スーパーフラット・シャドウ
警察署を出た瞬間、
冬の空気が肌を刺した。
和真は、胸の奥がざわつくのを抑えられなかった。
「……“カ”で始まる名前……
図書館で……陽葵を見てたやつ……」
毅が横で歩きながら言った。
「和真。
そいつ……
お前、話したことあるんだよな」
和真は小さく頷いた。
「……うん。
何度か……
図書館で席が近かった時に……
本の話を少し……」
その記憶は、
当時は何の違和感もなかった。
青年は穏やかで、
静かで、
知的で──
むしろ“話しやすい人”だった。
だが今、
その記憶が別の色を帯びて蘇る。
毅が言った。
「名前……思い出せるか」
和真は目を閉じた。
青年の横顔。
落ち着いた声。
丁寧な言葉遣い。
そして──
陽葵を見る、あの視線。
胸の奥が冷たくなる。
「……“カイ”…
だったと思う……
海斗……」
口にした瞬間、
背筋に冷たいものが走った。
毅が息を呑んだ。
「海斗……
あいつか……
確かに……
図書館でよく見たな」
和真は、震える声で続けた。
「海斗は……
最初、陽葵と普通に話してた。
本の話とか……
おすすめの作家とか……
陽葵も……
最初は笑ってた」
その光景が、
鮮明に蘇る。
──陽葵が笑っていた。
──海斗も穏やかに笑っていた。
──和真は、少し離れた席からその二人を見ていた。
「でも……
ある日から……
陽葵が海斗を避け始めたんだ」
毅が眉をひそめた。
「理由は……?」
和真は、胸を押さえた。
「……陽葵が言ってた。
“なんか……たまに。視線が怖いんだよね”って……
最初は冗談みたいに笑ってたけど……
本当は……
怯えてたんだ……」
その瞬間──
フラッシュバックが走った。
──図書館の出口で、陽葵が急に歩く速度を上げた。
──後ろを振り返る陽葵の瞳が、わずかに揺れていた。
──その視線の先にいたのは──
フードをかぶった細身の影。
和真は息を呑んだ。
「……あれ……
海斗だった……
あの日……
陽葵が急に帰りたがった日……
後ろにいたの……
海斗だった……」
毅の表情が強張る。
「和真……
お前……
その時、海斗と話しただろ」
和真は震えた。
「……うん……
陽葵が帰ったあと……
海斗が僕に声をかけてきた」
その記憶が、
ゆっくりと形を取り始める。
──「仲いいんだね、君たち」
──「陽葵さん、楽しそうだったよ」
──「……奪わないでよ」
最後の一言だけ、
声のトーンが変わっていた。
穏やかさが消え、
冷たい何かが混ざっていた。
和真は、震える声で呟いた。
「……海斗……
あの時……
僕に言ったんだ……
“奪わないでよ”って……」
毅は息を呑んだ。
「それ……
完全に……
お前を敵視してたってことじゃないか」
和真は、胸を押さえた。
「……僕……
気づかなかった……
海斗が……
陽葵に執着してたことも……
僕を敵だと思ってたことも……
全部……
気づけなかった……」
毅は、強く首を振った。
「違う。
海斗は“表の顔”が完璧だったんだ。
誰も気づけなかった。
陽葵でさえ……
最初は普通に接してたんだろ」
和真は、涙をこぼした。
「……陽葵……
僕が……
もっと早く……
気づいてれば……」
毅は肩を掴んだ。
「和真。
お前のせいじゃない。
でも……
海斗のことは……
確かめないといけない」
和真は、震える息を吐いた。
「……うん……
海斗のこと……
全部知りたい……
陽葵が……
何に怯えてたのか……
ちゃんと向き合いたい……」
毅は頷いた。
「行こう。
海斗のことを知ってるやつ……
学校にいるはずだ」
和真は、静かに頷いた。
逃避世界はもうない。
陽葵の線画も消えた。
残っているのは──
陽葵が最後に見た“知っている誰か”の影。
そしてその影は、
確かに和真の記憶の中にいた。




