13 素直に
7時になり、気を引き締めて、一階に下りた。春香ちゃんと、瑞希さんがお店にいた。クロも春香ちゃんの足元をうろうろしていた。
「あ、おはよう」
瑞希さんが明るく、挨拶をしてきた。
「おはようございます」
私は、わざと明るく、挨拶をした。でも、ちょっとわざとらしかったかな…。だけど、そんなの瑞希さんは、まったく気にしていない様子だった。
「くるみさん、昨日のケーキ、試食してくれる?」
春香ちゃんがお皿にケーキをのせて、運んできた。
「コーヒーも淹れたから」
コーヒーもマグカップに注いでくれた。
「わあ。美味しそう。いただきます」
食べてみると、やわらかく、甘みを抑えたスポンジケーキに甘いホイップクリームがのっていて、とても美味しかった。
「これ、紅茶の味…かな?」
「そうなの!アールグレイ」
「うん、美味しい!」
そう言うと、春香ちゃんはすごく喜んでいた。
「ちょっとだけミントもいれたんだ。ミントティーっぽくしてみたんだけど、どう?」
「う~ん。ミントの味はあまりしないかな」
「そうか~~~」
「でも、このままでも美味しいよ」
「そう?これでもいける?」
「うん」
「じゃ、私コーヒーとケーキ、櫂に持っていくね」
「はい、いってらっしゃい」
春香ちゃんは、コーヒーポットとバスケットを持って、クロとお店から出て行った。
「櫂っていうのが、彼氏の名前ですか?」
「そ、櫂君。こんな朝っぱらから、ケーキを食べさせられて、かわいそうね」
「え?」
「でも、櫂君もいい子でね、美味しいって食べてくれるみたいよ」
「へえ…。そうなんですか」
「どうも見てると、櫂君は春香のこと相当好きみたいよね」
「え?」
「もともとは、春香のほうが好きになったみたいだけど、たまにお店に来たり、二人でいるところ見てると、櫂君、嬉しそうなのよね~~。櫂君から見たら、6歳もしたでしょ?10代の女の子なんて、子供に見えるんじゃないかなって思ったんだけどね」
「へ~~…」
そうなんだ。春香ちゃん、愛されちゃってるんだ。うん、でも健気だし、可愛いし、慕ってくれたら嬉しいよね。
「ケーキ、美味しかったですね」
「あ、ごめんね。朝から甘いもの食べさせちゃって」
「いいえ。私好きですから、全然大丈夫です。あ、でも太っちゃうかな」
「ええ?痩せてるから大丈夫よ、心配しなくても」
「そうですか?でもこの店きてから私、体重増えちゃったんですよ」
「うそ~~。じゃ、今までいったい何キロだったの?相当痩せてたんじゃないの?」
「そうですね…。今までが、痩せすぎてたのかな。忙しかったし…」
「そうよ。今で全然大丈夫よ」
そう言うと、瑞希さんは、お店の準備にとりかかった。
8時ころ、圭介さんが下りてきた。
「あら、爽太は?」
「え?まだ起きてこない?」
「うん。最近は7時半には下りて来てたのにね」
「あ~~、仕事忙しくないし、のんびり寝てるんじゃないの?」
爽太君、2度寝しちゃったかも…。
圭介さんが、ご飯を食べだし、瑞希さんはコーヒーを淹れてあげ、二人でカウンターに座り話をしていた。なんだか、いづらくなって私は、外の掃き掃除をしはじめた。
掃除が終わり、お店に戻ると、圭介さんはもう、カウンターから姿を消していて、爽太君は、まだ起きて来ていないようだった。
9時近くになり、どたばたと走ってくる音が聞こえた。
「やべ~~~!寝坊した」
爽太君が、くしゃくしゃの頭で、まだボタンも閉めていないYシャツをひっかけ、お店に出てきた。
「母さん、ご飯!超特急で作って!」
「できてるわよ。ハムエッグ。すっかり冷めてるけどね。トーストだけ焼くわね」
「ごめん!」
爽太君は、そう言うとYシャツのボタンを閉め、シャツの裾をズボンに押し込んだ。
Yシャツの下は何も着ていないのか…。素肌をもろに見てしまい、みょうに私は照れてしまった。
う…。多分、昨日の爽太君の肌のぬくもりとか、思い出しちゃったんだろうな。でも、瑞希さんの視線が気になり、私は後ろを向いてコーヒーの準備をした。
