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番外編 -散りゆく華-

慶応三年 京-


いくさのため、伏見への道を行く新選組の列の中に、中條はいた。中條は、その戦で死ぬことを覚悟していた。

隣には山野が歩いている。ふと視線を合わせ、お互い微笑んだ。


「中條さんは、昨夜はどうされたのですか?」

「沖田先生の、お傍におりました。」


昨夜、一般隊士は近藤の厚意で、翌朝の出立まで自由行動が許されたのだった。


「さえちゃんには、会っていないのですか?」


その山野の言葉に、中條は唇を噛みしめるような表情をした。


「…はい。」


山野は「どうして」と言いかけて、黙り込んだ。…別れが辛いのだろうと察したためだ。


「…そうですか。」


それだけを言った。


「山野さんは、奥さまのところへ?」


中條のその言葉に、山野の顔が赤くなった。 山野は、想い人と祝言しゅうげんをあげたところだった。


「…ええ…まぁ…。…実はね…子どもが出来るんですよ。」

「え?」


中條が息を呑んだ。


「お子さんが!?おめでとうございます。…でも…心残りでしょう…」

「ええ…でも僕は信じていますよ。必ず戻れると…。」

「…山野さん…」

「いや…戻らねばならないと思っています。」

「そう…ですね…」

「一緒に、戻りましょう。京へ」


山野のその言葉に、中條はうなずいた。


……


山野と中條は、新屯営についてから総司に会いたいと思っていたが、一般隊士は部屋から出ることを許されなかった。京を経つ時点で、隊士の数が減っているため、逃亡を食い止めなければならなかったのだ。

そのうちに、局長の近藤が「御陵衛士」の残党に肩を銃で撃ち抜かれ、その治療のために幕府の御用船で、大坂へ送られることになったという噂を、二人は聞いた。そして、ほとんど寝たきりになっている総司が一緒に行くことになったことを知った二人は、土方に総司を見送らせてほしいと懇願した。土方は快諾し、二人に御用船が来るまでの間の面会を許した。


……


総司は、部屋に入ってきた山野と中條を見て微笑んだ。傍には手のつけられていない膳がある。

二人は総司の傍に座ったっきり、しばらく声が発せずにいた。


「すぐに…」


山野が口を開いた。


「すぐに船がくるそうです。」


総司は、力なくうなずいた。


「…そうですか…。しばらくのお別れですね。」


その後に、沈黙が訪れた。


「何か…私達にできることはありますか…?」


山野がその沈黙を破った。総司は首を振った。


「…何も…それより…」

「?」

「あなたたちには、生きてほしい…」


二人は、言葉を失った。


「私の分まで…生きてください。」

「先生…そんな気弱なことをおっしゃらないでください」


中條が、たまらず涙をこぼして言った。


「…いくさが終わったら、一緒に京へ戻りましょう。」


山野も必死に涙を堪えながら、中條の言葉にうなずいている。


「…そうだね…。戻って、また一緒に京の町を歩こう…」


総司が弱弱しい微笑を見せ、二人に向かって手を差し出した。二人はその手を握り締めた。


……


総司が土方に抱きかかえられるようにして、船に向かっていた。近藤は先に乗船している。

山野と中條は、悲痛な思いで立ちすくんでいる。ああは言ったが、もう総司には会えないかもしれない…そんな気持ちがしていたのである。

総司が振り返った。


「山野君、中條君…」


二人は顔を上げて、総司に走り寄った。


「はっ!」

「…必ず戻りますから、一番隊をお願いします。そして、永倉さんの言うことを聞くようにね。」


まるで、子供に留守番を頼むような言い方だった。二人も、親と離れる子供のような顔をしていた。


「戻ってこられるのを、待っています。」

「必ず、帰ってきてください。信じています。」


二人が口々にそう言った。総司が微笑んでうなずいた。

総司の姿が船の中へ消えた時、中條が手の甲で目をこすった。山野は船に背を向けた。

…二人とも、これが総司との永遠の別れのような気がしていた。


……


慶応四年-


とうとう年が明けたが、元日も二日も何事もなく過ぎて行った。

皆この何日間か、戦を待つような不思議な時を過ごしている。

そして三日の夕方になって、砲声が一つ轟いた。いくさの引き金が引かれたのである。

それに続いて、銃声が乱れ飛ぶように響き、前線の幕軍が応戦を始めた。


「…始まったぞ…」


夕暮れの空を見上げて、二番隊組長の永倉が言った。

全員が立ち上がった。

その時、土方が数人の隊士を呼びつけ、酒樽を運ばせた。


「門出の酒だ。皆飲め。」


なんの門出か…誰も聞かなかった。土方が鏡を抜き、ひしゃくで酒を掬い飲んだ。そのひしゃくが隊士一人一人に回ってきた。


(ここで死ぬ…)


