第丗陸話 時の狭間にて
ある夜、コンビニ帰りに偶然神社の前を通りかかった和真は、ふと足を止め、そのまま夜の神社へと入っていった。
静かな境内にはひんやりとした風が流れ、どこか幻想的な気配が漂っている。
鳥居の前で立ち止まり、ゆっくりとくぐった――その瞬間、空気が変わった。
背後の世界が音もなく消え、目の前には見たことのない景色が広がっていた。
紫色に染まる空、動きを止めた風、遅れて響く川のせせらぎ。
まるで時間そのものが存在しない異空間に迷い込んだようだった。
「……ここはどこだ?」
和真がつぶやいたその前に、すっと影が現れる。
「ここは、時間の流れから切り離された場所――時の狭間だ。」
中性的でどこか気怠げな声。
振り向くと、狐の面をかぶった和装の青年が立っていた。
彼の着物は古風な柄だが、どこか遊び心のある華やかさをまとっている。
鋭い視線が、狐面の奥から和真をじっと見つめていた。
「君は……時を司る神なのか?」
和真の問いに、青年は肩をすくめる。
「残念だけど、そんな偉いものじゃないよ。
本物の時の神々は、この世界のもっと深いところにいる。
俺はただの土着信仰の神――八百長の神の下っ端さ」
どこか寂しげな響きを含んだ言葉に、和真は少し驚いた。
「じゃあ……君は時間を操れるの?」
青年は微笑む。
「操るってほどじゃないが、時間の秘密なら多少は知ってる。
お前も無意識にそれを知りたかったから、この《チャンネル》に迷い込んできたんじゃないのか?」
和真は腕時計をちらりと見る。
しかし針は動いていない。
ここでは時間が止まっている――いや、時間そのものが存在しないのかもしれない。
「さて、お前の世界を覗いてみようか。」
青年が袖を翻すと、空間に揺らぎが生まれ、光の鏡が浮かび上がった。
そこに映っていたのは、和真が消えた現実世界だった。
母親は必死に警察へ訴え、父親は神社の周りを何度も歩き回る。
親友の毅も、手がかりを探そうと懸命に動いていた。
「和真……どこだ——!!……」
毅の震える声が、異空間の鏡越しに響く。
その姿を見つめながら、和真は唇を噛んだ。
ここにいることを知らせることもできず、ただ見ているしかない。
「この世界にいる限り、お前は時間の流れに属していない。
だから、あの世界の人間にはお前の存在を感じることもできない。」
青年の声は静かだが、どこか冷たく響いた。
和真は胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
「……僕は時間についてもっと聞くべきなのか?
それとも、すぐにあの世界へ戻るべきなのか……」
青年はふっと笑った。
「知ることも、戻ることも――決めるのはお前だよ。」
「ところで、お前は時間についてどこまで知ってる?」
狐面の青年が問いかける。
和真は、以前先生が話していたことを思い出した。
「時間が過去から未来へ進むのは当たり前だけど……それってどういう意味なんだろう?」
青年は光る鏡を再び広げながら答える。
「時間はただ過ぎているように思えるが、それを感じる仕組みはお前の脳の中にある。」
和真は考え込みながら言った。
「先生が言ってた……脳には『松果体』っていう小さな器官があって、光を感じ取ることで時間の流れを作ってるって。」
青年は面白そうに微笑む。
「その話、少し広げてみよう。
昔、最初の生き物が生まれた頃、植物の遺伝子が動物の細胞に入り込み、光を感じる能力を得た。
それが脳の奥に残り、やがて『松果体』に進化したんだ。」
和真は鏡の映像を見つめながら問う。
「じゃあ……僕たちが未来へ向かって時間を感じるのは、この松果体のおかげなの?」
青年は頷く。
「そう。そして同じように、時間の流れも脳が作り出している感覚なんだ。」
和真は驚きを隠せない。
「じゃあ……時間って、本当は存在しないの?」
青年は首を横に振る。
「いや、時間そのものはある。
ただ、お前が『過去から未来へ流れている』と感じているのは脳の働きによるものだ。」
和真は止まった時計を見つめる。
「……もし僕が時間の感覚をなくしたら、どうなる?」
青年は静かに答えた。
「光を感じなければ昼と夜の区別がなくなるだろう?
それと同じで、時間の流れを感じる仕組みがなければ、『過去・現在・未来』の区別もなくなるかもしれない。」
和真は深く息を吐き、鏡の中の現実世界を見つめた。
消息不明の自分を探し続ける両親、そして毅。
ここでは時間は存在しないが、現実世界では確かに流れ続けている。
「……この体験を、時間の秘密も含めてみんなに話すべきなのか。
それとも、秘密にしておくべきなのか……」
青年はまた微笑んだ。
「それを決めるのは、お前だよ。」




