11 恋人…?
お店の前に着くと、れいんどろっぷすの明かりは消えていた。もう、由樹さんは帰ったのかな。
「ただいま」
駐車場に車を止め、二人で家に入った。
「おかえりなさい」
瑞希さんが元気よく、出迎えてくれた。リビングでは、圭介さんがテレビを観ている。
「由樹さん、もう帰っちゃった?」
「うん。30分前くらいかな。あ、なにか飲む?コーヒーでも淹れる?」
「いいよ、いいよ。もうお腹いっぱいだし…。ね?」
と、爽太君は、私のほうを向いて言った。
「うん」
とにっこり微笑むと、圭介さんが、
「いいな~。美味しいものたらふく食べてきたんだ」
とそう言った。
「母さんと行けばいいじゃん。二人で…」
「そうだな。じゃ、来週の水曜は、俺と瑞希でデートだな。お前邪魔するなよ」
「しないよ。なんで邪魔なんか…」
と爽太君は、ぶつくさ言って、上着を脱ぎリビングに座った。
「おさき~~」
と春香ちゃんが、お風呂からあがってきた。
「圭介、お風呂入っちゃって。あとがつかえてるし」
と、瑞希さんが言うと、
「うん、じゃ、一緒に入ろうよ」
と、瑞希さんに言った。
「え?!」
思い切り、私が驚くと、
「え?何?」
と、逆に圭介さんに、驚かれた。
「いえ…。ちょっとびっくりして。うちじゃありえないことで」
「あ~~。この二人はね、よく一緒にお風呂も入っちゃうから、気にしないで」
と春香ちゃんはそう言うと、2階に上がっていった。
瑞希さんと圭介さんは二人で、お風呂に入りに行き、私と爽太君だけがリビングに残った。
「仲いいよね」
「うん。やっぱり、普通一緒に、風呂入ったりしないもんなの?」
「え?わからないけど…。うちの親も普通じゃなかったし」
「そうなの?」
「うん。家庭内別居状態。私が高校生のころには、一切口もきかなかったから」
「辛いね、それ。くるみさんが1番…」
「だから部屋にこもるか、友達の家に行っちゃったり、あ、塾とか、嬉しかったな。家に帰らないですむから…」
「塾が?」
「わざと、遅くまでやってる塾に行ってたよ」
「そっか…」
爽太君は、少し暗い表情をしたが、すぐに明るくなり、
「そのうち俺らも…」
と言ってから何か、照れていた。
「?俺らも?」
「なんでもない。」
爽太君は、頭をぼりって掻いて、
「着替えてくるね」
と言って、2階へ上がっていった。
瑞希さんと圭介さんがお風呂からあがってきて、私がお風呂に入り、出てから2階に行き、
「爽太君、お風呂いいよ」
と声をかけた。でも何も返事がなく、そうっとドアを開けると、ベッドで爽太君は、すやすや寝ていた。
疲れちゃったのかな。そっとベッドの横まで行き、寝顔を見た。
なんだかとても、気持ちよさそうに寝ている。寝顔がめちゃくちゃ可愛くて、そのまましばらく見つめていた。
「おやすみ…」
小さな声でささやいて、私はそっと爽太君のおでこにキスをした。それから、部屋をまたそっと出て、ドアをそっと閉めた。
自分の部屋に戻り、ふうってため息をつきながら、今日あった出来事を思い出した。なんだか、まだ信じられない。爽太君も、私を好きでいてくれたこと…。
いつからかな?ああ。そっか…。爽太君が、なにやら悩みだした時からか。恋煩いだって瑞希さんが言ってたけど、あれ、私のことだったのか…。ちょっと、自分でそんなことを思いながら、にやついてしまった。
「さ、もう寝よう!」
私は、にやついたほっぺをパンパンとたたき、ベッドに潜り込んだ。壁をへだてたすぐ横に、爽太君がいて、今夢の中なんだなって思いながら。
「二人には内緒にしておこうね」
爽太君が、そう言っていたので、今までと同じように私は、爽太君と接した。爽太君も、まったく今までと変わらなかった。普通に会話をして、爽太君は会社に行く。夜戻ると、普通に夕飯を食べ、そのままお風呂に入り、部屋に行く。
あまり二人きりになることもなかったし、二人だけで過ごす時間も、話をする時間もなかった。
こんなじゃ、いくら勘のいい瑞希さんでも、まさか二人が付き合ってるなんて思わないだろうな。あれ?そもそも、こういう状態を「付き合う」と言うのだろうか?
