第二章「紫蓮院百合子」
ここで、時計が十か月巻き戻される。ナナの「入党試験」の前の年だ。
九月の京都は、まだ夏の名残を引きずっている。
照り返す石畳の熱に辟易しながら、風間ナナは煉瓦塀で囲まれたクラシックな学校の正門を見上げていた。
私立国司台女学院、通称・国女と言えば、京都、関西はもちろん、東京でもよく知られた名門女子校だ。創立は明治時代で、百年以上の歴史を持っている。中高一貫で、毎年東大、京大をはじめとした難関大学に二桁の合格者を出している。偏差値と同様に格式も高い。そして学費も。
(庶民で偏差値50のあたしには縁のない世界だよね)
気後れしそうになるが、何とか気持ちを奮い起こし、門内の守衛所で、名前と来訪予約を告げる。
「ああ、風間ナナさんね。生徒指導室に行ってください」
学内の地図と建物の配置図で、場所を教えてもらう。
(さて、いよいよ始まるんだ。あたしの、京都での図書委員生活)
学内を行き交う生徒たちの姿に圧倒される。全員、姿勢が良い。スッと背筋を伸ばして足早に歩いている。動作の一つ一つに「訓練された感」がある。礼法とか舞踊とかで。そして、制服の質が違う。既製品じゃない。生徒一人一人の身体を採寸して、一つ一つていねいに作り上げたオーダーメイド。
同じ女子中高生のはずなのに、空気が一段、澄んでいる。
(うわああ)がナナの率直な感想だ。
(ここじゃあたしってば、山出しの山猿? ミラコレのランウェイに紛れ込んだトーシロの田舎娘?)
生徒指導室のドアにノックして「失礼します」と声をかけて入ったところで、待っていた人物を一目見て、ナナは腰が砕けそうになった。
背の高い高校生だ。制服を一部の隙もなく着こなしている。そして…
(豊かな金髪! さらに縦ロール。目が青い。外人さんだったの? どう挨拶すればいいの? 何て言えばいいの? ないすとぅーみーちゅーだっけ)
パニック寸前のナナに、少女は微笑して挨拶する。
「はじめまして、風間ナナさん。紫蓮院百合子と申します。今日はようお越しくださいました」
柔らかな声。完璧な日本語だ。てか、京言葉。
「は、はじめまして、紫蓮院さま、いえ、図書委員長殿!」
警察や軍人みたいな言い回しになってしまった。
「あら、『さま』も『殿』も要りませんえ。それに、わたしは京都市学生図書委員会の副委員長を務めておりますの」
そうだった! ナナは赤面する。
「失礼しました。副委員長。お手紙ちゃんと読んだつもりだったのが、いきなり間違えちゃって」
あわあわと話しながら、ナナの脳内で警報が鳴る。
(これって『悪役令嬢』? いえ『悪役王女さま』? あたしみたいな『東京モン』の『ポッと出』は瞬殺?)
「どうぞ、そちらにお腰かけくださいな」
と、百合子はナナに椅子を薦める。
「は、はいいー」
百合子はホルダーに挟んだ書類を見ながら、ナナに話しかける。
「東京都板橋区立沙村第二中学校から、京都市立柳川中学校一年B組へご転入。今週の月曜から学校が始まったはるんどすか。慣れへんことも多うて、大変やろう思います」
「は、はい」
(その中で一番『大変』なのが、今ここ。紫蓮院さま…さんに呼び出されての尋問…いえ、面談なんですが)
「図書委員の属性はウェンタ。課題図書は板橋流の『古事記』。等級は序二段?」
百合子の顔に小さな疑問符が浮かぶ。
「東京の等級は、番付制でしたわね。中学一年やと、普通は序ノ口から始まるはずやと思いますけど……」
(このひと、何でも知ってるんだ。番付なんて、お相撲さんみたいな変なしきたり、一般人には説明すら難しいし、図書委員でも東京以外じゃ知らないひとのほうが多いのに)
「あ、あの、あたし、他の子の一年早い、小学六年生から図書委員になったんです。東京じゃウェンタは少なくて、人手不足だからって、速成教育で」
「そうどすね。東京の図書委員は、イグナかアクアがほとんどで、ウェンタは一割にも満たへん。京都やと、九割以上がウェンタやのに。不思議なもんどすなあ。
それにしても、中学一年で二年生相当の等級と、それに見合うお仕事をしてはったんやろ? 立派やと思いますえ」
褒められて、ナナは逆に焦ってしまう。
「り、立派だなんて、そんなことなくて、あたし、親の反対を押し切って図書委員見習いを始めたもんだから、ホントは全然力不足なのに、意地になって背伸びしちゃって…」
初対面の相手なのに、訊かれもしない内輪の事情まで話しまくってしまう。
ひとしきりナナの話に耳を傾けて、百合子はにっこりと微笑む。
「何はともあれ、京都へようこそお越しくださいました。
柳川中学校には二人、近くの鴨川高校には三人、図書委員がおります。姉弟子として、ナナさんを見ていただくよう、もう連絡は入れてありますさかい。困ったことがあったら、遠慮せんと何でも頼ってくださいな」
「は、はい」
国女の門を出たところで、ナナはぼーっと立ち止まってた。紫蓮院百合子の優雅な仕草や、柔らかい声を思い出すと、胸がちょっと熱くなる。
(お母さまがドイツ出身のかたなんだ。フォンなんとかさんって言ってたから貴族? お父さまが名刹・紫蓮院風城寺の貫主さまで、お母さまがドイツ貴族。本物のお姫さまじゃんよ。それをあたし『悪役令嬢』なんて失礼なこと思って。ホントに失礼)
などと思いつつ、ナナの脳内で「悪役令嬢・百合子」のイメージが暴走する。
頬が赤くなる。
(やだ。憧れちゃったのかな、あたし)
パン!と自分の頬を両手で軽く叩いて、ナナは気合を入れ直す。
(でも、姉弟子には気をつけなきゃ。ここは京都なのよ。イケズとか、ぶぶ漬けとか『ピアノお上手でんなあ』とか…)




