2 れいんどろっぷす
その日のうちに私は、庶務課に電話して、課長に明日辞表を出しに行くと告げた。突然のことで、課長は驚いてはいたが、なんとなく退社したい理由は察していたようだった。
実はその課長も、営業で失敗をして移動になり、もう10年以上もそこにいる。男の人というのは大変だ。
そんなことがあっても、家族のために働き続けなければならないのだから。でも、リストラされるよりは、まだましかもしれないな…。
そう思うと私は、居場所がないと嘆いていたけど、自由といえば自由の身だ。自分の心配だけしていたらいいのだから。
母もやはり、そうはいかなかったんだな…。もし、離婚をしても私がいた。私を養わなくちゃならない。自由の身にはなれなかっただろうな。
私を捨てて、自由になるという選択もできただろう。でも、それはしなかった。母はいつも、私を責めてはいたけど、育ててくれたことには変わりない。感謝することなのかもしれないな…。
私は、その日のうちに、荷物を詰め始めた。
何枚ものスーツが、クローゼットにはあったが、すべてをごみ袋に入れた。それから、たくさんのアクセサリーや、ビジネス用の鞄や、パンプスも袋に入れた。
たくさんの書類や、資料、本も全部束ねた。ごみ袋の山になったが、すっきりした。
食器や、調理道具は少ないものだった。たいていが、外食で済ませていたし、家でもレトルトのものが多かったし…。
「私の今までの人生ってなんだったんだろう」
ごみ袋の中に埋もれて、切なくなった。
最後に、アルバムを捨てるかどうかを迷った。子供のころからの家族の写真は少なく、学生時代に友達と写した写真、同期で旅行に行ったときの写真、そして、稔との思い出の写真が、アルバムには貼ってあった。
数少ない家族の写真だけを残し、思い切って、ほかは捨てることにした。
ざっと見てみると、残った私物は少なかった。
「いいかもしれない、これで。人生やり直すには、なんにもなくてもいいくらいだ」
粗大ごみは、すぐに手配をしたが、2週間後といわれた。まあ、いいや。早めにお店を手伝うことにして、この部屋を出て行くのは、2週間後にしよう。
それから、ぶらぶらと、6年過ごしたアパートの付近を散歩した。よく行くパン屋。スーパー。本屋。そして、稔としょっちゅう行っていた、居酒屋。
懐かしいような、でも、そんなに思い出深いものでもないような、不思議な感覚だ。
明日にでも、お別れしても、もう、痛くも痒くもないような、悲しくも寂しくもないようなそんな感覚は、多分、今日あれだけボロボロと泣いたからかもしれない。
家に会社を辞めることを言うかどうか迷ったが、なんだか、母親の声を聞くのが嫌で、連絡をするのをやめた。そのうちに、向こうから何か、連絡したくなったらしてくるだろう。
家に帰り、パソコンでミスチルのHANABIを聞いてみた。
「へえ、素敵な歌」
爽太君のご両親の思い出の歌だって言ってた。どんな出会いをして、どんな恋愛をして、どんな夫婦だったんだろう…。
爽太君みたいな天使が育った家庭って、どんななんだろうか?
