6 爽太君の誕生日
爽太君と圭介さんは、しばらく仕事が落ち着いていたのか、夜早めに帰り、ご飯を食べ、家でちゃんと寝るという、普通の生活をしていた。
爽太君が、早めに起きた日には、一緒にクロの散歩に海まで行った。ついこの間ここで、死のうとしたなんて信じられない。穏やかな海が広がっていて、それは私の心も同様だった。
爽太君の隣にいることも、れいんどろっぷすで働いていることも、全部が穏やかで、幸せだった。
「爽太君やみんなと、こうやっていられるだけでもいいかな…」
そんなことを感じながら、毎日を過ごしていた。
粗大ごみも、いろんな片付けも、爽太君が2回も手伝いに来てくれて、すんなりとことは運んだ。
そして、いよいよアパートを引き払おうと、日曜にまた、爽太君が車を出してくれたのだが、アパートを出たところで、ばったりと、稔に会ってしまった。
「くるみ!」
「稔…?」
「何回か来たんだよ。メモも入れておいた。なんで連絡よこさないんだよ」
「……?」
なんで、連絡しなくちゃいけないのか、こっちが聞きたい。
「何か用?」
と、無表情にそう言うと、稔は爽太君のほうをじろっとにらんでから、
「連絡先、何も聞いてない」
と、少し不機嫌そうに聞いてきた。
「なんで、連絡先を教えなくちゃならないの?」
「そりゃ、いきなり携帯はつながらないし、アパートにはずっといないしで、心配するだろう」
「会社辞める日に、言ったじゃない。住み込みでバイトしてるって」
「…なんの?」
「なんのって、カフェでバイトしてるの」
「変なところじゃないんだろうな?」
「何が言いたいの?」
「あいつも心配してる」
「あいつって…、梨香?」
「そうだよ。相当自分を責めて、別れようって俺にも言ってる。くるみの人生、狂わせたんじゃないかって…」
「……。そんなこと言われても…。私が悪いわけじゃないよね?」
「そりゃ、俺らのほうが悪かったけど、でも、こんなにいきなり忽然といなくなったら、誰だって心配するだろう?」
「もう、彼女でもないし…、友達でもないのに…」
「くるみ。俺はいいよ。憎まれるようなことしたよ。でもあいつは、何も悪くない」
「……」
胸が苦しくなった。私はぎゅって唇をかんだ。そうしないと泣きそうだったからだ。
なんで私が責められるのか。でも、稔と梨香を憎み、思い切り苦しめてやろうと思ったのは事実。そのバチが当たったと言うのか。苦しませようとして、自分に跳ね返ってきたのか。
「あんた、おかしいんじゃないの?」
いきなり、爽太君は冷ややかな声で、稔に言った。
「え?」
稔は、誰かも知らない相手に言われたからか、腹を立てたようだ。
「お前誰だよ?部外者だろ?黙ってろよ」
「部外者じゃねえよ。くるみさんの家族みたいなもんだから」
爽太君はがんとして、譲らなかった。
「家族…?」
「あのさ、さっきから聞いてると、なんでくるみさんが悪者になってるのかが、わかんねえ。あんた、くるみさんがどんなに苦しんだかとか、わかってんの?」
「わかってるよ!くるみのことは1番」
「わかってないよ!わかってたら、別れたりしねえよ。ちゃんとそばについててやってるよ」
爽太君は、ものすごい怖い顔でまくしたてた。こんな爽太君は、初めて見た。
「なんで、お前に言われなくちゃならないんだ?何が家族だ。こっちのほうが、くるみとは長い付き合いで…」
「時間なんか関係ないよ。あのさあ、死のうって思うくらい苦しい思いしてるって、気づけなかったんだろ?」
「……」
稔の表情が変わった。
「恋人だったんだろ?なのに気づけなかったんだろ?てんで、くるみさんのことわかってなかったんだろ?」
「じゃ、お前はわかってるっていうのか」
「あんたよりはね」
「何がわかってるって言うんだよ」