「すごい寝坊じゃない。圭介もう、会社に行っちゃったわよ」
「まじ?あ、ほんとだ。もう、9時になる…。やべ~~」
「仕事忙しくないの?」
「う~~ん、今はあまり…。でも暇でもないけど。あれ?今日何曜日?」
「火曜日」
「ガガガ~~ン!朝一ですることがあったんだ~~!佐々木さんに怒られる!」
「なんで佐々木さん?」
「事務の方の仕事で、佐々木さんに頼まれてた…」
「佐々木さんの仕事じゃないの?事務って…」
「本来はね。でも、佐々木さんも忙しかったりするから、俺がたまに手伝ってて」
「そうなの?大変ね。1番ペーペーだもんね、爽太は」
「そうなんだよね。佐々木さんに実は、こき使われてるの、俺」
「あははは。大変だ」
「笑い事じゃないよ。まじ、怖いんだよ。男の人より怖いんだから」
私は爽太君と瑞希さんの会話を、聞きながらコーヒーを淹れ、爽太君に持って行った。
「はい、コーヒー」
「あ…。ありがとう」
爽太君は、すごくさわやかに笑った。って、さわやかすぎるでしょう…。もっと、照れたりするかと思ったんだけどな…。
「その、佐々木さんって人、昔の私みたいですね」
「え?」
瑞希さんと爽太君が同時に聞いてきた。
「私も、男の人に負けないよう、頑張ってきてたから」
「そうだったの?前はなんの仕事してたの?くるみさん」
瑞希さんが聞いてきた。
「営業です。ばりばり営業マンしてました。あ、営業ウーマンかな」
「へえ~~。見えないわね」
「そうですか?」
「でも、佐々木さんはちょっと違うよ」
爽太君が、朝食をたいらげてから、そう言った。
「佐々木さんは、男性に負けないようにしているんじゃないんだ。自分より弱い立場か上の立場かで、変わるんだよね。だから、父さんの前では、態度違うよ。取引先の社長の前じゃ、すんごく可愛くふるまってるし」
「あら、そうなの?へ~~」
瑞希さんが、興味深そうに聞いていた。
「じゃ、あなたのことは、ずいぶんと見下しているとか?」
「みたい…」
「年下だからかしらね?」
「そうみたい…」
「そんな人もいるってことよ。そうかと思えば、自分よりもずっと年下の人にドキドキしちゃって、恋しちゃう人もいるし」
ドキ…!私は、多分それを聞いて真っ赤になったと思う。でも、目の前の爽太君のほうが、慌てたらしく、コーヒーをふき出していた。
「ごほ…。あつ…。何?いきなり…。そういうこと平気で言うかな。くるみさんの前で…」
爽太君も真っ赤になっていた。
「くるみさん?違う違う!私のことよ。何を勘違いしてるの。12も年下の圭介を見て、ドキドキしたりしてたから。くるみさんのことじゃないわよ。や~~ね~~」
瑞希さんはそう言ってから、しばらく笑っていた。
「あ!やべ~~~。9時過ぎてるし!行かなくちゃ!」
爽太君は、真っ赤になりながらも、時計を見て慌てていた。
「爽太、待って。あなた着替えなさい」
「え?なんで?あ!コーヒー!」
「そうよ、今ふき出したとき、Yシャツにかかっちゃったのよ」
「Yシャツ!」
「今、持ってくるから、脱いで待ってなさいね」
そう言うと、瑞希さんは2階にすっとんでいった。すごい速さで…。
爽太君は、Yシャツを脱いでカウンターに置いた。
「……」
どうも、上だけとはいえ、裸の爽太君を見るのが恥ずかしい…。
「俺って、相当馬鹿かも…」
と爽太君が、ぽつりと言った。
「いや、やっぱり母さんのほうが、アホだよね。あのタイミングであんなこと言うかな…」
と、私の方を見てそう言った。
「え?」
「あ、やっぱり、動揺した俺のほうがアホかな」
と頭をぽりって掻いた。
爽太君の顔を見ていたが、どうも上半身に目がいってしまい、私は目をそらした。
「ほら、爽太、Yシャツ。はい!」
瑞希さんが2階からYシャツを持ってきて、爽太君に渡した。
「サンキュー」
そう言うと、爽太君は、ボタンを閉めながら、リビングのほうに行った。