そして、爽太君の天使の笑顔を思い出した。ああ、私あんなにひどいことを言ったのに、謝ってもいない。
翌日、辞表を持って、会社に行った。まず、庶務課に行き課長に辞表を渡した。そして、今までいた営業に行き、荷物をまとめた。
私の斜め前に、稔の席はある。私が荷物をかたづけていると、しばらく私のことを見て、何かを言いたそうにしているのがわかった。
「お世話になりました」
と、私は部のみんなに深々とお辞儀をして、荷物を持ち、その場を立ち去った。
廊下を出て、ロッカーへと向かっていると、後ろから稔が声をかけてきた。
「荷物、持とうか?」
「大丈夫、重くないし」
「こんなときでも、俺を頼らないんだな」
稔の言葉に私は、半分あきれた。あなたはもう、関係のない人間じゃないか。
「彼氏でもないのに、どうして、頼らなきゃならないの?」
「いや…、その…」
稔は、何も言えなくなっていた。
「昨日、庶務課に行ったら、無断欠勤だって言われて…」
「何しに来たの?」
「ちょっと、大丈夫か気になったものだから」
「じゃ、家か携帯に電話をくれたらよかったんじゃない?」
「ああ、でも、もう別れたし、それはちょっと…」
「稔って優柔不断ね。前から思ってた。別れたんなら、突き放せばいい。途中半端な優しさはやめて」
「そうは言っても」
「梨香が気にするとは思わないの?私にかまってたら…」
「いや、だって梨香は、君にとって…」
「もう、友達じゃない。彼氏を取られてまで、友達でいられるほど私は、馬鹿じゃないし」
「でも…、梨香も、君の事、気にしてた」
「…昨日、今頃自殺でもしてるんじゃないかって思ったとか?」
「まさか!そこまで君は弱いと思ってないよ。ただ…」
「自殺しようとして海に行ったわよ」
「え?」
「体半分まで入ってた」
「……」
稔の顔が青ざめた。でもすぐに、
「冗談だろ?」
と言ってきた。
「ほんとよ」
まだ、稔は、半信半疑の顔をしていた。
「もし、死んでたらどうした?」
「え?」
「それでも、梨香と付き合ってた?」
「……」
「それとも、罪悪感でいっぱいになった?」
「やめろよ。もう…」
稔の顔が引きつった。
「お前が死ぬなんて、そんなの信じられるかよ。いつだって強くて、弱いところなんて見せないお前が」
「そうよ。見せなかったわよ。見せれなかったわよ。いつでも…」
「……」
「でも、安心して。もう死ぬなんてことしないし、会社も今日で辞めるし…」
「え?辞めるって?田舎に帰るのか?」
「母親再婚するんだって。だから、帰る場所もないし…」
「じゃ、これからどうするんだ」
「住み込みでバイトをする。もう、決まってるの」
「住み込み?どこで?」
「海の近く」
「え?」
「昨日、死のうとしたら、天使が助けてくれた。その天使の家に住むことになった」
「いい加減にしてくれよ。なんだよ、からかってんの?こっちは本気で心配して…」
「じゃ、私が会社辞めたら、結婚してくれるの?養ってくれるの?」
「それは…」
「冗談よ。でも、天使の話は本当よ」
「…子供?」
「青年。天使のように、優しくて純粋で…」
それ以上、言うのはやめた。なんだか、稔に話すのがもったいないような気もした。
「じゃ、総務に行って、手続きするから。梨香には会わないでおく。稔からよろしく言っておいて」
「…くるみ!」
「じゃね」
稔に軽くそう言って、私は重い荷物を持ち、どんどん廊下を歩いた。
総務の扉の前まで来て、胸にぶら下がっている、IDカードをかざすとドアが開いた。このIDカードともお別れか。
もう、私はこんなIDカードを持たなくたって、なんでもない、どこの会社や部署も関係ない、そんなたんなる「小野寺くるみ」になって、生きていくんだな。