「今、くるみさんがすんげえ辛い思いしてるのも、わかってるよ!あんたに責められて、泣きそうになってんのも我慢して。そんなのもわかんねえの?なんで今になっても、くるみさんのこと責めるんだよ?あんたとその梨香さんって人が、別れようがくっつこうが、あんたたちの問題じゃん。それをなんで、まだくるみさんのせいにしてんの?」
稔は、黙ってしまった。でも、相当怒っているのか、こぶしが震えていた。
「爽太君…。いいよ。そんなに怒んないで…」
「でも…」
「いいの。本当にいいの…」
私は、爽太君がそこまで私のために、怒ってくれることが嬉しかったし、私の今の苦しみを、爽太君がわかってくれていることも嬉しかった。
爽太君の腕をぎゅってつかんだ。ぽろって大粒の涙が出た。悲しさや悔しさや、苦しみの涙じゃない。なんだろう…。きっと、嬉しくてだ。
その涙を見て、稔は慌てていた。稔の前では、本当に泣いたことがないから。
「……。くるみ…」
稔は何か言いたそうにしたけど、どうやら、言葉にならなかったようだ。黙って、そのまま稔は後ろを向いて、その場を立ち去った。
爽太君と私は、車に乗った。爽太君は何も言わずに車を発進させた。
しばらく走らせてから、
「ごめん。俺よけいなこと言ったかな」
と、ぽつりとつぶやいた。
「ううん。嬉しかったよ。ありがとう」
にこって微笑んでそう言うと、爽太君も安心して、にこって微笑んだ。
「私が、泣くの我慢してるのわかったの?」
「わかるよ、そりゃ…」
「そうなんだ…」
「え?普通わかるでしょ?」
「稔はいつも、わからなかったよ」
「すんげえ鈍感な人だよね。さっきも思ったけど」
「…そうだね。でも、男の人って、みんなそういうものだって思ってた」
「え?」
「父もそうだったし…」
「そうなの?」
「うん」
あ、そっか。瑞希さんが爽太君は、勘が鋭いって言ってたっけ。それでかな…。
「爽太君…」
「ん?」
「爽太君が怒ってるの見たの、初めて」
「あ…、やっちゃったよね、俺…。いつもあまり切れないんだけど、一回ぶちって切れるとああなっちゃう。気をつけてるんだけどさ」
「でも…、かっこよかったし、頼もしかったよ」
「まじで?」
「うん」
「ほんと?俺、相当なおせっかいしたかもって、反省してたんだけど…」
「本当に、嬉しかったよ。嬉しくて泣いちゃったもん」
「あ…、あれ嬉し涙だったの?」
「うん」
「そうなんだ…」
「うん」
「……」
それきり爽太君は、何も言わずに、車を走らせた。
車内には、爽太君がかけた音楽が流れていた。ミスチルの歌だ。途中で「くるみ」が流れてきて、それを聞いて、また、なぜだか泣きそうになった。
あんなふうに、誰かが私のために怒ってくれたこと、初めてかもしれない…。
黙って、爽太君のあたたかい空気を感じ、江ノ島に帰ってきた。
ゴールデンウィーク、お店は忙しかった。
逆に圭介さんと、爽太君は暇そうだった。カレンダーどおりに休みもとり、爽太君は何回か、れいんどろっぷすの手伝いにも入っていた。
圭介さんはというと、家でのんびりしたり、友達に会いに行ったり、お兄さんのところに行ったりしていたようだ。
忙しい連休を終え、落ち着いてきた週の火曜日の夜、瑞希さんはケーキを焼きだした。
「明日のれいんどろっぷすの定休日、夜、爽太と春香の誕生日パーティするのよ」
「え?明日?」
「爽太の誕生日は、5月12日、春香が4月28日。春香には悪いんだけど、ゴールデンウイークに突入しちゃうと忙しくて、ついゴールデンウイーク明けてからの、パーティになっちゃうのよね」
「そうなんですか…。あ、じゃ、何かプレゼント…」
「そんなに気を使わないで。お祝いを一緒にするだけでも、喜ぶと思うし」