「髪もぼさぼさよ!」
と瑞希さんが言うと、
「ああ、会社で髪の毛とかす」
と言って、鞄を持って上着を持って、玄関から飛び出して行ったようだ。
「あ~~、まったく…。いつまでも子供なんだから」
コーヒーのシミのついたYシャツを手に取り、瑞希さんは、
「これ、すぐに洗わないとね…。ちょっと、お店の準備しててくれる?洗ってきちゃうわ」
と言って、カウンターの奥に行きかけ、
「くるみさん、あきれないでね、爽太のこと」
と私に、言った。
「は?」
「まだまだ、子供だから…」
「いえ、そんな…。あきれることはないです。私…」
「そう?ならいいんだけど…」
瑞希さんは、そう言うと、バスルームに向かった。
いきなり、何を言い出すかと思った。そりゃ、まだまだ子供もっぽいなって思うことはあるけど、そんな爽太君ですら、大好きなのにな。
無邪気な爽太君にも、胸が高鳴ってる自分がいて…。相当変なんじゃないかって自分でも思うけど、瑞希さんの、12歳も下の圭介さんにドキドキしていたってことを聞き、内心ほっとしていたんだ。
それにしても、なんだか、バタバタしていたから、今日爽太君とどう接しようかとか、爽太君と話す時は、気をつけなくちゃとか、そんないろんな心配がふっとんでいった。
そして、いつもどおりにお店は開店し、いつもどおりの1日が始まっていた。
夜、洗濯物をたたんだり、アイロンをかけたりしていると、圭介さんと爽太君が帰ってきた。
「そう落ち込むなよ、爽太」
と圭介さんは、リビングに来るなり、爽太君の背中をぽんぽんとたたいて、慰めていた。
「何かあったの?」
瑞希さんが、リビングにご飯を運びながら聞いてきた。
「やっぱり、めっちゃ、怒られました」
爽太君が、声を低めにそう答えた。
「え?」
瑞希さんが聞くと、今度は圭介さんが返事をした。
「佐々木さんだよ。怒ったっていうよりなんていうの、八つ当たりじゃない?あれ…」
「八つ当たり?」
爽太君が、圭介さんにそう聞くと、
「お前、人が良すぎるんだよね。自分の仕事が忙しくても、佐々木さんの仕事手伝ってるんだろ?」
と圭介さんは、爽太君に向かって話し出した。
「う~~~ん。だって、そうしないと、佐々木さんの仕事、定時に終わらないみたいで…」
「で、お前が残業するはめになる」
「う~~~~ん。でも、残業っていっても、俺家も近いし、特に帰ってからすることないし」
「佐々木さんも、江ノ島に住んでるし、帰ってからすることないと思うけどね」
「え?でも、デートがあるからって、この前言ってたよ」
「ああ。別れたみたいだね。で、特に最近荒れてて、お前に八つ当たりしてて…」
「え?別れたの?!」
「あ、知らなかった?」
圭介さんは、夕飯が揃ったので、いただきますと手をあわせた。
爽太君も、圭介さんのあとから続いて、いただきますと言うと、しばらくは黙って二人で食べていた。
「圭介はどうして、別れたこと知ってたの?」
と瑞希さんが聞いた。
「俺は、森に聞いたんだよ」
「森さん?ああ、爽太よりも、3歳上の社員だっけ」
「佐々木さんと同じくらいの年だし、なんか、ふられたからって、飲むのをつき合わされたらしいよ。翌日、大変だったって森が言ってたよ」
「へ~~~。知らなかった、俺」
「お前、まったく佐々木さん眼中にないもんな。あ!あれだ!お前がおかしかったころだ。お前は恋煩いしてるし、佐々木さんは荒れてたしで、俺が大変だったんだよ」
「俺?恋煩いって?え?何それ?」
「ええっ?何ってお前…。いっとき、ぼ~~ってしてるわ、仕事間違えるわで、おかしかった時あったろ?」
「……。ああ!あんとき!」
「そうそう。あんとき。お前が、くるみさんしか眼中にないとき、横で佐々木さんは荒れていた」
「…ええっ?!」
「知らなかったろう?佐々木さんが二日酔いで、会社に来てたとか」
「っていうか、父さん知ってたんだ。俺がくるみさん…」
「知ってたよ。何言ってんの?まじ、まるわかりだよ」
