7 爽太君の恋
翌日、朝、いつもの時間に目が覚め、一階に行くと、もう春香ちゃんはご飯を食べ終わり、コーヒーを持って海に行く準備をしていた。クロもついて行くようだった。
瑞希さんが朝ごはんを作ってくれて、それをカウンターで食べていると、爽太君が起きてきた。
「あ、おはよう」
にこって微笑むと、爽太君は少し、顔をひきつらせて、
「おはよ…」
と小さく、笑って言った。昨日の恋の相談事を、気にしているのかな?
爽太君はめずらしく、新聞をカウンターで読み出した。いつもは、新聞なんて読まないのにな。
爽太君のご飯を瑞希さんが持ってくると、ようやく新聞をたたみ、ご飯を無心に食べだした。そして、コーヒーを飲むと、早々と席を立ち、リビングのほうに行ってしまった。
「あら?爽太。今日は早くに出るの?」
「ああ。うん」
爽太君は、リビングからそう答えて、2階へと上がって行ってしまった。
その日の夜、7時過ぎになって圭介さんが、戻ってきて夕飯を食べだした。
「最近仕事、あまり忙しくないのね。この時間にご飯食べに帰れるなんて…」
瑞希さんは、お茶を淹れながら圭介さんに聞いていた。
「うん。5月はあんまり、仕事入らなかったな」
「そうなの?あ、でも今日、爽太は?一緒じゃないの?」
「ああ。あいつね…。今日は何回もミスをしてて、やり直してばかり。徹夜にでもなるんじゃないの?」
「あら、めずらしくない?」
「体の具合でも悪いのかって聞いたら、元気だって言うし…。でも、たまにぼ~ってしてるし、ため息ばかりつくし…」
「え?そうなんですか?」
思わず、それを聞いて、私は口をはさんでしまった。
「くるみさん、もしかして何か聞いてる?」
「いえ…。何も…」
「相談ごととか、乗ったりしてるんじゃないの?よく…」
「ええ…。あ、でも、私は何も…」
ああ、なんて私は嘘をつくのがへたなのか…。
「5月病か?いきなりやる気がうせたか?」
圭介さんが、そう言うと、
「しばらく、様子見て見ましょうよ。ね?」
と、瑞希さんが微笑んだ。
私は、爽太君が恋をしてて、そうなっているんです…と本当のことを言ったほうがいいのか、迷ったが、でも、爽太君は多分、誰にも知られたくないかもしれないし、言うのはやめようって思った。
それにしても、仕事は没頭して、忘れるようにしてると言ってたのにな…。仕事も手につかないほどに、その子のことを思っているのかな…。
…って、そんなことを考えては、またさらに落ち込んでいる私がいる。つくづく馬鹿だよな…。「相談にのるよ」なんて言わなきゃ良かった。
その日の夜、爽太君は帰ってこなかった。瑞希さんはお弁当を作り、事務所まで届けに行ってあげていた。
事務所から帰ると、瑞希さんはリビングでテレビを観ていた圭介さんに、
「あれは、重症ね」
と告げていた。
「え?」
「かなり重症よ。相当へこんでるわね」
「仕事をミスしたからか?俺、そんなに怒ったりしてないよ」
「そうじゃなくて…」
「じゃ、何?」
圭介さんは、不思議そうに聞いた。瑞希さんは、少しだけトーンを落として、
「爽太、完全な、恋わずらいだわ」
と言った。
「え~~?!!!」
圭介さんは、大声をあげた。
「し~~~。お店にお客さん居るのよ」
「あ、悪い!」
圭介さんは、両手を合わせて謝って、それから、
「でも、誰に?」
と、小声で聞いた。
「相手は知らないけど、ため息ばっかりついてて…。いきなり訳わかんないこと聞いて来るし…」
「なんて?」
「恋ってさ、楽しいもんじゃないの?だって…」
「……」
圭介さんはしばらく、口を開けて放心状態になってから、
「爽太が?そんなこと?」
と聞いていた。瑞希さんは思い切り、顔を縦に振って、
「うん!」
と答えていた。
「でも、五月ちゃんとは別れたよね?じゃ、誰?」
「さあ?」
瑞希さんは、顔を横に振った。
「くるみさん、聞いてる?」
圭介さんが、私に聞いてきた。
「いいえ…」
私も、顔を横に振った。
「私の勘が当たっていたら…」
といきなり、瑞希さんは言い出した。
「え?」
思わず私は、圭介さんと一緒に身を乗り出していた。
「やっと、気づけたってところかしら?」
「は?」
思わず、圭介さんと一緒に、私は顔をしかめた。瑞希さんはどうやら、何かを勘づいているようだった。でも、私と圭介さんには、さっぱりわからなかった。
「誰?誰?」
圭介さんは、興味津々。
「圭介も、爽太見てたら気づくわよ。わかりやすいから」
「え?」
圭介さんは、ちょっと考え込んでから、
「ふ~~ん」
と何か、納得している様子だった。なんなんだろう?
