20 結婚式
結婚式がだんだんとせまってきて、着々と準備は整っていった。
ウエディングドレスも、爽太君が着る白のタキシードもレンタルした。結局、圭介さんもモーニングをレンタルすることにした。
圭介さんのモーニング姿は、なかなかかっこよかったが、私は爽太君のタキシード姿がめちゃくちゃかっこよくて、ドキドキしていた。
貸衣装屋さんで、瑞希さんが、
「結婚式まで、爽太には、ウエディングドレス姿、見せないようにしよう」
って言うので、私がウエディングドレスを着ている姿を、爽太君には見せないようにした。
つわりもすっかりなくなり、安定していて、私の体調もすこぶる良好。
レストランでの式の後、母と父には、その日泊まっていってもらおうと、ホテルの予約もした。そして、そのホテルに私と爽太君も、一泊することにしていた。
日にちが近づくにつれ、ドキドキと、不安な気持ちが交差した。それは爽太君にも、伝わっていた。
夜寝る前に、いつも手をつないでくれているが、私の手をぎゅって握って、
「大丈夫だよ」
って、言ってくれる。
式の前日、私は爽太君に聞いてみた。
「なんで、緊張したり、不安なのがわかるの?」
「そりゃ、わかるよ。毎日こうやって、隣にいたら」
と爽太君は、天使のような笑顔でそう言った。その笑顔でまた、私は安心することができる。
「ああ、楽しみだな。くるみさんのウエディングドレス姿」
「え?あ、そうか。着たところ見てないもんね」
「そうだよ。母さんとくるみさん、俺には絶対に見せないって言い張って…。ちょこっとだけ見せてって言っても、見せてくれなかった」
「だって、瑞希さんが、当日のお楽しみよって言うんだもん」
「ちぇ~~。俺、待ちきれない」
「待ちきれないっていっても、もう、明日だよ」
「うん、そうだよね。なんか変な感じだね。もう、籍も入れてるし、こうやって一緒に暮らしてるし、でも式って緊張する」
「うん」
「レストランでするとはいえ、神父さんも来てくれるしさ」
「うん」
「知ってる?くるみさん」
「え?」
「母さんが言ってた。結婚式の時に、新郎新婦が誓うじゃん」
「病める時も、健やかなる時もっていうあれ?」
「そう。それね、どんな時も、いかなる時も、愛しますって誓うでしょ。あれは、どんなあなたであろうと、すべてまるごと愛します。無償の愛を誓いますってことなんだってさ」
「無償の…?」
「無償ってわかる?」
「漢字からすると、償いが無い」
「うん。俺は、無条件の…とも同じかなって思うんだ」
「無条件…」
「見返りを求めないし、何か条件付で愛するわけじゃない…」
「……」
「例えばさ、母さんは父さんが病気で、あとわずかで死ぬってわかってても、そんな父さんを愛したじゃん。あれも、無償の愛だよね」
「うん。まさに、病める時も…だね」
「俺さ…」
「うん…?」
「まじで、誓えるよ」
「え?」
爽太君はそう言うと、私のほうを向き、つないだ私の手にキスをしてから、
「くるみさんの全部が、好きだなって思うもん」
って、笑って言った。
「え?」
「うまく言えないけど、なんていうのかな」
「うん…」
「このまんま、そのまんま、ここにいるくるみさんが好きなんだよね」
「……」
じっと見つめられ、その優しいまなざしに泣きそうになった。
「こういうの、なかなかないって…」
「え?」
「母さんがね、父さんと会えて良かったって。ありのまま、そのままを愛せる人になんて、そうそう出会えないから、奇跡だって言ってたことがあって…」
「うん、私もその話、聞いたことある」
「ある?」
「うん。でも、出逢うようになってた。必然だったって言ってた」
「うん。俺もそう思う。くるみさんに出逢えたのは、奇跡だなって思えるけど、必然だった。会うようになってたとも思う」
「……」
目頭が熱くなった。
「だからね…」
「うん」
「明日誓うのは、俺の本当の心からの誓いだから」
「……」
爽太君の穏やかな笑顔と、優しい声に私は包まれて、幸せ過ぎて、涙が溢れてきた。
「こんなに、幸せでいいのかな…」
ぼそってつぶやくと、爽太君に笑われた。
「あはは…。決まってるじゃん」
