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9/25

8 昔の彼女

 翌朝は、雨が降っていた。

 散歩にいけず、うらめしそうにクロが、外を眺めていた。その横を傘を持ち、春香ちゃんは出かけていった。

「あれ?雨でも行くんですか?」

「雨でも彼は、サーフィンするみたいよ。ちょっと波があっていいんじゃないの?今日は風も強いしね」

「傘さして、見に行くんですか?」

「そう。健気でしょ~~」

 驚いた。本当に春香ちゃんは、彼氏のことが好きなんだな。


「付き合ってどのくらいなんですか?」

「まだ、3ヶ月とか、そんなもんよ。あの子が想いをよせてて、よく朝通ってたみたい。クロを連れてね。それで、向こうが付き合おうかって言ってくれたようで」

「へ~~。なんか、青春してますね!」

「ねえ。ドラマか、漫画みたいよね」

 そんな話をしながら、二人で開店の準備をしていた。


 8時ころに、圭介さんが起きて来て、すぐそのあとに爽太君も起きだしてきた。

「瑞希~~。朝ごはん~~」

「ああ、はい。今準備するわね」

 そう言うと、瑞希さんはさっさと二人の朝ごはんを作った。

 圭介さんと爽太君は、二人してカウンターに座り、朝ごはんをもくもくと食べだした。

「うめ~~!」

と、嬉しそうに言ったのは、爽太君だった。


「あれ?お前調子戻った?」

 圭介さんが、爽太君に聞いた。

「え?何が?」

「なんか、変だったじゃん。元気もなかったし、飯食ってもだんまりだったし」

「ああ。うん。もうすっきりしたよ」

「へえ…。そう」

 圭介さんはそう言うと、ちょこっと爽太君の顔をのぞいてから、またご飯を食べだした。

「良かったわね、調子戻って」

と、瑞希さんも爽太君の顔を覗き込み、コーヒーをカウンターに置いた。


「いつも元気なだけが取りえの爽太が、元気ないと、こっちが調子狂っちゃうし」

「ええ?何それ。元気だけが取りえってひどくない?」

「あはは…。いいじゃない。それが何より1番でしょ?」

「う~~ん。そうだけどさ。なんか他にもあるでしょ?」

「そうね…。イケメン?」

 瑞希さんがまた、爽太君の顔を覗き込み、そう言うと、

「げ。やめてよ。親に言われても嬉しくないし…」

と、爽太君は思い切り、嫌そうな顔をした。


「あら~~。悪かったわね。じゃ、くるみさんに言ってもらえたら喜んじゃうの?」

「え?」

 いきなり、私の名前が出たので、テーブルセッティングをしながら、私はうろたえてしまった。

「……」

 爽太君は、何も言わずにご飯を食べていたが、

「くるみさんに、そういうこと言われることもないし、そういうのないし…」

と小声で、つぶやくように言った。

「まあね。くるみさんにも好みがあるだろうしね」

と、圭介さんが隣で言うと、

「そういえば、くるみさんの好みの男性って聞いたことないわ」

と、また、瑞希さんが私にふってきた。


「え?私ですか?」

 焦って、顔がひきつった。もくもくと食べていた爽太君は、食べるのをやめて、振り返りこっちを向いた。

「えっと…。好みって言っても、あまりないかな」

「まあ、そういうものよね。好きになった人が、好みの男性って感じよね」

 瑞希さんはそう言うと、キッチンに入っていった。私も後に続いて、二人して下ごしらえを始めた。

 圭介さんと爽太君は、食事を終え、リビングのほうへ入っていった。


「爽太、本当にすっきりした表情になってたわね」

 瑞希さんが、二人がいなくなってから、そう言った。

「そうですね。元気出たみたいで良かったです」

「何かいいことがあったのかしら。例えば、好きな人に告白が出来たとか…。もしかして、両思いになれたとか…」

「…さあ?」

「昨日は事務所でどうだった?お弁当届けた時…」

「あ、途中から元気になってました」

「じゃ、もしかして…」

「…はい?」

「元気になれたのは、くるみさんのおかげ?」

「いいえ。違います。私のほうが逆に、話を聞いてもらって、いろいろと励まされて…。そうしたら、なんか、爽太君、自分の悩みなんてちっぽけだったって、元気になっちゃって…」

