8 昔の彼女
翌朝は、雨が降っていた。
散歩にいけず、うらめしそうにクロが、外を眺めていた。その横を傘を持ち、春香ちゃんは出かけていった。
「あれ?雨でも行くんですか?」
「雨でも彼は、サーフィンするみたいよ。ちょっと波があっていいんじゃないの?今日は風も強いしね」
「傘さして、見に行くんですか?」
「そう。健気でしょ~~」
驚いた。本当に春香ちゃんは、彼氏のことが好きなんだな。
「付き合ってどのくらいなんですか?」
「まだ、3ヶ月とか、そんなもんよ。あの子が想いをよせてて、よく朝通ってたみたい。クロを連れてね。それで、向こうが付き合おうかって言ってくれたようで」
「へ~~。なんか、青春してますね!」
「ねえ。ドラマか、漫画みたいよね」
そんな話をしながら、二人で開店の準備をしていた。
8時ころに、圭介さんが起きて来て、すぐそのあとに爽太君も起きだしてきた。
「瑞希~~。朝ごはん~~」
「ああ、はい。今準備するわね」
そう言うと、瑞希さんはさっさと二人の朝ごはんを作った。
圭介さんと爽太君は、二人してカウンターに座り、朝ごはんをもくもくと食べだした。
「うめ~~!」
と、嬉しそうに言ったのは、爽太君だった。
「あれ?お前調子戻った?」
圭介さんが、爽太君に聞いた。
「え?何が?」
「なんか、変だったじゃん。元気もなかったし、飯食ってもだんまりだったし」
「ああ。うん。もうすっきりしたよ」
「へえ…。そう」
圭介さんはそう言うと、ちょこっと爽太君の顔をのぞいてから、またご飯を食べだした。
「良かったわね、調子戻って」
と、瑞希さんも爽太君の顔を覗き込み、コーヒーをカウンターに置いた。
「いつも元気なだけが取りえの爽太が、元気ないと、こっちが調子狂っちゃうし」
「ええ?何それ。元気だけが取りえってひどくない?」
「あはは…。いいじゃない。それが何より1番でしょ?」
「う~~ん。そうだけどさ。なんか他にもあるでしょ?」
「そうね…。イケメン?」
瑞希さんがまた、爽太君の顔を覗き込み、そう言うと、
「げ。やめてよ。親に言われても嬉しくないし…」
と、爽太君は思い切り、嫌そうな顔をした。
「あら~~。悪かったわね。じゃ、くるみさんに言ってもらえたら喜んじゃうの?」
「え?」
いきなり、私の名前が出たので、テーブルセッティングをしながら、私はうろたえてしまった。
「……」
爽太君は、何も言わずにご飯を食べていたが、
「くるみさんに、そういうこと言われることもないし、そういうのないし…」
と小声で、つぶやくように言った。
「まあね。くるみさんにも好みがあるだろうしね」
と、圭介さんが隣で言うと、
「そういえば、くるみさんの好みの男性って聞いたことないわ」
と、また、瑞希さんが私にふってきた。
「え?私ですか?」
焦って、顔がひきつった。もくもくと食べていた爽太君は、食べるのをやめて、振り返りこっちを向いた。
「えっと…。好みって言っても、あまりないかな」
「まあ、そういうものよね。好きになった人が、好みの男性って感じよね」
瑞希さんはそう言うと、キッチンに入っていった。私も後に続いて、二人して下ごしらえを始めた。
圭介さんと爽太君は、食事を終え、リビングのほうへ入っていった。
「爽太、本当にすっきりした表情になってたわね」
瑞希さんが、二人がいなくなってから、そう言った。
「そうですね。元気出たみたいで良かったです」
「何かいいことがあったのかしら。例えば、好きな人に告白が出来たとか…。もしかして、両思いになれたとか…」
「…さあ?」
「昨日は事務所でどうだった?お弁当届けた時…」
「あ、途中から元気になってました」
「じゃ、もしかして…」
「…はい?」
「元気になれたのは、くるみさんのおかげ?」
「いいえ。違います。私のほうが逆に、話を聞いてもらって、いろいろと励まされて…。そうしたら、なんか、爽太君、自分の悩みなんてちっぽけだったって、元気になっちゃって…」
「へえ~~」
