23 輪廻
夢を見ていた。夢の中で私は会社にいた。斜め前には稔が座り、私の横で梨香が笑ってて、稔と梨香と私の3人で楽しく話をしていた。
ふと、私は誰かが気になった。
「あれ?そういえば、どこにいったんだろう」
席を立って、廊下に出ると、廊下はなぜか片瀬江ノ島駅のホームになっていた。私は改札を抜け、海へと歩いた。なぜか、絶望感でいっぱいになっていて、重い足を引きずっていた。
さっきまで、3人で楽しく会話をしていたのに、稔のことも梨香のことも、憎く思えていた。
そして、海に着くと、波が荒れてて雨が降りだし、海の水は真っ暗だった。私は、海に向かって歩き出した。足がすごく重たくて、思うように歩けない。
いきなり誰かが私の腕を掴んだ。
「くるみさん…」
私のことを呼ぶ声がする。
「くるみさん…」
だんだんと声が、近くに聞こえてきた。振り返ると、優しい笑顔の爽太君がいた。
「くるみさん」
優しく私のことを呼ぶ…。ああ、そうだった。私には爽太君がいる。私は爽太君に、思い切り抱きついた。
「ぐえ!苦しい!」
爽太君が、優しく微笑んでいるのに、妙な声をあげる。
「くるみさん!起きて!寝ぼけてないでよ。苦しいって…」
「え?!」
私が首に両手で思い切り抱きついているので、苦しがっている爽太君の顔が、いきなり視界に入ってきた。
「あ、あれ…?」
「もう、何寝ぼけてるの。だいたい夏とはいえ、布団にもはいらず寝てたら風邪引くよ」
「あ…」
ベッドに横になったまま、寝ていたんだ、私。
「俺の夢見てた?いきなり俺の名前呼んで、抱きついて来るんだもん。びっくりしたよ」
「ごめん…」
「いや…、いいけど。俺の夢見てたんなら…」
爽太君は、照れくさそうに頭をぼりって掻いてから、
「夕飯どうする?お腹空いてる?」
と聞いてきた。
「さっき、サンドイッチ食べたからまだ…。爽太君は?」
「俺もカラオケで、ちょっと食べてきちゃった」
「今何時?」
「6時ちょい過ぎくらい」
「え?じゃ1時間くらい寝てたのかな。私」
「もう、気をつけてよ。お腹冷やしたりしないようにね。ここ冷房けっこうきいてるよ」
「うん。ごめん…」
私はお腹をさすって、お腹の子に謝った。
「じゃ、7時くらいにルームサービス頼まない?」
「ルームサービス?」
「俺、一回してみたかったんだよね」
「うん、いいよ」
「それまでは…、あ、汗かいたし、カラオケボックス煙草臭かったし、俺シャワー浴びてくる」
「うん」
バスルームに爽太君は、入っていった。
ベッドから降りて、私は喉が渇いていたので、お茶を淹れた。冷房で部屋が乾燥してるんだな。
お茶を淹れてると、ふとクローゼットの横の大きな姿見が目に入った。
「うわ!」
綺麗にセットしてあった髪が、寝たからぼさぼさになっていた。
「う~~わ~~~。このぼさぼさ頭、見られちゃったのか~~」
私は、しばらく落ち込んでしまった。
椅子に腰掛け、お茶をすすって、それから私も、シャワーを浴びる用意をした。
テーブルに、爽太君のためにお茶を用意して、爽太君がシャワーから出てくると、すぐに私もバスルームに入った。
「お茶、爽太君の淹れてあるからね」
と、ドアを閉める前にそう言うと、
「あ、サンキュ」
と、爽太君は、髪をバスタオルで拭きながら言った。
もう一回、バスルームで鏡を見た。涙で化粧もまったく取れてるし、目は腫れてるし…。すごいブス顔だ。
「あ~~~、こんな顔、見られた~~。それも寝てた時なんて、どんな顔してたんだろう…」
少し情けなくなってきた。
シャワーを浴び、髪を洗い、バスルームの中で髪を乾かし始めた。
「くるみさん、開けてもいい?」
爽太君が、バスルームの外から聞いてきた。
「うん」
バスルームのドアを開けると、
「髪、乾かすよ。部屋に来ない?」
と、爽太君が聞いてきた。
「え?」
「ここで立って乾かすの、疲れるでしょ?」
ああ、体を気遣ってくれているのか…。優しいな~。と感激しながら、ドライヤーを持って、部屋に移動した。
「椅子に座ってて。俺が乾かすから」
爽太君は、私を椅子に座らせ、私の髪を乾かし始めた。
「母さん、今は父さんの髪を乾かしてあげてるけど、俺がお腹にいたころはよく、父さんに乾かしてもらってたんだって」
「え…、そうなんだ」
「足の爪も切ってもらってたって。お腹大きくなると自分の足の爪、見えないんだってさ」
「え?ほんと?」