「でも…。明日の夜からですよね。私昼間、買い物に行ってもいいですか?」
「ええ」
「じゃ、藤沢にでも行ってきます」
「明日はね…。春香、彼氏も呼んだらしくて…。ああ、圭介が見ものだわ」
「え?」
「ふふふ…」
瑞希さんは、意味深な笑いをした。
「誕生日に、彼氏や彼女を呼ぶの、初めてだし。あ、そういえば、爽太、誕生日の時って彼女いないのよね~~」
「今回もですね」
「ねえ。寂しいっていうか…。ま、しょうがないか」
「買い物帰ったら、お手伝いしますね。あ、藤沢で何か買うものあったら、言ってください」
「ありがと。そうね…。天井からリボンでもぶら下げるか、くす玉っていうのも、いいかしらね。あ、でもそういうのは、圭介が買ってきそうだわ。お祭りや、パーティ、大好きなのよね」
「へえ…。なんかそんな感じしますよね」
「くるみさんの誕生日はいつ?」
「8月30日です」
「あら…。圭介も8月生まれよ。じゃ、一緒にパーティできるわね。8月にやりましょうね、盛大に」
「はい。ありがとうございます」
「あ!面白いものがあるのよ。リビングの本棚に…。待っててね」
そう言うと、瑞希さんはいったん、リビングにあがり、またすぐに戻ってきた。
「誕生日大全。だいぶ前に買ったんだけどね。えっと、8月30日…」
瑞希さんは、分厚い本をめくりだした。
「あった。表情豊かで勤勉。愛情深い」
「え?当たってないかも…」
「そう?」
「あの、見せてもらってもいいですか?」
「はい、どうぞ」
読んでみると、ああ、「隠された自己」は当たってる…。『家族愛に縁がない傾向が強いので、愛情表現が苦手です』まさに、これ…。
「当たってますね、やっぱり…」
「そう?」
「あ!?」
「どうしたの?」
「いえ…。爽太君、5月12日生まれだよなって思って…」
「うん。そうだけど、相性占いのところに爽太の誕生日があった?」
「はい」
「あら!ソウルメイト?!」
「……」
「私と圭介もなのよね」
「え?そうなんですか?」
「圭介は8月7日生まれ、私は3月27日生まれ。ソウルメイトなのよね~~」
「へ~~~」
「そう、爽太とソウルメイトなんだ…」
「……。ソウルメイトって、なんですか?」
「さあ?その辺は私にもよくわからないけど…。何かしらね?」
「はあ…」
瑞希さんはまた、キッチンに行き、片付けしだした。私もあとから続き、キッチンの片付けを手伝った。
「ソウルメイトってよくわからないけど、でも、そういうの関係なしにしても、人と人との出会いって奇跡だと思わない?」
「え?」
「出会いで人生が変わったり、ここで会わなかったら、私の人生まったく違ってた…みたいな」
「はい。そうですね。私も、海で爽太君に出会わなかったら、ここにはいなかったし…」
っていうか、この世にもいなかったかもしれない。
「出会いって大切だから、お店で会うお客さんもね、大事なのよね。一期一会というしね」
「はい…」
瑞希さんの言ってることが、心にしみていくような気がした。
翌日、私は春香ちゃんと爽太君のプレゼントを買いに行った。
春香ちゃんには、可愛いエプロン。これをつけて、ケーキを焼いて欲しいなって思って買った。そして、爽太君へのプレゼントは、どれにするか迷いに迷った。
「服の趣味わからないし、何が欲しいかもわからないし…」
悩んで、悩んで、悩んだあげく、ガラスで出来たイルカの置物を見つけ、それを買った。
イルカ、好きだって言ってたし、部屋に飾ってもらおう。あ、そういえば、爽太君の部屋、入ったことないな~~。
春香ちゃんの部屋なら、ときどき春香ちゃんが、お化粧を教えてと言うので、教えてみたり、二人で洋服を買いに行った日に、ファッションショーをしてみたりするので、入ったことがあるんだけど…。