メールをするわけでもない。というか、メアドさえ、知らない。そりゃそうだ。一緒に住んでるし、会おうと思えば、すぐに会える。
とはいえ、逆に家族もいるから、二人きりで会おうとしても、なかなか会えない。
ただ、私の中では大きな変化があった。例えば、爽太君が朝起きて来て、おはようとカウンターに座る。ご飯を食べている姿を見てても、幸せで胸が躍る。
美味しいコーヒーを淹れてあげたいと思うようになり、瑞希さんがいつもコーヒーの豆を挽き、コーヒーを淹れていたが、それを習って私がやるようになった。
前から、みんなの洗濯は私がしていたが、
「アイロンもかけます」
と爽太君や圭介さんのYシャツのアイロンがけも、しようとした。
でも、くるみさんに、
「圭介のは、私がするわ。部屋で圭介のYシャツのアイロンかけているところを見るのが、圭介好きみたいなのよね。変わってるでしょ?」
と言って、私に爽太君のYシャツだけを渡してくれた。
「爽太のは、お願いね」
「はい」
アイロンをかけて、爽太君の部屋のドアのフックにかけておく。それは、瑞希さんもいつも、していたことだった。
翌朝、爽太君は、そのYシャツを着て、下りてきた。
いつもYシャツとズボンをはいて、ネクタイだけは出る寸前にするか、暑い日には、ネクタイすらポッケにいれて、上着も手で持って出ることが多い。
すぐ近くの事務所だから、普段着でいいんじゃないかとも思ったが、どうやら、時々スーツ姿のお客さんが来るようで、一応スーツだけは着ていくようだった。
「おはよ…」
眠そうな顔をして、カウンターに座った。朝ごはんを瑞希さんが、爽太君に持っていき、
「今日のコーヒーも、くるみさんが淹れてくれたものよ」
と、爽太君に言っていた。その横で、コーヒーを淹れて、私が爽太君のもとに持って行った。
「あ、ありがとう」
爽太君は、眠そうな声でそう言った。
「ああ、それからね、爽太。洗濯もほとんどくるみさんがしてくれてるけど」
「あ。うん、知ってる。いつもありがと…」
「昨日から、アイロンもかけてくれてるの」
「え?」
「それ、今着ているあなたのYシャツ、くるみさんがアイロンかけてくれたものだからね」
「これ?」
爽太君が、自分の着ているYシャツを見た。
「そう。圭介のは私がしてるけど」
「あ、そうなんだ…。ありがと…」
なんだか、瑞希さんにありがとうを、言わされてるみたいだなって思いながら、
「いいよ。だって、瑞希さん忙しそうだし…」
と言うと、
「そんなことないわよ。本当は爽太に、自分のシャツくらいアイロンかけさせたいくらいなんだけど」
と、瑞希さんは言った。
「え?俺が?自分で?」
「そうよ。もし一人暮らししてたら、それくらいしてもおかしくないわよ」
「あ、そうか…。えっと、自分でしたほうがいいかな?」
「いいよ。全然、私だったら、夜暇だし…」
実は、爽太君のYシャツにアイロンをかけられるのが、嬉しかったんだ。なんだか、すごく幸せな気持ちになりながら、していたから…。
「感謝しなさいよね~~。普通はね、奥さんくらいしかこんなこと、してくれないわよ」
そう瑞希さんに言われて、爽太君は、真っ赤になった。
「そうだよね…。ありがと…」
奥さん…。その響きに私も真っ赤になりそうになったが、必死で冷静にふるまった。
その日の夜も、洗濯物を取り込み、私は誰もいないリビングで、爽太君のYシャツにアイロンをかけていた。
春香ちゃんと瑞希さんはお店に出ていて、圭介さんと爽太君は、また忙しくなったのか、残業をしているようだった。
私は、Yシャツをまず広げてから、ぼけって眺めた。それから、丁寧にアイロンをかけ、またぼけって眺める。
そのYシャツからは、洗剤の香りしかしてこないのだが、なんだか爽太君の匂いとか、ぬくもりまで感じられるようで、ぎゅって抱きしめてみたりしていた。そしてまた、くしゃくしゃになり、
「あ…」
と、私はYシャツにアイロンをかけなおしていた。
