第五章「他流試合」
ある日、ナナが放課後、いつものように洛中高校に行くと、意外な人物と出くわした。
紫蓮院百合子だ。超お嬢さま学校の国府台女学院、通称国女の二年で、京都市の副学生図書委員長。学校の制服姿だ。同じ制服の女子高生たちが、二〇人ほどいる。
「あら、ナナさん。お久しゅうございます。ごきげんよう」
百合子に優雅に挨拶される。
「今日は月に一度の『他流試合』やで」と明里に告げられる。
武道場は生徒たちでいっぱいだった。洛中高校の生徒たちに加えて、百合子と一緒に国女からやってきた女子高生たちもいる。
そして、武道場の中央で対峙するのは、備前竜子と紫蓮院百合子の二人。
竜子は黒の稽古着に袴。剣道の竹刀ではなく、三メートルほどのたんぽ槍を携えている。いつもの剣道の防具に加えて、すね当てをつけている。
対する百合子は稽古着も袴も純白。竜子の槍と同じ長さの薙刀を構えている。防具は、面と胴と小手にすね当ての標準薙刀スタイル。
槍と薙刀の他流試合だ。
放送部の女子生徒がマイクでアナウンスする。
「それでは国府台女学院と洛中高校の武道交流稽古を行います。
白、国府台女学院2年3組、紫蓮院百合子さん。延暦寺流薙刀。
赤、洛中高等学校2年B組、備前竜子さん。宝乗院奈良槍。
審判は、洛中高等学校2年C組、香坂明里さんです」
二人は向かい合って、礼をする。間合いをとって、それぞれの得物を構える。
「備前先輩! ファイトです!」
応援の男子剣道部員たちが声をかける。
「百合子お姉さま、がんばって!」
国女の女子高生たちが対抗する。
香坂明里が二人の間に立ち、右手の赤旗、左手の白旗を真上に上げ、下ろす。
「五分間三本勝負。はじめ!」
先に仕掛けたのは竜子だ。
「きえええーい」と裂帛の気合とともに、一気に百合子との間合いを詰め、必殺の突きを繰り出す。百合子は薙刀で交わす。竜子は槍を引いて、二撃、三撃と突いてくる。突きをいなしつつ、一歩前に出た百合子の薙刀が、空中に鋭い弧を描いて、竜子のすね当てを打つ。
「一本! 紫蓮院」
明里が白旗を上げる。
「きゃーっ!」と国女衆が歓声を上げる。
「お姉さま、すてきー!」
開始位置に戻って、二人はそれぞれの得物を構える。
「はじめ!」
今回も竜子から激しく攻めていく。百合子が薙刀で凌ぐのを構わず、突進する。体当たりのように百合子と接触する。体重差で弾き飛ばされて、たたらを踏んで姿勢を崩した百合子の胴中央に、竜子の槍先がヒットする。
「一本! 備前」
明里が赤旗を上げる。
「うおおおお!」と男子剣道部が吼える。
「最高っす! 備前先輩!」
両者ともに一本ずつ。開始位置に戻る。
「はじめ!」
ここまでは受けを基本にしてきた百合子が、積極果敢に攻めてくる。竜子も負けてはいない。槍を縦横無尽に振り回して薙刀を弾き、一瞬の隙に鋭い突きを繰り出す。百合子は交わして間合いを詰める。両者の身体が交差して、位置を取り替えての打ち合いになる。槍と薙刀がぶつかって激しい音を立てる。
(すごい。これが、実力者同士の、真っ向本気の戦い!)
ナナは両拳を握りしめる。
残り時間一分。五〇秒、四〇秒、三〇秒。激しい打ち合いが続く。二〇秒、一〇秒、時間切れ引き分けか?
と、ナナの視界から百合子の姿が一瞬消えたように見えた。
「きえええい!」と竜子が繰り出した必殺の突きが目標を失う。次の瞬間、竜子の面の突き垂れを、薙刀の切っ先が軽く薙ぎ払っていた。百合子は地面を這うような極端に低い姿勢を取り、そこからリーチギリギリで竜子の喉を捉えたのだ。
「一本! 紫蓮院」
明里が白旗を上げる。
「浅いで! 無効や!」
竜子が抗議の声を上げる。
「槍や刀やったらな。薙刀ならではの一本や。本物の薙刀やったら、喉首かき切られとる。もう三寸も深かったら、首が飛んどるで」
明里が自分の首をかき切るジェスチャーを見せる。
「そっかあ」
竜子はがっくりとうなだれる。
「勝負あり。紫蓮院百合子」
明里がコールする。
両者、開始位置に戻って礼をする。そして、中央に歩み寄って、百合子と竜子はがっちりとハグする。
観客全員が拍手し、歓声を上げて、両者の健闘を称える。
(すごい! すごい! すっごーい!)
