第5話
気がつくと朝の八時だった。いつものように朝はバタバタしている。今日からいよいよ5月が始まる。寒さは感じなかった。
『おはよう、また寝坊した。今日は何限?』
聖也からのメールだ。今日は2限から5限までびっちり授業が入っている。サークルでサーフィン部にも入り、帰り際には飲み会やらアルバイトやらで平日は毎日忙しい日々を送っている。大学生になり、メイクもばっちりしようと決めていたが、できない理由はサーフィン部であることも理由の一つだった。今日も、長い髪を一つに束ねただけで、アイシャドー、アイライン、口紅を塗ってすぐに家を飛び出す。自転車を漕いでいる間も、電車に乗っている間も、聖也のことを考える時間はほとんど無かった。こんな日が続けばいい、私はそう考えていた。彼氏に対して、嫉妬をする事など今まで一度だって無かった。嫉妬とはどういうものなのかさえわからなかった。それが今回は違う。聖也が何を考えているのか、どうしても気になる時間が増えてしまった。それは高校を卒業してからのことだ。それまでは、嫌でも毎日顔を合わせていた。お互いに学校はサボリ気味だったが、一週間に少なくとも三日は顔を合わせていたのだ。そして、ヤスや、地元の友達との遊びに夢中で、聖也の事なんて学校以外で考える暇なんかある訳が無かった。
「大切なものは失って初めて気がつく」
アカリの言った言葉を思い出す。 そういう事なのだろうか。
『おはよ!今日は二限から五限まで!あたしも寝坊だよ!』
それだけ送信すると優香は、学校モードに気持ちを切り替える。
夜の10時。今日もこれから帰宅だ。聖也はすでに帰宅をしているらしい。8時半にはメールがきていた。
『ただいま。優ちゃんはもう帰ってる?』
学校に着いてから、講義を聞いてる間も、講義なんてうわの空だった。考えてみたら、「忘れればいい」そればっかりが浮かんでくる。今まで通りに友達としての気持ちのままでいれば、期待することもないし、裏切られても平然としていられるだろう。それでもメールがきて気がついた。そんな気持ちは、聖也に対して、そういう私の気持ちを知らせる為だけのもので、私の中では決して忘れることなんてできてはいないのだ。聖也からであろうメールを無視し続けるのは一時間がやっとだった。全然待ってなんかいなかった、と自分に言い聞かせるようにゆっくりとメールを開くが、本当はメールの内容が気になってしまってしかたなかった。そして、今も本当はずっとメールを返信したい。その証拠に、あれから何度頭を掻き毟っているだろう。
『ただいま。今日は飲み会だったよ。もう寝ちゃった?』
焦る気持ちを抑えてゆっくりとメールを送信した。
するとすぐに着信音が鳴る。携帯電話を握り締めたまま、五秒待って電話に出る。
「優ちゃん」
「お疲れ様」
「お疲れ。そういえば俺さ、やっぱり優香って呼べないわ。優ちゃんのほうが俺らしいよね」
「別にどっちでもいいよ(笑)あたしも聖ちゃんだし」
「うん。・・・今日は飲み会だったの?」
「うん、サークルのね」
「それって男もいるの?」
「うん、いるけど・・・」
「うーーーん、うざい!って言ったら優ちゃん怒るよね?」
「どうゆう意味?」
「うん、何でもないわ、ってこと」
「何でもないなら言わないでよ」
「優ちゃんなんか冷たくなったよね。俺に対して」
「いや、別に」
「エリカ様(笑)?」
「優香様だけど(笑)」
「なんでそんなかわいいこと言うの?(笑)」
・・・・・・・・・・・
たわいもない会話が続く。
「もう寝ないと明日起きれないよね?」
「そうだね。聖ちゃんももう寝ちゃう?」
「しばらくテレビ観てから寝るわ。じゃあおやすみ」
「おやすみ」
「愛してるよ・・」
「・・・うん」
ツーツー・・・
気になる事が何個もあった。うれしい事も何個もあった。私は、「忘れる」という約束を既に忘れていて、今の会話を頭の中で何度も繰り返す。優香と呼び捨てにできないのはなぜだろう?優ちゃんの方がかわいらしいからだろうか?いや、まだ彼氏になり切れないからではないか。飲み会に男がいると言って、うざい!と言うのは本心だろうか?それとも私を落とすためだろうか?かわいいこと言うの?とは本心?それとも・・・。愛してると言うのは本心?それとも・・・。
じゃあなんで「おやすみ」と言った後、テレビを観るのだろう。
「おやすみ」は本当に眠りにつく前に言って欲しい。
2度も考える。3度も考える。答えは出ないから、頭の中ではモヤモヤがつのる一方。頭の中にうるさいハエが一匹いる。そろそろ頭の中がおかしくなってきた。今日はもう眠ろう。
翌日もそのまた翌日も、朝にはおはようメールがくる。そして、家に帰るとただいまメールがくる。夜になると電話がくる。そんな繰り返しで、最後には必ず、照れることもなく
「愛してるよ・・・」
と言って電話を切る。返事は、
「・・・うん」
で正解だろうか。
「私も」
と言うべきだろうか。いや、まだ言えない。恥ずかしくてたまらない。その翌日もまたそのまた翌日も、その繰り返しだった。