なんだか視線を感じて、私は顔を上げた。すると、リビングのドアのところに瑞希さんが立っていて、一部始終を見られていたようだった。
「あ…。お店は?」
「うん。お客さん今日は早めに帰ったから。春香が今、キッチンにいるんだけど…」
「あ、私も手伝いますね」
「いいの、アイロンかけてて。私も少し休むから」
「すみません、気づかなくて。春香ちゃん一人で大変じゃないですか?パートさん帰っちゃったんですよね?」
「うん。春香がお客さん早く帰ったし、ちょっとケーキを作りたいって、まだキッチン使ってるから、キッチン片付けるのは、1時間くらいしてからになるかな」
「そうなんですか」
「たまにね、あの子ケーキを作ってるのよ。試作品段階だけど。明日試食してって、頼まれると思うわ。たいてい、うまくできるけど、たまに失敗をすることもあるから、まずい時には、きちんと言ってあげてね。そっちのほうが、あの子のためになるし」
「はい」
私はまた目線を下げて、アイロンをかけだした。
「……。くるみさんって…」
アイロンをかけている姿を眺めながら、瑞希さんが言ってきた。
「可愛いわよね」
「え?!」
いきなりそんなことを言われて、びっくりした。
「私も、そんな時があったな~~。圭介のYシャツにアイロンかけるの、けっこう嬉しくて」
「あ…」
やばい…。さっきの見られてたんだもんね。もう、私が爽太君を好きなの、ばれてるよね。
「今も圭介のYシャツ、アイロンかけてるけど、横で圭介がいつもべらべらしゃべってきて、集中してアイロンもかけられない」
「そ、そうなんですか…」
恥ずかしくて、穴があったら、入りたいくらいの心境だったが、どうにかこうにか、顔を無表情にしようと、必死になった。
「こういう姿を、本人に見せたいわ。多分、爽太、ぐっときちゃうわね。あ、隠しビデオ撮るんだったな」
「や、やめてください、そんなの…」
「ふふ…。冗談よ」
駄目だ、冷静になれない。真っ赤になるし、汗は出るし…。
「子どもの肌着や洋服にも私、ほおずりしたっけな」
「え?」
「今じゃしないけど、そうね、小学生くらいまではしてたわ。爽太のシャツや、パンツにまで」
「え?そうなんですか?!」
「もう、可愛くて可愛くて。くるみさんも子供が出来たら、わかるわよ」
「へえ…」
私の母は、そんなのしていたことがなかったな。
「今は、好きな人のYシャツが、愛しくなっちゃってるんだと思うけどね」
「え?!」
また、瑞希さんは心臓が飛び出るようなことを言うので、本当に私は汗だくだくになってしまった。
「くすくす…。さてと。圭介と爽太、そろそろ帰るかな。ご飯作っておこうかしらね」
瑞希さんはそう言うと、キッチンに戻っていった。
瑞希さんは私が、爽太君を好きなのを見破ってた。っていうか、私たちが付き合ってるのをもう、知っているかのようだった。
「隠していたつもりだったけど、まるわかりだったのかな…」
なんだか、必死で二人で今までどおりに接しようとしていたのが、馬鹿らしく感じた。
Yシャツにアイロンをかけ終えたころ、圭介さんと爽太君は、帰ってきた。
「ただいま~」
「おかえりなさい」
圭介さんは、
「瑞希~~。俺風呂先にはいってくる。なんか汗かいてて、気持ち悪いや」
と、お店にいる瑞希さんに言ってから、バスルームに向かった。爽太君は、上着をぽんとほおりだして、
「疲れた~~」
とネクタイをはずしながら、座った。
「あ、それ、俺のYシャツ?」
「うん」
「アイロンかけてくれてた?」
「うん」
「サンキュー。でも、アイロンかけてるところが、見たかったな」
「え?なんで?」
「なんとなく…。なんか、そういうの見てるの、新婚みたいじゃない?」
「し、新婚???」
「っていうか、夫婦みたい」
爽太君が、そんなことを言うから真っ赤になってしまった。
「奥さんくらいしかそんなことしないって、母さん言ってたけど、ほんとそうだよね。そう思ったら、ちょっと、嬉しくなっちゃって。へへ…。これ、着てるだけで今日は、どきどきしてたや」