幸せべただって言われたっけ。そうかもしれない。でも、今ある幸せをすべて、ちゃんと受け入れてかみしめて喜ぼうって、心から喜ぼうって、私は思っていた。
結婚式の朝が来た。緊張で早くに目が覚めた。爽太君はなぜだか、ぐうすか寝ていて、
「爽太君、起きて」
と起こすまで、起きなかった。
「ああ…。おはよ…」
と目を覚ましても、ぼ~~ってしていて、大きなあくびをしてから、
「あ~~。なかなか寝れなかった」
とつぶやいた。
「え?そうなの?」
「うん…。くるみさん、よく寝てたよね」
「え?」
昨日の、爽太君の優しい言葉で安心しきった私は、そのあとすぐに、ぐうすか寝てしまったようだ。
「寝れなかったの?めずらしくない?寝つきのいい爽太君が…」
「う~~ん、それなりに緊張してるかも…。あ、でもくるみさんの寝顔ずっと見れたから、いいけど」
「ええ?」
「たいてい、俺のほうが、先にすぐ寝ちゃうじゃん。寝顔あまり、見れないんだよね。起きた時にはもう、くるみさん起きちゃってるし」
「……」
寝顔を見られていたのが、やけに恥ずかしくなった。
「大丈夫。可愛かったよ。なんか、寝言も言ってたけど」
「え?!私が?!」
「うん。もごもごって…。にやけながら」
「嘘だ~~嘘ついてるんでしょ?」
「ほんとだってば。可愛かったよ」
え~~~~~?!私はそれを聞いて、真っ赤になった。
「あはは。真っ赤になることないのに」
そう爽太君は大笑いをすると、部屋を出て、顔を洗いに行った。
私は一足先に、一階に下りた。瑞希さんも圭介さんも、春香ちゃんも起きていた。
「おはよう!よく眠れた?緊張して寝れなかったんじゃない?」
瑞希さんが元気に、聞いてきた。
「いえ、ぐっすり寝れました」
「そう?それは良かった。じゃ、化粧ののりもばっちりかな?」
カウンターで朝ごはんを食べた。爽太君も下りてきて、カウンターに座り、ご飯を食べ出した。
「おお~~。爽太、なんか緊張するな~~」
圭介さんが、朝から何度も緊張するを連発していた。
「なんで父さんの方が緊張するの?」
「だって、最後に挨拶しなくちゃならないんだよ。俺…」
「昨日から、緊張しっぱなしよ、圭介は。めずらしく、朝も早くに目が覚めてるし」
「あ~~~~~。酒飲んで、酔っ払った勢いで挨拶するかな」
「何言ってるの。お酒は禁止!」
瑞希さんにそう言われて、圭介さんは、
「ええ?ちょっとぐらいいいじゃん!祝いの席だよ!ビール1杯!いや、ワインも一杯」
と、思い切りダダをこねていた。
その横で、爽太君は、ご飯を黙々と食べた。私はといえば、緊張はしているものの、式ではろくに食べれないだろうからと瑞希さんに言われ、ちゃんとご飯を食べるようにした。
リビングに行くと、お化粧をばっちりにして、薄い水色のワンピースを着た春香ちゃんが2階から下りてきた。
「お母さん!髪の毛お団子にして~~」
「はいはい」
「それで、このリボンをくるっと巻いてくれる?」
春香ちゃんは、まっしろのリボンを瑞希さんに渡した。水色のワンピースと、真っ白のリボンは春香ちゃんに似合っていて、とても可愛くて清楚に見えた。
「ああ~~~。春香の結婚式だったら俺、出ないかも」
「ええ?!何をお父さん言ってるの?」
春香ちゃんがそれを聞いて、呆れていた。
「圭介、春香の結婚式で泣くわね」
瑞希さんが笑いながら、言った。
「今日も、泣くんじゃないの?ちょっと、おさえ気味で頼むよ、父さん」
爽太君が、横からそう口をはさんできた。
「俺は泣かねえよ。泣くのは瑞希だろ」
「ああ、母さんも泣きそうだよな。それから、ばあちゃんたちも…」
「泣きそう、泣きそう!」
春香ちゃんが笑って言った。
その横で、瑞希さんはくすくす笑いながら、
「でも、ここに一人、もう涙うるうるの人がいるわよ」
と、私のことを指差して言った。
「あ…。すみません」
涙を拭きながらそう言うと、
「あ…。くるみさん、もう泣いてたの?式で大丈夫?」
と爽太君が、心配そうに言ってきた。
「うん…。なんとか頑張る。化粧も落ちちゃうもんね」
「メイクさんの人が来てて、ずっといてくれるようだから、直してくれるわよ」
瑞希さんがそう、優しく微笑んで言ってくれた。
瑞希さんは、
「じゃ、私、美容院で髪の毛セットして、着物着せてもらってくるわね」