「ぶぶっ…」
いきなり、瑞希さんが二人の会話を聞いて、ふき出した。私は横で聞いてて、いったいどんなリアクションをとっていいのか、悩んでしまった。
「あ~~~~。何それ…。それで、俺に八つ当たり?」
「だって、お前、くるみさんとデートする日、すんごいうきうきで、俺に何度も、あそこのお店はどうかなとか、そうだ、パソコンで調べてみようとか、くるみさん喜んでくれるかななんて言って、それも全部佐々木さん聞いてて、すんごい顔でにらんでて…」
「え?」
「あ~~、ほらね。お前、全然わかってなかった」
「……」
「そういうの見てたから、ますますお前のことが、気に入らないんじゃないの?ふられてる人の横で、デートするの喜んでたらさ~~」
「…父さん、だったら、言ってくれる?そういうこと」
「だって、お前、すごく嬉しそうにしてたから、その喜びを半減しちゃ、悪いかなって…」
「……」
爽太君は、黙ってまた、もくもくとご飯を食べだした。
デートって、あのドライブの日だよね。そうか、会社でそんなに爽太君、楽しみにしていたんだ。
「爽太って、勘が鋭いようで、抜けてるわね。やっぱり…」
瑞希さんはそう言ってから、
「それと、素直よね、顔に全部出る」
と、付け加えた。
今日は、相当佐々木さんのことで、しょげているらしい。顔がずっと沈んでいた。本当に、顔に出やすいよね…。
爽太君は、大きなため息をすると、
「ごちそうさま」
と言って、2階へ上がっていった。
「あ~~~、へこんでるな~~」
圭介さんが、そう言った。
「圭介とああいうところは、似てないわね」
と瑞希さんが、笑って言った。
「ああいうところ?」
圭介さんが聞くと、
「そ。圭介は、ほら、辛い時でも、落ち込んでる時でも、明るく元気にふるまっちゃうでしょ?」
と瑞希さんが答えた。
「ああ。そういえば…。あ、でも、瑞希の前では、素でいるけど、俺」
「でも、他の人の前だと、まだ明るくしちゃう癖が出る」
「まあね…」
「爽太は、けっこう誰の前でも、顔に出やすいわね。正直者というか、素直というか…」
「そうだよね。くるみさんも、爽太、わかりやすい?」
「え?」
いきなり、圭介さんにふられて、びっくりした。
「あ…。はい。そうですね。私、どっちかっていうと平気なふりしちゃうから、素直で羨ましいです」
あの無邪気なところも、素直なところも、本当に羨ましい。でも、きっとそんなところに、私は惹かれてるんだ。
「しばらくへこむと、立ち直れないときもあるのよ、爽太って。悪いけどくるみさん、様子見てきてもらえるかな?私、ちょっとお店の方の手伝いしてくるから」
瑞希さんにそう言われて、私は2階に行った。
トントン…。返事がない。トントン…。もう一回、ドアをたたき、
「爽太君?」
と呼んでみた。
「くるみさん?」
ガチャ…。いきなりドアが開いた。
「ごめん、母さんかと思って…」
「瑞希さんはお店に出てるよ」
「そっか。あ、部屋入って」
爽太君に言われて、そのまま、部屋に入った。爽太君はまだ、スーツのパンツにYシャツ姿だった。
「テレビ観てたの?あ、DVD?」
「うん、海のやつ見ながらぼ~~ってしてた」
「そうとう、へこんでる?」
「う~~ん。ちょっとね…」
「原因は、佐々木さんって人?」
「う~~ん。それもあるけど」
「他にもあるの?」
「うん。父さんとかには、言ってないけどさ」
「何?どうしたの?仕事のこと?」
「いや…」
口数が少ない。もしかして話したくないのかな。
あれ…?まさか、私のこと?昨日のことで、なんか落ち込んでる…、とか?
「あ…。う~~ん。くるみさんに話すことじゃないような気もする」
「え?私のことで、何か悩んでるとか?」
「いや、そうじゃなくて。う~~ん」
爽太君は、ベッドに座り込み、しばらくうなだれていたが、
「五月ちゃんのこと」
と、ぽつりと下を向いたまま、言った。
「え?」
ドキってした。五月ちゃんのことで何を悩んでいるのか?