「へえ~~」

「だから、私は何もしてないんです」

「そう…」

「はい…」


 しばらく黙って、二人でスコーンを焼いたり、ジャムを作ったりしていたが、どうしても気になることがあり、聞いてみた。

「もしかして、瑞希さんは爽太君の好きな人、誰だか気づいているんですか?」

「どうして?」

「なんだか、そんな気がして」

「ふふ…。当たり」


「え?やっぱり?でも、爽太君から聞いたわけではないんですよね?」

「うん。でも、まるわかりだから」

「五月ちゃん…、じゃないですよね」

「違うわよ。だって、プレゼントも受け取らなかったじゃない」

「はい…。返してきたって言ってました」

「好きじゃないのに付き合ってるって、見ててわかってたわよ」               

「そうだったんですか?」


「そりゃ、そうよ。だって、いくら忙しくたって、好きな子だったら、少しでも会いたいな、声聞きたいな、せめて、メールしたいなって思わない?普通」

「はい。思います」

「でしょ?それに、好きな子なら、緊張はするかもしれないけど、でもね。デートだったら嬉しくて早くから起きて、準備したりとか、前の日からそわそわするとか…。それか、会えたら嬉しいからなるべく長めに一緒にいたいとか、そうなると思わない?」

「はい。そうなりますよね。特に付き合いはじめなら…」

「でしょ?それにね。好きな人っていうのは、無意識に目で追っちゃったりとか、気になっちゃったりするでしょ?」

「ああ、はい。します」


「それとかね、相手が何に興味があるのかとか、そういうのも知りたかったり…。なるべく一緒にいたいなって思うから、忙しくても時間とっちゃったり…」

「ああ、はい」

「好きな相手見ているときには、目が、こうなんていうの?ハート型になるっていうの?他の人を見るのとは、明らかに違ってたり…。相手の笑顔が見れただけで、嬉しかったり…」

「はい」

「相手が落ち込んでたり、悲しんでたら、すごく気になったり、心配したり…」

「はい」

「するでしょ?」

「はい、します」


「そういうのがね、爽太は、五月ちゃんにまったくなかったのよね」

「はあ…。ああ、そういえば、そうかな?」

「でね、私が見てたらある人には、そんな感じになっていたから…」

「え?」

「爽太の目が、ハートになってたり、いつも目で追ってたり、やけにその人といると嬉しそうだったり、長い時間一緒にいられるようにしていたり…」

「へえ…。そうなんですか?」

「うん。忙しくて疲れてても、きちんとその人の用事には付き合ってたり、っていうか、一緒にいられるのが、嬉しかったんでしょうね」

「……」


 聞いていて、胸がちくちくしてきた。誰だかはわからない。私の知らない人かもしれない。でも、そういう人がいるんだな。

 ちょっと、落ち込んで、私はうなだれてしまったが、あ、いけない…、瑞希さん勘がいいからばれちゃうって思って、必死で笑顔を作った。

 それから、興味のあるふりをして、聞いてみた。

「私でも、爽太君見てたらわかりますか?その、爽太君が誰を好きか…」

「うん…。わかるんじゃない?」

「そうなんだ。私が見ても、わかっちゃうんですね。爽太君、そんなに顔に出ちゃうんですね」


「あら?わからなかった?例えば、五月ちゃんといて、爽太、嬉しそうに見えた?」

「えっと…。なんかいつも、顔がひきつってました」

「でしょ?」

「あ…。そうか。好きなら、もっと嬉しそうにしますね」

「そう。ご飯がうまいって言ってるあの、無邪気な顔みたいに…。顔に出るのよ」     

「そうか…」

「落ち込んでるのも、一目瞭然だったでしょ?」

「あ、そういえば」


「ふふ…。ちょっと、注意深く見ていたら?誰を爽太が見てるかとか、嬉しそうかとか、一緒にいたがるか、わかるから。多分、圭介でさえ、気づいてる」

「え?」

「ああ、そうそう。そんなに一緒にいるわけじゃない、春香まで気づいてた」

「ええ?」

 そうか。私が無頓着だったのか。あれ?でも、誰…?誰か、そんな女性、爽太君の周りにいたかな。

お客さんかな…?