と、出かけていった。
「さて、俺はレストラン行くまでに、クロの散歩行ってくるよ」
と、圭介さんは、クロを連れて出て行った。
「春香、お前さ、用意するの早すぎなんじゃないの?式は昼からだよ」
「うん。実はこれからデート」
「へ?まさか、海で?」
「ううん、ドライブに連れていってくれるの。そのあと、レストランまで車で送ってくれるって」
「あ…、そ」
爽太君は、呆れ気味にそう言った。
「だって!こんなにおしゃれは、なかなかできないし」
春香ちゃんは必死で、言い訳をしている。可愛いな~~。
「終わってからデートすりゃいいじゃん」
「櫂は今日も、お店出るって言うから。昼まではバイトの子がいるから、デートできるって」
「あ~~そう。行ってらっしゃい。気をつけてな」
爽太君は、少し呆れ気味に春香ちゃんを見送った。
「さて…。俺らはもうすぐ出なくちゃね。レストランにメイクさん、来てくれるんでしょ?」
「うん。でも、爽太君早くにきても暇かもよ?」
「いいよ。俺、早くにウエディングドレス姿見たいもん」
「え~~」
なんだか、見られるのも恥ずかしいような気がしてきた。
私は爽太君と、一泊用の荷物を持ち、車に乗り込んだ。それから、レストランへと向かった。
レストランに着くと、すでにウエディングプランナーの人が来ていて、早速レストラン内で、打ち合わせをした。
それから、私は髪とメイクをしてもらうために別室に移動。そのレストランは、結婚式もよくやるようで、控え室や、着替えやメイクをする部屋もしっかりと、用意されていた。
「今、控え室のほうで、新郎がメイクとヘアをしてもらっています」
「は?え?新郎もメイク?」
「ええ。とはいえ、そんな厚化粧をするわけじゃないですよ~~。眉毛整えたり、ひげを添ったり。髪もしっかりとかっこよく、セットしたりするんですよ。やっぱり新郎もかっこいいほうがいいでしょ?」
「そうですね…」
ああ、でも、そういうの爽太君、嫌いかも…。
「さっき、新郎見ましたけど、イケメンですね~~。かっこいいですよ。年下ですか?」
メイクさんは、私と同じか上に見えた。
「はい。7つ下です」
「え?本当?そっか~~。いいですよね、年下も。私も年下いいなって最近思っちゃって…」
メイクさんは、やたらと爽太君のことを褒め出した。そして、
「新郎のご友人とかで、素敵な人いたら紹介してください~~」
とまで、言い出す。
「え…。でも、あまりいないかも。あ…。どうかな?同僚も若かったかな?」
「新郎の同僚ですか?今日来ます?」
「はい。全員…。と言っても、3人くらいですけど」
「わ~~。楽しみだな~~。最後まで私いますから。あ、メイクもちゃんと直しますから、安心しててくださいね」
「はい…」
メイクも髪のセットも終わり、いよいよウエディングドレスに手をとおした。大きな姿見がメイク室にあって、それを見ながらメイクさんが、着せてくれた。
「ブーケは、今、作っている最中ですよ。レストランのテーブルにもちゃんと、一つずつ作っていますから。」
「みなさん、ウエディングプランの会社の方ですか?」
「はい、そうです」
「いいですね、こんなお仕事…」
「ええ、楽しいですよ。でも、休日、祭日に入る仕事ですから、それがちょっとね…。普通のサラリーマンの人やOLの友達と遊べないんですよ」
「あ、そっか~~」
ちょうどそこに、ドアをノックして、若い女性がブーケを持って現れた。真っ白なブーケは、長く垂れ下がるようになっていて、可愛くくるくると巻いたリボンも花たちと一緒に、長く垂れ下がっていた。
「ウエディングドレスが、少しシンプルなので、シンプルなアレンジにしようかとも思ったんですけど、でも、手で持つと長く垂れ下がって、可愛いんですよ、これ」
手に持たせてもらい、鏡を見た。本当だ。すごく可愛らしい。
「どうですか?」
「素敵です。ありがとうございます」
「気に入ってもらえて良かったです」
そのあとに、小さめのティアラと、ベールをつけた。
「わ…。綺麗です~~!」
鏡を見ると、別人だった。まるで、どこかのお姫様かと思うほど…。って自分で言わないよね。そんなこと、普通。
いきなり、ドキドキしてきた。爽太君の反応はどうだろうか。