爽太君は、少し照れくさそうに笑った。
「はい、爽太」
瑞希さんが、夕飯を持ってきた。
「あ、サンキュ。あれ?なんか甘い匂いしない?」
「春香が、ケーキを作ってる最中」
「そっか。うまくできるといいね。たまに失敗作食わされるからなあ…」
「ふふ…。でも、あなたの場合、そういうのでも、うまいって食べちゃうから、春香、勘違いしちゃうのよね」
「そうなんですか?」
「そうよ。圭介もうまいって食べるから…。私くらいしっかりと、ちゃんと味をみてあげないと、春香、上達しないじゃない?」
「そうですね」
「だって、まずいとは言いにくいし、一生懸命作ったって思うとつい…」
「くすくす…。あなたも圭介も、ほんと似てるわね。奥さんが作った料理は、何が何でも美味しいって言って食べるんじゃない?」
「俺?」
「まあ、あなたの奥さんになる人は、幸せものかもね」
「俺の?」
「そ。圭介もそうだけど、家庭を大事にするし、子煩悩だしね」
「爽太君、子供好きなの?」
私が聞くと、瑞希さんが、
「もう、だいっ好きなのよ。赤ちゃんとか見ると、可愛い可愛いってうるさいし、春香の面倒も本当によく見てたわね」
「だって、可愛いじゃん」
ぼそって爽太君は言った。
「へえ…。なんだか意外」
「え?なんで?意外?」
爽太君が、私に不思議そうに聞いてきた。
「あまり、小さい子と接してるの見たことなかったから、わからなかった」
「まだまだ、くるみさんから見たら、爽太の方が子供みたいなものだものね~~」
瑞希さんがそう言うと、ご飯を食べだそうとしていた爽太君が、
「ええ?なんだよ。俺子供?」
と少し、口を尖らせて怒った。
「あはは…。そういうところまで、似てる。」
「父さんに?でも、父さんよりか、大人でしょ?」
「くす…。22歳のころの圭介に、そっくりよ」
そう笑うと瑞希さんは、トレイを持って、お店のほうへと行ってしまった。
「ちぇ~~」
爽太君は、少しふてくされた顔をしていたが、ご飯を食べだすといつもどおり、美味しそうな顔をした。
それにしても、奥さんになる人は幸せものか…。自分の子供のことをそんな風に言えるってすごいな。
ご飯を美味しそうに食べている爽太君を見ながら、爽太君の奥さんっていいなって思ってると、
「そっか。父さんは俺の年でもう、結婚してたんだもんな。なんか信じられないよな」
と爽太君は、ぼそって言った。そうだよね…。22歳で、結婚はまだまだ考えられないよね。
私の、爽太君の奥さんっていいな…という思いが空中にふわふわと浮かび、まるでシャボン玉がぱちんと割れるように、消えていった。
ご飯を食べ終えたころ、圭介さんがお風呂から上がり、爽太君と入れ代わりでご飯を食べだし、爽太君の方が、お風呂に入りにいった。私は、お店に片付けの手伝いをしにいった。
夜11時過ぎ、お風呂からあがり、自分の部屋で音楽を聴きながら、マニキュアを塗り、足の爪にもぺティキュアを塗っていた。
トントン…。ドアをノックして、
「くるみさん、もう寝た?」
と爽太君の声がした。
「まだ起きてるよ。でもごめん、今動けないから、爽太君、ドア開けていいよ」
「え?うん…」
ちょっと不思議に思ったのか、爽太君は、そっとドアを開けた。
「ペティキュア、塗りだしちゃってごめんね。しばらく動けないんだ。歩くだけで、隣の指にくっついちゃうの」
「ああ…。足のマニキュア?」
「うん。そろそろ、サンダルはいたりするから」
「へえ…」
爽太君は、私の座ってる横に座って、
「塗るの見ててもいい?」
と、聞いてきた。
「うん、いいけど…」
すぐ隣に座ったので、ちょっと緊張した。
「あ、はみ出しちゃった」
「大変なんだね。それ。器用じゃないとできないね」
「そんなことないよ」
しばらく黙って集中して塗っていると、爽太君もしばらく黙って、じっと見ていた。
塗り終わり、爽太君に聞いた。