「だから、私は何もしてないんです」
「そう…」
「はい…」
しばらく黙って、二人でスコーンを焼いたり、ジャムを作ったりしていたが、どうしても気になることがあり、聞いてみた。
「もしかして、瑞希さんは爽太君の好きな人、誰だか気づいているんですか?」
「どうして?」
「なんだか、そんな気がして」
「ふふ…。当たり」
「え?やっぱり?でも、爽太君から聞いたわけではないんですよね?」
「うん。でも、まるわかりだから」
「五月ちゃん…、じゃないですよね」
「違うわよ。だって、プレゼントも受け取らなかったじゃない」
「はい…。返してきたって言ってました」
「好きじゃないのに付き合ってるって、見ててわかってたわよ」
「そうだったんですか?」
「そりゃ、そうよ。だって、いくら忙しくたって、好きな子だったら、少しでも会いたいな、声聞きたいな、せめて、メールしたいなって思わない?普通」
「はい。思います」
「でしょ?それに、好きな子なら、緊張はするかもしれないけど、でもね。デートだったら嬉しくて早くから起きて、準備したりとか、前の日からそわそわするとか…。それか、会えたら嬉しいからなるべく長めに一緒にいたいとか、そうなると思わない?」
「はい。そうなりますよね。特に付き合いはじめなら…」
「でしょ?それにね。好きな人っていうのは、無意識に目で追っちゃったりとか、気になっちゃったりするでしょ?」
「ああ、はい。します」
「それとかね、相手が何に興味があるのかとか、そういうのも知りたかったり…。なるべく一緒にいたいなって思うから、忙しくても時間とっちゃったり…」
「ああ、はい」
「好きな相手見ているときには、目が、こうなんていうの?ハート型になるっていうの?他の人を見るのとは、明らかに違ってたり…。相手の笑顔が見れただけで、嬉しかったり…」
「はい」
「相手が落ち込んでたり、悲しんでたら、すごく気になったり、心配したり…」
「はい」
「するでしょ?」
「はい、します」
「そういうのがね、爽太は、五月ちゃんにまったくなかったのよね」
「はあ…。ああ、そういえば、そうかな?」
「でね、私が見てたらある人には、そんな感じになっていたから…」
「え?」
「爽太の目が、ハートになってたり、いつも目で追ってたり、やけにその人といると嬉しそうだったり、長い時間一緒にいられるようにしていたり…」
「へえ…。そうなんですか?」
「うん。忙しくて疲れてても、きちんとその人の用事には付き合ってたり、っていうか、一緒にいられるのが、嬉しかったんでしょうね」
「……」
聞いていて、胸がちくちくしてきた。誰だかはわからない。私の知らない人かもしれない。でも、そういう人がいるんだな。
ちょっと、落ち込んで、私はうなだれてしまったが、あ、いけない…、瑞希さん勘がいいからばれちゃうって思って、必死で笑顔を作った。
それから、興味のあるふりをして、聞いてみた。
「私でも、爽太君見てたらわかりますか?その、爽太君が誰を好きか…」
「うん…。わかるんじゃない?」
「そうなんだ。私が見ても、わかっちゃうんですね。爽太君、そんなに顔に出ちゃうんですね」
「あら?わからなかった?例えば、五月ちゃんといて、爽太、嬉しそうに見えた?」
「えっと…。なんかいつも、顔がひきつってました」
「でしょ?」
「あ…。そうか。好きなら、もっと嬉しそうにしますね」
「そう。ご飯がうまいって言ってるあの、無邪気な顔みたいに…。顔に出るのよ」
「そうか…」
「落ち込んでるのも、一目瞭然だったでしょ?」
「あ、そういえば」
「ふふ…。ちょっと、注意深く見ていたら?誰を爽太が見てるかとか、嬉しそうかとか、一緒にいたがるか、わかるから。多分、圭介でさえ、気づいてる」
「え?」
「ああ、そうそう。そんなに一緒にいるわけじゃない、春香まで気づいてた」
「ええ?」
そうか。私が無頓着だったのか。あれ?でも、誰…?誰か、そんな女性、爽太君の周りにいたかな。
お客さんかな…?