それよりも、メイクして髪を整え、白のタキシードを着た爽太君は、どんななのかな。
そこに、ドアをノックして、瑞希さんが入ってきた。
「あ~~~。すごい!綺麗!素敵!」
瑞希さんはそう言ってから、大きなため息をついた。
「ほんと、美しいわ~~。くるみさん。爽太にもったいないわね」
「いえ、そんな…」
「写真撮りましょう。写真!」
瑞希さんはそう言うと、デジカメをバックから出し、ぱちぱちと何枚も写真を撮りだした。
「爽太、もう見たの?」
「…まだです」
「そう…。ああ、これは大変だわ。爽太腰抜かすわ」
「ええ?おおげさです~~」
私は、笑ってしまった。
トントン…。ドアのノックと共に、黒のパンツスーツをばちっと着こなした女性が入ってきた。
「おはようございます。新婦のお母様ですか?」
「いいえ、新郎の母です」
「あ、すみません。わたくし今日の指揮を取らせてもらいます、榊原といいます。よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
「えっと…。新婦の準備は整いましたか?新郎の方は整ったので、控え室に案内しますが」
「はい…」
「控え室のほうに、お母様も一緒にいらしてください。飲み物をご用意してあります」
「はい、ありがとうございます」
私と瑞希さんはメイク室を出て、榊原さんの案内で控え室の方へ移動した。
ああ、いよいよ爽太君とご対面だ。緊張する。
トントン…。榊原さんがドアをノックして、
「失礼します。新婦と新郎のお母様をお連れしました」
と言い、ドアを開け広げて、私たちを通してくれた。後ろからメイクさんが私のベールや、ウエディングドレスの裾を、ふまないように注意深く持っていてくれた。
「あ!」
真っ白なタキシードを着て、髪型をセットし、眉毛も整ってめちゃくちゃかっこいい爽太君が、椅子から立ち上がってこっちを見ていた。
「どう?爽太!くるみさん。綺麗でしょ?」
と瑞希さんが言う。だが、
「え…?」
と言ったきり、爽太君は黙っていた。
あれ?なんだか反応が薄い?私、あまり似合ってないのかな…。とも思ったが、私はかっこいい爽太君に見とれちゃって、真っ赤になっていたと思う。いや、目がハート型をしていたか、うつろになっていたか…。
「くるみさん、すげえ綺麗!瑞希、デジカメ!みんなで写真撮ろう。あ、すみません、写真撮ってもらえますか!」
圭介さんが、瑞希さんからデジカメを受け取ると、すぐに榊原さんにデジカメを渡した。
「はい、じゃあ撮りますよ」
爽太君の横には、圭介さんが、私の横には瑞希さんが並び、写真を撮った。
そのあとは、瑞希さんがデジカメを構え、
「はい、二人並んで!」
と、写真を撮り出した。
「ちょっと~~。爽太、どこ見てるの?カメラ見てよ」
「あ、ごめん…」
瑞希さんは、2~3枚撮ると、
「はい。もういいわよ。存分にくるみさんに見とれても」
と笑って言った。
「え?!」
私が爽太君の方を見ると、爽太君は真っ赤になってこっちを見ていた。それから頭を掻いて、
「ああ。なんか、言葉も出なかった」
と、ぼそってつぶやいた。
「ほら、ほとんどくるみさんの方見てる」
今撮ったデジカメの写真を、瑞希さんが見せてくれた。爽太君が私の横で、私の方を見ている写真ばっかりだった。
「だ~~っ!見せなくていいから!」
とデジカメを取り上げ、爽太君は真っ赤になった。
「見とれてたでしょう。くるみさん、美しいものね」
「あ…。うん…」
爽太君は、小さな声でうなづいた。
「でも…」
私が口を開くと、爽太君も瑞希さんも、
「え?」
って、私を見た。
「あの…、爽太君もかっこよくて、私見とれちゃった」
そう言うと爽太君は、顔をくしゃくしゃにして、目を細めて笑って、
「俺はいいから…。くるみさんが主役だから…」
と、照れくさそうに言った。 どうも、自分のことを褒められたり、かっこいいと言われるのが、苦手らしい。
榊原さんに言われ、みんなで椅子に腰掛け、お茶をもらった。
「俺、のど渇いてたんだ」
と、爽太君は、ぐびっとお茶を飲み干していた。
「あ、しょっぺ…。何これ?」
「桜茶よ。お祝いの席で飲むお茶」