翌朝、起きてれいんどろっぷすに行くと、爽太君がいた。
「おはよう。朝帰り?」
と、聞くと、
「うん」
とだけ言って、さっさと2階に上がってしまった。
「…?」
どことなく、様子が変な気がするが、疲れているのだろうと、あまり気にはとめなかった。
しばらくして、圭介さんが起きてきて、朝ごはんを食べだし、カウンターでゆっくりとコーヒーを飲みながら、新聞を読み出した。
カラン…。いきなり、れいんどろっぷすのドアが開いた。
「あ…」
五月ちゃんが、そこには立っていた。
「すみません…。あの…」
「爽太なら、部屋にいるよ。呼んで来る?」
と圭介さんが、聞いた。キッチンの中にいた、瑞希さんも顔を出した。
「いえ、いいです。爽太君の誕生日のプレゼント持ってきただけなので…。これ、爽太君に渡してください」
と、五月ちゃんは、圭介さんにプレゼントを渡して、すぐにれいんどろっぷすを後にした。
「え?ちょっと?」
圭介さんは、少し戸惑っていた。
「圭介、今、渡してきたら?」
と瑞希さんに言われ、圭介さんは、2階へと上がっていった。
「あら…、まあ…」
瑞希さんは、少し困ったような表情を見せた。
「五月ちゃんは、爽太をあきらめられなかったのかしらね?」
「……」
複雑だ。もし、もしも、爽太君が好きなのが五月ちゃんだったら…?
もんもんとする気持ちを、どうにか追い払おうと、私は必死でれいんどろっぷすの掃除をした。頭をからっぽにし、何も考えないようにして…。
2時。お客さんが途絶え、瑞希さんとお昼を食べていた。そこに爽太君が来て、
「母さん、俺にも…」
と、ちょっと元気ない声で言った。
「はい、待ってて。今作るわね」
キッチンに、瑞希さんは入っていった。爽太君は、私の横に座ると、おもむろに、
「は~~~」
と、ため息をついた。
「…大丈夫?」
と聞くと、
「え?何が?」
と聞いてきた。
「なんか、疲れてるみたい…」
「ああ。よく寝れなくて…」
「でも、もう事務所に行くの?」
「うん。次の仕事にとりかからなきゃ…」
「そう…」
瑞希さんが、爽太君のご飯を運んできて、話し出した。
「そういえば、今朝、五月ちゃんが…」
「ああ、父さんから、もらった。」
「そう…。誕生日、覚えてたんだね。五月ちゃん」
「うん…」
「なんだったの?中身」
瑞希さんがそう聞くと、
「さあ?開けてないから…」
と、無表情で、爽太君は答えた。
「あら?まだ?」
「いや、開けないし、返すつもりだし…」
「なんで?」
瑞希さんが、不思議そうに聞いた。
「え?だって、もう別れたのに、もらうの変じゃない?」
「五月ちゃんは、別れたくないんじゃないの?」
「え?」
爽太君が、驚いた顔をした。
「だって、まだ好きだから、プレゼント持ってきたんでしょ?」
「だからこそ、受け取れないじゃん」
「うん。そうね~」
「は~~」
爽太君は、また、ため息をついて、
「あれで、終わったって思ったのにな。ビンタまでされたのに…」
と、つぶやいた。
「あら、ビンタ?痛そう~~。私だって爽太にビンタしたことないのに」
「あ…」
爽太君は、しまったって顔をしていた。
爽太君は、それから黙々とご飯を食べ、コーヒーを飲んで、さっさと事務所に戻って行った。
「悩みすぎね…」
「え?」
「当たって砕けたらいいのにね」
「…何にですか?」
「恋よ」
「爽太君の…ですよね?」
「そうよ。他に誰がいるの?」
「いえ…」
私に、当たって砕けろとでも言ってるのかと思い、思わず聞きなおしてしまっていた。
当たって砕けろか…。もう、私にはそんな勇気、ないな~~。
その日の夜も、爽太君は戻ってこなかった。
「ね、お弁当、届けにいってもらっていい?」
