クレイドル・6
クレイドル・6
唐突に、伊勢京太郎宅の固定電話のベルが鳴った。椎名は、固定電話とペアリングした自身の聴覚デバイスに着信を転送し、電話に出た。
『もしもしー?イセさんですかー?』
御堂未知花からの電話だった。
「いえ、シイナです。キョウタロウは今、疲れて寝ています。」
『ああ、シイナさん。そっかー。元気ー?』
「キョウタロウは元気ではないですが、私は元気です。」
「そっかー、〈元気〉か―………。」
うんうんと、感慨深そうに、御堂未知花は電話の向こう側で頷いた。
「………どうかしましたか?」
『いやさ、昔のシイナさんだったら、〈元気〉なんて言葉を自分に対して使わなかったと思ってさ。なんかイセさんとの生活をはじめてから、いい感じに砕けてきたというかなんというかいい傾向だと思って。』
「そういうものでしょうか?」
きょとんとした様子で、椎名が聞いた。
『うんうんー。なんかこう、昔はいかにも〈機人です。それが何か?〉って感じだったんだけど、なんか今は人間味がでてきたというかなんていうか。』
「それは〈機人〉としてはどうなのでしょうか?良い傾向なのでしょうか?」
『んー………どうだろ?〈機人権〉を提唱する〈機人〉にも色んな機人や人間がいるし、十把一絡げには言えないけどさ―。私はシイナさんの今の状態が好きだよ。』
「好き………ですか………?」
『うん。好き好き大好き超愛してる。』
「愛の告白ですか?。受けるべきでしょうか?」
「んー、それはイセさんに譲る―。ってかシイナさん、やっぱ変わったわ―。面白いわ―。」
「キョウタロウに〈譲る〉とは?」
『またまたー。自分でもわかってるくせに―。その辺鈍感というか、まあそういうところがシイナさんの可愛いところだって、私は思ってるんだけどねー。』
「〈可愛い〉ですか………。」
『照れた―?今照れたっしょ?』
「………照れてません。」
『今、変な間があったよ?』
椎名はしばらく黙りこくり、口をとがらせ、頬を高調させながら、
「………照れました………。」
と、告白した。その告白に、御堂未知花は上機嫌になり、矢次早に世間話をし始めた。
………
二時間ほどの長電話と、とりとめのない会話をした後、御堂未知花はようやく確信に迫る話をし始めた。
その内容は、椎名の心を激しく動揺させた。いまだかつて、少なくとも、伊勢京太郎と暮らす前の自分では考えられなかった・去来することのなかっただろう感情の奔流に、目眩がした。しかし、事実は受入れなければならない。
椎名は、詳しい話を聞こうとしたが、御堂未知花は、椎名の意見・心づもりの他に、伊勢京太郎の心づもり、覚悟といったものを確認したいようだった。
『とりあえず、いきなりな話で悪いのだけど、もし、シイナさんとイセさんが同じ気持ちだっていうのなら、こっちは最悪のケースを回避するために、ドラスティックな計画を立案し、水面下で根回ししておきます。でも、これは、今の、シイナさんとイセさんの気持ちが固まってないと、こっちとしても、単なる思想の押し付けになるから、イセさんの話が聞けない現状だと、まだ計画に着手しかねるんです。私達としては、人間と機人のベターな関係と未来像をイセさんとシイナさんに仮託したいのですけど、まあ、かなりの覚悟と社会的な注目も集めますし。その辺の覚悟をお二人から聴きたいんです。』
しばらく間が開いた後、椎名が言う。
「キョウタロウと私の未来像をどう形作るか………それにはお互いの相互理解が必要となる………でも、それって………なんだか………その………」
『聞くのが怖い?』
御堂未知花の言葉は、スパっと、切れ味の鋭いナイフで刺すように椎名に刺さった。椎名は眉間にしわを寄せ、目を瞑り、少し考えた。生体脳と脳内自我チップの間で、大量のデータがやりとりされているのを椎名は感じた。
「………直に、直接的な言葉で、それを言うことは、そして、相手に同じ答えを求めることは、とても苦しいです………。もし、そうでなかったら、私は、私の拠り所は、またあの場所になるのではないかと………それに、ミチカさんが何か画策しているとしても、うまくいくとは………キョウタロウとの言葉による相互の気持ちの確認というのは、リスクが高いのではないでしょうか………?私はまだ、〈機人〉ですし、前職に戻るだけなので、労もないですが、キョウタロウは………。」
『………シイナさん、それは嘘だよ。嘘を付いているよ、自分に。』
今までより、真面目なトーンで御堂未知花がそう言った。
「嘘………?ですか………?」
『うん。それはシイナさんの嘘だと思う。シイナさんはまた前職に戻るなんて思ってないはず。もし戻らなきゃならないとしても、シイナさんは、昔のようには動けないと思う。イセさんとの三年間は確実に、シイナさんを変えているんだよ。』
「キョウタロウとの三年間………。」
椎名は、伊勢京太郎との三年間の生活を思い返してみた。最初はただ単に事務的に仕事をこなしていただけだった。家政婦としての仕事と、自身が社会にでて食べていくための仕事。
最初は、伊勢京太郎と言う人物は、自分自身が社会に溶け込み、自立するための身元保証人としか見ていなかった。
しかし、今は違う………。
しばらく、無言が続いた。その間も、椎名の感情ユニットは様々な、過去ログを検索し、分析し、未来予想を繰り返していたが、次第に、それは刹那的なものとなって、ロジックでどうにかなるものではないということがわかってきた。
椎名が口を開く。
「………そうですね………。私は、〈機人〉であるということに、〈機人とはかくあるべき〉といったことに自分を押し込めていたような気がします。論理演算の結果、確信は持てないのですが………。」
『そんなの!気にしなくていいんだよ!今、シイナさんの心に去来している〈直感〉を信じればいいんだよ!〈恋せよ乙女〉だよ!』
〈恋〉という言葉に椎名は反応した。
「〈恋〉………ですか。この胸が高なり、きゅうっと切なくなる感覚は………。」
『うん。そうだよ。そうやって人は恋をするんだ。機人とか人間とか関係なくね。人の形を持っている以上、世界に対して機人も人間も、そういう世界に対する外見による適応反応で、お互いに、似たものとして認識して好意を持つ・敵意を持つのは当然なんだ。だから………』
御堂未知花は少し間を置いて、言う。
「この件に関しては、イセさんが起き次第、直ぐに話して。きっとうまくいく。ずっと二人を見てきた私が保証する。そして、二人が同じ結論に達したら、私達は直ぐに手を回すから。だから大丈夫。頑張って。」
「………はい………。」
『それじゃあ、折電、待ってるから。切るね。』
そう言って、御堂未知花は電話を切った。
椎名は、電話が切られたことを確認すると、伊勢京太郎の寝室へ向かっていった。伊勢京太郎は睡眠薬の効果によって、眠りに落ちていた。全く動きもせず、まるでスリープモードに入っている時の椎名自身のようであった。
椎名は、ベッドに腰掛けると、伊勢京太郎の頭をなで、そのあと、布団に潜り込み、一緒に寝た。