二人のプレゼントを持って、私はれいんどろっぷすに帰り、瑞希さんの手伝いをした。
途中から、爽太君のおばあちゃんが来て、お料理を手伝っていた。そのおばあちゃんはどうやら、圭介さんのお母さんで、瑞希さんのご両親もプレゼントを持ってやってきて、いろいろと準備を手伝い始めた。
そのうちに、瑞希さんの弟さんとその奥さん、それに二人のお子さん、つまり爽太君の従兄弟もやってきた。爽太君や、春香ちゃんより年下で、まだ、高校生だと言っていた。
それから、圭介さんの弟さんも奥さんと一緒に来た。その間に生まれた子は、まだ、小学生らしい。
親戚一同が集まった…という感じだ。すごいな~~。みんなして誕生日祝いにかけつけちゃうなんて。
「何かっていうと、パーティ好きで集まる連中なのよ。私の兄や、圭介のお兄さんは、仕事で来れないけどね。後の二人は、暇なのよね、きっと」
そう瑞希さんが、キッチンでこっそりと教えてくれた。
今日の主役である、春香ちゃんが帰ってきて、1時間ほどして、圭介さんと一緒に、爽太君も帰ってきた。みんな揃ったところで、
「爽太、春香ちゃん、お誕生日おめでとう!」
という、圭介さんのお父さんの一声で、みんなで乾杯をした。
「おめでとう~~!」
みんなは、口々にそう言って、爽太君と春香ちゃんに、プレゼントを渡しにいった。私も、春香ちゃんにプレゼントを渡した。
「ありがとう~~」
と、春香ちゃんはいつもの、明るい笑顔で、受け取った。
それから、一つずつ丁寧にプレゼントを開けていった。爽太君も、プレゼントを開けていた。
私は少し恥ずかしくて、あとで、プレゼントをこっそりあげようか、それとも、今のほうがいいか、迷っていた。
だが、開けたプレゼントにみんなが反応をし、喜んだりからかったりしているのを見て、やっぱりあとであげることにしようと、爽太君にあげるプレゼントを、自分のエプロンのポケットにしまった。
みんなで、わいわいと話をしたり、食べたり飲んだりして、そのうちに、
「じゃ、そろそろ帰るね。今日はごちそうさま、瑞希さん」
と帰っていった。
「さ、後片付けしましょうか」
瑞希さんはそう言うと、片付けを始めだした。瑞希さんのお母さんはその場に残り、片付けを手伝っていて、お父さんは、圭介さんとまだ、れいんどろっぷすのカウンターで話し込んでいた。
春香ちゃんの彼氏は、結局来ていなかったが、
「遅くなって…、あ、終わっちゃった?」
と、みんなが引き上げてから、ひょっこりと顔を出した。どうやら、自分の店を閉めてから、来たようだ。
「あら、いらっしゃい。ちょっとまだ、食べるもの残ってるし、ケーキもとってあるの。食べてって」
と、瑞希さんは一つのテーブルの上を片づけ、そこに並べた。
「誕生日おめでとう、春香」
と、茶髪で、耳のかたほうにピアスをあけた、真っ黒に日焼けした春香ちゃんの彼氏が、春香ちゃんにプレゼントを渡していた。
「ありがとう」
春香ちゃんは、それを受け取り、嬉しそうに開けていた。
それをカウンターの席から見ていた圭介さんは、複雑そうな顔をしていた。
「俺も、なんか手伝おうか?」
爽太君は、どうやら、手持ち無沙汰なのか、キッチンに来てそう言った。
「あら、主役なんだからいいのよ。奥で休んでいたら?」
「うん。じゃ、そうする…」
爽太君は、リビングに上がっていった。
片付けが終わり、
「くるみさん、お疲れ様。もう休んで」
と、瑞希さんは言ってから、
「お母さんもありがとうね」
と、瑞希さんのお母さんにお礼を言った。
「じゃ、帰るわね。お父さん、帰るわよ」
「ああ、じゃ、圭介君、瑞希、またな。それと、爽太!うちにも遊びに来いよ。春香ちゃんもな」
と、瑞希さんのお父さんは優しく笑って言った。