瑞希さんが、聞いてきた。
「はい。持って行きます」
私は、爽太君のお弁当を受け取り、事務所に行った。事務所のドアを開けると、ひっそりとしていて、部屋全体が暗い中、一箇所だけ明るかった。
部屋には、爽太君以外、誰もいなくて、爽太君のパソコンだけが、明かりを灯していた。
「爽太君…」
ドアの辺りで声をかけたが、まったく気づかない様子。少し近づいていき、
「爽太君。お弁当持ってきた」
と言うと、爽太君は、すごくびっくりして、
「あ!ああ…」
と、目を真ん丸くして、こっちを向いた。
「ごめん、いつ来たの?全然わからなかった」
「今だよ。一人なの?爽太君」
「うん。みんなもう、帰ったよ。最近仕事も、落ち着いてるから」
「そうなんだ」
「お弁当届けに来てくれたの?ありがとう」
「うん…」
お弁当を、爽太君は、デスクに置いた。そのデスクには、ガラスのイルカがちょこんと乗っかっていた。
「あ、イルカ、ここに置いてくれたの?」
と聞くと、
「うん」
と、爽太君は、目を細めてうなづいた。なんだか、元気がないように見えて、
「どうしたの?元気ないね」
と聞くと、
「寝不足だからかな?」
と、また力なく笑って答えた。
「大丈夫なの?相当、悩んじゃってるの?」
「え?」
「なんか、最近様子おかしいから」
「ああ…。うん…」
爽太君はそう言うと、黙り込んだ。私は、爽太君の隣の席に座って、
「あの…、変なこと聞いてもいい?」
と、勇気を出して聞いてみた。
「え?」
「爽太君の好きな人…、五月ちゃん?」
「…違うよ。なんで?」
「あ…。なんとなく、もしかしてって思って…」
「違うよ。五月ちゃんとは、別れたし…。あ、プレゼントも今日、お店に行って、返してきた」
「え?」
「コンビ二終わる時間聞いて、さっきさ…。店から出てきた五月ちゃんに」
「五月ちゃん、どうした?」
「別に…。何も言わずに、さっさとそのまま、帰っていったよ」
「そう…」
爽太君は、手にガラスのイルカを持って、ころがしながら、
「なんで五月ちゃんだって思ったの?」
と、もう一度聞いてきた。
「なんとなくだよ。ただ、もしそうなら、五月ちゃんまだ、爽太君のこと好きみたいだったから、爽太君、悩む必要ないかなって思って…」
「そっか…」
「ごめん。勝手にそんなこと思って…」
「ううん…」
爽太君は、自分の手に乗せたイルカを見ながら、
「あのさあ…」
と話し出した。
「もし、もしだよ。もし、五月ちゃんだったとして、それで、また、五月ちゃんと付き合いだしたとしたら、喜んでくれてた?」
「え?私が?」
「うん…」
「そりゃ…。どうかな?」
「…どうって?」
「う~~ん、だって、この前まで一人身どおし、仲良くやろうって言ってたでしょ?私だけ一人身じゃ、寂しいし…。ずるいって思うかも…」
「ああ。そっか。そうだよね。そんなこと俺、言ってたよね」
「あ、忘れてたの?」
「うん。ごめん」
「そうか~~~。忘れてたか~~」
なんか、忘れられてたことに、がっくりした。やっぱり、私はその程度の存在なのかな。
「でも、五月ちゃんじゃないよ」
「……」
なんだか、何も答えられなかった。相手が五月ちゃんだろうが、誰だろうが、同じだ。
「じゃあさ、じゃあもし、俺が…」
「ごめん!」
思わず、私は謝っていた。
「え?」
「もう、駄目だ…」
「え?何が?」
「私、聞き役駄目みたい。相談に乗るよなんて言っておきながら、ごめんね。なんだか、ちょっと辛いかも…」
「え?」
爽太君の顔がみるみるうちに、申し訳なさそうな、そんな顔になっていった。
「ごめん、俺のほうこそ…。なんか、俺の相談事ばっかして…」