「何か用だったの?」
「うん。今日帰りがけ、カンチュウハイとか、梅酒とか買ってきたから一緒に飲もうかと思ってさ」
「そっか…。でも、ごめんね。なんか最近、お酒に弱くなったみたいで、やめとく」
「弱くなった?」
「うん、この前もちょっと、気持ち悪くなったから」
「そうなんだ」
「うん」
「じゃ、俺も今日はやめとこう」
そう言うと爽太君は、私の部屋をくるりと見回して、
「この部屋、模様替えしたんだ」
と聞いてきた。
「うん。瑞希さんとカーテンや、カーペット買いにいったり、ベッドカバーも変えたんだ」
「そうだよね。前はモノトーンだったよね。梅さんの趣味だったから」
「梅さん?」
「あ、前に住んでた、由樹さんのだんなさん。梅田さんっていうんだ。だから梅さん」
「ふうん」
「カーテンもベッドカバーも、グリーンなんだね。好きな色?」
「うん。アパートもそうだったんだ。なんか緑って落ち着くから好き」
「そうだね。落ち着くよね、この部屋。春香の部屋なんて、ピンクでよくあんな部屋で寝れるよなって思うよ」
「爽太君の部屋は、青だね。海にいるみたいだって思ったよ」
「あ、うん。海をイメージしてるしさ」
「海、好きだね」
「うん。いろんな海見に行きたいんだよね」
「いいね、それ…」
「でしょ?金ためて、いろんなところに潜りに行きたい」
「爽太君の夢?」
「うん。そう」
「いいな、夢があるっていいね」
「くるみさんの夢は?」
「ないのよ、昔から。現実主義で、ちゃんと生活していけたら、それでって感じで」
「そうなんだ。でも、それが1番大事なんじゃないの?」
「私の場合は、親があんなだったから、一人でも生きていけるようになるっていうのが、目標だったんだ」
「一人で?」
「うん。たとえ結婚しても、いつ別れても大丈夫なように」
「なんか、寂しくない?それ…」
「うん。でも、お母さん見てたら、そんな考え方になっちゃった」
「そっか。じゃ、あまり結婚願望ないほう?」
「前はね。でも今は、圭介さんと瑞希さん見てたら、仲のいい夫婦いいなって思う」
「……」
爽太君は、何も答えなかった。それから、しばらく黙っていたが、
「もう爪乾いた?」
と聞いてきた。
「うん、乾いたよ。なんで?」
「じゃ、触っても大丈夫?」
「え?」
「押し倒しちゃっても、大丈夫?」
「え?!」
「……。冗談だよ」
本気で、焦ってしまった。いきなりそんなことを言うから…。
「ここで押し倒すのは、絶対無理だな。いつ誰が、入ってくるかわからないし」
「……」
すると、いきなり、ドアをノックすると同時にドアが開き、
「くるみさん、マニキュア貸して!」
と、春香ちゃんが入ってきた。
「ね?」
と爽太君は、小声で言った。
「あれ?何してんの?お兄ちゃん。ちょっと、くるみさんの部屋に勝手にあがりこんじゃ駄目じゃないよ!」
「勝手にじゃないよ。ちゃんと了承得たうえで、入ってるし…。お前の方がよっぽど、勝手にドア開けたりしてるじゃん」
「ノックしたもの」
「ノックして、返事待ってから開けるもんなの!これじゃ、くるみさん全然プライベートないじゃん」
「お兄ちゃんこそ!男の人が、女性の部屋に入りこんだらいけないでしょ。お母さんに言いつけるからね」
「なんだ?そりゃ。お前ほんと、ガキ」
「うるさい!早く出てって!」
「出てけって、お前の部屋じゃないじゃん」
「いいから!くるみさんといろんな話があるの!」
そう言いながら、春香ちゃんは爽太君の背中を押して、爽太君を追い出してしまった。
「まったく、油断もすきもない。くるみさん駄目だよ、部屋にあげちゃ!」
春香ちゃんはまだ、憤慨していたが、
「マニキュア、どんな色がいいの?」
と聞くと、すぐに切り替え、
「あ!あのね。ブルーとか持ってる?」
と、嬉しそうに聞いてきた。
「あるよ」
「見せて~~。足に塗りたいの。あ!くるみさんも、ペティキュア塗ったの?可愛い!」