「おじいちゃん、おばあちゃん、今日はサンキュー」
「おじいちゃん、おばあちゃん、今度遊びに行くね」
爽太君と、春香ちゃんは二人を見送りながら、そう言った。
瑞希さんのご両親が帰って行き、れいんどろっぷすには、春香ちゃんの彼氏だけが残っていた。
「さてと…。俺、先に風呂に入ってもいいかな?」
圭介さんが、誰ともなくそう聞くと、
「いいわよ」
と、瑞希さんが答えた。
「春香、お母さんたちもう、リビングで休むから、あとはよろしくね」
瑞希さんは、春香ちゃんと彼氏だけお店に残し、リビングへと上がっていった。私と爽太君も、あとからついていった。
爽太君は、
「今日はサンキュー」
と、瑞希さんに言ってから、プレゼントを全部抱えて、2階へと上がっていった。
「私も、部屋に行って、休んでいいですか?」
「もちろんよ。お疲れ様。ゆっくり休んで」
「はい」
2階へ上がり、エプロンを取り、エプロンのポケットの中のプレゼントを持って、爽太君の部屋のドアをノックした。
「はい?」
爽太君が、中から返事をした。
「くるみです。あの、今いいかな、ちょっと…」
ガチャ…。ドアを開けて、爽太君が、
「いいよ。何?」
と聞いてきた。
「これ…。さっき、渡しそびれちゃて。プレゼント…」
「え?」
「お誕生日おめでとう」
爽太君は、少し目を丸くしてから、
「あ、ありがとう」
と、プレゼントを受け取った。
「開けてもいい?」
「うん…」
「あ、ここじゃなんだし、中に入って」
「え?」
爽太君はそう言うと、部屋の中に入っていった。私も、ちょっと躊躇したものの、爽太君のあとに続いて、ドキドキしながら中に入った。
爽太君の部屋は、濃いブルーで統一されていて、鯨やイルカの写真のポスターが貼ってあった。それから、何枚かの海の写真。なんだか、部屋全体が海のイメージ…。まるで、海の中にいるかのような、そんな部屋だった。
「わ、イルカ?」
爽太君は、私があげたプレゼントを開けていた。
「あ…。うん。イルカ、好きだって前に言ってたから」
「ありがとう。大事にする」
爽太君は、そう言って微笑んだ。私は、なんだか、照れくさくなった。
「海、好きなんだね。たくさん海の写真が貼ってあるし…」
「うん」
「海のDVDもあるんだ」
「うん」
爽太君は、うんとしか言わなかった。ベッドに座ったまま、こっちを見ている。
「えっと…。じゃ、私そろそろ部屋に戻るね」
「え?もう?」
「うん…。疲れてるでしょ?」
「ううん」
「でも…。悪いから…」
「何が?」
「何がって、長居したら…」
「なんで?」
「なんでって…」
なんだか、爽太君は目がとろんとしていた。
「酔ってる?けっこうお酒飲んでたの?」
「俺?」
「うん」
「そうでもないけど」
「そうかな…。あ、じゃ、本当にもう戻るね。おやすみ」
「もうちょっと、いてよ」
「……」
なんだか爽太君は、いつもと違う雰囲気だ。
「これ、ほんとありがとう」
まだ爽太君は、イルカの置物をにぎっていた。
「あ、うん」
そんなに気に入ってくれたのかな。
「嬉しいや」
「そう?」
そんなにイルカが好きなのかな。
「……」
爽太君は、また無言になり、黙ってこっちを見ていた。
「あの…」
部屋の真ん中で立ちすくみ、どうしようかと思っていると、
「なんか、DVDでも観る?このへんの海のやつ、すげえ綺麗だよ」
と爽太君が、言ってきた。
「あ、うん」
爽太君はDVDをセットして、テレビをつけた。それから、またベッドに座った。
「あ、ここに座って」
爽太君は、自分の座っている場所の横に手をおいた。
「ここ」
そうは言われても、抵抗がある。はい、わかりましたと、横に座るのがすごく恥ずかしい。
私は、爽太君が手を置いた辺りにいき、床に腰を下ろした。
「あれ?そこ?なんで?」