「ううん。ううん・・・。」
涙が出そうになったが、必死でこらえた。
「俺、そういえば、くるみさんの悩みとか、そういうの聞いたことないね」
「え?」
「今まで、そっとしておいたほうがいいのかなって思って、聞かなかった。ほら、あまり聞かれても嫌がるかなって思ってさ。でも、もし何か辛いことがあったら、話してくれてもいいよ。あ、言いたくなかったら、無理して言わなくてもいいし…」
「うん。ありがとう…」
「あの…、稔って人のことも、もし、俺でよければ、いろいろと話してくれても…」
「稔は…。稔とはもう終わってるし…」
「もう、辛くないの?」
「……。うん…」
「…稔って人が言ってた、梨香さんって?」
「私の親友だったの」
「え?」
「会社で、1番仲よくて、いろんな相談に乗ってくれてた。稔の話もしてた。プロポーズされたことも…」
「それで?」
「3ヶ月前から、稔は梨香と付き合いだしたって…。だから、別れてくれって…」
「何それ?じゃ、親友の彼氏、取っちゃったの?その人」
「…彼も親友も、それに仕事もいっぺんに失って、稔も梨香も、憎んだよ。もし私が死んだら、二人は、罪悪感を一生背負いながら、生きるのかって…。そして、苦しめばいいってそう思った」
「……」
「ひどいでしょ?ひどい女だよね。私…」
「え?なんで?ひどいのは、梨香って人でしょ?くるみさんは何も悪くないよ」
「…そんなことない。だって、もしかしたら、梨香はずっと、稔が好きだったかもしれない。でも、ずっとそれを隠して、私の相談を聞いていたのかもしれない。それって、辛いことだよね…」
「でも、そうだとしたら、騙してきた事になるんじゃないの?」
「言えなかったのかもしれない。ずっと…」
「でも、付き合いだしたんでしょ?稔と梨香って人」
「……」
ポタ…。涙が出た。
「あ、ごめん。俺、なんか思い出させてるね、辛いこと…」
「ううん。違うの…」
ポタポタ涙が、止まらなくなった。
「梨香ね、優しい子なの。それを1番知ってたのに…。私、私だけが苦しんでって、梨香を恨んだ」
「……」
「爽太君の恋の相談、聞いてて辛い思いをしたみたいに、梨香も、ずっと苦しんでいたかもしれないのに。もしかしたら、私よりもずっと…」
「え?」
「稔だって、悪いわけじゃないの。稔が私をわからなかったんじゃなくて、私がずっと素の私を見せなかったの。強がって、絶対に泣かなかったし。それに、私はいつでも、自分のことばかりで、稔のことなんて、全然考えてなかった」
「……」
「ひどいのは、私のほうだよ…」
ポロポロ涙が落ちて、顔をあげることもできなかった。
「……」
爽太君は、何も言わなかった。
「私ね…、母にずっと、あんたなんて、生まれてこなければ良かったのにって、言われて育ったの…」
「…え?」
私は、なんでこんな話まで、爽太君にしているのだろう。でも聞いて欲しくて、私はそのまま続けていた。
「私がいたから、母は離婚ができなかったの。父には不倫の相手がいて、それを知っていながらも、別れられなかったのは、私のせいだって…。私さえいなければ、幸せになれたって…」
「……」
爽太君が、息を飲み込んだのがわかった。
「父は私には優しかった。ううん…。私がいい子にしていたら、優しかった。一回だけ反抗したら、すごく怒って、お前もかって怒鳴られて…。私、嫌われるのが怖くて、ずっといい子でいた」
「……」
爽太君は黙って、息をひそめて聞いていた。
「誰にも愛されてなかったんだ。ずっと…。だから、私自分自身も、生まれてこなかったらよかったって思ってた。自分が大嫌いで、ずっと、大嫌いで…」
「……。俺…」
爽太君が、口を開いた。
