18 君も天使
その日の夜、7時ころ圭介さんと爽太君が、二人で一緒に会社から帰ってきた。圭介さんは、
「くるみさん!結婚?爽太と結婚?!」
と、帰ってくるなり、大騒ぎをしていた。
「父さん、騒ぎすぎ!」
爽太君が、圭介さんの言葉をさえぎった。
「帰って来る間に、ちょっとその話をしたら、父さんテンションあがっちゃって」
「だって、お前、これが大騒ぎしないですむことかよ?!」
「まあまあ、落ち着いて。結婚の話だけをしたの?爽太」
と、瑞希さんが間に入った。
「え?他にもなんかあんの?」
圭介さんが、目を輝かせた。
「う、う~~ん…」
「何?なんだよ?!もったいつけんなよ」
さすがに爽太君は、言いにくいのか、言葉をにごしていた。
「くるみさんね、前に付き合ってた人がいるんですって」
瑞希さんが、二人の夕飯をテーブルに並べながら、話し出した。
「結婚まで考えてたらしいの。ここに来る前に別れたらしいんだけど」
「そうなんだ」
圭介さんは、どうしてそんな話を瑞希さんがしだしたのか、わからない様子できょとんとした顔をしていた。
「瑞希さんのお腹にね。その人の赤ちゃんがいるのよ」
「え?!」
圭介さんが、ものすごく驚いていた。それから、爽太君の顔を見て、爽太君が落ち着いた顔をしているので、圭介さんも冷静さを取り戻していた。
「それで、結婚を決めたのか?爽太」
「うん…」
爽太君は、真剣な顔でうなづいた。
「そうか…」
圭介さんも、真剣な表情になっていた。私は、なんて言っていいかわからず、ずっと黙っていた。
「つわりで、今くるみさん、辛いみたい。だから、お店にバイトの子、雇おうと思って。誰かいないかしら」
瑞希さんが、圭介さんにそう聞くと、
「う~~ん、そうだな…」
と、圭介さんは、少し考えこんだが、
「瑞希、ごめん。今、俺、バイトの子のことなんて、考えられないや。ね、くるみさん、今何ヶ月なの?」
と、私のほうに質問してきた。
「3ヶ月です」
「じゃ、結婚式は早めに挙げないと。今年中に…」
「今年中に、生まれるわよ。多分」
瑞希さんが、圭介さんの言葉をさえぎり、そう言った。
「ええ?!そっか~~~!そんなに早く」
圭介さんが、のけぞった。
「ひゃ~~~~。俺、じいちゃんになるの?!」
「そうよ!圭介44歳で、もうおじいちゃんよ!あははは…」
瑞希さんが大笑いをした。
「瑞希も、おばあちゃんじゃん!」
圭介さんも、大笑いをした。
「ちょ…、父さん、母さん、もっとまじめにさ~」
爽太君は、少しいらだった感じで、二人に言った。
「ああ、ごめん。爽太…。式だよな。式…」
「6ヶ月目あたりが、1番安定してていいころだと思うわ」
「あと3ヶ月か。ちょうど夏まっさかりか~」
圭介さんはそう言うと、瑞希さんの方を向いた。
「あ、俺らも8月の頭に結婚したんだっけ?瑞希」
「そうよ」
「夏ならけっこう、式場空いてるかもしれないな。それか、レストランで内輪だけの結婚式でもいいけどな。ま、とにかく爽太、夕飯食ってから、考えよう、な?」
と圭介さんは言うと、いただきますと手を合わせて、ばくばく食べ出した。
お店の片付けを手伝って、リビングに戻ってくると、爽太君と圭介さんが、パソコンを開いてあれこれ、話し込んでいた。式場を探しているようだった。
そこに、お風呂からあがった春香ちゃんが、リビングに来た。
「ああ、春香。お前にも言っておかないとな」
「何?」
圭介さんに、ちょっとそこに座れと言われた春香ちゃんは、リビングのクッションの上にどかって座った。
「何~~?これから部屋で、やることあるんだけど」
少し春香ちゃんは、投げやりだった。
「爽太がな、くるみさんと結婚することになって」
「……」
春香ちゃんは、しばらく黙ってから、
「ええ~~~?!い、いつの間に?け、結婚~~~?!」
とものすごく大きな声で、驚いていた。
「まあ、落ち着いて、春香」
瑞希さんもお店から、リビングの方に来て、春香ちゃんの横に座った。
