スーパーフラット・ハウス
海斗の家は、
図書館から少し離れた住宅街の奥にあった。
古い二階建ての家。
カーテンは閉じられ、
郵便受けにはチラシが溜まっている。
毅が小声で言った。
「……誰も住んでないみたいだな」
和真は、胸の奥がざわつくのを感じた。
「……でも……
ここに……
陽葵が怯えていた理由がある……」
毅は頷き、
玄関の前に立った。
チャイムを押しても反応はない。
「……入るぞ」
和真は息を呑んだ。
中は、
生活感がほとんどなかった。
家具はあるのに、
“人の気配”がない。
毅が周囲を見渡しながら言った。
「……逃げたんだな。
事件のあと……
海斗はここを出た」
和真は、
胸の奥が冷たくなるのを感じた。
そのとき──
ふ、と空気が揺れた。
和真の視界の端に、
“何か”が立っている気配がした。
毅が振り返る。
「どうした」
和真は、
喉が乾くのを感じながら言った。
「……いや……
なんでもない……」
嘘だった。
和真には“視える”。
昔からずっと。
でも──
陽葵だけは違った。
陽葵だけは、
“歪んで”見えた。
線画のように、
輪郭が揺れ、
声が遠く、
現実と重ならない。
それが──
フラットランド。
本当は和真の意思からではなく、
“陽葵自身の魂”が和真に心配かけまいと創り出した偽の世界。
和真は、
胸の奥が痛むのを感じた。
「……陽葵……
どうして……
僕には……歪んで見えたんだ……」
そのとき──
毅が声を上げた。
「和真、これ……見ろ」
和真は駆け寄った。
毅が指差したのは、
机の上に置かれたノート。
表紙には、
海斗の名前。
毅がページを開く。
そこには──
陽葵の名前が、
何度も何度も書かれていた。
和真の心臓が跳ねた。
「……これ……」
毅は眉をひそめた。
「執着……だな。
完全に」
ページをめくると、
陽葵の好きな本、
陽葵が座っていた席、
陽葵が帰る時間──
細かく記録されていた。
和真は震える声で言った。
「……陽葵……
ずっと……
見られてたんだ……」
毅は、
さらに奥のページを開いた。
そこには──
《奪ったやつ》
という文字。
その下に、
震えた筆跡で書かれた名前。
《カズマ》
和真の呼吸が止まった。
「……僕……?」
毅は、
静かに頷いた。
「海斗は……
陽葵を奪った相手として……
お前を見てたんだ」
和真は、
胸の奥が締めつけられるのを感じた。
その瞬間──
背後で、何かが揺れた。
和真は振り返った。
そこには──
“線画の陽葵”が立っていた。
フラットランドの陽葵。
歪んだ輪郭。
揺れる瞳。
声にならない声。
毅には見えていない。
和真だけが視える。
陽葵は、
震える手を伸ばしていた。
「……ひ……ま……り……?」
和真が手を伸ばそうとした瞬間──
陽葵の輪郭が、
ぐにゃりと歪んだ。
そして、
かすれた声が響いた。
『……ちがう……
ちがうの……
わたし……
こんな……じゃ……ない……』
和真は息を呑んだ。
「……陽葵……?」
陽葵の線画が、
涙のように揺れた。
『……みて……
ほんとうの……
わたし……
みて……』
その瞬間──
陽葵の姿が、
ふっと消えた。
和真は、
胸の奥が裂けるような痛みを感じた。
毅が駆け寄る。
「和真、大丈夫か」
和真は震える声で言った。
「……陽葵……
僕に……
“本当の姿を見て”って……
言った……」
毅は息を呑んだ。
「……それって……
陽葵の魂が……
まだ……?」
和真は頷いた。
「……陽葵は……
まだ成仏できてない……
でも……
歪んでる……
僕には……
歪んで見える……
だから……
フラットランドが……
生まれたんだ……」
毅は、
静かに言った。
「和真。
陽葵は……
お前に“伝えたいこと”があるんだよ」
和真は、
涙をこぼした。
「……陽葵……
僕……
必ず……
君の“本当の姿”に会う……
歪みじゃなくて……
君自身に……」
毅は頷いた。
「行こう。
海斗を探す。
陽葵の魂を解放するために」
和真は、
深く息を吸った。
逃避世界はもうない。
陽葵の線画も消えた。
残っているのは──
歪みの奥にいる“本当の陽葵”の魂。
そしてその魂は、
まだ和真を待っている。