「ごめん。えらそうに、稔って人に、くるみさんのことわかってるなんて言って…。俺も、全然わかってなかったよね」
爽太君はそう言うと、じっと私の顔を見て、
「俺は、ずっと両親の愛を思い切り感じて、生きてきた。だから、くるみさんの思いは、多分わかってあげられない」
と真剣な顔で、話し出した。
「え?」
「でも、うちの親も、俺や春香も、くるみさんに愛を注ぐことは出来る…」
「……」
「生まれてこないほうがいい命なんて、この世にないよ」
「……」
「どんな命も尊いって思う。それに…」
「うん…」
「生まれてきてくれなきゃ、こうやって出会えなかったし」
「……」
目頭が熱くなった。ぎゅって目をつむって、下をまた向いた。
「俺、くるみさんの両親には感謝だな」
「なんで?」
思わず、顔を上げた。そのとたん、我慢してた涙が、こぼれ落ちた。それを見て爽太君は、そっと、涙をふいてくれながら、
「だって、生んでくれなきゃ、こうやって会えてないから…」
と微笑んだ。
「……」
どうしよう…。思い切り声をあげて、泣きたいくらいだ。
「なんだかな~~。俺の悩みなんてすんげえ、ちっぽけだったや」
と、爽太君は、笑った。
「だってさ、好きな人がいる、会えてる、それだけで、本当は幸せなことなんだよね。そりゃ、相手が俺を思ってくれたら、もっと嬉しいけど…。でも、いいや、もう」
「え?」
「いいや。いてくれるだけでも、いいや…」
「……」
爽太君が、あまりにも無邪気にそう言って、微笑むので、私もなぜだか、一緒に微笑んでしまった。
「そうだね…」
そうつぶやくと、また、爽太君は笑った。
「あ…。俺の相談聞いてて、辛かったんでしょ?ごめん。もっと早くに気づけばよかった」
「ううん…」
「俺も、俺のことしか考えてないよね。ごめん」
「いいよ。だって相談に乗るって言い出したのは、私のほうだし…」
「無理しないでよね」
「え?」
「俺の前では、無理しないで。素のままで全然オッケーだから」
「…うん。でもね、爽太君の前では、強がってみせたりしてないよ。稔とは全然違うの。なんでかわからないけど、一緒にいて素でいられて、楽なの…」
「そう?俺もそうだな…。くるみさんといても緊張しないし。素でいられる」
「…不思議だよね?」
「うん」
爽太君は、すっかりさっきまでの、暗い表情から抜けだした様子で、明るく優しく微笑んでいた。
「あ、なんかいきなりお腹、すいてきた。弁当食べてもいい?」
「お茶淹れようか?」
「うん。ありがとう」
給湯室に行き、ポットにお湯を入れ、戻ってきてお茶を淹れた。爽太君は、ばくばくとお弁当を食べていた。
「くるみさんは、もう食べたの?」
「うん。もう食べたよ。あ、そろそろ帰って、お店の片付け手伝わなくちゃ」
「あ、もうそんな時間?」
「うん。じゃあ、仕事頑張ってね」
爽太君を励ますつもりが、逆に私が救われていた。爽太君の、
「生んでくれなきゃ、会えてなかった」
という言葉を、お店までの帰り道、私は反復していた。
会えてよかったって、思ってくれてるんだ。それが、例えば、家族のようなものだとしても…。それだけでも、幸せだ。
「好きな人に会えてる、それだけで幸せなことだよね」
うん、本当に。私は爽太君と出会えて、毎日会えてる…。それだけもう、幸せだ。
爽太君がくれた言葉を、一つずつ大事にかみしめながら、私は歩いていた。
そして、初めて、そう、生まれて初めて、私は親に感謝をした。
「生んでくれて、ありがとう」
生まれなかったら、会えなかったから。大好きな人に…。
ありがとうって思っただけで、私の心は愛でいっぱいになって、あったかくって、嬉しくて、幸せで、満たされていた。