誰もがそう思っていた。あの砲弾をくぐりぬけて、生きて帰れるとは思えなかった。

こうしている間も、砲弾があちこちで炸裂している。

ひしゃくを待つ間、中條が隣にいる山野に話し掛けた。


「…山野さんは生きてくださいよ。僕が援護します。」

「何をばかな…!あなたも生きて帰らなきゃ…」


中條は、覚悟を決めた表情をしている。山野が何かを言おうとした時、ひしゃくが回ってきた。山野が飲み、中條に回した。

中條が飲む。そして隣に回した。

全員に、ひしゃくが回ったのを見た土方が言った。


「…待機しろ…」


全員が敵陣に向いた。

永倉が隊士の前に立って、重い声で言った。


「一人でも多く敵を斬れ……死ぬなよ…生きて進め…」


二番隊の全員が、永倉に向いてうなずいた。

山野がふと隣の中條を見ると、中條は何かを振りきったような、すがすがしい表情をしていた。

中條は自分を見つめている山野に気づき、こちらを向くとにっこりと微笑んだ。

山野は何かほっとして、微笑み返した。


「…ねぇ、中條さん…」

「なんです?」

「…生きて…沖田先生のお見舞いに行きましょう…そして、皆で京に戻るんです…」


中條が、微笑んだ。


「ええ。」

「約束ですよ。」


山野が、手を差し出した。中條は、その手をがっしりと握った。


……


永倉は隊士達の前に立ち、敵陣に向いている。先頭に立って、突っ込む覚悟のようであった。その永倉の姿に、全員が何か心強さを憶えていた。


「…土方さんから指示が出る。それを聞いたらつっこめ。」


永倉の言葉に、それぞれが敵陣を見つめてうなずいた。

そして沈黙した。ぴんと張りつめた空気の中、銃弾の音だけが響いている。

全員が心の中で、思い出をたどっていた。妻のこと、恋人のこと、家族のこと…。

…そしてその感傷は、土方の声で消し飛んだ。


「二番隊行けっ!」


全員が、はじけ飛ぶように走り出した。


……


薩摩が放つ銃声の中、永倉を先頭に、二番隊は突き進んだ。銃弾が、否応無しに飛んでくる。山野は必死に突き進みながら、盾に隠れて銃を構える敵を、斬り捨てながら進んだ。

中條も飛び交う銃弾をものともせずに、突き進んでいる。あまりの勢いに、敵の向ける銃口が定まらない。


「うあっ!」


山野の後方で悲鳴がした。はっと振り返ると、若い隊士が撃たれた足を押さえ、うずくまっていた。


「!止まるな!」


山野がそう叫んだ時、中條がその隊士に走り寄り、その腕を取ろうとして敵陣に背を向けた。

その背を容赦なく銃弾が貫いた。中條の体が弾かれて反った。間断なく二発目の銃弾が中條の背を撃ち抜く。


「!中條さん!」


山野が戻ろうとすると、その頬を銃弾がかすめた。


「山野!駄目だ!来るんだ!」


永倉が、松林から呼んだ。中條を見ると、背から血を流しながらも、負傷した隊士を助けようとしている。


「!!中條さん…!」

「山野!早く!」


山野は、永倉の元へ走った。中條は気丈にも負傷した隊士を支えながら、やっとのことで松林に倒れこんできた。


「中條さん!」


山野が、中條の体を抱き上げた。


「山野さん…山野さんは生きて…」


中條が、息を切らしながら言った。


「死んじゃ駄目です!」


山野が叫んだと同時に中條が突然咳込み、その口から血が吹き出した。


「中條さん!」


山野の背中から見ていた永倉が、顔をそむけた。

中條は、口から血を吹き出しながら言った。


「沖田先生を…お願いします。」

「…中條さん…生きて帰るんです!一緒に京へ帰るって、約束したじゃありませんか!」


山野が泣きながらそう言うと、中條の目から、涙が一筋流れ落ちた。


「沖田先生に…謝って…」


中條は、それ以上何も言えずに目を閉じた。そして、その体から力が抜けた。


「中條さん!?……中條さん!!」


山野の悲痛な叫び声が、銃声をぬって響き渡った。


……


山野は中條の遺体の傍に座り、じっと死顔を見つめていた。今は砲声も止んでいる。

つい何時間前かまで、微笑んでいた顔が動かない。それが山野には信じられなかった。


「…あちらでは、ゆっくり休んでください。」