IDカードを渡して、荷物を持って、会社を出た。
外は晴れていて、暑いくらいだった。
「明日から、お店に出よう」
何がなんだかわからないが、いきなりやってきた新しい世界に、私は身を任せることにして、そのまま、家に帰った。
お店に電話して、荷物を宅急便で送りますと告げた。それから、明日からお店に出てもいいかを聞くと、瑞希さんは大喜びしてくれた。
出産間近のパートさんは、検診に行き、働くのも控えるように言われたらしい。ずっと、爽太君に手伝ってもらうことになりそうだったから、助かったわと、瑞希さんが言った。
お店に出たからといって、爽太君に会えるわけではないんだなって、少し残念な気がしたが、あ、瑞希さんの家に住むということは、爽太君と住むということかって、少し、どきどきもした。
あれ?おかしいな。爽太君は7歳も下だ。そんなまだ、21歳の青年と言ってもいいくらいの年齢の子にどきどきするだなんて。
だけど、やっぱり心の奥で、何かを期待している…。
その日、どきどきしながら、私は、眠りについた。
ガタン、ガタン…。片瀬江ノ島までは、1時間以上もかかった。電車にゆられている間、また、不思議な感覚におそわれた。
昨日、なんであんなに、稔に攻撃的だったのかな、私。今までは、あんなに攻撃的になったことってないのに。
喧嘩もしなかった。いい子ぶって、喧嘩になりそうになると、私は、すぐに稔を許した。
心の中が、どんなに憎悪で燃え上がってたとしても、たとえば嫉妬してても、心配してても、憎らしくても、いつも、平静を装った。私は、そんなことで、ぐらつくような弱い女じゃないの…って。
何でかな…。親を見ていたからか…。
母はすぐに泣いた。喚いた。ヒスをおこした。父はなぐさめるわけでもなく、母が泣き喚くと家を出て行った。そして、何日か帰ってこなかった。それを見て、何で、母が泣くのかがわからなかった。
泣かないでいい子にしてたら、父は優しくしてくれる。私にはいつも、優しかった。だから、私は父の前で、泣かなかったし、父が喜ぶようないい子にしていたんだ。そうすれば、父はそばにいてくれると思っていたから。
だから、泣き叫んで喚く母を、どっかで馬鹿にもしてた。あんな弱い女にはならないって、思ってた。
なんだったのかな?稔との2年間…。結局、私は、仮面をかぶって、接してきたんだな。稔が、私のことがわからないと言ったのも、うなずけるかもしれない。
ぼ~~っと、そんなことを考えていたら、終点に着いた。
真っ赤な竜宮所のような、駅に降り立つと、驚いたことに、改札の向こうに、にこにこと笑顔で私を出迎えている爽太君がいた。
「おはよ!くるみさん」
「おはよう。…なんで、時間わかったの?」
「あ、母さんに聞いたら、この時間に着くって言ってたから、まだ、道とか覚えてないでしょ?」
「ありがとう」
私は、爽太君のまぶしい笑顔に照れて、まっすぐに見れなかった。
「荷物持つよ」
爽太君は、荷物を持ってくれた。
「父さんがもう、喜んじゃって…。今日から俺、父さんの方の仕事復帰できるからさ」
「大変な仕事なの?」
「ああ、今はね。何個かいっぺんに依頼が来てさ…。もう、父さんって全部引き受けちゃうんだよね。困った人だよ」
「そう…。でも、爽太君、お父さんのことが好きなんでしょ?」
「うん。自分の親が好きって当たり前じゃん。…って。ごめん」
「え?」
「いや、今の失言。そうじゃない家庭もあるんだよね。うちが変わってるんだよね、どっちかって言うと」
「え?」
「あ…。俺の友達でもさ、離婚した親もいるし、別居中とか、喧嘩がたえないとかあるみたいでさ。我が家は本当に、不思議っていうか、周りによく言われるんだよ。珍しいって」
「そう…」
