ゴーレムの涙
昔、悪い魔法使いが、泥で作った人形に命を吹き込みました。人形の名は、ゴーレム。
ゴーレムは、魔法使いに命じられるまま、町を襲い、家を壊し、逃げ惑う人々や手向かう人を容赦なく殺戮しました。
「人間は、なんて弱い生き物なんだろう」
ゴーレムは思いました。
そして、どんなに暴虐の限りを尽くしても、決して心が痛みませんでした。だって、ゴーレムには、心が無かったのですから。
やがて、悪い魔法使いは年老いて亡くなりました。ゴーレムもそれっきり姿を見せなくなりました。
それから、何百年たったでしょうか。人々は、悪い魔法使いやゴーレムのことなどすっかり忘れてしまいました。
悪い魔法使いがいなくなっても、人々は平和に暮らすことができませんでした。
というのも、この国では何度も争いが起こったからです。国と国との争いはもちろん、同じ国、同じ町の人とさえ、憎しみ合い、殺し合うことがありました。
初めは、剣や槍を手に、やがて銃や爆弾、さらには戦車や飛行機で戦う時代へと変わっていきました。そしてより多くの命が奪われました。
ある日、「ゴーッ」という轟音をとどろかせて、町の上空にたくさんの飛行機が飛んで来ました。そして地上にたくさんの爆弾を落としました。
爆弾が爆発して、土煙とともに吹き飛ばされる建物や人々。あちこちで燃え上がる炎。
人々は燃えさかる炎と煙の中を必死で逃げました。
そんな人々の中に、お母さんに手を引かれて逃げる小さな女の子がいました。
逃げまどう人混みの中で、女の子はお母さんとはぐれてしまいました。
「おかあさーん。おかあさーん」
女の子の必死の叫びも、人々の悲鳴や爆弾の爆音にかき消され、お母さんには届きません。
「ドカーーーン」
女の子の近くで爆弾が爆発しました。
女の子の足下の地面にひびがはいり、大きな穴があきました。女の子は、穴の底に落ちてしまいました。
どのくらい時間がたったでしょうか。穴の中で、倒れていた女の子が目を覚ましました。
松明の明かりが、ぼんやりと辺りを照らしています。飛行機の音も爆弾の音も、人々の悲鳴も聞こえません。辺りは、しんと静まりかえっています。
そこは昔、地下につくられた墓地の中でした。穴の天井は建物の残骸でふさがれていました。
女の子が立ち上がろうと手をついたとき、地面が柔らかくて弾力があることに気づきました。よく見るとそれは、人の形をしていました。女の子は大きな泥人形の上に倒れていたのです。
「あなたが助けてくれたのね。お人形さん」
女の子は、ひとりぼっちの寂しさ、心細さを紛らわすように、泥人形とおしゃべりをしました。
でも、相手はただの人形。女の子が一方的にしゃべるだけで、返事が返ってくることはありません。
女の子は、泥人形の胸に手を当てて言いました。
「おやおや、心臓が動いていませんよ。これはたいへん」
泥人形相手に、お医者さんごっこをしているのでしょうか。
「新しい心臓をあげましょうね」
そう言って、首からペンダントをはずし、泥人形の胸に置きました。
それは、ハートの形をした真っ赤なガラス製の、おもちゃのペンダントでした。女の子のお気に入りで、いつも首にさげていました。
すると、どうしたことでしょう。ペンダントが泥人形の胸の中にすうっと吸い込まれていきました。それと同時に、泥人形が目を開け、女の子をぼんやりと見つめました。そして、ゆっくりと起き上がったのです。
「わー、お人形さんが生きかえった」
動き出した泥人形を見て、女の子がうれしそうな声をあげました。
「お人形さん、いっしょにお母さんをさがしてちょうだい」
ゴーレムは無言で女の子の手をとると、地下墓地の出口に向かって歩き出しました。
地上は見る影もなく、変わり果てていました。辺り一帯焦土と化して、何もかも跡形もなくなっていました。病院や学校など、頑丈な鉄筋コンクリートの建物も、粉々に崩れ瓦礫の山となっていました。
辺りには人の姿はありません。
女の子は、おぼろげな記憶を頼りに、住み慣れた家を探して、ゴーレムと瓦礫の中をさまよい歩きました。
やっとのことで、庭に生えていた大きなモミの木を見つけました。家は窓ガラスが吹き飛び、壁が半分崩れていましたが、モミの木は何事もなかったように、そこに立っていました。
女の子はここで、お母さんが帰ってくるのを待ちました。
「おなかへった」
女の子が、そう言うと、ゴーレは何処かから食べ物を持って来ました。
「人間は、なんて不便な生き物だろう。食べ物という物を取り込まないと動かなくなってしまう。だが、なぜだろう。この小さな人間の喜ぶ顔を見ると、胸の辺りが温かくなってくる」
それから何日かたちました。
朝、物音と人の声で目を覚ました女の子が家の外に出てみると、大勢の大人の男たちが瓦礫を片付けていました。
一人の男が女の子に気づいて、他の男たちに知らせました。男たちが女の子に近づいて来ようとしたとき、みな金縛りに合ったように足を止めました。女の子の後ろに大きなゴーレムが現れたからです。
「ゴ、ゴーレムだ」
口々に叫ぶと、男たちは肩からさげていた銃を構えました。
「待て、撃つな!」
リーダーらしき男が制止しました。
「こっちに来るんだ」
女の子がゴーレムに襲われると思ったのでしょう。男は声を張り上げ、女の子に手を差し出しました。
でも、状況が理解できない女の子には、いきなり見知らぬ大人に声をかけられても、どうしたらいいか分かりません。
男たちの物々しい雰囲気と、自分に向けられている銃口におびえ、女の子は、その場に立ちすくんでしまいました。
「パン」
一発の銃声が響きました。ゴーレムへの恐怖に駆られた男が、たまらず銃の引き金を引いたのです。
この一発がきっかけとなり、他の男たちも一斉に銃を撃ちました。
何発もの銃弾が、体にめり込みましたが、ゴーレムは何の痛みも感じません。
そのとき、「キャッ」という悲鳴をあげて女の子が弾かれたように後ろに倒れました。
ゴーレムは、倒れた女の子の顔をのぞき込みました。女の子は身じろぎひとつしません。
女の子の体から流れ出た血で、地面がぐっしょり濡れています。
「人間はなんて弱い生き物なんだろう。すぐに動かなくなる。魔法使いが動かなくなったときは、何も感じなかった。だが、今は…、なぜだろう。胸が張り裂けるように苦しい」
ゴーレムの目から涙がこぼれました。涙は、堰を切ったようにとめどもなく流れ落ちました。
「なんだ、目から湧き出るこの水は?」
ゴーレムは、涙というものを知りませんでした。だから、どうして自分が涙を流すのかも分かりません。
女の子を失った胸の痛み(=悲しみ)と胸の奥からこみ上げる怒りを抑えきれなくなったゴーレムは、男たちに向かって猛然と突進していきました。
男たちを殴り、蹴り、投げ飛ばし、完膚なきまでに叩きのめしました。でも、いくら人間を痛めつけても胸の痛みは取れません。
その間も、とどまることなく涙が流れ続けました。
涙にぬれたゴーレムの体が、次第にどろどろに溶けだしました。
やがて、体の半分以上が溶けたゴーレムは、力尽きて倒れてしまいました。そして、二度と起き上がることはありませんでした。
ゴーレムは、ただの泥にもどってしまったのです。仄かに赤い光を放つハート型のペンダントを残して・・・。