11時になり、お店をあけたが、雨だったせいか、全然お客さんは来なかった。瑞希さんは、キッチンにいて、鼻歌を歌いながら、シンクの周りや、キッチンの道具を綺麗にしていた。
私は、いつお客さんが来てもいいように、ホールにいた。私の足元には、クロがちょこんと座っていた。
「クロも知ってるの?爽太君の好きな人」
「く~~ん」
クロが顔をかしげた。
窓の外を見ていると、雨の中、赤い傘をさした人が、一人こっちに向かっていた。
「あ、お客さんだ」
カラン…。ドアを開け、お客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「あ…。こんにちは。あの…」
「はい?」
「爽太さんは、今、いますか?」
赤い傘を傘たてに入れ、ハンカチでスカートを拭きながら、その人が聞いてきた。背が高く、すらっとしていて、黒いストレートの髪を、横で一つに束ねていた。
「爽太君は、事務所の方だと思います」
「事務所?」
「駅からすぐのところにある…」
「いらっしゃいませ」
キッチンから、瑞希さんが顔を出してきた。
「あ、こんにちは、ご無沙汰してます」
「え?」
「私、爽太君と同じ中学だった、桂木です」
「ああ!桂木さん?」
「はい」
その人は、嬉しそうに笑った。
「今、就職活動をしに、東京に来てて…。親戚の家に、泊まらせてもらっています。今日は面接も何もないから、しばらくぶりに爽太君に会えたらなって思って、江ノ島まで来たんです」
「そうだったの?爽太、今、仕事なの。待って、携帯に電話してみるわ。お昼抜けられそうなら、こっちに来てもらいましょう」
「すみません。平日だし、大学に行ってるかとも思ったんですけど…。もう、就職してたんですね」
「うん。うちのだんなの会社よ。すぐそこだから」
「すみません」
「いいの、いいの。そこ座ってて。あ、くるみさん、コーヒーでも淹れてあげてくれる?」
「あ、はい」
瑞希さんは携帯で、爽太君に電話をかけていた。
桂木さん…。もしかして、爽太君が好きだった人なのかな?そんなことで、頭がいっぱいになりながら、コーヒーを淹れていて、思わずこぼしてしまった。
手に熱いコーヒーがかかったが、我慢して慌てて拭いた。それから、綺麗なお皿にカップを置き換えてから、桂木さんに、コーヒーを出した。
「あ、すみません。いただきます」
桂木さんは、丁寧に頭を下げてそう言った。
「あ!爽太!あなた、ちょっと店に帰って来れない?」
瑞希さんが、電話で話し出した。爽太君が、電話に出たようだ。
「あのね、ほら。中学で一緒だった桂木さん。そうそう。名古屋に引っ越した…。今来てるのよ。お店に」
「え~~~?」
ものすごい大声を出したようで、携帯からもろに爽太君の声が聞こえてきた。一瞬、瑞希さんは携帯を耳から離して、それから、
「あ?戻れる?じゃ、どうせだから、お昼一緒に店で食べたら?」
と聞いていた。
どうやら、爽太君は、お店に戻ってくるようだった。電話を切ると、瑞希さんは桂木さんに、話しかけた。
「爽太、すぐに来るって。ちょっと待っててね。あ、なにがいいかしら、お昼ご飯。日替わりのランチでもいい?」
「はい」
桂木さんは言葉は少ないが、すごくはきはきとものを言う人で、聞いていて気持ちが良かった。
それに姿勢もよく、座っていても背筋がぴんとしていた。顔立ちも凛としていて、五月ちゃんとはまったく違った雰囲気の人だった。
10分も立たないうちに、爽太君はお店に来た。相当慌てて来たのか、スーツの半分は濡れてたし、ズボンの裾もびっしょりだった。
「あ…!」
爽太君は、桂木さんを見て、ただ、一言そう言った。
「爽太君、久しぶり」
桂木さんは席を立ち、爽太君を懐かしそうに見た。
「ひ、久しぶり…。こっちに戻ってきたの?」
「ううん。就職活動で来たの。東京のほうに就職しようと思ってて」
「そうなんだ。じゃ、今はどっかこっちの方に泊まってるの?」
「親戚が横浜にいて、そこに泊まってるの」
「…そっか。え?いつまで?」
「あと、3日…」
「ほら、爽太、立ってないで、座ったら?あなたもランチでいいわね?」
「あ、うん」
爽太君は、上着を椅子にかけて、桂木さんの前の席に座った。私が、水を持っていくと、爽太君は、おもむろに私の顔を見て、
「あ…。桂木さんっていって、あの…」
と、説明をしようとしていた。でも、私はそれをさえぎって、
「パンとライス、どちらにしますか?」
と、桂木さんに聞いた。