「うん。両親、異常に仲が良過ぎて気持ち悪いってさ」
「変なの…、気持ち悪いって。仲がいいなら、それでいいのに…」
「だよね?だよね~?」
安心したように、爽太君は笑った。
「でも、俺の両親、すげえきついこと一緒に乗り越えたみたいでさ」
「え?」
「あ、また、今度話すよ」
爽太君はそう言うと、いきなり、顔の表情を硬くした。何かなって思っていたら、コンビニの前を通るとき、コンビニの中をちらって見て、手を振って、笑っていた。
中をのぞくと、爽太君を見て、ほほえんで笑っている、かわいらしい子がいた。目がまん丸で、小柄で、ポニーテールにしていた。
「うわ…」
「え?」
「緊張した…」
「?知り合い?」
「う…」
「え?」
「か、彼女です」
「ええ?」
爽太君は真っ赤になった。
私はきっと、真っ青になった。それから、自分に言い聞かせた。
ああ、嘘だから、嘘だから…。爽太君にどきどきするだの、一緒に住めるのが嬉しいだの、そういうの全部全部嘘だから。そう…、ありえないから…。
そう自分で自分に言い聞かせ、それから私は、冷静さを取り戻そうと必死になった。でも、その後の爽太君の話がわからなくなり、笑顔があきらかにひきつった。
だけど、爽太君も彼女のことで舞い上がっていたのか、私の表情の変化に気づかなかったようだった。
お店に着くと、爽太君は荷物を置いて、
「じゃ!」
と言って、かけていった。お父さんの会社に向かうんだろう。
クロは、喜んで私の足元に来た。
「おはよう。よく来てくれたわ~~。あ、荷物朝1番で届いているわよ」
「すみません」
瑞希さんは、荷物を持って、部屋に案内してくれた。
「ここよ。前に住んでいた人が、男性で、ちょっと殺風景な部屋なんだけど…」
「いえ、十分です」
「荷物、出したりする?まだ、お店のほうは大丈夫だから。そうね。あと1時間したら、お店に来てくれるかしら?」
「はい」
「じゃあね」
荷物を出して、次々にタンスの引き出しに入れた。それから、ベッドに座って、ため息をついた。
…そうだよな。彼女がいたっておかしくないよね。
さっきの、爽太君の真っ赤になった表情を思い出して、胸が痛んだ。
「だから、嘘。これも嘘。好きでもなんでもないから」
もういっぺん、そう言って、自分の心にふたをした。
お店に出て、掃除や、開店の準備をした。11時になり、開店をすると、ちらりほらりとお客さんがやってきた。
夏場はかなりの人手らしいが、オフシーズンでも、口コミや、たまに雑誌にも取り上げられるらしくて、お客さんがいない日はないんだそうだ。
瑞希さんは、にっこりと微笑みながら、
「れいんどろっぷすにようこそ」
と、優しく言っていた。
その優しさは、どこからくるのだろう?その優しさに触れ、何度も足を運ぶお客さんもいるんだろうな。
昼、60代くらいの女性が、お店に来た。
「いらっしゃいませ」
と言うと、
「あら?あなたがくるみさん?」
と聞いてきた。少し、爽太君にも似ている気がする。
「あ、お義母さん」
「え?」
「手伝いに来たわよ」
「すみません、ちょくちょく来ていただいちゃって」
そう言うと、その女性は、カウンターの奥に行き、キッチンにエプロンをかけながら、入っていった。
「爽太君のおばあちゃんか…」
それから、2時ころまで、満員だったが、2時を過ぎるころ、少し空いてきた。
「ごめんね、くるみさん。おなか空いたでしょ。ご飯にして」
カウンターの席に、私の分のお昼を用意してくれた。そして、瑞希さんも隣に座り、二人でご飯を食べた。
「あの…。さっき、爽太君の彼女、見ました」
「え?」
「コンビニの…」
「ああ。彼女っていうか、う~~ん。友達っていうか…」
「え?」