 11時になり、お店をあけたが、雨だったせいか、全然お客さんは来なかった。瑞希さんは、キッチンにいて、鼻歌を歌いながら、シンクの周りや、キッチンの道具を綺麗にしていた。

 私は、いつお客さんが来てもいいように、ホールにいた。私の足元には、クロがちょこんと座っていた。

「クロも知ってるの?爽太君の好きな人」

「く~~ん」

 クロが顔をかしげた。


 窓の外を見ていると、雨の中、赤い傘をさした人が、一人こっちに向かっていた。

「あ、お客さんだ」

 カラン…。ドアを開け、お客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませ」

「あ…。こんにちは。あの…」

「はい?」

「爽太さんは、今、いますか?」

 赤い傘を傘たてに入れ、ハンカチでスカートを拭きながら、その人が聞いてきた。背が高く、すらっとしていて、黒いストレートの髪を、横で一つに束ねていた。


「爽太君は、事務所の方だと思います」

「事務所?」

「駅からすぐのところにある…」

「いらっしゃいませ」

 キッチンから、瑞希さんが顔を出してきた。

「あ、こんにちは、ご無沙汰してます」

「え?」

「私、爽太君と同じ中学だった、桂木です」

「ああ!桂木さん?」

「はい」

 その人は、嬉しそうに笑った。


「今、就職活動をしに、東京に来てて…。親戚の家に、泊まらせてもらっています。今日は面接も何もないから、しばらくぶりに爽太君に会えたらなって思って、江ノ島まで来たんです」

