉です。人の姿を模した戦闘機械。人間の代わりに危険な任務に率先して投入され、人工脳に搭載されたCPUチップさえ残れば、何度でも、代わりの体に換装して再び戦闘へ復帰できる、そんな存在………。そのことに、何の疑問も持ったことはありませんでした。」
椎名は、ぎゅっと、伊勢京太郎の手を握って続ける。
「でも、キョウタロウ?私は、刈羽市市役所に払い下げされて、一般人間社会に出て、あなたと出会って、そして、一緒に過ごして、色々と自分の存在自体に〈興味〉を持ち始めたのです。」
「〈興味〉………?」
「はい。〈興味〉です。今まで、自分は〈機人〉と呼ばれるただの機械だと思って、それをそのまま受け入れていました。それは最初から決っているものだと、そう考えていました。でも、ミチカさんやキョウタロウや職場のコンビニで人間と接するごとに、〈自分は何者なのか?〉という問いを自分自身に課してきたのです。」
「〈われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか〉………。」
伊勢京太郎が呟いた。
「他の機人や人間が、〈機人権〉というものを提唱して運動している事も関係有るのかもしれません。私は今までそれには全く関心がなかったのですが………。今なら、それを提唱し、活動している機人や人間の気持ちも理解できそうな気がします。」
「それに関して、シイナさんが達した答えが〈人間になること〉なんだね?」
「はい。そうです。他の機人や人間がどう思うかわかりませんが、少なくとも私は〈人間〉になりたいと思うようになりました。そして、それには………」そう言って、椎名は一度目を閉じ、深呼吸した後、しっかりと伊勢京太郎の眼を見て言った。
「それには、キョウタロウが一緒に居てくれないとだめなんです。キョウタロウ。私はあなたのことを愛しています。私は人間になれない・人間のなりそこないの〈機人〉かもしれません。それでも………あなたが私を愛してくれるというのなら………。私は………。」
椎名の言葉は遮られた。伊勢京太郎からのキスによって。
「うん。わかった。シイナさんの気持ち。僕も愛してる。人間とか機人とかそんなの関係なしに、最初から一目惚れだよ。」
「そう………だったんですか………?」
「うん。………変………かな………?」
「変ですよ。まったく。〈機人〉の私に恋してるなんて。変ですよ。」
そう言って、椎名はこれまで見せたことのない感情を込め、屈託のない笑顔を見せた。