影の出現と滅亡
西暦2200年、人類は突如として現れた「影」と呼ばれる漆黒の怪物によって滅亡の危機に陥った。影は異形の姿を持ち、まるで知能を備えたかのように都市を次々と壊滅させていった。銃弾も爆弾もほとんど通用せず、その身体はあらゆる兵器を無効化するかのようだった。初めは「未知の生物」や「天災」として扱われていた影だが、その破壊力が理解された頃には、世界はすでに地獄絵図と化していた。
人々の生活は一瞬にして崩壊した。都市機能は麻痺し、経済やインフラも軒並み停止。避難する場所を失った人々は、家族や友人を次々と影に奪われ、希望を失っていった。影が広がる地域では黒い霧が発生し、それに触れた土地や建物が急速に腐食することも明らかになった。この現象により、影が通った後には何も残らず、まるで「世界そのものが消されていく」ようだと報じられた。
各国政府は軍を動員し、あらゆる兵器を駆使して影に立ち向かったが、全く歯が立たなかった。核兵器すら影には有効だとなり得ず、無意味な破壊と環境汚染を招くだけだった。科学者たちは影の謎を解明するために懸命に調査を続けたが、成果が出る前に多くの人命が失われた。そのような状況の中、一部の研究者が「影の出現は地球環境を破壊してきた人類に対する“地球の意思”ではないか」という仮説を唱えた。この考えは、地球そのものが人類を排除しようとしているのではないかという恐怖を呼び起こし、さらなる絶望感を広めた。
それでも人類は抗うことをやめなかった。数千人もの犠牲を払いようやく1体の影を倒すことに成功。そして残骸を調査した研究者たちは、影を倒す手がかりを探る中で、その「核」となる存在を発見する。それは影の頭部と心臓に埋め込まれていた漆黒の鉱石――”黒影石”だった。黒影石は影の動力源であり、この核を破壊すれば影は消滅することが分かった。しかし、黒影石は異常なほど頑強で、既存の武器ではほとんど傷をつけることすらできなかった。
そんな中、ウェルトス帝国(旧ソ連)のある科学者が、黒影石を人体に取り込む技術を開発する。それが”素紋技術”だった。この技術は黒影石を体内に埋め込み、そのエネルギーを人体と融合させることで、人智を超える力を持つ“新人類”を生み出すものだった。新人類は圧倒的な力で影を討伐し、ウェルトス帝国は一躍「影討伐の先進国」として世界に名を馳せる。
しかし、黒影石は影を倒さなければ手に入れることができず、新人類の数を増やすには限界があった。ウェルトス帝国はこの希少資源と技術をビジネスチャンスと捉え、他国に高額な価格で提供する法案を可決する。価格は各国の国家予算の100年分という途方もない額であり、支払えなければ領土を差し出すという過酷な条件が課された。
各国から非難が殺到したものの、影の脅威に抗うためにはこの条件を受け入れるしかなく、多くの国が莫大な借金を背負うことになった。ウェルトス帝国はこの圧倒的な優位性を利用して世界を支配していったが、その均衡は突如出現した”影の皇帝”によって崩壊する。
影の皇帝は既存の影とは比較にならない力を持ち、黒影石のエネルギーを吸収することで自己を強化する能力を備えていた。その力はウェルトス帝国の新人類すらも圧倒し、影の皇帝は瞬く間にウェルトス帝国全土を浸食。国そのものを飲み込み、自らの勢力とした。更に影の皇帝は周辺諸国への侵攻を始め、あらゆる国が影に飲み込まれていった。
やがて、影の皇帝の牙は大和皇国(旧日本)にまで向けられた。大和皇国は、影の侵攻を防ぐべく、新人類で構成された治安特殊精鋭部隊を中心に迎撃態勢を整えた。その最前線に立ったのは、部隊最高戦力である月神玄水。後に伝説の存在として何世代に渡り語り継がれることになる人物である。
月神玄水は影の皇帝との死闘の末、封印することに成功。その後彼は生涯をかけて国全体を覆う巨大な障壁である結界を張り巡らせた。これにより、影の侵入を大幅に防ぐことができたのである。