「そうだったの?爽太、今、仕事なの。待って、携帯に電話してみるわ。お昼抜けられそうなら、こっちに来てもらいましょう」                  

「すみません。平日だし、大学に行ってるかとも思ったんですけど…。もう、就職してたんですね」

「うん。うちのだんなの会社よ。すぐそこだから」

「すみません」

「いいの、いいの。そこ座ってて。あ、くるみさん、コーヒーでも淹れてあげてくれる?」

「あ、はい」

 瑞希さんは携帯で、爽太君に電話をかけていた。


 桂木さん…。もしかして、爽太君が好きだった人なのかな?そんなことで、頭がいっぱいになりながら、コーヒーを淹れていて、思わずこぼしてしまった。

 手に熱いコーヒーがかかったが、我慢して慌てて拭いた。それから、綺麗なお皿にカップを置き換えてから、桂木さんに、コーヒーを出した。

「あ、すみません。いただきます」

 桂木さんは、丁寧に頭を下げてそう言った。


「あ!爽太!あなた、ちょっと店に帰って来れない?」

 瑞希さんが、電話で話し出した。爽太君が、電話に出たようだ。

「あのね、ほら。中学で一緒だった桂木さん。そうそう。名古屋に引っ越した…。今来てるのよ。お店に」

「え~~~?」

 ものすごい大声を出したようで、携帯からもろに爽太君の声が聞こえてきた。一瞬、瑞希さんは携帯を耳から離して、それから、

「あ?戻れる?じゃ、どうせだから、お昼一緒に店で食べたら?」

と聞いていた。


 どうやら、爽太君は、お店に戻ってくるようだった。電話を切ると、瑞希さんは桂木さんに、話しかけた。

「爽太、すぐに来るって。ちょっと待っててね。あ、なにがいいかしら、お昼ご飯。日替わりのランチでもいい?」

「はい」

 桂木さんは言葉は少ないが、すごくはきはきとものを言う人で、聞いていて気持ちが良かった。

 それに姿勢もよく、座っていても背筋がぴんとしていた。顔立ちも凛としていて、五月ちゃんとはまったく違った雰囲気の人だった。


 10分も立たないうちに、爽太君はお店に来た。相当慌てて来たのか、スーツの半分は濡れてたし、ズボンの裾もびっしょりだった。

「あ…!」

 爽太君は、桂木さんを見て、ただ、一言そう言った。

「爽太君、久しぶり」

 桂木さんは席を立ち、爽太君を懐かしそうに見た。

「ひ、久しぶり…。こっちに戻ってきたの?」

「ううん。就職活動で来たの。東京のほうに就職しようと思ってて」

「そうなんだ。じゃ、今はどっかこっちの方に泊まってるの?」

「親戚が横浜にいて、そこに泊まってるの」

「…そっか。え?いつまで?」

「あと、3日…」

「ほら、爽太、立ってないで、座ったら?あなたもランチでいいわね?」

「あ、うん」


 爽太君は、上着を椅子にかけて、桂木さんの前の席に座った。私が、水を持っていくと、爽太君は、おもむろに私の顔を見て、

「あ…。桂木さんっていって、あの…」                    

と、説明をしようとしていた。でも、私はそれをさえぎって、

「パンとライス、どちらにしますか?」

と、桂木さんに聞いた。

「ライスでお願いします」

と、桂木さんは答えた。

「爽太君は?」

と聞くと、爽太君は、

「俺も…」

とぼそって答えた。なんだか、バツが悪そうな顔をしながら。

「大盛り?」

と聞くと、顔を上げて私の顔を見ながら、

「うん。大盛り」

と、少し笑って言った。


 私はキッチンに行き、瑞希さんの手伝いをした。二人の会話を聞きたくなくて、あまりホールのほうには、行かないようにした。

 クロは、嬉しそうにずっと、爽太君の足元にいて、尻尾を振っていた。

 キッチンでは、ハンバーグを焼く音や、私が野菜を洗う音がしてて、ホールでの声はあまり、聞こえてこなかった。そんな中、瑞希さんが私に言ってきた。

「前に言ってた、彼女よ」

「え?」

「付き合って、転校しちゃって、それっきりになった…。長いこと引きずってた女の子」

「あ、やっぱり、そうですか」


 あ、やばい。声が沈んだし、表情も暗くなったかもしれない。

「東京のほうに勤めることになったら、また、会えるようになるんじゃないですか?」

 冷静なふりをして、つとめて明るくそう言うと、瑞希さんは、

「う~ん。どうなのかしらね」

と、口元に笑みを浮かべながら、そう答えた。そして、

「桂木さんは、会いに来ちゃうくらいだから、まだ、思ってたのかな?爽太のこと」

と、つけ加えた。


「さて、完成。持っていってくれる?」

「はい」

 トレイに乗せ、二人の席に運んだ。その時にも、極力二人の会話は聞かないようにした。

「お待たせしました」

と言って、さっさとお皿を並べ、さっさとキッチンに戻った。

 でも、キッチンでの音が何もしなくなると、ホールでの会話が聞こえてきてしまう。


「スーツ着てると、本当に社会人だね。爽太君」

「え?そう?」

「うん、なんだか、見違えちゃった。背も伸びたね」

「桂木さんも、背、高くなった?」

「私?そうかな。ヒールはいてるからかも」

「あ、そうか…」


 キッチンから瑞希さんは、カウンターに移り、私も横に座るように言って、二人でコーヒーを飲んだ。他のお客さんは誰も、なかなか来なかった。                 

 カウンターに来ると、いやおうなしに、二人の会話が耳に入る。

「この辺は、変わらないね。全然」

「うん…」

「あとで、みんなに会う予定なの」

「みんな?」

「中3のときの仲良かった子。久しぶりなの、みんなに会うの」

「ああ。そっか…。俺もあまり会ってないよ。たまに、駅の近くでばったり会うくらいで」

「そうなの?」

「うん…」


「先生とか、どうしてるかな」

「もう、中学の先生、みんな入れ代わってて、知ってる先生なんているかどうかわからないよ」

「そうなの?寂しいね。あ、クラス会はしてるでしょ?はがき来るんだけど、さすがに来れなくて…」

「俺も、けっこう仕事忙しい時と重なってて行けてないよ」

「そうなんだ…。仕事忙しいんだ」

「あ、忙しい時にはね。今はそうでもないから大丈夫」

 爽太君が、すごく気を使っているのがわかった。言葉も選んでいるようだし、いつもみたいな声のトーンでもない。それに、いつもなら、食べている時には、

「うめ~~!」

って喜んで、もくもくと食べてるし…。こんなに話をしながら食べることは、めずらしい。


 隣で、どうやら、二人の会話を瑞希さんも聞いているようで、何も話をしてこなかった。

「もし、東京のほうに、就職できたら、しばらくは親戚の家においてもらう予定なんだ」

「親戚って、横浜の?」

「うん。だから、江ノ島も来やすいかも…」

「そうだね…」

「あの…」

「え?」

「爽太君って…」

「うん…」

「こんなこと聞いて、驚かないでね」

「うん。何?」

「彼女とか…今いる?」

「え?!」


 どうやら、予想していない質問だったようだ。爽太君は、声を裏返していた。それを聞いた瑞希さんは横で、ふき出すのをこらえていた。

「あ…、うん。今はいない」

「そうなの?いないの?」

「うん。別れたばかりで…」

「え?そうなの?」

「うん。えっと…。なんていうか、俺、仕事忙しくてデートとか全然できなくて、それで…」

「そんなに忙しいの?」

「忙しい時にはね。いつもじゃないんだけど…。たまたま、この前までは忙しくて」

                  

 瑞希さんは横で、私の方を見て、目でにやって笑った。爽太君のしどろもどろになってる様子が、面白かったんだろうか。

「じゃ、なかなか私がこっちに来ても、会えないかな?」

「え?」

 また、爽太君は、驚いていた。どう見ても、桂木さんは、爽太君のことを、まだ想っているとしか見えない。それは、爽太君も気づいたんじゃないだろうか。でも、いちいち反応が大きくて、爽太君はどうも、困っているようにも感じられた。