春香ちゃんは、年の割にはしっかりしていると思うが、やっぱりこういうところは、まだ10代だなって思う。
それから、マニキュアを塗ってあげたり、恋の話をしたりして、1時間くらい盛り上がった。春香ちゃんは私を慕ってくれてて、可愛い妹が出来たみたいで、私は嬉しかった。
翌朝、お店に出ると、春香ちゃんがご飯を食べ終わったところで、
「あ!おはよう、くるみさん。今ね、お母さんに、くるみさんの部屋に、鍵をかけたほうがいいって話をしてたところなの」
と、私に向かって言ってきた。
「鍵?」
「うん。だって、お兄ちゃんがまた、入りこんだら大変だし」
「いや、入りこんだわけじゃなくて、ちゃんと断ってから入ってきたし…」
「でもさ~~、やっぱり一つ屋根の下に、若い男性がいたら嫌でしょ?私だったら嫌だな。鍵かけて入らないようにするよ」
「いや、爽太君、勝手に入ることはしないと思うけど…」
困ってしまってると、瑞希さんが、
「でも、そうよね。プライベートの時間もあるだろうし、鍵があったほうがいいわよね。日曜に圭介につけておいてもらうよう、頼んでみるわ」
と言い出した。
「え?いいです。そんな…」
「爽太でも、やってくれるかもしれないわね。爽太の方が、けっこう器用だから、爽太に頼みましょう」
「え?え?でも…」
爽太君を阻止するためなのに、爽太君、するかな?
「お兄ちゃんしないよ。怒るんじゃないの?」
あ、春香ちゃんも、そう思うんだ…。
「海にはまだ、行かないの?春香」
瑞希さんは、春香ちゃんの質問には答えず、そう言った。
「あ、そうだった。じゃ、行って来るね」
慌てて、春香ちゃんはポットを持って、お店を出て行った。
「大丈夫。爽太、してくれるわよ」
瑞希さんは、笑顔でそう言ったけど、爽太君、怒り出したりしないかな…。
7時半になり、爽太君が、起きてきた。
「おはよう~~」
あ、眠そうだ…。
「爽太、頼みがあるんだけど。今度の日曜日、日曜大工してくれない?」
瑞希さんは早速、爽太君に持ちかけた。
「え?何作ればいいの?」
「くるみさんの部屋に、鍵をつけてもらいたいの」
「鍵?!」
「春香の提案。くるみさんもプライベートがあるんだから、鍵をつけてあげたらって」
「春香~~?あ、昨日の一件が原因か」
「どうしたの?何かあったの?」
瑞希さんが、爽太君に聞いた。
「いや、なんでもない。でも、あいつが1番勝手にくるみさんの部屋に、入りこんでると思うけど…」
「でしょ?だから、鍵をつけたほうがいいかなって私も思って…。春香には言わなかったけどね」
と瑞希さんは、そう言った。
「え?」
爽太君は、きょとんとした。
「さ、爽太の朝ごはん作ってくるわ。じゃ、日曜お願いね。」
瑞希さんは爽太君の返事も聞かず、キッチンに入っていった。
「爽太君。いいよ、私は別に」
小声でそう言うと、
「鍵か~。そうすると、もう勝手に、春香とか入って来れないってことか~~」
と、ぶつぶつ言い出した。
「それって…、ラッキー…?」
「え?」
「いや、なんでもない。あ、鍵、つけるよ。日曜に絶対つけるから。うん」
と、爽太君は、ニコニコ顔になった。
あ、そっか…。昨日みたいに、爽太君が部屋に来てて、誰かが勝手にドアを開けることが、なくなるわけか…。
え…?それを考えたら、ちょっと顔が赤くなってしまった。
瑞希さんももしや、春香ちゃんが勝手にドアを開けるのを阻止するために、鍵をつけてくれると言い出したんだろうか。
やっぱり、私と爽太君が、両思いなんだってことも、知ってるんだろうな。
「爽太君。なんか、瑞希さん私たちのこと、気づいているかも…」
「ばれてるってこと?」
「うん。私の気持ちはもう、ばれてるし」
「俺の気持ちも、とっくにばれてるよ」
「じゃ、やっぱり…」
二人で、小声で話をしていたら、ご飯を瑞希さんが持ってきて、慌てて私は爽太君から離れた。
でも、もしばれてるとしても、いったい、どんな態度をとっていいものか…。