「なんかね、あの二人は付き合ってるんだか、どうなんだか、わからないのよね」
「…え?」
「爽太、彼女って言ってた?」
「はい」
「う~~ん。ま、向こうはどうも、かなり熱をあげてるみたいなんだけどね」
「でも、真っ赤になって、彼女だって言ってました」
「あら、本当?そう。じゃ、観念したのかしらね」
「観念って?」
「女の子とね、付き合うってよくわからないとか言ってて。あ、今までも彼女いたことあるのよ。でも、すぐに別れちゃうし」
「そうなんですか…」
「中学のとき、大好きだった人がいてね~~。高校に入って付き合えるようになって、喜んでたらその子が、引っ越していって、それっきり。どうも、引きずってるわね。信じられる?もう何年になるっていうのかしらね」
「でも、なんか、真っ赤になって手を振って、彼女って言ってて…」
「固まってなかった?表情」
「あ。そういえば…」
「でしょ。かなり無理してるわね。ああ、長くは持たないわね」
「……。何で、別れちゃうんですか?」
「ああ、ふられるのよ。向こうが好きになって、告白してきて、付き合ってふられる」
「ふられる?」
「う~~ん。デートとかもあまりしないし、電話もしないし、メールもしないし」
「え?」
「仕事もね、忙しいしね。なんか、女の子って面倒って言ってたわね」
「え?」
「あれは、本気で好きになる子が現れないと、無理ね」
「そうなんですか…」
私の心の中は、ほっとしているような、そんな女性に自分はなれないだろうって、がっくりしているような、変な気持ちだった。
でも、爽太君が大好きになる人ってどんな子なんだろう。今日、見た彼女は本当にかわいらしい子だったけどな。
3時ころになり、またお店は混んできたがそれも5時を過ぎるとぐっと減った。
5時半ころ、春香さんが学校から戻り、お店を手伝いだし、おばあちゃんは帰っていった。その代わり、パートの人が来て、キッチンに入って行き、今のうちと言って、瑞希さんが奥のリビングに休みに行った。
「さ、くるみさんも休んで」
「はい」
休んでいると、そこへ、爽太君のお父さんが帰ってきた。
「瑞希~~~~~~~」
と言うなり、瑞希さんに後ろから抱きついた。
「まだまだなの?仕事」
「うん。でも、爽太に残りやらせて、一服しに帰ってきた」
「大丈夫?あ、お風呂入る?」
「うん。入る。ご飯も食べたい」
「お店で食べる?」
「こっちで食べる」
それから私の方を見て、
「今日からお店手伝ってくれてるんだって?ありがとうね」
と、無邪気に笑った。本当に、仲がいい夫婦なんだな。
「くるみさん、悪いけど、あとで爽太にご飯届けてくれるかしら。きっと、事務所に缶詰になってると思うわ」
「え?はい…」
「多分、圭介は、お風呂でてご飯食べて、2~3時間寝ちゃうと思うし」
「圭介…って?」
「あ、うちのだんなよ」
「あ。はい」
そうか、名前で呼び合ってるんだ。圭介さんって言うんだ。
「瑞希~~~。シャンプーなかった~~。取って~~」
「は~~い」
バスルームの中から、大声がした。
「髪も洗って~~~」
「え~~?しょうがないな~~」
え…?なんて仲がいいんだろう。ああ、周りが珍しがるって言ってたけど本当だな。うちじゃありえないことだ。だって、私が高校のころには、会話さえなかったんだから。
しばらくすると、バスルームから二人でリビングに来て、ソファに座ると、瑞希さんが圭介さんの髪をドライヤーで乾かし始めた。
「……」
なんか、仲が良すぎて目のやり場に困ってしまった。
そういえば、瑞希さんは55歳だって爽太君が言ってたっけ。結婚したころ、圭介さんは22歳。えっと。22+21は、43歳。圭介さんは43歳。瑞希さんは55歳。え?12歳年上…?