爽太君が、聞いてきた。
「あ、こっちのほうが、ほら…、ベッドによっかかれて楽かなって…」
思いきりこじつけの、理由を言った。すると、
「あ、それもそうだね」
と、爽太君も床に座った。それも、私のすぐ横に…。ああ…、それが恥ずかしいから、横に座るのを避けたのにな…。
でも、私が恥ずかしがっているのをおかまいなしに、爽太君は、DVDの説明をしだした。どこの海の映像かとか、魚の名前を教えてくれた。
私は、そんなのちっとも耳に入らなかった。すぐ横にいる爽太君になんだか、どきどきしてて…。
こんなのは、初めてだ。ああ、きっと、なんか爽太君の雰囲気が違っているからだ。
しばらくは、あれこれとしゃべっていた爽太君は、気がつくと黙り込み、また私の顔をずっと見ていた。
「何…?なんか、私の顔、変?」
「ううん。別に…」
言葉が少なくて、黙ってただ見ている。ああ、きっと相当酔っているんだ。膝を抱え、膝に頭を乗せ、私の顔を黙って見ている。
「あの…、どうしたの?なんか、いつもと違うよ」
「俺?」
「うん」
「別に…」
やっぱり、変だ。
「俺さあ…」
「うん…」
「……。変なんだよね」
「うん、だから、変だって…」
「いや、今じゃなくって…。最近の話」
「うん…?」
「変なんだよ。何がどう変かって言えないんだけど…」
「?」
「やっぱ、変なんだよね…」
「???」
さっぱり、わからなかった。何がどう変か説明してくれなきゃ、わからない。
「あ~~~~~~~~。変だ!」
いきなり、爽太君は、大きな声を出した。
「び、びっくりした…」
「ごめん」
「何が、どう、変…?相談に乗るけど…?」
「相談…、乗ってくれるの?」
「うん」
「じゃ、聞いてもらおうかな…」
「うん」
爽太君は、またしばらく黙り込んだ。でも、私の顔でなく、どっか宙を見つめていた。
「あのさ…。くるみさん、経験ある?」
「え?どんな?」
「う~~~ん。説明難しいけど。こう、もやもやってして…」
「?」
「知らない間に、考えてて…」
「?」
「気になってて…」
「??」
「……。一晩寝れなかったりして…」
「???」
「でさ…」
「うん」
「幸せと、そうじゃないのと、交互にやってくる」
「????」
「わかる?」
「ごめん、わかんない…」
「やっぱり?」
「うん…」
「は~~~~~」
「?仕事のことで悩んでる?」
「いや…。仕事うちこんで、忘れようとしてる」
「?」
「なんだろうな。なんでかな。ずっと、おんなじ顔ばっか、何度も頭の中で再生されてる…」
「顔?誰の?」
「……。それは言えないけど…」
「女の子…とか?」
「……」
一瞬、爽太君の顔が赤くなった。
「あ…。そっか。すごく気になる子がいる…とか?ああ、もやもやってして、一晩その子のこと考えると寝れなくなって。頭の中からその子の顔が、離れない…のかな?」
「ああ。それ…。その通りです…」
「それって…」
なんか、見る見るうちに赤くなっていく爽太君の顔を見て、逆に私の顔から血の気が引くのを感じながらも、私は言ってしまっていた。
「恋、じゃないの?」
「ええ?!」
爽太君は、ものすごく驚いていた。
「え?そんなに驚かなくても…。だって、それ、誰が聞いたって…」
「恋?」
「うん…」
「それは、やっぱりその人のことを、俺は好きだってことだよね?」
「……。うん…」
うんとは言いたくなかった。馬鹿だな、私…。こんな話を聞くお姉さんか、相談役になってるなんて。
「……。わかった…」
「うん…」
「あ…。誰とか、聞かないでね。まだ、俺の中でぐちゃぐちゃしてて…」
「聞かないよ…」
聞きたくないし…。
「俺の中で、その…、なんか葛藤っていうか。そんな馬鹿なっていうか、そんなのありかよっていうか…」
