7家出の理由
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最後までお付き合いいただけるよう頑張ります。
ユーリさんは部屋に入ると西洋の行燈に明かりをつける。 相変わらず、どういう仕掛けでこんなことになっているのかはサッパリ分からない。
ユーリさんの部屋はそれほど広いわけでもなく、一人で過ごすには十分だが三人くらい集まると少し手狭に感じるほどの広さだ。
少し驚いたのは西洋は布団を出しっぱなしにしているらしいこと。布団も背もたれの無い長椅子のような物と一体になっていて、俺の知っている布団とは少し形が異なる。 部屋には物が少なく、生活に必要な物が最低限揃っているような感じだ。
いや、一つあった。 布団の上に鎮座している、フワフワで愛らしいクマの人形。
「あ……」
俺の視線に気づいたユーリさんは少し恥ずかしそうにする。
生まれたばかりの赤子ほどの大きさのその人形をユーリさんが抱きかかえ、俺に見せてくる。
『やあ。僕はユーリちゃんの古くからの親友、クマさんのクマモトだよ。よろしくね、シン』
クマモト君(CVユーリさん)が丸い手をこちらに差し出してくる。
「ふふっ。よろしく」
俺がクマモト君との握手に応じると、ユーリさんが嬉しそうに微笑む。
「良かったね、クマモト。新しい友達ができて」
『うん。初めて男の子の友達ができて嬉しいよ』
クマモト君は諸手を上げ、ピョンピョン跳ねて喜びを表現する。
「可愛いですね」
「でしょう?クマモトの良さが分かるとは、さすがシン」
「クマモト君もですけど……クマモト君と仲良くしてるユーリさんも可愛いです」
「ぬぇ!?か、からかわないでよ!わたし……別に可愛くない。シンのくせに生意気だぞ?」
「す、すみません……」
年上の女性に少し失礼だったかもしれないが……だが、
「あー!笑ってる!やっぱり心の中でバカにしてるんだな?」
「いえ、そんなつもりは!俺は純粋に……ふふっ」
「むぅ!いいもん。どうせわたしはぬいぐるみが好きな子どもだもん」
クマモト君がモフモフの手でパシパシと俺を叩いてくる。 全然痛くない。というか、くすぐったい。 と、じゃれ合ってる場合じゃない。
「ユーリさん。明日はお仕事なのでしょう?そろそろ話を始めませんか?」
「と、そうだね。じゃあ早速だけど色々と質問をしていこうかな。ベッド、座って」
ユーリさんが布団……ベッドに腰を下ろし、隣をポンポンと叩いて座るよう促してくる。
では、失礼して。 改めてユーリさんとの距離が近づき、ユーリさんの綺麗な顔が大きく目に映る。 ……ドギマギしてる時じゃない。気を確かに持て。
「じゃあ、シン。君はどこからここへとやって来たの?」
「日の本です。日の本でも西の外れにある小さな島です」
「日の本……サムライの国だ。かなり遠いね」
「……侍を知っているのですか?」
「ちょっとだけね。アメリカを破ったのはサムライの存在があってこそと言われてるくらいだもん」
……そうなのか。侍は外の世界の知る所となっているのか。
「じゃあ、二つ目の質問。この国にやって来た理由を教えて」
……まあ、当然の質問だ。少し苦い話になるが、話さないわけにはいかない。
「……家出……です」
「え?家出?」
「……少し話が長くなりますが……大丈夫ですか?」
「もちろん」
「俺の家は先祖から伝わる剣術を代々受け継いできました。剣士の家系なんです」
質問の答えから逸れた話であるにも関わらず、ユーリさんは素直に相槌を打って聞いてくれる。 「俺も物心がついた時には剣の修行に明け暮れていて……それが俺には楽しくて、父上の教えを誇りにしていました。剣を振るうことこそが、俺にとっての全て。剣術は俺の人生そのものでした」
だが……
「ですが……俺には剣の才能が無かった。俺には弟がいるのですが……弟はいつも俺の遥か先を行っていた」
「そう……」
「悔しかった。毎日が悔しかった。やつの振るう一太刀を見るたびに悔しかった。それでも、俺はいつかやつを超えてやると……そう心に誓って修行に明け暮れた」
やつの行う鍛錬の十倍の数をこなすことが俺の日課だった。 血反吐を吐くような毎日だったが、やつに味わわされる悔しさを思えば、耐えることは容易だった。
「一月前くらいでしょうか。俺と弟との間に真剣勝負の機会が与えられました。名目は、我が家の次期当主を決めるための決闘」
それこそ、俺の島を出た理由の核心だった。
「何年もの厳しい修行を経て、俺は確かに強くなりました。それでも弟には届かなかったかもしれませんが、しかし俺の方がわずかに勝る点が生まれ始めた。修行の成果が実を結び始めた。そう感じていました。これならば『勝負』にはなると……希望が見えていたのです」
その時の気持ちを思い出すと……筆舌にしがたい吐き気がする。
「そうして迎えた真剣勝負の時。それがいかに愚かで滑稽であるかを思い知りました。俺のこれまでの必死は……弟の足元にも及ばなかった」
「で、でも、勝る部分ができたって……」
「手を抜いていたんです。弟は。弟はいつだって本気で剣を振るおうとはしなかった。滑稽でしょう?俺はこれまで、手を抜いていた弟の剣に戦慄を覚え、手を抜いていた弟の剣を目標に修行に励んでいたんです。こんな滑稽な話がありますか?」
「……!」
「真剣勝負の時、俺は初めて弟の本当の力を見ました。そして、いかに自分が……自分の人生がいかに矮小であるかを思い知らされました。絶望です」