そう呟いたとき、永倉が山野を呼んだ。死んだ隊士たちの遺体を荼毘だびに付すという。

たくさんの隊士が、命を落とした。一人一人を里へ返してやりたいが、その余裕などない。


「中條さん、行きましょうか。」


山野は、硬くなりかけている中條の体を担ぎ上げた。


……


燃え盛る炎に向かって、土方を始め、皆手を合わせた。

山野の閉じた目から、涙が流れた。その山野の隣で、嗚咽をこらえきれずにしゃくりあげながら手を合わせている隊士がいた。

中條が助けた若い隊士だった。中條に救われた分、長く生きて欲しい…山野はそう思った。


山野は妻に文を書き、それを中條が助けた隊士に持たせた。


「京にいる私の妻に届けてくれ。…こっちには戻ってこなくていいから。…中條君の分まで、生きるんだよ。」


山野が囁くように言った。その隊士は、涙を流してうなずいた。


……


新選組は鳥羽伏見の戦いで破れた後、大坂から富士山丸に乗り江戸まで出た。

山野は、富士山丸に総司が一緒に乗っていることは聞いていたが、まだ船の中がどうなっているのかわからないため、動けずにいた。そんな時、最近入隊し、土方の小姓となった「市村いちむら鉄之助」に声をかけられた。


「山野 八十八やそはちさんですか?」

「え?…ええ…」

「沖田先生が、お話をされたいそうです。中條英次郎さんという方と一緒に来てほしいと…」


山野は一度目を見開き、その目を伏せた。


「…副長は…中條さんが死んだことを、沖田先生に伝えてないのですね…」

「…!…」


市村が驚いた表情をしている。山野は伏せた目を上げ、市村に微笑んだ。


「沖田先生のところへ、連れて行ってください…」

「はっはい…!」


市村が「こちらです」と言って、歩き出した。


……


総司は乗船した時から、ずっと横になっていたままである。

山野が市村に連れられて入ってきた時、うれしそうに目を見開き、起きあがった。


「…よく来てくれました…」


山野は総司の顔を見て、嬉しさの余り泣き出しそうになった。


「中條君は?」


総司は探すように、山野の後ろを見ている。


「伏見の戦で…銃弾に倒れました…。」


その山野の言葉に、総司の唇が震えた。信じられないという目をしていた。


「伏見で…?」

「…はい…」


総司の目が山野から離れ、宙を見ていた。


「…彼が……彼が、私より先に逝ってしまうなんて…」


山野が、目を伏せながら言った。


「死ぬ前に、先生に謝ってほしいと言われました。」

「…そう…ですか…。」


総司の目から、涙がこぼれた。


「もう皆で…京の町を歩くことはないんだなぁ…」


総司は、涙にぬれた目を床に向けた。


「…先生、早く元気になってください。…」


山野のその言葉に、総司が微笑んだ。


「そう…ですね…。また、一番隊に戻って…死んだ仲間の仇を討たなきゃ…」


総司の言葉が、途切れ途切れになってきた。もうしゃべることすら疲れている。山野は総司の体を支え、寝かせた。

そして二人はそのまま、京にいた時の話に花を咲かせた。山野は総司を疲れさせないために、一人でしゃべりつづけた。総司は時々うなずき、時々涙ぐんだ。

山野は、長居して総司を疲れさせてはならないと思い「また来ます」と言って立ち上がった。そして部屋を出ようとした時、総司が山野を呼びとめた。


「…あなたは、生きてください…中條君の分まで…」


その総司の言葉に、山野は唇をかんでうなずき、部屋を出た。…そして、甲板まで上がった。


『一番隊参ります!』


総司のその凛とした声を聞くことも、中條と一緒に京を走ることは、もうない。

海を見つめる山野の目から、涙が溢れて流れた。


(番外編-散りゆく華-了)


……


「一番隊日記(最終章)-千駄ヶ谷暮色-」の最後にも、短い番外編を追加しました。そちらも、お読みいただけると嬉しいです(^^)


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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