しばらく、黙っていたけど、爽太君は意を決したのか話し出した。
「昼くらいに、五月ちゃんから電話があってさ…。今、出てこれないかって言うから、昼ごはん買うついでに会ったんだけど…」
「うん…」
少し、先を聞くのが怖い気もする。よりが戻っちゃったとか、そんな展開になったりしないよね?
顔が引きつった。でも、ばれないように平静なふりをした。
「俺、別れ話した時に、五月ちゃんのことが好きかどうかわからないから、別れてほしいって言ったんだ。それ、本当のことだったし…」
「うん…」
「で、そんとき好きな人ができたのかって聞かれたから、それはないって言ったんだよね。あ、そんときはまだ、くるみさんのことが好きだって自覚してなかったころで…」
「うん…」
「で…、好きな人がいないのなら、友達でもいいから付き合ってって、今日、言われて…」
「う…、うん…」
「でも、もう好きな人がいるし、その人と付き合ってるしって言ったら、相当驚かれてさ」
「……」
「はあ…」
爽太君は、ため息をついた。
「誰だか知りたいらしくて、問い詰められちゃったわけ」
「うん…。それで?」
「あんまりしつこいから、くるみさんの名前を出したら、なんかさ…」
「うん…」
「なんか、納得してくれないんだよね」
「え?」
「う~~~ん。なんでかな?そんな嘘ついてもばれるって言われて…。俺、本当のこと言ってるのにな」
「それで?」
「あ。それだけ」
「…それだけ?」
「うん…。そのあとは、その…。くるみさんは何も心配しなくていいし」
「?」
「あ~~~~。駄目か…」
「え?何?どうしたの?」
「う~~~ん」
爽太君は、頭をぼりって掻いた。
「正直に言うとね。くるみさんに会わせろって言うんだよね。会ってどうするのかって聞いたんだけど。どうも、会ったら付き合ってるかどうかがわかるとかなんとか…」
それで悩んでたの…?
「いいよとも言えないし、そんなことする必要ないって言ったんだけど。で、今日は俺そのまま会社に戻ったんだけど…。多分、店来ると思うよ」
「え?五月ちゃんが?」
「うん…。下手すりゃ、明日朝一とかで、多分俺がいる時間帯に…」
「…なんで?」
「なんでかな~~。納得したいらしいんだけど。いったい、何を考えてるのかな?」
しばらく、二人で考え込んでしまった。でも、もちろん答えは出ない。もう、会いに来たなら、会いにきたで、迎えうつしかないようだ。って、なんで迎えうたなきゃいけないのか…。
でも、なんだか聞いてて、私が悪者にでもなったかのようだ。五月ちゃんから爽太君を、取っちゃったかのような…。
ふと、自分と稔と、梨香のことが頭をよぎった。ああ、五月ちゃんの立場だったんだ、私…。
私も、二人が付き合ってるのを知って、納得いかなかった。そうそう、「はい、そうですか」なんて思えなかった。それどころか、死んで二人を苦しませようなんて、今の五月ちゃんよりずっと卑劣なこと考えてた。
「わかった。爽太君。明日もし、五月ちゃんが来ても、大丈夫だから」
「え?」
「心配しないで」
「でもさ…」
「大丈夫」
自分と重なって見える五月ちゃん。でも、五月ちゃんの方が、よっぽど自分に正直に行動しているって思えた。
「ごめん。俺がはっきりしてないからだよね。優柔不断なんだって自分でも思うよ」
「え?」
「今日、佐々木さんにもがつんと言われた。優柔不断で、優しさを履き違えてる。男らしくない最低な男」
「ええ?!そんなこと言われたの?」
「言われた…。そこまで言う?って後ろで、父さんが目を丸くしてた。一応俺の息子なんだけどって言ったら、佐々木さんも、すみませんでしたって謝ったけどさ」
「なんか、私のほうがショック…」
「え?なんで?」
「なんとなく…。そこまで言わなくてもっていうか、私、爽太君が優柔不断とも思わないし、男らしくないって思ったこともないよ。逆にいろんな面で助けてもらってて、年下だって思えないほどだもの。私がすごく、頼りにしちゃってるのかもしれないけど…」
「そうなの?ほんとに?」
「うん」
「すんげえ、幼い子供とかって思ってない?」
「ないよ。全然」
「…良かった。ほっとした、それ聞いて」
「え?なんで?」
「ちょっとね…。朝も2度寝して、寝坊するわ、コーヒーふき出すわ、母さんに言われたことで動揺するわ…。俺って情けないって、思ってたんだよね。くるみさんから見たら、俺、子供だよなって…」
「ええ?そんなこと思ってないよ。子供っぽいところも、あるなって思ったりもするけど、でも全然…」
「あ。やっぱ、思うことあるんだ…」
「え?でも…」
「朝もコーヒーふき出したあと、なんかくるみさん、避けてるっていうか、目を合わせないっていうか、もしやあきれてるのかなって思って…」
「え~~~~~~?!」
えらい思い違いだ。私は、昨日の夜のことで恥ずかしかったり、瑞希さんにばれないよう、わざと冷静なふりをしてたのに…。
「違うよ、爽太君。私、なんか勝手にドキドキしてただけだから」
「何に?っていうか…、何で?」
「何でって、だって…。だって…」
私は多分、真っ赤になっていたと思う。顔がものすごく、熱かった。
「え?何で?今ももしかして、照れてるの?」
「う…、うん」
「……。何で?」
爽太君は、本当にわからない様子で、目を丸くしながら私に聞いてくる。いったい、私が本当のことを言ったら、どうするんだろう。照れる?あきれる?引かれる?嫌がる?