「ライスでお願いします」
と、桂木さんは答えた。
「爽太君は?」
と聞くと、爽太君は、
「俺も…」
とぼそって答えた。なんだか、バツが悪そうな顔をしながら。
「大盛り?」
と聞くと、顔を上げて私の顔を見ながら、
「うん。大盛り」
と、少し笑って言った。
私はキッチンに行き、瑞希さんの手伝いをした。二人の会話を聞きたくなくて、あまりホールのほうには、行かないようにした。
クロは、嬉しそうにずっと、爽太君の足元にいて、尻尾を振っていた。
キッチンでは、ハンバーグを焼く音や、私が野菜を洗う音がしてて、ホールでの声はあまり、聞こえてこなかった。そんな中、瑞希さんが私に言ってきた。
「前に言ってた、彼女よ」
「え?」
「付き合って、転校しちゃって、それっきりになった…。長いこと引きずってた女の子」
「あ、やっぱり、そうですか」
あ、やばい。声が沈んだし、表情も暗くなったかもしれない。
「東京のほうに勤めることになったら、また、会えるようになるんじゃないですか?」
冷静なふりをして、つとめて明るくそう言うと、瑞希さんは、
「う~ん。どうなのかしらね」
と、口元に笑みを浮かべながら、そう答えた。そして、
「桂木さんは、会いに来ちゃうくらいだから、まだ、思ってたのかな?爽太のこと」
と、つけ加えた。
「さて、完成。持っていってくれる?」
「はい」
トレイに乗せ、二人の席に運んだ。その時にも、極力二人の会話は聞かないようにした。
「お待たせしました」
と言って、さっさとお皿を並べ、さっさとキッチンに戻った。
でも、キッチンでの音が何もしなくなると、ホールでの会話が聞こえてきてしまう。
「スーツ着てると、本当に社会人だね。爽太君」
「え?そう?」
「うん、なんだか、見違えちゃった。背も伸びたね」
「桂木さんも、背、高くなった?」
「私?そうかな。ヒールはいてるからかも」
「あ、そうか…」
キッチンから瑞希さんは、カウンターに移り、私も横に座るように言って、二人でコーヒーを飲んだ。他のお客さんは誰も、なかなか来なかった。
カウンターに来ると、いやおうなしに、二人の会話が耳に入る。
「この辺は、変わらないね。全然」
「うん…」
「あとで、みんなに会う予定なの」
「みんな?」
「中3のときの仲良かった子。久しぶりなの、みんなに会うの」
「ああ。そっか…。俺もあまり会ってないよ。たまに、駅の近くでばったり会うくらいで」
「そうなの?」
「うん…」
「先生とか、どうしてるかな」
「もう、中学の先生、みんな入れ代わってて、知ってる先生なんているかどうかわからないよ」
「そうなの?寂しいね。あ、クラス会はしてるでしょ?はがき来るんだけど、さすがに来れなくて…」
「俺も、けっこう仕事忙しい時と重なってて行けてないよ」
「そうなんだ…。仕事忙しいんだ」
「あ、忙しい時にはね。今はそうでもないから大丈夫」
爽太君が、すごく気を使っているのがわかった。言葉も選んでいるようだし、いつもみたいな声のトーンでもない。それに、いつもなら、食べている時には、
「うめ~~!」
って喜んで、もくもくと食べてるし…。こんなに話をしながら食べることは、めずらしい。
隣で、どうやら、二人の会話を瑞希さんも聞いているようで、何も話をしてこなかった。
「もし、東京のほうに、就職できたら、しばらくは親戚の家においてもらう予定なんだ」
「親戚って、横浜の?」
「うん。だから、江ノ島も来やすいかも…」
「そうだね…」
「あの…」
「え?」
「爽太君って…」
「うん…」
「こんなこと聞いて、驚かないでね」
「うん。何?」
「彼女とか…今いる?」
「え?!」
どうやら、予想していない質問だったようだ。爽太君は、声を裏返していた。それを聞いた瑞希さんは横で、ふき出すのをこらえていた。
「あ…、うん。今はいない」
「そうなの?いないの?」
「うん。別れたばかりで…」
「え?そうなの?」
「うん。えっと…。なんていうか、俺、仕事忙しくてデートとか全然できなくて、それで…」
「そんなに忙しいの?」
「忙しい時にはね。いつもじゃないんだけど…。たまたま、この前までは忙しくて」
瑞希さんは横で、私の方を見て、目でにやって笑った。爽太君のしどろもどろになってる様子が、面白かったんだろうか。
「じゃ、なかなか私がこっちに来ても、会えないかな?」
「え?」
また、爽太君は、驚いていた。どう見ても、桂木さんは、爽太君のことを、まだ想っているとしか見えない。それは、爽太君も気づいたんじゃないだろうか。でも、いちいち反応が大きくて、爽太君はどうも、困っているようにも感じられた。
