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第卌話 無幻の洋館②

■前回のあらすじ

【合宿所へ戻った毅は、財布の忘れ物に気づき、和真とともに夜の剣道場へ。しかしその帰り道、二人はいつの間にか異界の森へと迷い込んでしまう。闇の奥から姿を現したのは、妖怪や八百万の神々が集う宿「無幻の洋館」だった。

そこで出会ったのは、魔女に名前を奪われ、帰る術を失った少女・もも。彼女を救い、元の世界へ戻るためには、魔女から奪われた“真名まな”を取り戻さなければならない。決意を固めた和真と毅、そして百の三人は、底知れぬ洋館の謎へと一歩を踏み出す――】



無幻の洋館。その長く、薄暗い廊下を和真と毅、そして百が歩んでいく。


廊下には終わりが見えず、まるで意思を持つ迷宮のように先へ先へと伸びていた。

壁に刻まれた不気味な文様が青白いランプの光に揺れ、まるでおぞましい生き物の鼓動のように見える。

一歩踏み出すたび、足元の床が悲鳴のような音を立てて軋み、その余韻だけが重苦しい静寂を支配していた。


突如、廊下にねっとりとした不快な音が広がる。壁の影が染み出すように形を変え、ナメクジの支配人が姿を現した。

灰色に光る皮膚は生々しい光沢を放ち、ぎょろりと剥き出しになった眼球が三人を通せんぼするように見つめる。その口元が、ゆっくりと、醜く歪んだ。


「ようこそ、お客様。ここは無限の客を受け入れ続ける、不思議な宿でございます」

低く湿り気を帯びた声に、毅は思わず身を引いた。

「無限の、客……?」

驚きのあまり、声がかすかに震える。

奥のカウンターに鎮座するカタツムリの受付係が、宿泊名簿をめくりながら事務的に頷いた。

「ええ。どれほど満室であろうとも、当館は新たなお客様を拒むことはございません」


和真は腕を組み、不審そうに目を細める。

「……満室なのに、どうやって入れるっていうんだ?」


「では、その仕組みをお見せいたしましょう」

ナメクジの支配人はぬめりとした触手で古びたマイクを掴み、館内放送を起動させた。

『各室の宿泊客へ告ぐ。全部屋、部屋番号からひとつずつ増やした番号の部屋に移動してください』

直後、洋館全体が生き物のようにざわめき始めた。

潮が満ち引きするように、宿泊客たちが一斉に隣の部屋へと移動していく。1番の客は2番へ、2番の客は3番へ……。連鎖する動きは驚くほど滑らかで、寸分の狂いもない。

そうして空いた「1番」の部屋へ、新たに訪れた“無限のお客様”のひとりが、吸い込まれるように入っていった。


百は目を見開き、小さく息を呑む。

「こんなこと……本当に可能なの?」

彼女は小首を傾げ、論理の糸を解くように考え込んだ。


「普通、満室なら新しい人は入れない。でも、部屋をひとつずつずらすだけで空きが作れるってことは……この洋館の“無限”は、ただ広いって意味じゃない。無限そのものが、無限の中に収まっているっていうこと?」


毅は理解が追いつかず、ぽかんと口を開けた。

「え、どういう理屈だ……?」 


百は、自分に言い聞かせるように言葉を紡いでいく。

「たとえば、普通お客さんで満室だったら、誰かがチェックアウトしない限りは空かないよね。でも、この洋館には秘密があるんじゃないかしら――“最後の部屋”がいつも確定していないから、全員が一斉に一部屋ずつ後ろに移動することで一号室に空きができる。つまりね、それを繰り返せば“無限”の客がいても、後ろに移動するだけで新しい客を受け入れられるっていう……」


和真は腕を組み、深く思考の海に沈んだ。

「つまり……どんなに飽和していても、空き地をいくらでも生み出せる。そういう異常な構造なんだね」 


百は静かに、けれど確信を持って頷いた。

「うん。無限はどれだけ足しても、引いても、無限のまま。この洋館は、その変わらない性質を利用しているんだと思う」


毅は力なく笑い、肩をすくめた。

「すごすぎて、逆にもう何もわからないな」


百はふと、遠くの闇を見つめるように呟いた。

「だとしたら……魔女のいる『時の間』にも、同じような無限の謎が隠されているんじゃないかな」


毅が弾かれたように身を乗り出す。

「じゃあ、その仕組みを暴けば……百の名前を取り戻せるのか?」


百は唇を噛み締め、必死に思考を巡らせる。

「魔女は“無限の名前”を持っていると聞いたことがあるわ。だから、私の小さな名前なんて簡単に奪って、その中に隠してしまえたんだと思う。でも、この洋館みたいに“無限の中に無限を収容できる”なら……私の名前も、消えたんじゃなくて、どこかの層に残っているはずよ」


和真は拳を握りしめ、瞳に不屈の光を宿した。

「なら、迷っている暇はない。行こう――魔女の元へ!」


三人の決意に呼応するように、洋館の奥から冷たい風が吹き抜ける。

彼らはさらなる謎の深淵へと足を踏み出し、百の真名を取り戻すための、論理と魔法の戦いへと身を投じた。


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