と瑞希さんが、爽太君にそっと、教えてあげていた。
しばらくすると、春香ちゃんも控え室にやってきて、
「う~~~わ~~~~!!!くるみさん、綺麗~~~!!!」
と大声で、叫んでいた。
「写真、写真、お母さん撮って!あ、写メも撮って櫂に送る~~!!」
「あんなやつに送ることないだろ」
と、すごく小声で圭介さんが言ったが、春香ちゃんに聞こえていたようで、キッて睨まれていた。
トントン…。控え室をノックして、榊原さんが顔を出した。
「新婦のお母様が、いらっしゃいました」
「え?!」
ドキン!!私は、心臓が飛び出るかと思った。
ドアが開き、母が入ってきた。そして、私を見るなり、
「くるみ…!」
と、半分泣き声をあげた。
「お母さん…」
私はその場に立った。
「……。まあ…。すごく綺麗だわ、くるみ…」
母の目は、真っ赤でうるんでいた。私も、思わず泣きそうになったが、我慢した。
「くるみさんのお母様ですね。はじめまして。私、榎本爽太の母です」
と、瑞希さんが母に向かって、会釈をした。
「あ…。はじめまして。くるみの母です」
「このたびは、遠いところを来て頂いて、ありがとうございます。爽太の父です」
圭介さんが、いつもとはうって変わった態度で、母に挨拶をした。しっかりと丁寧にお辞儀もしていた。
「くるみの母です。よろしくお願いします」
母も、深々と頭を下げた。
「くるみ。再婚した今のだんなを呼んでもいいかしら」
「うん…」
ドキドキした。どんな人なのか…。
「あなた…」
と、母は小声で、後ろを向いて呼んだ。母の後ろから現れたのは、少し髪が薄く、背が低くかっぷくのいい男の人だった。そして、
「はじめまして、くるみさん。松井です」
と、すごく優しい笑顔で右手をさし出してきた。握手をすると手のひらから、優しさが溢れてくるような感じがした。
「はじめまして…。あの…」
「はい?」
「すみません。今までずっと、挨拶も何もしてなくって…」
「いや、それはこちらもですよ。一回きちんと会いに行かないとと、思っていたところでした」
松井さんは、本当に穏やかな、優しい話し方をする。
「こんな時に、こんなこと言うのもおかしいんですけど…」
「え?」
松井さんは、穏やかな表情だったが、隣で母が何を言い出すのかと、不安げな顔をした。
「母を、よろしくお願いします」
そう言って、私は深々と頭を下げた。
「くるみさん、お母さんのことは心配しなくても、大丈夫ですよ」
と松井さんはまた、優しく微笑んで言ってくれた。母は、ほっとした表情をしたあとに、目をうるませた。そして、黙って私の手を取り、うんうんとうなづいてから、ようやく声を出した。
「ごめんね。くるみ…。ありがとうね。あなたも、幸せになるのよ…」
「うん。お母さん、私すごく今も、幸せだから」
とにこっと微笑むと、母は爽太君の方を向いて、
「くるみを、よろしくお願いします」
と深々と頭を下げた。
「はい」
爽太君はたった一言だけ、そう言ったが、顔はものすごく真剣な表情をしていた。でも、目は真っ赤で泣くのを我慢しているようにも見えた。
母と、松井さんが控え室を出て行った。瑞希さん、圭介さん、春香ちゃんも、
「そろそろ、みんなが来るころだわね。レストランの方に行って、出迎えてくるわね」
と、控え室を出て行った。
控え室に、爽太君と私だけが残った。
「くるみさん、良かったね」
爽太君が、にっこりと微笑んでそう言った。
「え?」
「お母さん、くるみさんの結婚喜んでくれてさ。それに、松井さんって人、優しそうな人だったね。きっと、お母さん今、幸せだね」
爽太君のその言葉と、優しい微笑で、私は思わず涙が溢れてきてしまった。
「あ!泣いたら化粧取れちゃうよ。はい、ティッシュ!」
と、テーブルにあった小さなティッシュの箱を、渡してくれた。
「あ、これ、父さんが持ってきた…。泣いたらこれで、鼻をかめってさ。鼻水出るほど、泣かないよって言ったんだけど、くるみさんが泣くかもしれないからって」
「ええ?鼻水?」
「あはは。父さん、変だよね」
爽太君は、いつものように、目を細めて笑った。笑って三日月形になった目を見ていると、私も思わず笑ってしまう。いつものことだ。そうやって、私の緊張をほぐしてくれる。