「桂木さん…。桂木さんは、彼氏名古屋にいないの?」

「うん。いないよ」

「大学に、いなかったの?」

「いたけど…。もう別れたし。私は東京に行くって決めてたし」

「そうなんだ」

「それに…」

「え?」

「なんだか、ずっと爽太君のことが、忘れられなかったから」

「……え?」

 爽太君の、今度の「え?」はかなり、低い声だった。


「彼女いないなら、また、付き合えないかな?私たち…」

「でも、もう何年も立ってて、俺も変わっちゃってるし…。付き合っても嫌になるかもよ」

と言う爽太君の言葉に、瑞希さんはあちゃ~~って顔をした。

「そうかな。話してても、変わってないって思うよ」

 桂木さんが、そう言うと、爽太君は黙りこんでしまった。


 カラン…。お客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 瑞希さんは立ち上がり、キッチンに向かった。

「いらっしゃいませ。こちらの席にどうぞ」

と、私もお客さんに声をかけ、爽太君たちの話を聞くのは、やめにして仕事をしだした。

 水を運び、注文を聞き、キッチンに行く。

 その間も、時々視線の中に、爽太君の顔がはいってきたが、爽太君は、ずっと笑いもせず、ちょっと緊張した様子で桂木さんの話を聞いているようだった。

 他にもお客さんが入ってきて、忙しくなり、私はもう完璧に爽太君たちを意識している場合ではなくなった。


 それから、20分もたっただろうか。爽太君と桂木さんは、立ち上がった。

「あの、ご馳走様でした。おいくらですか?」

と、桂木さんは私に聞いてきた。

「あ、いいよ。俺のおごり」

と爽太君が言うと、

「いいよ、悪いよ」

と桂木さんが、お財布を出した。

「いいのよ。本当に桂木さん。今回は遠くから来てくれたんだもの。爽太のおごりで。また、就職決まってこっちに来たら、お店に寄ってね」

 そう瑞希さんが言うと、桂木さんは少し顔を、曇らせて、

「今日はいきなり来て、すみませんでした。ご馳走様でした。それじゃ…」

と、丁寧にお辞儀をした。     

             

「あ!爽太、駅まで送ってあげたら?」

と、瑞希さんが慌てて言うと、

「いえ、いいんです。私これから、友達と会う約束もしてるし」

と、桂木さんは断って、

「じゃ、爽太君、元気でね。それと、うまくいくといいね」

と微笑み、お店を出て行った。

「うまくいくと…って、何が?」

 瑞希さんが爽太君に、聞くと、

「なんでもないよ。それよか、ちょっとリビングで休んでから戻る」

と、カウンターの奥に行ってしまった。


 その後、ぽつりぽつりとお客さんが来て、私も瑞希さんも会話をすることもなく仕事をし、やっと落ち着いたのは、2時過ぎだった。

「あ、お昼にしましょう」

 カウンターに座り、二人でご飯を食べた。

「あれは、断ったのね~~」

「はい?」

「ほら、付き合ってって言われてたじゃない。それも、うまくいくといいねってことは、多分、俺には好きな人がいて…とか、片思いで…とか、告白もしてなくて…とかそんなことを爽太は、言ったんじゃないかしらね」

「するどいですね」


「あら、でも、そうとしか考えられなくない?」

「そうですね…」

「きちんと、そういうことを言わないと、桂木さんだってあきらめつかないじゃない?ちゃんと断れてよかったわよ。今まであれで、断りきれず、付き合っていたから。優柔不断が玉にキズなのよね、あの子は…」

「はあ…」

「でも、今までは、特に好きな子がいたわけでもないし、だから、付き合ってもいいかなって思っちゃったのかしらね」


「でも、あの桂木さんのことが、好きでひきずっていたんじゃ…?」

「でも、今は違う。他に特別な人が、できたってことじゃないかしらね」

「本当に好きな人が…?」

「そうそう。やっとこ。やっとでもないか。あの年で現れたなら、早いほうかな。私なんて32まで現れなかったし」

「え?そうだったんですか?」

「そうよ。付き合ってた人はいたけど、すんごい好きになった人って、圭介だけだもの」

「ええ?そうなんだ」


「あれ?くるみさんはいたの?」

「はい…。結婚も考えてた人が…。でも、仕事のほう選んじゃいましたけど、その時には」

「そうだったの…。今は?その人とは?」

「もう終わりました。すっかり…」

「そう…」

 ご飯を食べ終わり、少し休んでいると、また、ちらりほらりとお客さんが来た。どうやら、雨もやんだようだった。                     


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