ナナは感動している。
(こんなに凄いひとたちに、あたしってば分かったような口を聞いて、生意気並べて。恥ずかしいよ。死ぬほど恥ずかしいよ)
その感動を胸に抱き、赤面した頬のまま、洛中高校の校門を出たナナに、物陰から
「ちょっとええ?」
と、声をかけたのは、香坂明里だ。高校の制服姿だ。
「あ、明里坊お姉はん」
明里の後ろには、備前竜子と紫蓮院百合子もいる。ともに制服姿。
「ナナカラちん、ちょっとわたしらに付き合わへん?」
「ええ、はあ」
「ここからはな、プライベートタイムや。いつもは三人なんやけど、百合子が『ナナカラも一緒に』言うてな」と竜子。
「お時間を頂戴して、すみませんなあ、ナナさん」
百合子がはんなりと微笑む。
「いえ、はい! ぜひともお付き合いさせてください!」
ナナは思わず叫んでしまう。
「しーっ、しーっ。大きい声出したらあかん。秘密行動やさかい」と明里。
高校生三人と中学生一人。四人が訪れたのは、下鴨の小さなラーメン屋だった。カウンター席のみで、十人も入れば満席だ。
「ここ穴場なんや。ガイドブックにもグルメブログにも載ってへん。親父が超のつく頑固もんでな、紹介も掲載も一切認めへんのや。Googleマップからも完全消滅させたらしいで。どうやったんかは知らんけど」
明里が小声でナナに解説する。
「お待ちどおさん」
ナナの前に出てきたラーメンは、大きな丼で、かなりのボリュームだ。と、他の三人を観ると、さらに一回り丼が大きい。
「ああ、ナナカラは初めてやろ? せやし『小』にしといた。食べ切れへんかったら困るやろしな。うちらのが『並』や」と竜子。
(あたしのでフツーの二人前。姐さんたちのは、三人前はあるよね?)
ナナは驚きつつ、ラーメンから立ち上る湯気と匂いに心を奪われる。
「まあ食おうや。冷めんうちに」
竜子がパキン、と割り箸を割る。
ナナはラーメンに箸をつける。めっちゃ美味い。スープは豚骨・鶏ガラベースの醤油味で、背脂がたっぷり入っている。麺は細めのストレート。チャーシュー、メンマ、煮玉子の他に緑色のネギがトッピングされている。
(九条ネギだ)
「京都ラーメン」のお手本通りの、濃厚コテコテである。
(そういえば、京都に来てから、ラーメン食べるのは初めてかも)
ナナは姉弟子たちのことを思い出す。
「悪魔とか、地獄のカロリーとか…」
ナナのつぶやきを耳聡く拾った明里が、
「一般のウェンタは、まあそうかもしれんな」と応じる。
竜子が後を継ぐ。
「ギリギリまで減量しとったら、カロリー制限は必須や。ラーメンは鬼門。でも天狗はちゃうで。しっかり食うて、がっちり身体作って、雄々しく飛ぶんや」
「天狗やあらへんわたしも、月に一度の『試合』の折だけ、お相伴にあずかっておりますの」と百合子。
「妹弟子たちには、くれぐれも内密にしておいてくださいましね」
ラーメンの熱さで上気した頬で艶然と微笑む。
「今月の試合で百合子とは、通算八勝一〇敗か。イーブンに持ち込める思てたんやけどなあ」
竜子が嘆息する。
「何言うてんの。実力やったら、うち竜子に敵うわけないやん。パワーもスピードも。それに体重も」
百合子の話し方は、一転して、竜子や明里同樣の、ラフでカジュアルな若者の京言葉だ。
「体重は言わんといて! 企業秘密や。京都地裁に訴えるで」と竜子。
「うちはな、寺に伝わってる小賢しい裏技を、子どもの頃から仕込まれてるだけや。この清らかな乙女の身体に、やで? 悲劇やろ、虐待やろ。民生委員呼べー、とまでは言わんけど」
「それが延暦寺影薙刀の怖さやな。表技が十やとしたら、門外不出の裏技が倍以上ある。今日の三本目もそれやろ?」
竜子が訊ねる。
「竜子にはなーんも隠さへんよ。全部教えたる。あれはな、『長虫』いう技や」
「長虫……蛇かいな」
「そう。地面這う蛇の動き真似て、膝より低い姿勢とってな、そこから薙刀突き出して最小半径で回して喉薙ぐんや。とぐろ巻いた蛇のワンチャンアタック。ほんま下品な技やろ」
「下品も何もあるかい。勝ってナンボや」
「そ。勝負なんやし、勝ってナンボや。勝った勝ったまた勝った。勝たんでもええのに勝ってしもた」
百合子は適当な節をつけて歌い、竜子を煽る。
「今月も美味しいラーメン、ごちそうさん、竜子はん」
にっこりと笑って、竜子にウィンクする。
「来月は負けへんで! 絶対、ぜーったい負けへんからな」」
竜子が獅子吼する。
(紫蓮院さんって、もしかしてこれが「素」だったの? 「悪役令嬢」ならぬ「吉本新喜劇」的な)
ナナの脳内で、百合子のイメージがさらに暴走する。