結界によって大和皇国は一時的に平和を取り戻したものの、影の脅威が完全に消えたわけではない。結界の外は依然として影によって浸食されており、外に出ることは死を意味する。さらに、皇国内の限られた土地と資源でやりくりしなければならず、食糧不足や社会の過密化といった新たな問題が浮上していた。影そのものを根絶しなければ、いずれ結界内の生活も限界を迎える。
大和皇国の命運は、影を絶滅させられるか、それにかかっていたがその事を知る者は少ない――。
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受付係に指定されたベンチに腰掛けた瑠衣は、周囲の入隊候補者たちを見渡した。
(あいつは……なんか真面目そうなだけに動きが硬そうだな。おいおい、あっちのデカいやつは腕力任せに振り回すだけか? 当たれば一撃だろうが…隙だらけだろ)
瑠衣は一人ひとりを勝手に品定めしながら、内心で軽く鼻を鳴らした。目の前の光景に特別な感情を抱くこともなく、ただのんびりとした態度でその場に馴染んでいるように見えた。
(しかし……こうして見ると、入隊希望者って結構いるんだな。みんな影と戦いたいって? すげぇな、おい)
ざっとみても100人以上はいる。そして誰もが、期待と自信に満ち溢れていた
無理もない。彼らは人類の中でも素紋適格試験に受かった特別な人間なのだ。調子に乗るのも必然といえよう。
全ての人間が新人類になれることはない。新人類になれるのは素紋適格試験を通った選ばれし人間だけだ。試験では遺伝的適正、精神的適応力、肉体的条件3つの審査があり全て合格しなければ受けることができない。
この試験を通過し、素紋と呼ばれる、黒影石を体内に取り込むための特殊な紋様を手に刻む手術を受けることで新人類となれるのだ。
瑠衣自身は、どういうわけか最初から紋様が刻まれていた。きっと記憶を失う前に受けていたのだろう。
やがて、鋼鉄の扉が重々しく開かれる音が響いた。
「静かにしろ! これより試験内容を伝える」
候補者たちの視線が一斉にその人物に集中する。
中から現れたのは、身の丈以上の大剣を背負った筋骨隆々の大男だった。彼は険しい表情で言葉を続けた。
「試験内容は至ってシンプルだ。俺と模擬戦を行うだけだ。それで、お前たちの力量を測る。名前を呼ばれた者は、この扉の向こうへ進め」
それだけを告げると、男は再び扉の奥へと姿を消した。
「え、今からあんなゴリラと戦うのか?」
「あれって、確か長宗我部さんだよな…? 超越剣士級の」
「俺達殺されない……よな?」
候補者たちは緊張した面持ちで、自分の名前が呼ばれるのを待つ。
候補者たちの先程まで自身に溢れていた顔はどこへやら、試験官の威圧感に気圧されていた。
「おいおいゴリラって……ただの悪口じゃねぇか。とはいえ、こりゃ気を引き締めないとまじで殺されるかもな」
瑠衣はつい小声で呟き、自分を落ち着かせるように腕を組んだ。
程なくして試験が始まると、中から凄まじい衝撃音と悲鳴が次々に聞こえ、会場内が地響きで揺れた。その様相に、候補者たちの顔がどんどん青ざめていく。
一瞬で勝敗が着き、結果が出されるのだろう。凄まじい速度で候補者たちが裁かれていく。
この様子だと恐らく、大半の人達は不合格だ。
「今年は光る者がいませんね」
「ああ。楽しみにしていたが、正直がっかりだな」
「冷国さんのような天才はそう何度も現れないか……」
近くで上官達がひそひそと話しているのが聞こえた。
「……」
そしてしばらくして――ついに、その瞬間が訪れる。
「義影瑠衣! 前に出ろ!」
鋭く響く声に、瑠衣は肩を軽く回して立ち上がった。
「さーて、いっちょやりますか」
まるでこれから散歩にでも行くような軽い調子で呟くと、扉の向こうへと