第一章「入党試験」
七月初めの鴨川は、昼過ぎの陽射しをそのまま川面に映して、きらきらと白く光っていた。夏服の女子中学生が一人、紺のスカートの裾を気にしながら、河川敷の遊歩道を歩いていた。河原の石はすっかり熱を帯びていて、スニーカー越しでもじんわり伝わってくる。川上から吹き抜ける風が、赤い紐ネクタイをふわりと揺らす。京の夏が、まだ静かに始まったことを知らせていた。
風間ナナ。十四歳。中学二年生。生まれは東京都板橋区。去年の秋に上洛し、京都市立柳川中学校に転入した。同時に図書委員も拝命したが、まだ姉弟子預かりの身だ。
(今日は特別な日。わたしの新しい運命が決まる)
鴨川は野鳥が多いことで知られている。大きなのはトビやアオサギ。小さいのはヒヨドリやハクセキレイ。もちろん、ハトやスズメなど、どこにでもよくいるモブ的な野鳥たちもいる。
(でも、今日は一羽も姿が見えない。そうか。いよいよ始まるんだ)
ナナの身体に軽く緊張が走る。
ヒュンと音がして、小さな影がナナのすぐそばを掠めた。ツバメ? 空中で反転して向かってくるのをギリギリでかわす。続いてもう一羽、二羽。ナナはスカートの隠しポケットから扇子を抜き出して、襲いかかるツバメを弾き飛ばす。
ダッシュで走り出す。
空襲に対抗するには地下防空壕への退避が基本。都市部なら地下鉄など。地下が無かったら、せめて建物内に避難すること。でもここには地下はもちろん建物も無い。河川敷だから当然だ。せめて橋があればと思うが、三条大橋と四条大橋のちょうど中間。どちらも三〇〇メートル以上先だ。
(だからこそ、今ここで「開始」したんだ)
河川敷から退避しように、土手上まで上がる隙を突かれる。
(ならば、こちらも「空に出る」までのこと!)
ナナは立ち止まり、合掌して、意識を集中する。リンガ・ビブリアでウェンタの起動ワードを唱える。
「うぃんぶろー!」
すでに身体に取り込んでおいたウェンタのマナが励起される。緑色のオーラがナナの全身を包み込む。足元に風が巻き起こる。ナナはもう1本の扇子を抜き。両手でそれぞれを開く。
「うぇんた!」
地面を蹴ってジャンプ。ぐおっと吹き上げる上昇気流を二本の扇子で受けて、鴨川上空に飛翔する。一気に二〇メートル、三〇メートル。見下ろすと、ツバメたちが目標を見失って、右往左往してるのが見える。いや、本物のツバメではない。小型の高速ドローンだ。その数七体。
空中戦の基本は、敵よりも高い位置を取ること。そして敵が複数なら攻撃の優先順位を確認すること。まずはこいつ! 上昇してきた一体に向けて、ナナは扇子を振ってフレチャを放つ。空気の塊を弾丸のように打ち出す、ウェンタの図書委員の基本技だ。命中! パアンと弾け飛ぶドローン。次! 二体目もフレチャで撃破。残り五体が空中で集合したところに、急降下する。すれちがいざまに、扇を振りかぶって、撃ち下ろし、撃ち上げる。二体撃破。地面から上がってくる風を全身で受け止めて、反転上昇。ふらふら飛んでるドローンにフレチャを連射する。二体撃破!
(残りは? どこ? どこにいるの?)
と、死角から突っ込んできたドローンに背中を一撃される。ぐはっと仰け反るが、無理やりに身体をひねって、フレチャを放つ! 命中! だが、完全に飛行体勢を崩して、ナナは真っ逆さまに落下する。
「うぇんた! うぇんた!」
気合を込めて連続して風を起こすが、急降下する身体を支えきれない。だめ! 墜ちる! 墜ちちゃう! せめて受け身を取って、とナナは身体を丸める。
と、ぶわっと厚い空気の壁がナナの身体を支える。降下速度を落とし、クッションのように柔らかく受け止める。
(これって?)
そのまま、ゆっくりと降下したナナを、二本の腕で受け止め、抱き取ったのは、黒のジャージ姿の、大柄で逞しい女性だ。
「竜子姐さん」
「それ東京の言い方やん。京やったら“お姉はん”言うんやし」
コテコテの京都弁で返し、備前竜子は、にっこりと笑う。ナナを地面に下ろしてやる。
「ナイスキャッチやん、竜子坊」
大型の雨傘に似た形状のカモフラージュギアを解除して、もう一人が出現する。こちらは白いジャージ姿の、スレンダーで背の高い女性だ。ゴーグルをかけて、ノートパソコンのようなドローン操縦機をベルトで上半身に装着している。
白ジャージは竜子の腹心にしてマブダチ、香坂明里だ。二人はともに京都府立洛中高校二年。ウェンタの図書委員にして「天狗」。
「そらそうやろ、明里坊。訓練も試験も、安全第一やしな」
「これが最終試験だったんですか?」とナナ。
「せやで。抜き打ちでやるって決まってるしな」
竜子が明里に訊ねる。
「で、評価どないなん?」
「初期反応A、離陸A+。ふれちゃ八本で、ドローン七機ぜんぶ落としたし。命中率87.5%やで。普通やったら余裕で合格なんやけどなあ」
明里は操縦機のモニターの数字を告げる。
「せやけど最後がアカンわ。墜落したら、どんだけ点よくても即アウトやし」
(ダメだったか)
ナナの脳裏に、この一か月のあれこれが走馬灯のようによぎる。天狗党に入るための、三次にわたる筆記と実技試験。竜子と明里のマンツーマン指導。
「そうですよね。あたし、実戦になると頭に血が上って、カーっとなっちゃって」
ナナはがっくりと肩を落とす。
「せやし、合格や」と竜子。
「合格?」
「ナナちんは失速して墜落はしたけどな、それでも風を立て続けに起こして、ちゃんと身体支えてたやろ。頭かばって転がる受け身の用意もできてたし。うちが最後にフォローして止めたけど、なくてもせいぜい骨折くらいや。死ぬほどの大ケガはあらへん。生き残れたんやったら、合格なんよ」
「そうなんですか」
「それが天狗のポリシーや。まあ、ぼちぼち教えたるわ。鞍馬天狗党へようこそや、ナナカラスはん」
「ナナカラス?」
「新米は全員カラス天狗から始まるんや。一人前になったら本天狗、そんでナナ坊になる。簡単やろ」
「略してナナカラか。コンビニのチキンみたいやん」
明里がツッコむ。
「いじめんなて、明里坊。最初っから泣かす気かいな」
「ちょっとした冗談やん。ここ笑うとこやで。なあ、ナナカラ」
「ええ、まあ」
ナナは何とか笑顔をこしらえる。でも、全身から喜びがこみ上げてくる。
(やれた! あたし合格したんだ! 天狗になれたんだ)