日曜になり、爽太君は早々と車で出かけて行き、鍵を買って帰ってきた。それから、私の部屋のドアに鍵をつけた。
「ありがとう」
と言うと、爽太君はにやって笑って、
「これでもう、邪魔されないですむね」
と言った。あ、やっぱりそういうことを考えているんだな~~。爽太君。
春香ちゃんは、その日の夜、リビングでみんながくつろいでいると、
「お兄ちゃん、偉いじゃない、ちゃんと鍵をつけてあげるなんてさ。お兄ちゃんならダダこねて、そんなのしないって言うかと思ったけど」
と、爽太君に言っていた。
「あのね、俺、父さんじゃないし」
と爽太君が言うと、隣でテレビを観ていた圭介さんが、
「俺だって、そのくらい頼まれたらしますよ」
と、口を挟んだ。それから、
「でもな、春香。お前ちょっと、ずれてるな」
と圭介さんに言われて、春香ちゃんは首をかしげた。
「何が?」
「わかんないなら、いいけどさ」
圭介さんは、それ以上何も言わなかった。
お風呂から出ていた圭介さんはビールを飲んでいた。あとからお風呂に入った爽太君も、一緒にビールを飲みだした。
しばらく、二人でなにやら仕事の話をしていたが、そのうち、瑞希さんがお風呂から出てくると、
「瑞希も、ビール飲まない?」
と言って、圭介さんは瑞希さんと飲みだした。
私がお風呂からあがると、もう爽太君はリビングにいなくて、瑞希さんと圭介さんが二人で仲むつましく、テレビを観ていた。
「おやすみなさい」
と言って、2階へ上がろうとすると、
「あ、くるみさんは、ビール飲まない?」
と、瑞希さんに聞かれたが、
「はい、いいです」
と断った。
それから、2階へ行き、自分の部屋に入った。
「さて…」
鍵をつけてもらったが、いつ鍵をしめたらいいものか。こういうのは、いつでも閉めてた方がいいのかな…。
悩んでいると、ドアをノックして、爽太君が声をかけてきた。
「くるみさん?いる?」
「うん」
ドアを開けると、少し顔を赤らめている爽太君が、立っていた。ちょっと酔っているのかもしれない。
「どう?鍵、ちゃんとかけられた?」
「あ、まだ…。いつかけるものか、考えちゃって…」
私がそう言うと、爽太君は部屋の中に入ってきて、鍵を閉めた。
「いつでもかけてたら?あ、良かった。ちゃんとかかるね。開かないよね」
少しガチャガチャと、ドアを開くかどうかを、爽太君は確かめていた。
「うん。爽太君、簡単につけちゃってたね。ほんと、器用なんだね」
「え?だって、このくらい簡単じゃん」
「そう…?」
爽太君は、私の方も見ずに、部屋の真ん中まで入ってきて、ベッドにすとんと座ってしまった。
「なんか、酔ったかも…」
「うん、顔赤いもんね。そんなに飲んでたの?」
「ビール一缶と、缶チューハイ一缶と…。そんくらいだけど。あ。俺、酒臭い?」
「そんなに臭くないと思うけど」
「ほんと?大丈夫?」
「うん」
私は、立ったまま爽太君と、話をしていた。なんだか、隣に座るのも気が引けて…。でも、爽太君はおかまいなしに、話を続けていた。
なんだ…。気にしすぎかな…。意識しすぎているかな…。そう思って、爽太君の横に座った。
爽太君と、いろんな行ってみたい国の話や、今まで観て感動した映画の話や、好きな歌、好きな歌手、そんな話をあれこれした。
「なんか、やっとあれだよ。俺ら付き合ってるんだなって思えてきたよ。なんか、今まで二人で話もできなかったし…」
「うん、そうだね」
爽太君も、同じようなことを感じていたんだな。
ふと、爽太君は話をやめて、私の方をじっと見た。しばらく目があったが、私はちょっと恥ずかしくなり、目をそらした。そして、話を続けた。
「休みの曜日もあわないから、どこかに行くにもなかなかね…。あ、一緒の家に住んでるんだから、そんなの贅沢かな」
爽太君の返事はなかった。あれ?って思って横を見ると、なんだか眠そうな目をしている。
「眠そうだよ。もう、寝たら?」
と聞くと、そのまま、私のベッドに横になり、
「うん」
と、爽太君が言った。




