1 預言
八年後…―――
この地球は、滅亡するほどの大惨事を伴う、何か、に、襲われるらしい。
残念ながら僕は、その前に死んでしまう。
三十歳になる少し手前、十四歳年下の親友の超能力者にそう言われた。
僕の記憶に間違いがなければ、目の前で聞いた彼の予言、十五回中すべて、外れたことはない。
だから僕は、きっと死ぬのだろう……。
34歳の9月14日、18時48分に
何者かの手によって。
蛍光灯の冷たい光の下、誰もいない小さな研究室で膨大な資料とコンピューターに埋もれ、大好きな地球科学・生態学・環境学etc……、の研究に没頭し続ける。
第二の地球を創るために。
五年前に手に入れた、僕の楽園。死を予言されたあの日から、自分の遺伝子と引き換えに手に入れた居場所。
けれど、もう少しですべてが終わってしまう。
カレンダーの日付は、九月十二日、今日を入れてあと三日で、予言の期日が来る。
「そうか、あと少しで完成か……」
僕の指先で、コンピューターの画面に映し出される、さまざまなデーターとプログラムを、長い時間かけて確認していた月館所長は、嬉しそうに僕の肩に手を置いて言った。
「はい、あと数日で完成します、後はシュミュレーションパターンの誤差を修正、更新していけば、NOAで実際に使用が可能になるでしょう」
「……うん、最後までしっかりやってくれ」
「はい」
僕の楽園の外であるプロジオ研究所のボスは、満足そうに頷いて研究室から出て行った。
定期報告とはいえ、二人きりだとやはり緊張する。穏やかそうで優しげな容姿の裏から見え隠れする強い威厳に、圧倒されるからだろうか? それとも、もう一つの理由だろうか?
本当は、このプログラムは、すでに完成している……。
報告しなかった理由は、少しでも死期を延ばそうとする、無駄な悪あがきに過ぎない。
僕は、長いため息をつき、椅子の上で体を大きく伸ばした。
資料の山の隙間から覗く窓の外は、雲ひとつない吸い込まれそうな濃い空色。静物画のように動きのない青は、空っぽに見えて少し寂しく感じた。
長いようで、あっと言う間の五年間だったな……。
「NOAの環境システムプログラム、最終調整はつきそう?」
背後に気配を感じたなと思った瞬間、親友のやさしく落ち着いた声が室内に響いた。
振り返ると、予想外に見上げる長身に、色素の異様に薄いくせ毛を白いくたびれたリボンでまとめた青年が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。髪と同じ色の瞳が、真っ直ぐに僕を見下ろしている。
「……あぁ、イズルか」
分かっていても、自分の心臓の鼓動が一時早くなる。
「定期報告お疲れ様、調子はどう?」
僕は、胸に手を当てて、鼓動がゆっくりと戻っていくのを確認しながら口を開く。
「ほぼ完成と言っていいだろう、基本プログラムと、一億七三七四万一千通りもの特殊事態に対応できるシュミュレーションパターンを、SDAPと青の丘のメインコンピューターに送信しておいたよ」
「これで百年以上はもつ、箱舟も夢じゃないかな?」
「あぁ、バイオスフィアも目じゃないくらいにね、バックアップはヒデロウに渡しておく、細かな調整はあいつで大丈夫だろう」
「SDAPを空に浮かせた後、実際に何年かシュミュレーションしてみるよ」
親友の嬉しそうに笑う顔が、白い花のように美しくて、一瞬見とれそうになる。母親譲りの儚げな容姿と、青年らしいしなやかな身体つきが、物語に出てくる大天使のようで……。
とてもプロジオ研究所を支えている学者で、一、二を争うようには見えない。
まして、八年後に迫る未来に抗おうとして立ち上げた、第二の地球を造る極秘の『プロジェクトNOA』最高責任者だとは、夢にも思われないだろう。
「それより、いい加減その現れ方、やめた方がいいぞ、イズル、わかっていても心臓に悪いから」
めったに見ることの出来ない、彼の特殊能力のひとつは、いつも僕を驚かせる。
イズルは、生物遺伝子学の学者でありながら、プロジオ研究所の超能力者としての、一サンプルでもある。瞬間移動、予知能力、サイコキネシス、サイコメトリー、テレパシー、まだ全てを見たことはないが、複数の潜在的能力を、彼は持っているらしい……。
「……うん、でも、こうでもしなきゃ所内では、英朗に会うのが面倒だから、今」
イズルは、寂しそうな顔で肩をすくめたあと、近くにあった椅子の上に詰まれた資料をどけて、僕の近くに寄せて座った。
もうそんな所まで、手は回ってきているのか……。
僕もイズルも言わないけれど、明後日、僕を殺す誰かは、もう予想がついている。ただ、あまりにも近い人間過ぎて、二人とも口に出来ないだけだ。
その人物に僕が殺されるとわかっていても、止められない、逃げられない何かが、未来にはあるのだろうか? 聞きたい気持ちと聞きたくないと言う思いが、自分の中で錯綜する。
こんな僕の心の声が彼に届いていると思うと、なにも言ってくれない彼を攻めてしまいたくなる衝動に駆られる時もある。
八年後に迫る未来、去る側と、残る側。
辛いのは、僕だけじゃない……。
奇妙な空気が室内に流れて、居心地が悪くなってくる。
「……あと二日で死ぬなんて、まだ実感がわかなくて困っているよ、やり残したことがたくさんありそうで、何をすればいいのか思いつかない」
気の利いた言葉を選ぼうとしたが、その前に自分の中の不安が、口からこぼれ出てしまった。やはり、心に余裕がなくなってきているのだろうか?
