スーパーフラット・アウェイク
──暗い。
どこまでも沈んでいくような、
深い深い水の底。
音も、光も、痛みさえも遠い。
ただ、
ぽたり……ぽたり……
あの静かな滴る音だけが、
耳の奥で繰り返されていた。
(……僕……刺された……?
陽葵……
海斗……
毅……)
意識が、
ゆっくりと浮上していく。
そして──
光。
まぶたの裏に、
淡い光が差し込んだ。
「……和真……!」
誰かの声がした。
聞き慣れた声。
焦りと安堵が混ざった声。
和真は、
重いまぶたをゆっくりと開いた。
ぼやけた視界の中に、
白い天井が見えた。
(……ここ……どこ……?)
次に、
誰かの影が近づいてくる。
「和真!
気がついたか……!」
毅だった。
息を切らし、
目の下にクマを作り、
それでも必死に笑おうとしている。
和真は、
かすれた声で言った。
「……僕……
刺された……んじゃ……」
毅は、
一瞬だけ表情を曇らせた。
だがすぐに、
いつもの調子で言った。
「お前は無事だよ。
大丈夫だ。
命に別状はない」
和真は、
胸元に触れた。
痛みは……ない。
包帯も……ない。
(……じゃあ……
あの“熱さ”は……?)
「……和真」
疲れ切った顔で、
それでも無理に笑おうとしている。
和真は、
胸元に触れた。
痛みはない。
包帯もない。
(……じゃあ……)
毅は、
視線をそらした。
その肩に──
白い包帯が巻かれていた。
和真の呼吸が止まる。
「……毅……
まさか……」
毅は、
軽く笑ってみせた。
「かすり傷だって言ってんだろ。
それに……
お前が倒れたら、
陽葵が悲しむだろ」
その言葉は、
胸の奥に静かに落ちていった。
そのとき──
毅のスマホに電話が。
「……犯人の身柄、確保しました。
抵抗はありましたが……
無事に取り押さえました」
毅からそれを聞いた和真は息を呑んだ。
毅が言った。
「海斗は……
逮捕された。
俺が呼んでた警察が、
ちょうど展望台の下まで来てたんだ」
和真の胸が、
ざわついた。
「……海斗は……
今……?」
毅は、
少しだけ目を伏せた。
「取り乱してた。
“陽葵さんを返せ”って……
ずっと叫んでた。
でも……
もう大丈夫だ。
お前に危害は加えられない」
和真は、
胸の奥に重いものが沈んでいくのを感じた。
(……海斗……
陽葵……
僕は……
何をすれば……)
そのとき──
ふ、と空気が揺れた。
病室の隅に、
淡い光がふわりと浮かんだ。
和真は息を呑んだ。
「……陽葵……?」
毅には見えていない。
陽葵の魂は、
以前よりもずっと“人の形”に近づいていた。
歪みが薄れ、
輪郭が柔らかく光っている。
陽葵は、
かすかに微笑んだ。
『……ま……くん……
だいじょうぶ……?』
和真の胸が、
熱く震えた。
「……陽葵……
僕……
君に……
まだ……言えてないことが……」
陽葵の光が、
そっと揺れた。
『……うん……
しってる……
でも……
いまは……
やすんで……
まくん……』
その声は、
優しくて、
あたたかくて、
涙が出るほど懐かしかった。
和真は、
静かに目を閉じた。
陽葵の魂は、
まだそこにいる。
そして──
陽葵の魂は、
病室の隅で淡く揺れていた。
その光は、
もう線画ではない。
輪郭は柔らかく、
まるで風に溶けるように優しい。
和真は、
その光を見つめながら、
胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
(……陽葵……
君は……
まだ……ここに……)
陽葵は、
そっと首を傾けた。
『……まくん……
ねむって……
だいじょうぶ……
わたし……
ここに……いるから……』
その声は、
まるで子守歌のように柔らかかった。
(……陽葵……
君は……
僕を……
待ってくれてる……)
陽葵の魂は、
ゆっくりと薄くなり、
光の粒となって空気に溶けていった。
まるで、
「また来るね」と言うように。
和真は、
その消えていく光を見つめながら、
静かに息を吐いた。
毅が、
そっと声をかけた。
「……和真。
無理すんな。
お前はまだ休んでいい」
和真は、
ゆっくりと頷いた。
「……うん……
でも……
僕……
行かなきゃいけない気がするんだ……
陽葵のところへ……
ちゃんと……
向き合わなきゃ……」
毅は、
少しだけ目を細めた。
「……分かってる。
でもまずは体を治せ。
陽葵も……
それを望んでる」
和真は、
胸の奥に残る温かさを感じながら、
静かに目を閉じた。
陽葵の魂は、
まだそこにいる。
そして──
その光は、
“最後の言葉”を交わすために
和真を待っている。




