クレイドル・3
クレイドル・3
明くる日、伊勢京太郎と椎名は、かかりつけの心療内科に二人で連れ立って出かけた。
その日はとても天気が良かったので、二人は、単車に乗って、少し遠回りをしてドライブがてら病院に向かうことにした。
単車は250㏄のキャブレター式燃料混合方式の古い型の単車だ。今の時代、ガソリンで走る単車には、フューエルインジェクションと酸素触媒センサが欠かせない。現行車でも、電磁モーター式のエンジンを積んだEV車両が台頭し始めている
それでも、伊勢京太郎をはじめ、多くのライダーは、昔のキャブレター方式のガソリンエンジン式の単車を好んで乗っている。勿論、最新のEV車両にも良い所はあるし、(例えば、プログラムの書き換えによるパワーバンドの調整など)トラクションコントロールなどもあり、満足のできる走りができるのはわかっているのだが、それでも敢えて、彼らは、古い単車に乗り続けるのだった。
そこには郷愁以外の何かがある。特に、伊勢京太郎の世代にとっては、既に、新車はフューエルインジェクション化されたものが普通であったし、EV車両もごくごく普通のラインナップとして存在していた。
しかし、彼がのめり込んだのは、キャブレターという負圧を利用して燃料と空気を混合してシリンダー内に引き込み、爆発させ、クランクシャフトを介して回転エネルギーを生み出し、ギアに伝えていくというその工程であった。
技術がいくら進化し、過去のものより高効率、高性能のものがでたとて、昔の技術が否定されるわけではない。むしろ、それは、残すべき遺産となるのだ。
とはいえ、伊勢京太郎はさほど使命感を持ってキャブ車を所有しているわけでもなかった。所謂〈エンスー〉には程遠いと自覚しているのではあるが、やはり、昔の、自分が生まれる前の単車を、そして、電子制御部分が現行の車両より少なく、無骨な機械として魅力をそそられるものとして、彼はその単車を所有し、操縦している。そしてそのレガシーに乗せるのは、最新テクノロジーの粋を結集した機人………。
伊勢京太郎は、メインシリンダーにキーを差し込み「ON」の位置までキーをひねった。ニュートラルランプが点灯する。そして、チョークレバーを引き、セルボタンを押した。単車は、「キュルルル、キュルルル。」と嘶いた後、始動した。
アイドルが安定するまでしばしチョークレバーを戻すのを待ち、ある程度したらチョークレバーを戻した。
二週間ぶりにエンジンを始動させたものだから、エンジンへッドからは、少し乾いたメカノイズが響いてくる。伊勢京太郎の単車のエンジンはDOHCエンジンであり、エンジンヘッド部に置かれたバルブとバルブを上下させるカムシャフトの間にあるべきオイルが、重力によって、エンジン下部のオイルパンに降りて行ってしまい、そのせいで、いつもよりエンジンノイズが大きくなっているのだった。
暖機運転が終わった後、伊勢京太郎はメインスタンドとサイドスタンドを払い、単車にまたがった。そして、椎名に後ろに乗るように顎で促した。
椎名が単車に乗ると、車体が一気に沈んだ。椎名の体の構成組織のほとんどは生体組成に取って代わられているが、機械構成部品が全くないわけではない。特に、骨格はかつて、戦闘機械であった頃の名残で(今もどこかで戦闘に従事している機人もそうなのだが)チタン製の骨格を有している。故に、普通の人間よりは、見た目よりも重い。とはいえ、一般成人男性のそれと同じか、少し重いくらいなのであるが。
椎名が単車に跨ると、車体は一時、ずんと沈んだものの、直ぐに電子制御タイプのサスペンションが対応し、適切な減衰力を弾き出した。スプリングは固めの設定となり、最初、椎名が乗って沈んだ分は直ぐに戻り、発進準備が整った。この電子制御タイプのサスペンションは、伊勢京太郎が椎名のために改造したものだ。
「じゃあ行くよ、シイナさん。」
「はい。お願いします。」
椎名は、ぎゅっと伊勢京太郎の腰を抱いた。
そして二人は、ガレージから単気筒の排気音を響かせ病院へ向かっていった。
見事な秋晴れの空だった。少し彩度の落ちた空模様が春とは違う秋ならではの空を主張していた。
今なら空も走れるんじゃないか?と不意に伊勢京太郎は思った。コンクリートやアスファルトのような空を想像した。あれだけ純度が高ければ、グリップも十分………雲を縫うように走って………。などと考えていると、椎名から生体機能監視パッチのテレパスの機能のひとつであ短距離音声伝達システム越しに、
「キョウタロウ。何をぼーっとしてるのですか。妄想に耽っているシグナルが出ていますよ。事故率が跳ね上がります。操縦に集中してください。」
と、直接脳内に話しかけられた。
直後、椎名は、ヘルメットでゴンゴン伊勢京太郎の後頭部を叩きだした。彼女なりの抗議の行為。ゴンゴンゴン。
「わーってるって。シーナさん。毎度毎度モニタリングしなくても大丈夫だからさ。病気も寛解に向かってるって、ソノヤマ先生も言ってるじゃないの?」
「そういう、治りかけの油断があぶないと言ってるんです。」
「そういうもん?」
「そういうものです。」
「でもさあ、遠回りしてドライブがてら病院に行くって話に乗ったのはシイナさんだぜ?危険だっつ―なら最初から、寄り道せず行けばよかったんじゃない?なんで反対しなかったの?」
「そ………それはですね………」
そう言って、椎名は口ごもった。しばらく沈黙があったのち、椎名は、口を開き、
「ま、まあいいじゃあないですかそんなこと。まあ、単なる息抜きも必要かと思っただけですし、はい。言及するほどのことじゃあないですよ、キョウタロウ。それよりもそろそろ病院に向かわないと、診察受付時間が過ぎてしまいますよ!」
そう矢次早に言った。
「それもそうだな。まあ、シイナさんの本意は置いといて、はよ行くかね。」
「本意とか真意とか、そんなのないですし。」
「またまたー………ま、いいけどね。さて行こうか。」
京太郎は、適当な交差点でUターンをして病院のある方角へ引き戻っていった。ボボボボボと単気筒エンジンから発生されるエグゾーストノートが、周りのEV車両だらけの交差点では、やけに大きく響いた。