門を叩く者
大和皇国の首都、天之都――かつて東京と呼ばれていたこの地は、結界によって影の侵入を最も防いでいる場所だ。結界が守る限られた地域では、貴族や富裕層が中心となって新たな社会が築かれ、皇国の中枢がここに集約されている。結界の力が弱まる地方都市と違い、影の侵入が最も少ないことから人口は急増し、街にはかつての繁栄を取り戻したかのような活気があった。
だが、それは表向きの話だ。影の恐怖が完全に消えたわけではない。結界の外は未だ漆黒の災厄に覆われており、そこからの侵入を防ぐために命を懸けて戦う者たちがいた。彼らこそが皇国が誇る最強の部隊――"治安特殊精鋭部隊"だ。
そしてその本部に続く巨大な鋼鉄の門の前に、一人の若者が立っていた。
「……義父――。あんたの言う通り、来てやったぞ。本当にこれでいいんだよな?」
黒髪の青年、義影瑠衣は手にした古びた紙を見つめながら、ぼそりと呟いた。その紙は、育ての親であり、剣の師でもある鬼坐左慈朗が遺した推薦状だった。
瑠衣には以前の記憶がない。最初に記憶を持ったのは、深い森の中で目を覚ました時だ。名前も、生い立ちも、過去の全てを失った状態だった。森を彷徨い歩き、影に襲われ殺されそうになっていたところを救い、手を差し伸べたのが左慈朗だった。剣士としての腕はもちろん、人としての生き方すら教え込んでくれた恩人だ。最期は病で無くなったが、その生き様は瑠衣に多大な影響を与えた。
左慈朗の厳しい訓練を受け、瑠衣は剣士としての技を磨いたが、彼には一つだけ気になることがあった。それは左慈朗が繰り返し口にした言葉だ。
『黒の力は使うな――。例えそれがどんな状況であってもだ』
瑠衣の体には、黒の力と呼ばれる特殊な力が宿っている。どうやって発動させるのかは不明だが、以前その力を一度だけ発現させた際には、左慈朗は信じられないものでも見たかのような反応をしたのを覚えている。まるで何かを知っているようだった。
そして、この力は災いを呼ぶから二度と使うなと忠告したのである。
瑠衣自身も発動条件がわからないものをむやみに使う気は毛頭ない。そして、そんな力に頼らないため、今日この時まで彼は剣の腕をひたすら磨いてきた。
(こんな力使わずとも、俺はやれる。左慈朗さんが教えてくれたことを全部ぶつけてな。それに、俺にはこれがある)
瑠衣は腰に差した刀を見ながらぽつりと言った。
禍々しい髑髏で着飾られたこの刀は、左慈朗の冥途の土産だ。
武装刀――。
影に対抗するため、皇国第一研究所が開発した、特殊な刀。
熟練の刀鍛冶によって鍛え上げられたこの刀は、影の核となる黒影石を特殊加工し、更に様々な金属と混ぜ合わせることで凄まじい硬度になっており、鋼鉄を容易く切り裂き、滅多に刃こぼれをすることもない。
重火器がほとんど無効の影にも有効打を与えることができ、影の頭と心臓にある超高密度高硬度の核を破壊し絶命させることのできる唯一の武器だ。
第5級から1級までの等級があり、等級が低くなるほどより強力な力を使えるようになるが、取り扱いも難しくなる。そしてそれを新人類が握ることで体内に埋め込まれた黒影石と武装刀に埋め込まれた黒影石が共鳴し、様々な力を使えるようになるのだ。
瑠衣が持つ武装刀――夜叉髑髏はかつて左慈朗が現役時代に使っていた武装刀で、その等級は不明らしいが、左慈朗曰くまだ世に認知されていない特殊な刀だという。左慈朗はこの刀と共鳴し、影を蹴散らしてきた。
しかし瑠衣は未だに一度もこの刀と共鳴できたことはない。つまり、現状は宝の持ち腐れ状態である。
「ここでもっと鍛えて、必ずこいつと共鳴して見せる」
瑠衣は手の中の推薦状を強く握りしめると、意を決して門脇の石造りの受付へ歩み寄った。そこには、冷たい目つきの受付係の女性が待っていた。
「ここは治安特殊精鋭部隊本部よ。何の用件かしら?」
受付に立つ女性は冷たい視線を投げかけた。瑠衣は古びた推薦状を取り出し、無造作にカウンターに置いた。
「用件って……わざわざこんなとこまで来て何すると思う? 観光か? いや、入隊試験受けに来たに決まってんだろ」
軽く口角を上げて挑発的に言う瑠衣に、受付の女性は小さくため息をついた。
「入隊試験を受けるのね。その前に、素紋適格試験はもう受けたのかしら?」
「勿論だ」
瑠衣は、手の甲に刻まれた紋章を見せた。それは紛れもなく、瑠衣が新人類である事を証明するものだ。
「なるほど。で、これは何かしら。随分と古い紙のようだけれど」
「推薦状だよ。ほら」
瑠衣は紙を押しやるように差し出した。
女性は無言でそれを受け取り、ちらりと中を確認する。読み進めるにつれ、彼女の表情が微妙に変わる。
「……鬼坐左慈朗。名前は確かに有名ね。でも、あなたみたいな若造が彼の弟子だなんて、正直信じられないわ」
「まあ、見た目で判断するのはありがちな失敗だよな。けど残念、こいつは正真正銘だ」
瑠衣は指先で軽くカウンターを叩きながら、悪びれずに返す。
「そうかもしれないけど……覚えておきなさい。この名前は敬意だけじゃなく、忌み嫌われてる部分もあるの」
「ほう、なんだそりゃ? 具体的にどう嫌われてるんだ?」
「それは自分の目で確かめる事ね」
女性は目を細めてきっぱりと言い切る。
「はぁ?」
「特に五十嵐桃のような人間には気をつけることね」
「桃? ……果物の名前か? ってことは、次は梨とか林檎ってのもいるのか?」
女性ははぁ、とため息をつくと表情を崩さず説明を続けた。
「彼の元弟子よ。そして今では伝説剣士級にまで上り詰めた。けれど、彼女にとって左慈朗は憎むべき存在なの。もしあなたが弟子だと分かれば、間違いなく目をつけられるわよ」
左慈朗に弟子がいるなど聞いたことがない。瑠衣は内心驚きつつもこう言った。
「へぇ、そいつは怖いな。だって俺、果物アレルギーだからさ」
瑠衣は鼻で笑いながら、軽く肩をすくめてみせた。
「……真面目に聞きなさい。目をつけられたらあなたが想像してる以上に厄介なことになるのよ」
「わかったわかった。ま、目をつけられたらそん時考えるさ」
瑠衣は軽く手を振り、気にした様子もなく言った。
受付の女性はまたもため息をつくと、手続きを終えて書類を瑠衣に返した。
「手続きはこれで完了。次の指示があるまで、待ちなさい」
「了解。で、ここで待てばいいのか? それともお姉さんがお茶でも入れてくれる?」
瑠衣の冗談に、女性は睨みをきかせながら無言で指を入り口近くのベンチに向けた。
「はいはい、行きゃいいんだろ」
瑠衣は軽口を叩きつつも、ベンチに向かって歩き出した。
背後では受付係が「何なのよ、あの生意気なガキ……」と呟く声が聞こえたが、瑠衣は気に留める様子もなかった。