「うん。だから、俺もくるみさんの足の爪、自分で切れなくなったら、切ってあげるね」
「うん…」
なんだか、私は恥ずかしくなった。爽太君が優しすぎて、顔があげられなかった。
しばらく二人で黙っていた。だが、爽太君が聞いてきた。
「お母さんと、どうだった?たくさん話できた?」
「うん」
「良かったね」
「うん…」
爽太君は、優しく私の髪を乾かしてくれていた。髪が乾き、爽太君の髪が濡れていたので、場所を交代して、私が爽太君の髪を乾かした。
「立ってたら、疲れない?」
爽太君が聞いてきた。
「大丈夫」
爽太君のさらさらの真っ黒な綺麗な髪に、触れられるのが嬉しかった。髪が乾いてくると、爽太君のつむじが見えた。つむじは2個あって、逆の渦を巻いていた。
そのつむじの真ん中を、指で押さえてみた。
「え?何してるの?」
「つむじ、可愛いなって思って…」
「つむじ?ああ。俺2個あるでしょ?それも反対の方を向いてるでしょ?」
「うん」
「それで、髪型、決まらないこと多いんだよね…」
「え?でも、可愛いよ。」
そう言うと爽太君は、くるっとこっちを向いて、私の手を掴んだ。
「もう…。可愛いってのは無しね」
「なんで?あ、じゃ、かっこいいの方がいい?」
「それも無し」
「なんで?爽太君は、自分のこと褒められるの苦手だよね」
「う~~ん、だって恥ずかしいじゃん」
「面白い~~~。そんなところも可愛いよね」
「だ~~か~~ら」
「あ、ごめんごめん」
「もう、乾いたからいいよ。そろそろルームサービス頼もう、お腹空いてきた」
「うん」
爽太君は、電話をしてルームサービスを頼んだ。メインデッシュ、サラダ、そしてデザート。しばらくして、それらが運ばれてきて、二人でジュースで乾杯をして、食べ始めた。
食べている時は、爽太君は、美味しそうにもくもくと食べる。私も一緒に美味しさを味わって食べた。
デザートが運ばれてきて、それも食べ終わり、片付けも終わると、爽太君は、
「あ~~腹いっぱい!」
と、ベッドにごろんと横になった。それからベッドに、座りなおし、
「お母さんと、どんな話したの?」
と聞いてきた。
「あのね…」
私は爽太君の隣に座り、母から聞いたことを全部話した。爽太君は、しばらく黙って、それから私を見て、
「なんか、俺の父さんも、おばあちゃんと似てたんだよね」
と話し出した。
「え?」
「性格っていうより、なんだろうね…。癖かな?」
「癖?」
「多分、父さん、おばあちゃん、あ、つまり父さんのお母さん見てて、きっと同じようになったんだと思うけど」
「うん…?」
「辛くても悲しくても、明るくふるまって、絶対、周りに知られないようにする癖」
「え?でも、圭介さんすごく、感情出しているような…」
「母さんと知り合ってからね」
「そうなんだ」
「おばあちゃんも、そういうところあったって。父さんが癌だって知って悲しくても、絶対父さんの前で、泣かなかったって。それが返って辛かったらしいけど、父さんには…」
「……。おばあさんは、今でも?」
「ううん、今は涙もろいよ。すぐ泣く。おばあちゃんが言ってた。母さんが、おばあちゃんに言ったんだって。ありのままを見せた方が、父さんは辛い思いをしないって…。泣きたかったら泣く、辛かったら辛いって言う。そうしたら、父さんもありのままの自分を出してくれるって。そういうふうに母さんから聞いてから、おばあちゃんも、素のままでいるようになったって言ってた」
「……」
「父さんのがん細胞消えたときには、父さん、おばあちゃんと抱き合って、泣いたらしいよ」
「そうだったんだ…」
「あれ?話しずれちゃったね。えっと…。あ、そうそう。何ていうの?例えば、子供のころ、親に虐待されたとするじゃん。自分が親になったら絶対にしないって、そう思ってても同じことしてたり、そういうのって、なぜだかしたりするんだよね。いつの間にか、親のこういうところが嫌だったのに、そっくりになってる…とか」
「そう、それが怖くて私、子ども産むの躊躇した」
「うん、親から子へと、遺伝って訳じゃなくて、何ていうのかな受け継がれちゃう、輪廻?」
「輪廻って、死んだらまた、生まれ変わる…」
「そうそう。で、また同じこと繰り返してたり、逆に、過去生で叶えられなかったことを、今生でとか、過去生でした罪を、その次に生まれる時償うとか。なんかそんな感じでしょ?輪廻」
「うん」