もう笑うしかない。笑うしかないのに……
「そして、父上の言葉がトドメになりました。『おまえに剣を教えたのは間違いだったかもしれない』……それは、俺のこれまでの人生が間違っていたことと同義。俺の信じてきた……誇りに思っていた父上の教えが間違いであったことと同義。俺は行き場の無い絶望と怒りと怨みに呑まれ……あろうことに父上に手を上げてしまいました」
「……!」
「大好きだった父上を殴り、尊敬していた父上を蹴り飛ばし、血だるまになるまで痛めつけてしまいました」
俺の……許されざる罪。決して晴れることのない、大きな罪。
「己のしでかしたことに気づいた時には手遅れでした。俺はこの手で自分の大事な居場所をも壊してしまったのです」
だから、島には残れなかった。島にはいられなかった。
「俺は家族へ手紙を残し、船で逃げるように島を出ました。行くアテなんてありません。ただ、島から遠くへ。できるだけ遠くへ。そうして何日も海の上を漂流して……やがて船が転覆して、体力の尽きた俺は海に流されるままに流されて、この国の人に拾い上げられた。ここへ来た経緯はこのような感じです」
長くなった話をユーリさんは真剣に聞いてくれた。
「そう……辛いことを思い出させたね」
「……いえ」
「だけど、向き合うのをやめちゃいけないことだ」
「……はい」
「だったら、このままにしておいちゃダメだ。今は状況的に難しいかもしれないけど、いつかはちゃんとお父さんに謝らないとね」
「はい……しかし、どの面を下げて会えば……」
「恐い?」
「それは……」
……そうか。俺は恐いのか。
「大丈夫。おねーさんも一緒ににシンのお父さんに謝ってあげるから」
「いや、さすがにそこまでは。それに、これは俺がいずれ自分で決着をつけなくちゃいけないことですから」
「そっか……それにしても不思議だね」
「不思議……?」
「わたしは今日初めてシンと出会ったばかりなのに……どうしてか他人に思えないというか……なんか昔から一緒にいた弟みたい」
「それは……光栄です」
俺の話せることといったらこれくらいだろうか。
「さて、シンの話がは分かりました。今度はわたしが話をする番ね」
「……はい」
「まずは、わたしの正体から話しておこうか」
「正体……?」
「わたしは大英帝国魔道学区騎士隊二番隊隊長ユーリ・ギルバート」
「……?なんですか?それ……」
隊長の所しか理解できなかった。
「つまり、この国の安全を守るための部隊があって、わたしはそこそこ偉い立場にあるのさ」
えっへんと胸を張り、冗談めかして威張るユーリさん。しかし、途端に表情を曇らせる。
「ここから悩ましい話になるんだけど……いい?」
「はい」
「三日前、わたしの部隊にとある命令が下りました。その内容は不法入国を犯した少年を捕らえること」
「!」
「まあ、わたしはそんな命令さらさら聞く気なんて無いけどね。ただ、他の隊士は違う。シンのこと血眼になって探している」
なるほど。ユーリさんとご家族の話が揉めるわけだ。 そして、ユーリさんの立場の危うさがはっきりと分かった。 ならば……
「今、わざと捕まりに行こうって考えたでしょ?」
「え……決してその様なことは……」
「釘刺しておくけど絶対にダメだからね?わたしの言うこと、聞いてくれるんだもんね?」
「……はい」
「つまり、わたしが言いたいのはシンの立場は今とても危険ってことなの。だから、人目に触れることはしばらくの間絶対に避けて欲しいの」
「……分かりました」
「わたしはこれからシンが堂々とこの国にいられるよう、色々と働きかけてみるつもり。それが果たせるまでシンには不自由な思いをさせると思うけど……我慢してくれるよね?」
「それはもちろん。ですが……ユーリさんの方が……」
「ふふっ、心配ご無用。わたしは結構偉い立場だからね。色々と融通が利くのさ。シンは大船に乗ったつもりでドーンと構えててよ」
「そういうことでしたら……ですが、くれぐれも無理はなさらないでください」
「うん。任せとけ」
そうやって強気に微笑んでみせるユーリさんに、俺の心臓がドクンと跳ねる。
「話、聞かせてくれてありがとうね。これからしばらくの間離れることになるけど……ちゃんと良い子にしてるんだよ」
「はい」
「それじゃ、おやすみ」
ユーリさんは最後に俺の頭をポンポンと撫で、部屋を後にしようとする。
「あの、どこへ行くんですか?」
「ちよっと野暮用。わたしは他の所で寝るから。シンはそのまま寝ちゃって」
「でも……ユーリさんの布団ですよね……?」
「一応、わたしがいつ帰ってきても良いようにってまめに洗ってくれてるから汚れは気にしなくていいと思うんだけど……」
そうじゃなくて……嫌じゃないのか? 自分の布団に他人を入れてやるのはかなり抵抗があると思うのだが……ユーリさんはそんな空気を尾首にも出さない。
「なら、甘えさせていただきます」
正直、眠気も限界だった。馬車の中でも眠ったが、それでもこうして心から落ち着くことができると……まずい。意識が朦朧としてきた……
「おやすみ。シン」
「ユーリさん……」
「何?」
眠ってしまう前に伝えなくては。
「あり……がとう……」
「……!うん」
やはり自分は間違っていない。そんな風に誇らしげに微笑むユーリさんを美しいと思いながら、俺は眠りについたのだった。
どうか続きも見てやってください。