そうは見えない…。瑞希さんの方が年が上かなって思ってたけど、せいぜい、3~4歳上かなって…。
「あの…」
「え?」
瑞希さんが、振り返ってこっちを見た。
「瑞希さんの方が、年上ですよね?」
「あ、一回り瑞希の方が上だよ。でも、見えないでしょ?若いもん、瑞希」
と、圭介さんの方が、答えた。
「ああ、はい。見えませんけど…」
まだ、圭介さんは、瑞希さんに髪を乾かしてもらっていた。
「その…」
「え?何?」
また、瑞希さんがこっちを向いた。
「抵抗はなかったんですか?12歳離れてて…」
「抵抗って?」
二人して同時に聞いてきた。
「だから、その…。なんかギャップを感じたりとか…」
「ない」
圭介さんが、そうきっぱりと言った。
「じゃ、周りの反対とか」
「それは、あったかな」
「その…、すごく仲がいいですよね」
「そう?」
圭介さんが、あっさりとそう答えた。
「うちの両親仲が悪くて、離婚もして…」
「そうなんだ」
「羨ましいです。爽太君」
「……」
二人して、目を見合わせていた。それから、ドライヤーを止めて、瑞希さんが話し出した。
「私の友人に、離婚した人がいて、その後、子供が成人してから結婚したの。結婚したのはほんの、つい最近のことよ」
「え?」
「でも、幸せそうだったわよ」
「ああ、それから、ほら、稲森さん、あ、今は楠木さんか」
「そうそう、離婚したあとに、お付き合いした人と再婚して、一人子供もいて、幸せそうよね」
「うちの両親も今は、両方とも再婚してます」
「じゃあ、よかったじゃない?」
「でも、私には、帰る場所がなくなって…」
「ええ?ここがあるじゃん。帰る場所がないから、ここにいるんでしょ?」
圭介さんが、そうひょうひょうと言ってきた。
「これも何かの縁だよ」
「縁?」
「そ、きっと、うまくいくようになってるから、みんながね、幸せになれるようになってるんだよ」
「みんなが?私は?」
「君もだよ。もちろんさ。君の両親も、再婚して幸せ。きっと、結婚して失敗して何か学んだ分、今度は大丈夫だよ。君もね。きっと、今までいろんな経験してきた分、もっと幸せになれるっていうか、いや、今でももう十分幸せでしょ?」
「…十分幸せって?」
何もわかってない癖にって、頭にきた。
「だって、こんなに素敵なお店に出会って、こんなに素敵な家族に出会っちゃってるんだよ?幸せじゃないなんて言わせないよ~~。俺」
そう言うと、圭介さんは、へらって笑った。
「あははは…」
隣で、瑞希さんが大笑いをした。なんか、私まで、おかしくなった。頭にきてたのに、それもどっかに吹っ飛んで、
「そうですね。本当だ~~」
って、大笑いをした。
お店から、春香さんが、
「はい、お父さん」
って、圭介さんの食事を運んできた。
「サンキュ~~~。春香~~」
と言って、圭介さんは、春香さんをぎゅって抱きしめると、
「うざい!」
と逃げられていた。
「う、うざい~~?」
あきらかに、がっくりした表情をして、肩を落としてから、
「いいよ。俺には、瑞希がいるもん」
と、すねてしまった。信じられない。えっと、43歳だよね?なんて子供みたいなんだ。
「春香、爽太の分も作ってもらって」
「あ、もうできてるよ~~」
カフェのほうから、聞こえてきた。
「はい」
春香さんが、お弁当を持ってきた。
「じゃ、悪いけど、くるみさん、お願いね。これ、会社の地図。駅の近くのビルなんだけどね」
「はい、わかりました」
圭介さんを見ると、まだしょげていた。
「ほら~~。圭介、あったかいうちに食べたら?私そろそろ、お店に戻るわよ?」
「瑞希~~」
と、今度は瑞希さんに、抱きついていた。
「ああ、徹夜続いてるの?テンション変だよ」
そう言うと、圭介さんの背中をぽんぽんと瑞希さんは、たたいて慰めていた。
「もうすぐ終わる。そうしたら、うちのベッドで寝れる。ああ、やっぱ、事務所とっぱらってうちで仕事しようかな」
「他の社員さん、困るでしょ?」
「そっか~~…」
「もう少しなんでしょ?頑張って」
「うん。頑張る。そうしたら、瑞希と寝れる…」
「うん…。でも、そういうことはなるべく、家族以外の人がいるところでは、言わないでね、恥ずかしいから」
「あ。ごめん。くるみさんいたんだっけ」
「私、すみません。すぐに、行きますから」
そう言って、私は慌てて玄関から出た。
ああ、聞いているこっちが恥ずかしかった。顔から火が出そうになった。あれは、確かに。周りが驚くわ。
あんなに夫婦仲いい環境で育ったら、どんなになっちゃうんだろうか。いや、あれだから、爽太君は、天真爛漫で、天使みたいなのか?
それから私は地図を頼りに、爽太君のもとへと、お弁当を届けに行った。