「したいことをすればいいよ、英朗が一番会いたい人に会って、気持ちが落ち着く場所に行くとか……」
琥珀色の瞳がまっすぐにこっちを見つめていた。僕は目を閉じて、思い浮かべてみる。
一番会いたい人と、自分が落ち着く場所を……。
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『井原英朗さん、あなたは5年後暗殺されます、34歳の9月14日、18時48分に、何者かの手によって……』
5年前…―――
初対面でそう言った彼を、自分でも驚くほど信用してしまった。
まだ十五歳の、あどけなさの残る口元から出た言葉との違和感。
死に神が、こんなに綺麗な顔をしていたら、天使と間違えて大変だろうなと、馬鹿みたいな心配をした覚えがある。
直後、視界に黒いシャッターが下りて、立っていられなくなった。
目の前が真っ暗になるとはこのことだったのか、と気が付いた医務室のベッドの上で、一人感心した。
「自分がこんなにナイーヴだったとは、知らなかったよ……」
「俺は、死期を告げられて、こんなに穏やかな人を初めて見た」
ベッドサイドに、ちょこんと座った少年は、絵画の天使のような笑顔で僕の顔を覗き込んだ。
「……もう変えられない、未来なのかな?」
残酷な天使は、躊躇せず首を縦に振った。
「……そうか、泣いてくれる彼女もいないまま、消えていくのは寂しい人生だなぁ」
彼女がいたのは何年前のことだったか?
男としては虚しい記憶をさかのぼってみるが、あまりに遠い履歴が出てきて、さらに落ち込んだ。
「大丈夫だよ、……あと一年経たないうちに、英朗さん、大切な人と出会うことになるよ」
目を閉じたまま、何かを探すように、イズルはゆっくりと言った。
「どこで? どんな子が?」
「う、ん……? 勝気そうで、笑うとかわいい、ちょっと釣り目の、……ミディアムヘアの、華奢な女の子、たぶん、女子高生」
女子高生!? 嘘だ? どうやって?
という言葉を、僕はかろうじて飲み込んだが、つい身を乗り出してしまった。
「大学のオープンキャンパスで、生態学の講義をした後、その子になつかれるみたいだよ……」
心を読んだかのように、少年は欲しい答えをさらりと口にした。柔らかい笑顔との違和感に、少しだけ背筋が寒くなる。
でも、出来るだけ、普通になるよう僕は指きりの形の手を、イズルの目の前に差し出した。
「じゃあ、その子が彼女になった時は、一番に紹介するよ、親友として……」
僕の指先を不思議そうに見つめ、目を見開く少年の瞳の色が驚くほど綺麗だったのを、今も覚えている。
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本当に、一年経たないうちに、僕は大学で生態学の講義をし、イズルの言った通りの女子高生と出会い付き合うようになった。目の前が暗くなるほど、彼の予言はぴったりと当たっていく……。
僕は目を開く、目の前にいる親友の、柔らかく残酷な笑顔を見上げて笑った。
「明日、一香に会ってくる、ヒデロウの面倒を頼む」
「マンションで待っているよ、もちろん泊まってきても大丈夫」
何でもわかっています、というニヤケ顔で、イズルは言った。見透かされて、僕は、顔が急激に熱くなるのを感じた。
「……もちろん、そのつもりだ!」