しばらく、私は黙ったままうつむいていたが、爽太君のまっすぐにこっちを見ている視線に、負けてしまった。
「白状するとね」
「うん…」
爽太君は、興味津々だが、ちょっと緊張もしている。
「昨日の夜のこと、瑞希さんに悟られないようにって、わざと冷静にしてたのと…」
「え?ああ…。それと?」
「コーヒーのしみつけて、Yシャツ脱いだでしょう?」
「う…、うん。なんか、Yシャツよごしたりして、俺、子供みたいだよね」
爽太君は、苦笑いをした。
「そうじゃなくて…。その…。爽太君の上半身、裸なのを見て、妙に照れちゃったの。だから、爽太君を見れなくなって…」
「え?!」
爽太君は、一瞬たじろいでいた。それから、ちょこっと体を引き気味にした。あ…。やっぱり引いてる…?それから、
「…え?」
とまた、爽太君は、聞いてきた。
「ああ、やっぱり言わなければ良かった。今の忘れて…」
そう言ってから、私はしばらく下を向いていた。どんな顔をしていいかも、わからなくなったから。
「そっか。なんだ」
爽太君は、ちょっとほっとしているような、口ぶりだった。
「……」
爽太君までが黙ってしまった。しばらく二人で黙っていたが、爽太君が話し出した。
「俺、ちょっとあれかも…」
「え?何?」
ドキってして、顔を上げた。
「くるみさんのこと、誤解してたっていうか…」
「え?どんなふうに?」
「その…。7歳上だし、付き合ってた人いるし、もっと男の人慣れしてるのかなって」
「え?!何?それ?」
「あ、ごめん!ほんと、ごめん!」
「お、男の人慣れしてるって…、どういうこと?」
「だから、えっと。男の人の裸とか見慣れてるのかなとか、昨日の夜のこともそんなに意識してないのかなとか…。それで俺がやたらと、意識したらますます子供っぽいかなとか…」
「……」
ああ、それで、今朝、あんなにもさわやかな笑顔で挨拶してきた?平気なふりをしたとか?
