初戦闘
訓練場に静かな緊張感が漂う中、瑠衣は模擬影と向き合っていた。
先程、莉緒が一閃で影の核を破壊した鮮やかな姿が頭に残る。だが、それを思い出しても焦りの色はない。
対戦相手である影は、黒い霧を纏いながらゆらりと揺れる。その動きは不気味なほど緩慢だったが、その赤い双眸は微動だにせず、獲物である瑠衣を確実に捉えている。
瑠衣は微笑を浮かべながらも、背中に冷や汗を感じていた。
(……こいつ、やばいな)
影が醸し出す異様な圧力が、肌を刺すようだった。巨大な体躯に反して音もなく移動するその姿は、まるで死神が忍び寄るような静けさを纏っている。
先ほどの莉緒の戦闘はあまりにも速すぎて、詳細を観察する余裕がなかった。しかし、一瞬で影の核を砕いた彼女の剣筋には、長年の鍛錬で培われた技術と圧倒的な実力が凝縮されていた。
そして、今目の前にいる影は、それと同じ存在。
「さて……俺の番ってわけか」
瑠衣は軽く肩を回しながら刀を抜く。刀を握る手のひらには、じっとりと汗が滲んでいた。
影の瞳が、ぎらりと光る。
その瞬間、影が動いた。巨体に似つかわしくない鋭敏な動きで、地を蹴り、一気に間合いを詰める。
「っ!」
咄嗟に身を翻し、瑠衣は影の爪をかわした。次の瞬間、鋭利な爪が空を切り裂き、数ミリずれていれば瑠衣の首元を切り裂いていただろう。
「おいおい……ずいぶん気が短いじゃねぇか。もうちょっと余裕持った方がいいぜ?」
瑠衣は口元を歪めながら軽口を叩くが、内心では必死に呼吸を整えていた。
(……くっ、速すぎる)
影は見た目に反して、異常なほど機敏だった。
一撃の速度も重量も、まるで鋼鉄の塊が弾丸のように飛んでくるかのような破壊力を秘めている。
(そりゃ人類が滅ぼされかけるわけだ)
こんな化け物、一般人には手が負えないだろう。熊やライオンなどの動物とは訳が違いすぎる。
(共鳴さえしてくれればこんな奴一撃なんだが…)
共鳴を試みても、武装刀はまるで拒否するかの如く全く反応を示さない。 瑠衣は若干の苛立ちと焦りを感じつつ、必死に影の動きを観察する。
観察して分かったことは、影は単純な突進だけでなく、鋭い爪を利用した三段攻撃を繰り出してくるようだ。
① 高速突進で距離を詰める
② 振り下ろし攻撃で相手の逃げ場を封じる
③ 横薙ぎの爪撃で逃げた相手を仕留める
すでに何度も繰り返している動きだが、それが驚異的な速度で展開されるため、瑠衣にとってはまるで“即死コンボ”のような攻撃だった。
(こいつ……隙を見せる気がねぇのか?)
影は執拗に間合いを詰め、連撃を浴びせる。
瑠衣は間一髪で刀を使い、攻撃を弾きながら後退するが、影の猛攻は止まらない。
「おいおい……俺、追いかけっこは苦手なんだけど?」
軽口を叩くが、影は容赦なく突進を続ける。
背後には壁――逃げ道はない。
(……マズい)
影が跳躍し、上から鋭い爪を振り下ろしてくる。
その巨大な腕が、まるで断罪の刃のように迫り――
「ちっ!」
瑠衣は地面を蹴り、ギリギリで横に転がった。
爪が床をえぐり、瓦礫が四方に飛び散る。
瓦礫が舞う中、瑠衣は歯を食いしばりながら立ち上がった。
(――ヤバいな)
負傷こそないものの、影の攻撃を防ぐだけで体力を奪われているのが分かった。
「はぁ……はぁ……」
何食わぬ顔をしようとしても、呼吸は誤魔化せない。息が上がっていた。
一方、影はなおも威圧的に立ちはだかっていた。
「まったく……しつこいなぁ、お前」
そう呟きながらも、脳内では必死に勝機を探していた。
(……何か、突破口はないか?)
影の動きをもう一度、細かく分析する。
すると――
(……ある)
影の攻撃は確かに強力だが、突進が空振りした直後、一瞬だけ体勢が崩れる。
ほんの一瞬、動きが止まる。
そこを狙えば――いや、もうそこしかない!
(……勝てる!)
影が再び突進してくる。
瑠衣は逃げるように見せかけ、一歩踏み込み、影の横へと身を滑らせた。
影の爪が空を切る。
その瞬間――
「ここだっ!!」
瑠衣の剣が閃く。
刃は狙い澄まされ、影の心臓の核へと深々と突き刺さった。
「よし……このまま!!」
手応えと同時に、影の巨体がけいれんし、黒い霧が吹き出す。
しかし、核を完全に砕くにはまだ足りない。
影が苦しげに呻きながら、最後の反撃に出る――
「終わりだ、くたばりやがれ!」
瑠衣は全身の力を込めて刀を頭部に深く押し込んだ。
核が砕ける音が響く。
影の巨体が霧と化し、ゆっくりと崩れ落ちた。
静寂が訪れる。
「……ふぅ」
深く息を吐き、瑠衣は刀を収めた。
先ほどまで感じていた全身の緊張が、どっと押し寄せてくる。
体力は限界ギリギリだった。
「余裕そうにやってたけど……内心、めちゃくちゃキツかったぜ……」
そう心の中でぼやきながら、周囲を見渡す。
訓練生たちは茫然とした表情でこちらを見ていた。
「……ふぅ」
刀を収め、深く息を吐く瑠衣。周囲の視線が彼に向けられる中、莉緒が無表情のまま近づいてきた。
「どうだい氷室さん。俺の鮮やかな剣さばきは」
汗を拭いながら瑠衣が言うと、莉緒はおもむろに掛けられていた時計を見る。
「5分……かかったわね。遅すぎる」
「測っていたのかよ。趣味わりぃな!」
「実戦では影は1体とは限らない。大量に出てくる可能性だってあるのに、5分もかかっていたら、すぐ殺されるわよ。それにこの影は影の中で最も弱いタイプ。武装タイプや精鋭タイプが出てきたら、一振りで殺されているわね」
冷たく言い放つ莉緒に、瑠衣は片眉を上げた。
「いやいや、トップ合格者様には勝てませんよ。俺なんか補欠合格なんで、これくらいで勘弁してください」
皮肉を込めた口調に、莉緒は眉をひそめた。
「……まぁ、そうね。でもこれで貴方の実力が知れたわ。補欠の割にはやるようだけれど、こんなんじゃすぐ死ぬわね。今のうちに遺書でも書いておいたら?」
「手厳しいな、相棒なんだから労いの言葉の1つや2つかけてくれたっていいだろ?」
「ふん」
笑みを浮かべる瑠衣を無視し、莉緒はその場を離れていった。
こうして瑠衣達合格者は一般剣士級から下位剣士級へと昇格したのだった。