「それとは別に、親から子、先祖から代々、ぐるぐる回ってる輪廻ってあるんじゃないかなって、話聞いてて思ったんだ」
「……」
「くるみさんのお母さんは、親に責められ生きてきた。辛い思いをして、お母さんは生きてきて、自分の子にはそんな思いはさせたくないと思ってた。でも、同じことをしてしまった。まったく親と同じことを言って、子供を苦しませる。そして苦しんで生きてきたくるみさんも、子供に同じことをしてしまうんじゃないかって、思ってた」
「うん」
「もしかすると、くるみさんのお母さんのお母さん、つまりおばあちゃんも、同じように責められて生きてきたのかもしれないよね」
「…うん」
「多分、愛されて、大事に育てられてたら、子供ものことをそんなに憎むようなことはしないと思う」
「うん…」
「もしかすると、くるみさんのおばあちゃんのそのまた、親も。そして、そのまた親も…」
「先祖代々?」
「そう。同じように苦しんでいたかもね」
「じゃ、それが子供にも、そのまた子供にも。子孫ずっと…?」
「うん。どっかでこの輪廻を断ち切らない限り、続いていくかもね。苦しみ背負ったまま」
「どこで?!どこで切ったらいいの?」
「くるみさんじゃないの?それをするのは」
「私?」
「うん。っていうか、もうしたでしょ」
「え?」
「くるみさん、お母さんのこと許したじゃない。それに、愛してるし」
「…?」
「親を憎むのではなくて、愛してるでしょ?生まれて良かったって思ったでしょ?お母さんだって、生んで良かったって思ったし…。これで、ずっと先祖代々から続いてた苦しみは、消えたんじゃない?」
「そうなのかな…」
「そうだよ。そして、くるみさんはもう、自分の子を憎むのではなくて、愛して育てる。そうしたら、くるみさんの子は、自分の子を同じように慈しんで育てるよ。そうしたら、その子もまた…。そうやって、この先は、ずっと自分の子を愛して育てるようになる」
「憎んだり、責めたりしないで?」
「そ…」
「……」
「そうするとね、愛されて育つと、自分のことを愛するようになる。自分を嫌ったり、責めたりしない」
「うん」
「誰かと出会ったら、その人のことも愛して、大事にする」
「うん。爽太君みたいにね」
「そうすると、どうなると思う?」
「え?」
「みんなみんなが、自分も相手も、子供も、みんなみんなを愛するようになるんだよ」
「……。それ、すごいね…」
「うん、すごいでしょ?」
「この子から、ずっと愛が続いていくんだ」
「愛の輪廻。あ、なんか変な言い方だね…」
「……」
愛の…、輪廻…。
「あ、でもね。この子からだけじゃない。先祖の方もだよ」
「え?」
「お母さんはきっと、くるみさんが大好きだって言ったことで、自分を責めた気持ちが癒されたんじゃないかな。そして、自分を嫌い、責めてた心から開放される。そうしたら、もしかして、自分の親のことも許せるかもしれない。くるみさんが、お母さんを許したように。生まれてよかった。生んでくれて嬉しいって感謝したら、くるみさんのおばあちゃんも癒される」
「もう、死んでるよ…?」
「死んでても…。魂って生き続けてるような気がするんだよね、俺」
「うん…。そうかも」
「そんで、おばあちゃんの魂が癒されたら、おばあちゃんの親も、そのまた親も、そのまた親も…。で、先祖代々癒される」
「すごい…」
「ね。すごいね」
「爽太君がすごい」
「え?なんで俺?」
「そんな考えができるのが、すごい」
「でも、それをやったのは、くるみさんだよ?くるみさんがすごいんだよ?わかってる?」
「私?私は何も…」
「そんなことないよ。俺、まじですごいって思うよ。ご両親のことを大好きだって、ちゃんと言えたくるみさん。俺なんか恥ずかしくて、言ったことないよ。あ、小学校までは言ってたかな」
「言わないでも、通じてるじゃない。私は、言わなくちゃ、親にわかってもらえなかったから」
「……。そっか…。言えて良かったね、くるみさん」
「うん。爽太君のおかげだよ」
「え?俺?何もしてないじゃん」
「そんなことない。爽太君に出逢えたからだよ」
「だから、決まってたんだって、必然だったの。多分さ、苦しみの輪廻を断ち切るためだったんだよ。そんな役、かって出たんだよ。くるみさんは」
「え?」
「あ、また俺、変なこと言ってる…。でも、なんかそんな気がした」
「じゃ、爽太君だってそうだよ。私と出逢って、愛を教えてくれた。そんな役をかって出てくれた。だからやっぱり、ありがとうなの」