「あ、あのね…。稔と付き合ってるのとは、また違うの」
「え?」
「全然違うの…。やたらと爽太君のことは、意識しちゃうし、ドキドキしちゃうし。まぶしいやら、愛しいやら、稔にはそういうの、なかったんだよね」
「え?!」
爽太君の目が、また真ん丸くなった。あ、私、何を正直にべらべら、話しちゃってるんだろう。
「あ、今のも、忘れて。は、恥ずかしいから…」
「え?なんで?忘れないよ!こんな嬉しいこと忘れるわけないじゃん」
そう言って、爽太君は、少しにやけそうになるのを、こらえているようだった。
「なんだ、そっか。そうなんだ。俺だけじゃなかったんだ」
「何が?」
「いや、ドキドキしたりするのとか、すんごい意識してるのとか…。ほんとは隣にいるだけでも、心臓ばくばくしたりするし」
「そうなの?」
「するよ、そりゃ…。今だって、意識しまくり。でも、そうそう手を出したりしたら、嫌われるかなとか、うっとおしいかなとか、疎まれるかなとか、そんなことも同時に考えてるから、頭ン中ぐるぐる…」
「……」
知らなかった。それは全然、気づかなかった。
「あ、こんなことばらしていいのかな、俺。やばいよね?」
「ううん…」
しばらく、二人してベッドに姿勢よく座り、まん前を向き、お互い顔を合わせられなかった。
「昨日も、その…。たった2本だったけど、酒の力借りちゃったし」
先に爽太君が、沈黙をやぶった。
「え?」
私は思わず、爽太君の顔を見た。爽太君は、まっすぐ前を向いたままだった。
「ごめん。酒臭かったよね、俺。なんか、疲れてたからか、やけに酔っちゃってて。そのまま朝まで、爆睡してたよね?俺、その、いびきとかかいてなかった…?」
「大丈夫、すやすや寝てたよ」
「もしかして、くるみさん、寝れなかったとか?狭かったし…」
「寝れたよ。でも、たまに目が覚めてた」
「え?ほんと?」
「うん。それで、爽太君の顔を見てたり、寝息聞いてた」
「え?まじで?うわ!照れる…」
爽太君は、みるみる真っ赤になった。すんごい可愛い。
「なんか、すげえ顔で寝てなかった?俺」
「ううん。可愛い寝顔だったよ」
「か…可愛い?って、ガキみたいってこと?」
「違う、違う。えっと、なんて言ったらいいのかな…。か、可愛いっていうか、愛しいっていうか…」
また、爽太君は、こっちを見たまま、目を丸くした。そうとう、驚いているようだ。それから、ますます顔を真っ赤にした。
「あ…。なんか、駄目だ。そういう言葉に俺、慣れていないっていうか…。あ、母さんとか父さんになら、耳にたこできるくらい言われてたけど…。女性から言われたのは初めてだ」
「そうなの?」
「うん…。わ…。やっべ~~。俺、真っ赤だよね。もしかして、耳まで赤い?すんごい顔が熱いんだけど…」
「うん。真っ赤だよ」
「ああ…。やっぱり?」
そう言うと、爽太君はしばらく、うつむいてしまった。それからぼそっと、
「でも、ちょっと安心した」
とつぶやいた。
「え?何が?」
「俺、あきれられてるかなって思って…。その…。あ、なんか1番へこんでたのは、それが原因だったかも」
「やだな…。そんなこと全然ないのに。あ、そっか。私がそっけない態度とったからか。ごめんね」
「ううん、こっちこそ…。その、勝手にあれこれ悩んじゃって…」
「ちゃんと、言わないと駄目なんだね」
「え?何を?」
「自分の心の中を、素直にきちんと言わないと…。爽太君を、知らない間に傷つけちゃうんだね」
そう言うと、爽太君は目を細めた。それから、私を優しく見つめた。
「俺、まじでくるみさんのこと、すげえ好きになってる」
そう言うと、爽太君はそっと、キスをしてきた。すごく優しいキスだった。
それから、その優しい空気に酔いしれていたかったが、時計を何気に見たら、9時を過ぎてて、
「あ、いけない。お店の片付け手伝わなくっちゃ!ご、ごめん。爽太君」
と、私は慌てて、爽太君の部屋を出た。
一階に急いで下りていったが、お店に出る寸前で、呼吸を整え、ほっぺをぱんぱんとたたいてから、出て行った。
「すみません、手伝います」
と言うと、瑞希さんが聞いてきた。
「爽太、どうだった?へこんでた?」
「はい。あ、でも、多分もう大丈夫」
「そう?良かった。くるみさんと話したら、元気出るかなって思ったのよね」
「そうなんですか?」
私は、照れてしまったが、なるべく冷静にそう返事をした。
「ふふ…。だって、最近悩みがあるたびに、くるみさんに話を聞いてもらって元気になってるから」
瑞希さんはそう言って、笑いながらどんどん、片付けをしていった。
さすが、瑞希さんは、爽太君のことがわかってるな~~。なんか、もう全部見透かされているんじゃないかって、そんな気もしてきた。
それにしても、あんなに素直に自分の心のうちを、人に見せたことはないな…。爽太君にだと、素直になっている自分がいて、本当に驚く。
爽太君の悩み事を聞いているというよりも、私がいつも元気になっている気もしちゃう。不思議だな…。
きっと、爽太君といると、素直になれるからかな…。