「式は8月に挙げようって今、話してたんだ」
「8月?!そんなに早く?!」
「うん。そのころが1番、いいだろうって」
「え?なんでわざわざ、暑い時に?」
春香ちゃんが、不思議そうな顔をした。
「くるみさん、妊娠してて…」
爽太君は、少し言いづらそうに、小声で話した。
「え?!できちゃった婚?!わ、最低!お兄ちゃん!」
「ち、違う…」
爽太君は、しどろもどろになった。
「違うのよ、春香。くるみさんのお腹にね、前付き合ってて、もう別れた彼との子がいてね」
「え?!」
「それで、結婚を爽太が決めたの。ね?」
瑞希さんが、爽太君の方を向いて、そう言った。
「うん…」
爽太君は、視線を下に向けたまま、そう答えた。
「そうなんだ。わ~~。ごめん、お兄ちゃん。最低って言うのは撤回する」
「ああ、うん…」
まだ、爽太君は、うつむいてて、頭をぼりって掻いた。
「いや、最低どころか、尊敬しちゃう、私」
春香ちゃんは、そう爽太君に言った。
「ま、そういうことだから。今、式場を探してるところだ」
「レストランとかで、ホームパーティみたいなのが、いいんじゃない?」
春香ちゃんも、みんなの輪に入ってきて、あれこれ、相談を始めた。
私はというと、少しみんなよりも、後ろに下がって、4人を見つめていた。しばらく、4人であれこれ話をしていたが、瑞希さんがこっちを向いて、
「結婚式って主役は花嫁なのよ。くるみさんの意見も取り入れないと…。あれ?!」
と、私に声をかけようとして、驚いていた。
「くるみさん、どうしたの?具合悪いの?」
爽太君も、私の顔を見て、驚いて急いで私の横に来た。
「ううん。私、なんか嬉しくて…」
そう、私は泣いていた。
「嬉しくて?」
爽太君が、聞き返した。
「うん。みんなで、真剣に考えててくれて…」
「あったりまえじゃんか」
圭介さんが、そう言った。
「そうよ。もう、家族同様。なんだか、娘と息子がいっぺんに結婚するみたいな感じよ」
と、瑞希さんが笑って言った。
それから、爽太君は、
「くるみさんは、呼びたい人いる?梨香さんとか、呼ぶ?」
と聞いてきた。
「え?」
「お父さんと、お母さんも呼ぶよね?」
「……」
私は、言葉に詰まってしまった。
「父と母は、呼びません」
「え?!なんで?」
4人が揃って、声をあげた。
「呼んでも、こないと思います。父にも、母にも、新しい家族がいるし、二人とも顔を合わせたがらないと思うし…」
「でも、娘の結婚式よ?」
瑞希さんが、ちょっと寂しそうにそう言った。
「……。いいんです」
4人とも、黙ってしまった。
「ね?くるみさん、二人で話がしたいんだけど。俺の部屋に来てくれる?」
爽太君にそう言われて、私は爽太君にくっついて、2階に上がった。
爽太君の部屋に入ると、爽太君が、
「ここに座って」
とベッドに私を座らせた。私の横に爽太君も座って、それから、
「あのさ、これは俺の考えなんだけど…」
と、話をし出した。
「ご両親に、招待状だけは送らない?」
「え?」
「向こうが来るか来ないか、それは向こうの判断に任せて、招待状だけは送ろうよ」
「でも…」
「来て欲しくない理由があるの?」
「招待状を出しても、来てくれなかったら…?」
「それはそれで、いいじゃん」
「え?」
「赤ちゃん生まれたら、写真送ってみたり、赤ちゃん連れて、会いに行ったりすればいいし」
「……」
「万が一、くるみさんの両親が、くるみさんの結婚を祝いたいって思ってたらどうするの?」
「そんなこと…」
「そんなことないって、くるみさんが決め付けてるだけだよ」
「……。でも…」
「う~~ん、そりゃ、来ないかもしれないけどね。でも、来るかもしれないし」
爽太君は、そう言ってから、私の手を握ってきた。
「俺も、実は会っておきたい」
「え?」
「くるみさんのこと生んでくれてありがとうって、言いたいし」
「……」
私は、黙ってうつむいた。その言葉が嬉しかった。でも、それと同時に怖かった。
「呼んで、来てくれない時のことが、きっと私怖いんだ」