「う~~ん、そっか…」
「うん」
ぎゅって、私は爽太君に抱きついた。
「あ、やばいって」
「え?何が?」
「いや…。このシチュエーションで抱きしめられたら、その…」
「……」
「だ。大丈夫なのかな?安定期なら大丈夫って、妊娠の本に書いてはあったけど…。どうなのかな?」
「大丈夫だと思う…」
「ほんと?お腹痛いとか、今ない?」
「うん…」
「じゃ、もし痛くなったりしたら、言ってね」
「うん」
爽太君は、優しくキスをしてきた。それから、部屋の明かりを暗くした。
もう、籍は入れてあって、苗字も変わった。でも、やっぱり結婚式を挙げると、結婚したんだって実感が湧く。
爽太君に、優しく何度もキスをされ、あまりの幸せに私は涙が溢れた。思わず爽太君を、ぎゅって抱きしめていた。
爽太君が言うように、ずっとずっと、愛が子供たちに引き継がれていったらどんなに素敵かな。
子供だけじゃない。親にも、そのまた親にも。そして、周りの人までも愛で、包み込むことが出来たらこの世界は、愛でいっぱいになるね。
世界中が、爽太君の優しさやあったかいぬくもりのように、愛で満ち溢れているところを想像した。
みんなが、優しいあたたかい笑顔でいる。みんなが、誰のことも憎まず、自分のことも責めない世界。
そんな世界が本当に、創られるんじゃないか…。爽太君の優しさに包まれていると、本気で思えてくる。
爽太君は、私のお腹に手を当てて、そっとつぶやいた。
「くるみさんも、君も、まるごとひっくるめて、愛してるよ…」
そう言って、お腹にキスをした。優しく、優しく…。
12月24日、夜、赤ちゃんが生まれた。
「すげえ、聖なる夜に生まれちゃったよ」
すぐ横で、ずっと私を励まし、支えてくれてた爽太君は、生まれた瞬間にそう言った。
それから、
「くるみさん、よく頑張ったね」
って言って、そっと私のおでこにキスをした。
赤ちゃんのへその緒を爽太君が切り、赤ちゃんが産湯につかると、一番初めに爽太君が抱っこした。
「すごい可愛い~~~!」
爽太君は、顔をくしゃくしゃにして、目を三日月型にして喜んだ。
「あ、名前、名前!どうする?男の子だよ」
「えっとね…。予定日クリスマス近い日だったし、聖って書いて、ひじりって読むのは、どうかなって思ってたの」
私が言うと、爽太君は、
「榎本聖?あ、なんかかっこいいじゃん」
って言って、笑った。
「女の子でも、男の子でも、大丈夫かなって…」
「ああ、そうだね。なんだ~~、考えてたの?生まれてきてから、ぴんとくる名前にしようって言ってたのに」
「ごめん…。でも、まさかイブに生まれるとは思ってもみなくて。イブだったら、まさにぴったりの名前でしょ?」
「うん!決めた!聖にしよう」
そう言うと爽太君は、愛しそうに赤ちゃんに向かって、
「聖…」
って呼んだ。
看護師さんが先に聖を、新生児室に連れて行った。そのあと、車椅子に乗り私は、病室に移動した。爽太君は、ずっとそばにいてくれた。
分娩室を出ると、母と瑞希さんがいた。
「赤ちゃん見たわよ。可愛かった。くるみさんにそっくりね」
と、瑞希さんが言った。
「よく頑張ったわね、くるみ」
お母さんが私の手を、握ってくれた。
「うん、ありがとう」
みんなで病室に行き、しばらく話をして、それから瑞希さんとお母さんは、
「新生児室にもういるかも。見てくるわ」
と、嬉しそうに病室を出て行った。
「俺、父さんと春香に、生まれたこと連絡してくるね。多分、母さん舞い上がって、連絡してないと思うから」
爽太君は、そう言うと、携帯を持って病室を出た。
翌日には、圭介さんも、春香ちゃんも、おじいちゃん、おばあちゃん、みんな総出でお見舞いに来て、かわりばんこに聖を見に行った。病室に戻ると、可愛い可愛いと、みんな目が垂れ下がっていた。
ああ、聖は、みんなに愛されてるね…。
私もなんだか嬉しくて、胸がいっぱいになった。そして産んで良かったと、心から思った。
私も、爽太君と一緒に聖を見に行った。小さなベッドにすやすや寝ている聖は、本当に可愛かった。
「くるみさん、ほんと赤ちゃんって天使そのものだね」
「うん。みんなね…」
聖の横で寝てる赤ちゃんも、そのまた横で寝てる赤ちゃんも、みんな可愛かった。
「愛を運んできてるんだな~~」
ぼそって私がつぶやくと、爽太君も、
「そうだね」
って、聖を愛しそうに見ながら、つぶやいた。