クレイドル・5
クレイドル・5
睡眠薬を飲んだとはいえ、薬効がきちんと効くものでもない。最初のうちは効いていても、そのうち体が慣れてしまい、どうしようもなくなる。伊勢京太郎は、睡眠薬の薬効があまり効いていないのか、半睡半醒状態で夢を見ていた。
伊勢京太郎は夢を見ていた。自分が天涯孤独の身になった事を実感した日の夢を。そう、最後の肉親である母親の葬儀の日を。
うだるような夏の日差し。木々の影。寺に張られた鯨幕。それらが世界から色を奪い、モノトーンの世界を作り出していた。
喪主としての挨拶が終わり、出棺を終え、火葬場へ。
涙は出なかった。この時点では。しかし、ボロボロに崩れた母親の焼かれた骨を観た瞬間、初めて彼は泣いた。
ついと、頬を涙が伝った。
遺骸が焼かれる匂い。母親の死の匂い。それが数日経っても、そして今になっても彼の記憶に残っている。ツンと鼻を突く独特の匂いが、今も、今も、今も残っている。
天涯孤独の身になった。頼れるものは親族にはもう居ない。親類は居るにはいるが、頼れる程の間柄でもなかった。彼にはもう、居場所がなかった。孤独のみが彼のアイデンティティだ。
加えて鬱病を抱えている。そんな自分はこれからどうやって生きていけばいいのだろうか?いっそ死を選んだほうが楽なのではないか?そんなことを思いながら、彼は生きて いや、生きてなど居ない。死んでいないだけだ。
希死念慮はどんどん襲ってくる。だが、それを薬でごまかし、なんとかこの世にとどまっていた。そんな中、自立支援医療の継続が難しいことを知った。
正直、絶望だった。短時間のバイトは惰性でなんとか続けられているが、その収入では生きてはいけない。福祉に頼るしか無いのだ。情けなさが彼を支配した。だが、すがるしか無い。そして、伊勢京太郎は、刈羽市市役所へ相談に行った。
これでなにもかも八方塞がりならば、死を選ぶしか無いと。そう思いながら。
そんな彼に応対した市役所員御堂未知花は思いがけない提案をしてきた。あの〈機人〉を、彼に貸与して生活を支えるという提案だった。
〈機人〉の椎名。それが彼の孤独を埋める存在になった。
それからの彼の生活は、一筋縄ではいかなかったけれども、好転していった。機人は存外人間味が薄い。会話はできるが、なかなか好意的な、ウィットに富んだ会話というのができなかった。
彼はそれがなぜだか悔しくて、色々と椎名に言葉を投げかけ、人間味といったものを引き出そうとしていくのが楽しみになった。
そして、三年たった今、椎名は、まだ少し固い性格なものの、人間らしさを獲得したように思える。
伊勢京太郎は満足した。大いに。だが、同時に、不安感と罪悪感と、嫌悪感が彼を突然襲った。椎名と同居して二年になる頃であった。
自分は、椎名を、調教しているのだ。そんな考えが彼を襲った。たしかにそうなのだ。彼は機械が好きだ。特に単車いじりが彼の趣味であった。古い単車。キャブレターによって燃料と空気を混合する単車。セッティングを変えることで、いろんな特性を引き出す。
彼が椎名に行っていることは、機械いじりで自分好みに仕上げる行為そのものではないか?そのような考えが彼を襲った。
彼はそれに気づいた時、名状しがたい不安感に襲われた。そうだ、結局、自分の孤独を癒やすための道具としてしか椎名を、機人を見ていなかったのだ。椎名を機械として見ていたのだ。彼はそんな自分を恥じた。
思い切って、椎名に、そのことを打ち明け、謝罪したことがある。
椎名は、彼の告解を聞くと、こう答えた。
「私は機人ですから、人間の機微は捉えかねます。何が機械と、人間を隔てるのかはわかりません。でも、キョウタロウが思っているようなことは、少なくとも私は感じていません。むしろ、自分が変わっていくことが、人間性といったものを獲得していくことが、面白いと感じています。だから自分を責めないでください。」
しかし、自分は、やはりモノ扱いをしているのでは?その問には、
「推測ですが、私が機人でなく人間であっても、多くの人間は、自分に取って一緒にいて心地よい人間関係を作ろうと、他人を御しようという心が働くと思います。それはごくごく普通の人間のエゴではないでしょうか?そして多くの人間同士は喧嘩して、仲違いしたり、逆に受け入れて仲良くなったり。そういう反応をして成長、変化をしていくのではないでしょうか?私は………機人なのでなかなか人間の感情の機微をうまく感じ取り、表現することが難しいのですが………。私はそう思います。」
椎名はそう言うと、一呼吸置いて言った。
「ーーーキョウタロウに出会えて、一緒に居られて、私は幸せですよ。」と。
伊勢京太郎はその言葉を聞き、涙を流し、嗚咽を漏らしながら泣いた。そして決意する。椎名を必ず幸せにしようと。それが自分のエゴに起因するものであっても。必ず、必ず、彼女を幸せにしようと。
そしてそれが、彼の生きがいになったのだった。
半睡半醒の意識の中、伊勢京太郎はそんな過去を思い出していた。そして、また、眠りについた。起きたらもっと、マシな自分に鳴っていることを祈りながら。