「え?」
「すごく、ショックを受けそうで…。だったら、呼ばないほうが…」
「来るか、来ないかなんて、その時にならないとわからないじゃんか。今、来なかったらどうしようって心配するのなんて、馬鹿みたいなことだよ」
「え?」
「まだ起きてもないことで悩むのも、来ないって決め付けるのも、おかしな話でしょ?それよりも、今は、できることだけしようよ。招待状を送る。来るか来ないかは、こっちが悩んだりすることじゃない。もし、来なかったら、またその時に考えよう」
「うん…」
「あ、暗いね?まだ悩んでる?」
「…ごめん。来なかったら、その時に考えるっていうのも…。きっとショックを受けるだろうなって思って」
「うん。そうかもね。でも、その時には、俺にショックだって泣いてもわめいてもいいよ」
「え?!」
「聞くからさ。ね?なんなら一緒にわめいてもいいし」
「ええ?!あはは…。おかしいよ、それ」
「そうそう、そんな感じ」
「え?」
「なんでも、面白くなっちゃうでしょ?これ、父さんと母さんがよくやってる」
「ああ、そういえば、さっきも。おじいちゃんになるとか、おばあちゃんになるとか、笑ってた」
「あの二人には、俺もさすがにかなわないけど…。あの楽天家夫婦は、ほんと、すごいと思うよ」
「うん…」
「招待状は、送ろう。ね?」
「うん…」
私は、魔法でもかかってしまったみたいだった。
「なんだか、不思議」
「え?何が?」
「私、二人のことを憎んでたんだ。もっと、仲が良かったらとか、もっと、親らしくしてくれたらとか、もっと私のことを愛してくれたらとか、そんなこと思って憎んでた」
「うん」
「でも、なんだかね、今は私、両親のことを好きだったんだって思えるの」
「……」
「どんな親でも、親だもんね」
「うん…」
「この子も、私を愛してくれるかな?」
お腹に手を押さえて、私は爽太君に聞いた。
「愛してるから、お母さんに選んだんじゃないの?」
爽太君は、ふって笑った。
「え?」
「母さんが前に言ってた。子供って言うのは、親を選んで生まれてくるんだって。だから、私を選んでくれてありがとうって、言われたことあるよ」
「……。じゃ、私も私の両親を選んできたの?」
「うん」
「どうしてかな…。わざわざ、愛してくれない親の元に…」
「愛してもらうために、生まれてきたんじゃないんじゃないの?」
「え?」
「愛するために、生まれたのかもよ」
「……」
「あ、なんかかっこいいこと言いすぎてる?俺…」
爽太君は、照れながら頭を掻いた。
「でも、ちょっと思っちゃったんだよね、俺」
「うん…?」
「五月ちゃん、俺のこと本気で好きになってくれてたんだろうなって」
「え?」
「でもさ、俺、五月ちゃんのこと、本気になれなかった」
「……」
「好きになってもらえたのは、嬉しいよ。でも、俺、くるみさんのことを愛して、初めは苦しかったりもしたけど、今は、すげえ幸せなんだよね」
「……」
爽太君の目は、優しかった。照れながらも、私の目をしっかりと見て、優しさで包み込んでくれていた。
「人に愛されるのも、幸せだろうけど、愛することって、もっと幸せなことかもしれないって思ったんだよね」
「……」
私は、目頭が熱くなった。本当にそうだ。爽太君を愛してる。そう思うだけで、胸がいっぱいになる。幸せで、優しくて、あったかい気持ちになる。
「人を憎むより、許すっていうのかな…。愛するっていうのかな…。そっちのほうが、何よりも自分が幸せになれると思うよ」
「うん、そうだよね…」
「うん。憎んでる時の心の状態と、愛する時では、全然違うじゃん。だから、俺、あんまり人を嫌いになれないんだよね。苦手な人はいても、嫌ったり、憎んだりってできないんだ…」
「爽太君は、やっぱり、天使だよね」
「は?」
「そういうところが、天使だって思う」
「う~~ん」
困った表情をして、爽太君は頭を掻いた。
「瑞希さんが、爽太君は天使だって言ってたけど、この子も天使だよね?私にとって」