「そんなに驚くことだったの?」
「うん。多分…。その…」
「そうなんだ…」
誰だろう…。ああ、聞きたくないのに、気になるなんて…。でも、1番に浮かぶのは五月ちゃんだ。別れたのに、五月ちゃんの顔が浮かぶとか…。それは、驚くことだろうな、衝撃的なことだろうな…。
「やっぱ、もう少し俺、自分の気持ち整頓する…」
「?」
「でも…、やっぱり、聞いてて恋だと思う?」
「うん、多分…」
「そう…」
「うん…」
爽太君は、しばらく膝に顔をうずめていた。それから、
「片思いだ…」
と突然、ぼそってつぶやいた。
「え?」
「完全な…」
「そうなの?」
「どこをどうやって見ても、絶対に」
「なんで?わからないよ…」
「わかるよ。俺。そういうの鋭いっていうか…」
「……。直感?」
「うん」
「そっか…。でも、わからないよ、人の気持ちって変わるし。これから変わるかも…」
「それ、慰めてる?励ましてる?どっち?」
「え?えっと…」
「やっぱ、叶わない恋になりそう…」
「でも…、でもね。わからないってば。あ!」
「え?!」
「まさか、人妻?」
「ち、違うよ!」
「じゃあ、可能性ゼロじゃないよ。きっと」
と言いながら、自分はどうなんだって自分に聞いた。
爽太君が好きなくせに、こんなことを言ってる自分。これって、いい人でいたいから?それとも、なんなんだろう…。私が好きだなんて言ったら、困らせるから?もう、こんな関係もなくなっちゃうから?
「はあ…」
爽太君の口からもれたため息の音に、一瞬びっくりした。だって、私の口からもれたのかと思えたから。
「恋ってさ、本当に人を好きになるって、辛いことなんだな…」
爽太君は、ぼそってそう言った。
「でも、わからないよ。楽しいことになるかもしれないし…」
「もしかすると、お先真っ暗、ふられるかもしれないよね。こっぴどく…」
「それは…。その…、わからないけど…」
「そういう可能性もあるでしょ?っていうか、そっちの可能性のほうが大だよ」
「そんなに、爽太君から見て、無理そうな相手なの?」
「うん」
「…誰?」
「聞かないでって言ったよね?!」
「うん。ごめん。聞かない!」
爽太君の顔が、本当に引きつったので、慌てて謝った。馬鹿だ。私。聞いてどうするつもり…?
「……。イルカ、ありがとう」
「え?うん」
「これ、どこに置こうかな。事務所のデスクが1番いる時間長いから、そこに置こうかな」
「うん…」
「ありがとう。これ見て、仕事頑張るよ」
「うん」
「それから、くるみさんのことも思い出し…」
「うん…?」
途中で爽太君は、固まってしまった。
「あ、やっぱ…」
「え?」
「なんでもない」
「?」
しばらくまた、爽太君は、頭をかかえてしまった。どうしたんだろうか。相当に悩んでいるのか…。
「……。あのさ。今、言ってたことも、忘れてね」
「え?」
「なんか、酔ってる、やっぱり俺。すごい恥ずかしいこと言ってると思うし…」
「……」
「それに、すごい変なこと聞いてると思うし、それに、馬鹿なことしてると思うし…」
「……?」
「あ…。すんげえ馬鹿なことしてるんだよな~。俺…」
「え?なんで?」
「もう、聞かないでくれる?俺、落ち込んできたや…」
「うん。ごめん」
「……」
「私、戻るね。おやすみなさい」
「うん。おやすみなさい」
爽太君は、少し顔を上げて、そう言った。
爽太君の部屋を出て、深いため息をつき、自分の部屋に戻った。
「馬鹿なのは私だよ、爽太君…」
いつまで、お姉さんを続けるのだろうか。もしかして、一生…?
どんよりした気持ちで、お風呂に入った。それでも、どんよりとした気持ちは変わらないまま…。そのまま、部屋に戻り、ベッドに横になって、どんよりとしたまま、私は眠りについた。