「桂木さん…。桂木さんは、彼氏名古屋にいないの?」
「うん。いないよ」
「大学に、いなかったの?」
「いたけど…。もう別れたし。私は東京に行くって決めてたし」
「そうなんだ」
「それに…」
「え?」
「なんだか、ずっと爽太君のことが、忘れられなかったから」
「……え?」
爽太君の、今度の「え?」はかなり、低い声だった。
「彼女いないなら、また、付き合えないかな?私たち…」
「でも、もう何年も立ってて、俺も変わっちゃってるし…。付き合っても嫌になるかもよ」
と言う爽太君の言葉に、瑞希さんはあちゃ~~って顔をした。
「そうかな。話してても、変わってないって思うよ」
桂木さんが、そう言うと、爽太君は黙りこんでしまった。
カラン…。お客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
瑞希さんは立ち上がり、キッチンに向かった。
「いらっしゃいませ。こちらの席にどうぞ」
と、私もお客さんに声をかけ、爽太君たちの話を聞くのは、やめにして仕事をしだした。
水を運び、注文を聞き、キッチンに行く。
その間も、時々視線の中に、爽太君の顔がはいってきたが、爽太君は、ずっと笑いもせず、ちょっと緊張した様子で桂木さんの話を聞いているようだった。
他にもお客さんが入ってきて、忙しくなり、私はもう完璧に爽太君たちを意識している場合ではなくなった。
それから、20分もたっただろうか。爽太君と桂木さんは、立ち上がった。
「あの、ご馳走様でした。おいくらですか?」
と、桂木さんは私に聞いてきた。
「あ、いいよ。俺のおごり」
と爽太君が言うと、
「いいよ、悪いよ」
と桂木さんが、お財布を出した。
「いいのよ。本当に桂木さん。今回は遠くから来てくれたんだもの。爽太のおごりで。また、就職決まってこっちに来たら、お店に寄ってね」
そう瑞希さんが言うと、桂木さんは少し顔を、曇らせて、
「今日はいきなり来て、すみませんでした。ご馳走様でした。それじゃ…」
と、丁寧にお辞儀をした。
「あ!爽太、駅まで送ってあげたら?」
と、瑞希さんが慌てて言うと、
「いえ、いいんです。私これから、友達と会う約束もしてるし」
と、桂木さんは断って、
「じゃ、爽太君、元気でね。それと、うまくいくといいね」
と微笑み、お店を出て行った。
「うまくいくと…って、何が?」
瑞希さんが爽太君に、聞くと、
「なんでもないよ。それよか、ちょっとリビングで休んでから戻る」
と、カウンターの奥に行ってしまった。
その後、ぽつりぽつりとお客さんが来て、私も瑞希さんも会話をすることもなく仕事をし、やっと落ち着いたのは、2時過ぎだった。
「あ、お昼にしましょう」
カウンターに座り、二人でご飯を食べた。
「あれは、断ったのね~~」
「はい?」
「ほら、付き合ってって言われてたじゃない。それも、うまくいくといいねってことは、多分、俺には好きな人がいて…とか、片思いで…とか、告白もしてなくて…とかそんなことを爽太は、言ったんじゃないかしらね」
「するどいですね」
「あら、でも、そうとしか考えられなくない?」
「そうですね…」
「きちんと、そういうことを言わないと、桂木さんだってあきらめつかないじゃない?ちゃんと断れてよかったわよ。今まであれで、断りきれず、付き合っていたから。優柔不断が玉にキズなのよね、あの子は…」
「はあ…」
「でも、今までは、特に好きな子がいたわけでもないし、だから、付き合ってもいいかなって思っちゃったのかしらね」
「でも、あの桂木さんのことが、好きでひきずっていたんじゃ…?」
「でも、今は違う。他に特別な人が、できたってことじゃないかしらね」
「本当に好きな人が…?」
「そうそう。やっとこ。やっとでもないか。あの年で現れたなら、早いほうかな。私なんて32まで現れなかったし」
「え?そうだったんですか?」
「そうよ。付き合ってた人はいたけど、すんごい好きになった人って、圭介だけだもの」
「ええ?そうなんだ」
「あれ?くるみさんはいたの?」
「はい…。結婚も考えてた人が…。でも、仕事のほう選んじゃいましたけど、その時には」
「そうだったの…。今は?その人とは?」
「もう終わりました。すっかり…」
「そう…」
ご飯を食べ終わり、少し休んでいると、また、ちらりほらりとお客さんが来た。どうやら、雨もやんだようだった。