私は、お腹をさすった。
「うん。もちろん。くるみさんを愛してくれる天使だよ」
爽太君は、にこって笑ってそう言った。
「それにさ、俺が母さんにとっての天使のように、くるみさんも天使なんだよ」
「え?」
「両親にとって、天使なんだ」
「でも、私そんなこと言われたことない。逆に生まれてこなければ良かったって、そう言われ続けてた」
「うん。きっとお母さんが不幸だからだよね」
「え?」
「幸せを選択しないで、不幸になるほう選んじゃったんだ。だから、自分が不幸なのを、誰かのせいにしたいんじゃないのかな」
「……」
「うちの親は、幸せになるほうを選んだんだ。だから、俺も春香も、二人にとって幸せを運んできた天使になった」
「……」
「俺らがね、天使だってことに気づけたんだと思うよ。でも、くるみさんの両親は気づけなかっただけ」
「私が、天使だってことに?」
「そ。それだけ…。本当は天使だよ。くるみさんもね」
「私も…?」
「うん。あ!俺にとってもだよ。わかってる?どんだけくるみさんが俺にとって、大きい存在かわかってるかな?」
「……」
ああ、また目がうるんできた。泣きそうだ。
「あ!鼻真っ赤だ。泣いちゃう?最近泣き虫だよね、くるみさん。」
「だって、だって泣かせるようなことばかり、爽太君言うから…」
「あはは。だって、くるみさん泣くと、可愛いんだもん」
爽太君は、本当に無邪気に笑った。そんな笑顔が天使なんだよ。そう言うと、爽太君は、
「そんな泣き顔が、天使なんだよ。くるみさん」
って優しく、言い返してきた。
それから、優しくキスをして、
「あ、これ以上は駄目だよね?やっぱり…」
と笑って言うと、私のお腹をさすりながら、
「キューピットだよね。この子。あ、まさに天使?」
と言った。
「え?」
「だって、この子のおかげで、結婚を決められたしさ」
「あ…、うん。でも…」
「でも?」
「爽太君は、22歳だよ?結婚早すぎると思わない?」
「うん。全然。父さんだって、この年で、結婚して親父になったし」
「でも…」
「でも…、何?」
ちょっと、爽太君は、眉をしかめた。
「爽太君は、夢があったでしょ?世界の海に行く…。その夢はいいの?」
「え?叶えるよ、いつかは。今すぐじゃないけど」
「いつか?」
「うん。そうだな。この子が大きくなって、一緒に海に潜れるくらいになってからでもいいな。くるみさんと、俺と、この子で行くってのは、どう?あ、兄弟ももしかしているかもな」
「みんなで?」
「うん。楽しそうじゃない?」
「うん…」
「もう、でも…って言うのは、無しね?」
「え?」
「先の心配は無しにしようね」
「うん」
爽太君の笑顔につられて、私も笑った。
なんでも、楽しいほうに考えちゃうんだ。すごいな。爽太君マジックだな。
私は、自分の部屋に戻り、子供の頃の写真を出した。まだ、両親が仲が良く、一緒に動物園に行った写真だ。
私も父も母も、笑っていた。父に、肩車をされて笑っている写真。母とおにぎりを食べながら、笑ってる写真。
どこかで、歯車があわなくなり、家族が不幸のほうに向かってしまった。でも、私はこのころ、幸せだったし、愛されていた。そして、私は父も、母も大好きだった。
「大好きだったんだ…」
そう私は、つぶやいて、涙を流した。両親を大好きだったという、感情をすっかり忘れていたけど、私はやっぱり今でもかわらず、両親が大好きだったんだ。
大好きだから、愛されたいと願い、愛を求めてきた。心の奥にある二人を愛する気持ちは、ずっと変わっていなかったんだ。
私はただ、二人を大好きで、愛しているということだけ、感じてみた。愛して欲しいと求めるのではなく、ただ、二人を愛していると…。
心の中には、優しさと、あったかさが広がった。そして、涙が溢れて止まらなかった。その涙すら、あったかかった。
ああ、大好きなんだ。愛してるんだ。両親を愛しているという感情が、嬉しかった。そんな感情を私自身が、持っていたことが嬉しかった。